Japanese を Chinese と、バッハ、「頑張りましょう」 (2021年7月13日)
13日、何となくYahooに出た速報をクリックしてみたら、バッハが話をしていた。途中からだったのだが、話題になっているJapaneseをChineseと言い間違える場面は「生」で聞けた。
間違えたこと自体よりも、通訳がどのように訳すのかに関心があったのだが、無難に訳さず誤魔化した。通訳に事前にバッハのスピーチの原稿が手渡されていたかどうかは分からないが、バッハは時々、机の上の紙を見ながら話していたので、原稿なりメモなりは準備されていたのであろう。だとすると、通訳側から事前にそれを求めるのは普通にある(国際会議等で通訳を使った経験から)。
バッハが、そもそも「頑張りましょう」などという日本を知っているはずもないので、日本を意識してスピーチを考えたのは間違いない。そんなことからすると、せっかく頑張ったのに痛い言い間違えをしたということになる。
日本語: 日本人 中国人
英語: Japanese Chinese
ドイツ語: Japanisch Chinesisch
英語やドイツ語が母語の人が、この言い間違えをどのように感じるのかはよく分からないが、文字や音の感じからすれば、日本語ほど大きな違いを感じることはないような気がするがどうなのだろう。
ともあれ、国名や当該国の人々の呼称を間違えるというのは、バッハの立場、そして今の日本における五輪やバッハに対する感情からすれば、あってはならないことである。何チャラ大臣が、五輪関係者4人がコカイン使用で逮捕されたのを受けて、「あってはならない」と「別の地平」からコメントしていたが、バッハの間違いも「党」としては、「あってはならない」ことと言える。
というのも、オリンピックの開催目的の一つに、北京冬季五輪をパンデミックの中で開催させ、社会主義や共産主義の優越性を自慢させないためというのがあるからだ。それほどまで、中国を意識している中、バッハが「Chinese」と言ってのけたのは、「党」の反中派にとっては手痛い打撃となろう。
オリンピックを政治利用すべきではないと声高に叫んだところで、国内的にも国際的にも東京オリンピックが政治利用されていることは間違いない。平昌オリンピックなど「政治利用」の最たるものだったわけだが、平昌五輪を契機に良い方向に動いた朝鮮半島情勢は国際社会に肯定的に受け入れられた。
北朝鮮が2017年末に「国家核武力完成」を宣言したということを前提にしても、トランプと「元帥様」の「友人関係」ができたことから、現在に至るまで、北朝鮮による核実験と短距離以外のミサイル実験中断のモラトリアムは維持されている。そもそも、「複雑多難」な朝鮮半島情勢を一気に解決することなど難しいのだから、平昌五輪→「友人関係」の流れの中でこのモラトリアムが形成されて現在に至るまで維持されているということは、大いに評価すべきであろう。もちろん、今後、それが崩れる可能性は十分にあるわけだが、これまで維持されてきたことが重要である。
話が朝鮮半島に行ってしまったが、五輪の政治利用はずっとあったし、これからもあるだろう。しかし、中国に自慢させないためにオリンピックを開催することを主張する論者は大きな間違いをしている。彼らの思想からして中国に自慢させたくないのは分かるのだが、今回、東京五輪の中止や延期を求めているのは、別に中国を利すためではなく、新型コロナの感染拡大をできるだけ予防し、国民の命を守るためである。それにもかかわらず、中国と五輪「戦争」をするために、国民の命を犠牲にしろというのは、全く間違った主張だし、それならば、国民の命を守った上で、中国に「社会主義」や「共産主義」の「優越性」を自慢させておいた方がよほど良い。
その種の主張をする人々は、「自由」だの「民主主義」だのを口にするが、中国がどれほど「社会主義」や「共産主義」の「優越性」を自慢したところで、「自由」や「民主主義」の「優越性」は確固不動で転覆などさせられない。それなのに、何をそんなに「反日」ではない人々は心配しているのだろうか。そういう「信念」が「反日」ではない人々にないのだろうか。
バッハの話に戻れば、バッハにとっては、そんなことは全く関係ないはずで、東京も北京も盛大に五輪を開催し、IOCが潤えば良いだけの話のはずだ。
そうであっても、JapaneseとChineseの良い間違えは痛かった。
「頑張りましょう」
間違えたこと自体よりも、通訳がどのように訳すのかに関心があったのだが、無難に訳さず誤魔化した。通訳に事前にバッハのスピーチの原稿が手渡されていたかどうかは分からないが、バッハは時々、机の上の紙を見ながら話していたので、原稿なりメモなりは準備されていたのであろう。だとすると、通訳側から事前にそれを求めるのは普通にある(国際会議等で通訳を使った経験から)。
バッハが、そもそも「頑張りましょう」などという日本を知っているはずもないので、日本を意識してスピーチを考えたのは間違いない。そんなことからすると、せっかく頑張ったのに痛い言い間違えをしたということになる。
日本語: 日本人 中国人
英語: Japanese Chinese
ドイツ語: Japanisch Chinesisch
英語やドイツ語が母語の人が、この言い間違えをどのように感じるのかはよく分からないが、文字や音の感じからすれば、日本語ほど大きな違いを感じることはないような気がするがどうなのだろう。
ともあれ、国名や当該国の人々の呼称を間違えるというのは、バッハの立場、そして今の日本における五輪やバッハに対する感情からすれば、あってはならないことである。何チャラ大臣が、五輪関係者4人がコカイン使用で逮捕されたのを受けて、「あってはならない」と「別の地平」からコメントしていたが、バッハの間違いも「党」としては、「あってはならない」ことと言える。
というのも、オリンピックの開催目的の一つに、北京冬季五輪をパンデミックの中で開催させ、社会主義や共産主義の優越性を自慢させないためというのがあるからだ。それほどまで、中国を意識している中、バッハが「Chinese」と言ってのけたのは、「党」の反中派にとっては手痛い打撃となろう。
オリンピックを政治利用すべきではないと声高に叫んだところで、国内的にも国際的にも東京オリンピックが政治利用されていることは間違いない。平昌オリンピックなど「政治利用」の最たるものだったわけだが、平昌五輪を契機に良い方向に動いた朝鮮半島情勢は国際社会に肯定的に受け入れられた。
北朝鮮が2017年末に「国家核武力完成」を宣言したということを前提にしても、トランプと「元帥様」の「友人関係」ができたことから、現在に至るまで、北朝鮮による核実験と短距離以外のミサイル実験中断のモラトリアムは維持されている。そもそも、「複雑多難」な朝鮮半島情勢を一気に解決することなど難しいのだから、平昌五輪→「友人関係」の流れの中でこのモラトリアムが形成されて現在に至るまで維持されているということは、大いに評価すべきであろう。もちろん、今後、それが崩れる可能性は十分にあるわけだが、これまで維持されてきたことが重要である。
話が朝鮮半島に行ってしまったが、五輪の政治利用はずっとあったし、これからもあるだろう。しかし、中国に自慢させないためにオリンピックを開催することを主張する論者は大きな間違いをしている。彼らの思想からして中国に自慢させたくないのは分かるのだが、今回、東京五輪の中止や延期を求めているのは、別に中国を利すためではなく、新型コロナの感染拡大をできるだけ予防し、国民の命を守るためである。それにもかかわらず、中国と五輪「戦争」をするために、国民の命を犠牲にしろというのは、全く間違った主張だし、それならば、国民の命を守った上で、中国に「社会主義」や「共産主義」の「優越性」を自慢させておいた方がよほど良い。
その種の主張をする人々は、「自由」だの「民主主義」だのを口にするが、中国がどれほど「社会主義」や「共産主義」の「優越性」を自慢したところで、「自由」や「民主主義」の「優越性」は確固不動で転覆などさせられない。それなのに、何をそんなに「反日」ではない人々は心配しているのだろうか。そういう「信念」が「反日」ではない人々にないのだろうか。
バッハの話に戻れば、バッハにとっては、そんなことは全く関係ないはずで、東京も北京も盛大に五輪を開催し、IOCが潤えば良いだけの話のはずだ。
そうであっても、JapaneseとChineseの良い間違えは痛かった。
「頑張りましょう」