「<ニュース>新たに改築されたチルゴル教会:北朝鮮のキリスト教会、バッジのない牧師 (2014年7月26日 「uriminzokkiri TV」)
uriminzkkiri-TVはあまり見ないのだが、リストを眺めていたらおもしろそうな番組があった。北朝鮮の恐らく唯一のキリスト教会であるチルゴル教会が改築されたというニュースである。uriminzokkiri-TVなので朝鮮人民向けではなく、対外向けの映像である。
チルゴル教会

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
チルゴル教会については、以前も何かの記事で紹介したような記憶があるが何を書いたのか覚えていない。uriminzokkiri-TVの解説では、
「チルゴル教会は1899年に設立され、植民地時代には神社参拝が強制され、勢力が弱かったチルゴル教会は、解放後に共和国政府の正しい宗教政策により、全ての信者が自分の意思を反映し自由な信仰生活ができる教会に発展した」。
ゲートは自動で開いているように見える。

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
「しかし、50年代に米国が引き起こした超戦争により、北にある教会が全て爆撃で破壊され、多くの信者が犠牲となり、生き残った信者もちりぢりばらばらになってしまい、家庭に設けられた礼拝所で信仰生活をせざるを得なくなりました」

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
「宗教政策を重視する共和国政府の措置により、1992年に元あった場所に再び建設され、その年の11月22日には収穫感謝祭を契機に開堂式をしました。」写真は、1992年当時のチルゴル教会

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
「チルゴル教会が改築され、キリスト人が信仰生活が自由にできる物質的基礎が作られ、教会人の信仰生活がより保障されるようになりました。」

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
「教会が再建されてから今日まで、韓相烈牧師をはじめとした南朝鮮と海外の同胞たちや米国の宗教指導者ベリーグラハム牧師など、各国の教会人が訪れ信教を深めまた。」
韓相烈牧師

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
聖歌隊は朝鮮人民なのだろうか

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
チルゴル教会牧師、ベク・ボンイル

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
ベク・ボンイル牧師によると「教会が復興した時期は、解放直後に我々の主席様が新キリスト人が信仰生活をどのようにしなければならないのかということを明らかにして下さり、キリスト人たちの信仰生活で新たな天変が起きたと言える。我々キリスト人たちは、当時、米国を神様の国であると、また神様のように考えながら米国に対する崇拝心が大変に高かった。しかし、我々の主席様が、こうしたキリスト人たちの信仰生活で、キリスト人たちが神様を信じても、朝鮮の神様を信じることについての、新しいことを明らかにして下さり、信仰生活で天変が起き、そして、キリスト・チルゴル教会の一番の復興期と言えよう。」
ベク・ボンイルは北朝鮮の牧師のはずであるが、バッジの着用がない。今、直ぐに映像を引き出すことはできないが、北朝鮮の仏教僧侶もバッジを付けいたはずである。また、金日成の呼び方も普通の朝鮮人民と異なっている。普通の朝鮮人民ならば、「偉大な首領様」という言い方をするはずであるが、「主席様」と呼び、「偉大な」という枕詞も付けていない。バッジの着用もせず、金日成を「偉大な首領様」と呼ばないのは、北朝鮮において「キリスト人」が特殊だからなのだろうか。だとしても、バッジは「朝鮮公民」の証なので、教会の中であろうが着用するはずである。
この番組は、北朝鮮の信仰の自由をアピールする番組なので、敢えてバッジを着用せず、金日成の呼び方も変えているのかもしれないが、何かおかしい。解放直後の朝鮮を扱う北朝鮮映画では、教会は米国人牧師が朝鮮人民に蛮行を働く場所、あるいは「南朝鮮」のスパイの隠れ家という取り扱いで、良い扱いはされていない。ベク牧師の「米国が神様」という言葉にそれが表れていると思うのだが、「朝鮮の神様」というのは一体何なのだろうか。「朝鮮の神様」は金日成だと思うのだが、それとイエス・キリストを重ね合わせているのだろうか。
仏教に対しては、古い寺も良く保存されているし、僧侶もいるようだ。信者に関しては分からないが、少なくとも「米国の神様」転じて「朝鮮の神様」となったキリスト教に対してよりは寛容なのであろう。
チルゴル教会

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
チルゴル教会については、以前も何かの記事で紹介したような記憶があるが何を書いたのか覚えていない。uriminzokkiri-TVの解説では、
「チルゴル教会は1899年に設立され、植民地時代には神社参拝が強制され、勢力が弱かったチルゴル教会は、解放後に共和国政府の正しい宗教政策により、全ての信者が自分の意思を反映し自由な信仰生活ができる教会に発展した」。
ゲートは自動で開いているように見える。

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
「しかし、50年代に米国が引き起こした超戦争により、北にある教会が全て爆撃で破壊され、多くの信者が犠牲となり、生き残った信者もちりぢりばらばらになってしまい、家庭に設けられた礼拝所で信仰生活をせざるを得なくなりました」

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
「宗教政策を重視する共和国政府の措置により、1992年に元あった場所に再び建設され、その年の11月22日には収穫感謝祭を契機に開堂式をしました。」写真は、1992年当時のチルゴル教会

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
「チルゴル教会が改築され、キリスト人が信仰生活が自由にできる物質的基礎が作られ、教会人の信仰生活がより保障されるようになりました。」

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
「教会が再建されてから今日まで、韓相烈牧師をはじめとした南朝鮮と海外の同胞たちや米国の宗教指導者ベリーグラハム牧師など、各国の教会人が訪れ信教を深めまた。」
韓相烈牧師

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
聖歌隊は朝鮮人民なのだろうか

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
チルゴル教会牧師、ベク・ボンイル

Source: uriminzokkiri-TV, 2014/07/26
ベク・ボンイル牧師によると「教会が復興した時期は、解放直後に我々の主席様が新キリスト人が信仰生活をどのようにしなければならないのかということを明らかにして下さり、キリスト人たちの信仰生活で新たな天変が起きたと言える。我々キリスト人たちは、当時、米国を神様の国であると、また神様のように考えながら米国に対する崇拝心が大変に高かった。しかし、我々の主席様が、こうしたキリスト人たちの信仰生活で、キリスト人たちが神様を信じても、朝鮮の神様を信じることについての、新しいことを明らかにして下さり、信仰生活で天変が起き、そして、キリスト・チルゴル教会の一番の復興期と言えよう。」
ベク・ボンイルは北朝鮮の牧師のはずであるが、バッジの着用がない。今、直ぐに映像を引き出すことはできないが、北朝鮮の仏教僧侶もバッジを付けいたはずである。また、金日成の呼び方も普通の朝鮮人民と異なっている。普通の朝鮮人民ならば、「偉大な首領様」という言い方をするはずであるが、「主席様」と呼び、「偉大な」という枕詞も付けていない。バッジの着用もせず、金日成を「偉大な首領様」と呼ばないのは、北朝鮮において「キリスト人」が特殊だからなのだろうか。だとしても、バッジは「朝鮮公民」の証なので、教会の中であろうが着用するはずである。
この番組は、北朝鮮の信仰の自由をアピールする番組なので、敢えてバッジを着用せず、金日成の呼び方も変えているのかもしれないが、何かおかしい。解放直後の朝鮮を扱う北朝鮮映画では、教会は米国人牧師が朝鮮人民に蛮行を働く場所、あるいは「南朝鮮」のスパイの隠れ家という取り扱いで、良い扱いはされていない。ベク牧師の「米国が神様」という言葉にそれが表れていると思うのだが、「朝鮮の神様」というのは一体何なのだろうか。「朝鮮の神様」は金日成だと思うのだが、それとイエス・キリストを重ね合わせているのだろうか。
仏教に対しては、古い寺も良く保存されているし、僧侶もいるようだ。信者に関しては分からないが、少なくとも「米国の神様」転じて「朝鮮の神様」となったキリスト教に対してよりは寛容なのであろう。