決して新しい映画ではないが、15日、「朝鮮中央TV」が「<朝鮮芸術映画>慈江道の人々」を放映していた。以前にもこの映画は見たことがあるのだが、その時は初めの部分だけ見て止めてしまったような記憶がある。15日に放送されたのは、第1部であるが、初めから最後まで見ていたら、いくつかの発見があった。2005年以前に制作された古い映画なので、既に色々なところに書かれているのかもしれないが、私にとっては新たな発見であったので記しておく。なお、韓国統一部・北韓情報センターのDBで調べてみると、同映画の最初の放送は2005年9月11日、その後、2009年まで毎年1度(1部と2部通して)ずつ放送され、2010年には放送無し、2011年には2回、2012年には放送無し、2013年には2回、2014年には昨日第1部が放送され、今日(1月16日)第2部が放送される予定である。
「慈江道の人々 第1部」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
北韓情報センターのDBで調べていて気付いたのだが、映画のタイトルは「慈江道(자강도)」と「人々(사람들)」の間にスペースがない。同センターのDBも2009年まではスペース入りで検索すると出てくるが、昨日の放送も含めてそれ以降の放送分についてはスペース無しにしないと出てこない。北朝鮮が「慈江道」と「人々」をスペース無しで表記しているのは、「慈江道に住んでいる人々」という普通名詞ではなく、「慈江道人」という固有名詞の扱いをしているからだと思う。過去記事でも金正恩が金正日の言葉を引きながら「慈江道の人々」について述べていることについて書いたが、やはり、色々な意味で「慈江道人」は特別なのであろう。
第1部のストーリーは、「苦難の行軍」時期、発電所建設を進める慈江道人民が食料も資材も電気もない中で苦労をするという話である。もちろん、その中に人間ドラマや思想宣伝なども含まれている。しかし、特に興味深いのは「代用食品」という、泥、草の根、木の皮などの話が出てくるなど、厳しい食料事情をそのまま描いている点である。本記事では、食料事情に関する部分を中心にこの映画を紹介していく。
まず登場するのが炭鉱の労働者である。
労働者A:「金ユンイル、子供のようにおしゃぶりを吸っているのか」
労働者B:「後方参謀同志も腹が減ったのなら、口に入れたらどうですか。そうすればここ(胃を指さす)が申し訳なくて、少しは静かにしているはずですよ」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
じゃんけんをする2人の女性。韓国ではじゃんけんをする時「ハサミ、岩、手を開いた状態(カウィ・パイ・ポ)」と言っているが、北朝鮮では「石と手を開いた状態(トル・グァ・ポ)」と言っているように聞こえる。日本でも「じゃんけんぽい」だけではなく、地方により色々な言い方があるので不思議ではないが、本当のところ北朝鮮では何と言っているのであろうか。ちょきの出し方も日本とは異なっている。なお、「web朝鮮語大辞典」には「돌과보」は出てこなかった。
<追記2>
コメントでも頂いたように、「돌 가위 보(トル・カウィ・ポ、石、ハサミ、手のひら)」のようだ。聞き直してみたら、ハサミの音「カウィ」が「グァ」と聞こえたようだ。もしかすると「o(オ)」という母音に挟まれて音韻変化し、「과」と発音されているのかもしれない。なお、「web朝鮮語大辞典」に「돌가위보」は一つの単語として「じゃんけん」の意で出ている。

Source: KCTV, 2014/1/15放送

Source: KCTV, 2014/1/15放送
この女性らは遊んでいると思われ、「後方参謀同志」に「みんなが食事を待っているのに、何を遊んでいるんだ」と叱られる。どうやら、「後方参謀同志」は、人々の食生活に責任を持たされているようだ。叱られた女性は「私たちは、じゃんけんをして、勝った人はスープを分け、洗ったトウモロコシを分けることにしました」と答える。「後方参謀同志」が、「誰が勝ったのか。決まったとおりにしなくては」と言うと、じゃんけんで負けた女性が「私にはできません。私は、そのトウモロコシを1人当たり40粒ずつ配ることなど出来ません。そんなものをどうやって昼食だと・・・」と言う。そして、「後方参謀同志」に「お願いですから、私を現場で働かせて下さい」とこう。そして泣き出してしまうが、「後方参謀同志」に「子供のように泣いているな」と叱られる。しかし、「後方参謀同志」も紙巻きタバコを吸いながら、自分が食糧を十分に供給出来ないことを悔やむ。
トウモロコシが入ったバケツ

Source: KCTV, 2014/1/15放送
暗くて分かりにくいが、トウモロコシを40粒ずつ分けている様子。

「スープはたくさんあります。いくらでも言ってください」とスープを配る女性。

Source: KCTV, 2014/1/15放送
人々は、食事が済むと「もっと仕事をしましょう」と出て行こうとする。女性は「もっと休んでいってください。私が歌を歌ってあげますから」と歌を歌う。

Source: KCTV, 2014/1/15放送
「昼食」というのに暗い理由がよく分からないが、この映画は全体として暗い場面が多い。場面設定では「停電している」ことになっているので、極力電気を使わず、たいまつなどを使用している。
「後方参謀同志」は「旅団長」命を受け、修理に出しておいたテレビを取りに行かされる。しかし・・・
隊員A:「旅団長同志、今日の朝、『声放送』で将軍様が最前戦9分隊を視察されたニュースを聞いて、全ての大隊がテレビの時間を待って欠席します」
旅団長:「テレビは取りに行かせてあるから心配するな。交代要員も含めて、全員そろってテレビを見なくては」
しかし、「後方参謀」は自分が食料供給ができないことに責任を感じ、テレビの代わりにトウモロコシを運んで来たのであった。
旅団長:「まだ、自分の誤りが分からないのか。なんでテレビを受け取りに行かずに他に行ったんだ」
後方参謀:「私は、実は、大隊のために・・・」
旅団長:「大隊のためにだと。ドンムは全ての大隊がそのテレビをどれほど楽しみにしていたのか、どれほど渇望しながらその時間を待っていたのか分かってたのか。ドンムは大隊の渇望と大隊の要望、大隊の志向を潰してしまったんだ。ドンムはテレビの画面で将軍様に一瞬でもお会い出来れば気持ちが明るくなり、その一瞬で耐えがたいほどの(将軍様に)会いたい気持ちをくれという、この大隊を考えられなかったのか」
隊員A:「言わせてください。後方参謀ドンム。どんなに腹がふくれても将軍様にお会い出来なくては、生きることが出来ない大隊です。それが我々の生命だということを後方参謀同志はしらなかったのですか」
隊員B:「誰が腹が減ったと言いましたか。食い物をくれといった人がいるんですか。本当に将軍様を思う我々の心情を何でそんなに分からないのですか。後方参謀同志」
そして、旅団長は後方参謀を解任してしまう。人間の基本的欲求である「食欲」以上に「将軍様をテレビで見たい」人などいるのだろうか。これが実態なのかプロパガンダなのかは分からないが、もしかすると当時、「将軍様をテレビで見れば食べなくても良い」というような事態が発生していたのかもしれない。さらにこの設定でおかしいのは、停電なのに、どのようにテレビを見るのかという点である。それとも「将軍様」が登場する時間は、何としてでも電気を供給したのであろうか。
その後、この後方参謀は、責任を感じて「食用にするための泥炭」を採取に行き、帰り道で転落死してしまう。泥炭を採取する場面では、
老婆:「ちょっとあなた。少し休んだらどう」
後方参謀:「おばあさん、泥炭です」
老婆:「そうだねぇ。あなたもちょっとたべてみなよ」
後方参謀:「食べられませんね」
老婆:「そのままでは食べられないでしょ。だけどこれを水に混ぜてトウモロコシの粉と半分ずつ混ぜれば、ちょっとはよくなるよ」
後方参謀:「おばあさんは、いつ泥炭を召し上がったのですか」
老婆:「日本人共がいなくなる前に。泥炭さえもなくなりそうだったんだよ」
後方参謀:「今だって、その悪鬼のような奴らのせいで、苦労しているじゃないですか」
<追記1月27日:本記事を書きかけてから、相当時間が過ぎたので、文脈がおかしくなるかもしれないが、続きを書いておく。>
映画では、「代用食品品評会」についても触れている。幹部が「代用食品品評会を開催することにした」と発表すると、その場にいる女性は「代用食品て何ですか」と尋ねる。この時期までそのような言葉さえ存在しなかったのであろう。「web朝鮮語大辞典」にも「代用物資」や「代用飼料」などは出てくるが、この語彙は出てこない。「代用食品」に関する幹部の説明は次のとおりである。
幹部:「草の根と木の皮、トウモロコシの皮や白菜の根などで食べ物を作るということだ」
女性:「ええ、それを人が食べるということなんですか」
「代用食品品評会」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
いよいよ「代用食品品評会」の日が来て、各「大隊」が工夫した「代用食品」が映し出される。これまで、主として脱北者情報として伝えられてきた「苦難の行軍」時代の食料事情の厳しさを北朝鮮が公認しているという点でこの部分の衝撃は大きかった。
各「大隊」が作った「代用食品」が並べられている。

Source: KCTV, 2014/1/15放送
「クズの根麺(左)、白菜の根のかゆ(右下)、クズ餅(右上)」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
「ブナの煮付け(右)」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
「ニレの葉の餅(上)」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
「ヨモギの餅(右)、桑の葉の煮付け(左)」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
「桑の葉がゆ」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
「泥炭の餅(左)、泥炭の粉のパン(中)、泥炭のうどん(右)」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
続けて、「旅団長」の話が始まる。彼は「血の涙を流しながら始まったこの苦難の行軍が、これほど胸の痛い犠牲をもたらすとは考えてみた人もないし、食べ物とは言えない草の根や木の皮、泥炭の塊を食べるなど想像した人もいませんでした。しかし、なぜ我々がこれまでになかった『代用食品』などという言葉を笑いながら言わなければならないのか。胸に流れる血の涙を飲み込み、厳しいこの道を歩まなければならないのか。その理由だけはよく分かっています。それはまさに、父なる首領様の生涯が刻み込まれている我々の赤い旗、億千万回死んでも将軍様に従ってたなびかせなければならない革命の赤い旗を最後まで守るためです。遠い将来、数千トンの米よりも貴重なこの『代用食品』を食べ、どれほど厳しい道を歩いてきたのかを誇り高く語るであろうし、進む道が厳しくても笑いながら進もうという気概を持って偉大な将軍様に従って最後まで歩いてきた我々、慈江道の人々を永遠に忘れないでしょう」と語る。
演説をする「旅団長」

Source: KCTV, 2014/1/15放送
ここで「慈江道の人々」の第1部は終わる。第2部はまだ見ていないが、記事にするような内容があれば、記事にすることにする。
<追記3>
第2部には第1部ほど衝撃的な内容はなかったが、いくつかおもしろい場面があった。
新たに完成した小規模発電所の近くに「旅団長」や「突撃隊員」が集まってくる。そこに設計士が設計図を持ってやってくる。
設計士:「旅団長同志、これ、55号棟住宅の設計図です」
旅団長:「うん」
設計士:「1棟1世帯で設計したのですが、庭にはヤギ小屋と豚小屋を作ってやろうかと」
旅団長:「いいじゃないか」
設計士:「部屋は2つなのですが、一部屋は電気オンドルとし、もう一部屋は火で暖めるようになっています」(注:「オンドル」は床暖房システム)
旅団長:「なぜ両部屋を電気オンドルにしなかったんだ」
設計士:「発電所に異常が生じ、停電になる場合を想定して・・・」
旅団長:「不合格。設計も不合格だし、あなたの思想も不合格です。電灯も付け、テレビも見て、電気式オンドルにして、ご飯も電気炊飯器で炊こうというのが、将軍様の意です。あなたは、万が一を考えてそのように設計したというのですが、我々には万が一などあり得ない。あるとすれば、この道で命を捧げることだけだ。やり直せ」

Source: KCTV, 2014/1/16放送
普通に考えれば、「設計士」が正しい。しかしそれを「将軍様の意」として否定してしまうところに、「苦難の行軍」の悲劇の原点があるはずだ。思いつきや理想論の「将軍様の意」により合理的な考えが否定され、食料供給システムが成り立たなくなってしまったことこそが、「苦難の行軍」を強要し、「代用食品」を食べざるを得ない事態に至らせたはずだ。北朝鮮でなければ、この場面は強烈なアイロニーとなろうが、北朝鮮ではそれがアイロニーとならないところが北朝鮮の特殊性であろう。もし、この映画の制作者がこの場面にアイロニーとしてのメッセージを込めていたのであれば、それは大変なことであるが。
第2部の中には、この映画のタイトルである「慈江道の人々」を象徴する場面がある。「旅団長」が執務室で自分でシャツを縫いながら補修している。すると、そこに部下が炭酸飲料とリンゴを持って入ってくる。「旅団長」の妻は入院しており、この日が手術の日である。部下は、「旅団長」に自分が持って来た炭酸飲料とリンゴを持って妻の見舞いに行くことを勧める。
すると、2名の「突撃隊員」が凄い剣幕で入ってくる。
突撃隊員1:「私たちが大砲で雀を捕まえるというのはそうなんですか」
旅団長:「どうしたんだ」
突撃隊員1:「取るに値しない奴の面倒など見る必要がないというのが事実なのかということです」
旅団長:「何を藪から棒に」
突撃隊員1:「そんな、藪から棒な奴が現れました。そいつが我々の大隊に来て言ったのは、ソンファ発電所を建設するのは、雀1羽を捕まえるために大砲を作るのと同じだというのです」
旅団長:「その、藪から棒な奴に言ってやれ。道の川に中小の水力発電所を建設するというのは、首領様の意であり、将軍様の構想であると。発電所は一度建設してしまえば、百年であれ千年であれ、大きな費用をかけずに使えるんだ」
突撃隊員2:「そうなのですが、我々のソンファ発電所建設を直ちに中止すると言うのです」
突撃隊員1:「国家の経済発展に寄与も出来ないところに大金を使い、国家的な電力生産計画作成に混乱をもたらすと言うのです」
旅団長:(怒りだして)「どこのどいつだ!そんなデタラメを言う奴は!」
突撃隊員1:「上部から来たホ・ミョングク副局長という人です」
旅団長:(ますます怒り)「副局長だと。あなたはそんなデタラメを言われても黙っていたのか。それが何を意味するのか考えなかったのか。そいつは今どこにいるんだ」
突撃隊員1:「少し前に帰りました」
怒る「旅団長」

Source: KCTV, 2014/1/16放送
旅団長は、自分でジープを運転して「副局長」の車を追う。乗用車が「副局長」であるが、「旅団長」は四駆の性能を活かして近道をする。ハリウッド映画だとこの辺りの車の動きが現実離れするほど速いが、北朝鮮映画では実に現実的な速度で走っている。

Source: KCTV, 2014/1/16放送
「旅団長」は「副局長」の車の前に回り込んで停車させる。
副局長:「何か用ですか」
旅団長:「あなた(『ドンム』ではなく『タンシン』という見下した『あなた』という言葉を使っている)が部から来た副局長ですか」
副局長:「そうだが」
旅団長:「そうか。あなたが我々の労働者の前で中小型発電所建設についてああだこうだと騒ぎ立てたというのは事実ですか」
副局長:「うん?」
旅団長:「はっきりと言え。今日、俺の前で適当なことを言ったら、無事でいられないと思え」
副局長:(余裕で笑いながら)「おい、ドンム(君)。ドンムも現実を直視した方がいい。今、国の現状が・・・」
旅団長:(車のボンネットを平手打ちして)「国の現状がなんだと。あなたが我々の尊厳、我々の自尊心を冒涜しても無事でいられると思っているのか。あなたは、我々がどれほど険しい道を歩いているのか知っているのか。どれほど、胸が痛い犠牲を出しながらこの道を歩いているのか。あなたが知っているのかと言うんだ。我々は血の涙を飲み込みながら試練を経験し、我々が進むべき道はよく分かっているんだ。とてもよく」
副局長:「うーん」
旅団長:「だから、しっかりと覚えておけ。あなたのような敗北主義者共がいくら泣き言をいっても、我々は自ら選択した信念の道を最後まで進むということを」
旅団長はジープに向かう。
副局長:「おい、あんたはいったい誰なんだ」

Source: KCTV, 2014/1/16放送
旅団長:(ジープのドアを開けながら)「慈江道人だ」

Source: KCTV, 2014/1/16放送
「旅団長」はそう言って去って行く。
「副局長」はサングラスを掛けている。「将軍様」以外でサングラスを掛けている朝鮮人民はあまり見かけないのだが、サングラスは贅沢さを象徴する小道具なのであろうか。そうであるとすると、中央でのうのうとクラス幹部と慈江道で苦しい生活をする人民の対比を強調するための演出なのかもしれない。このような中央幹部を悪役として登場させているのは、少なからずこの種の幹部がいるということであろう。こういう幹部は「首領様(将軍様)の意に反する行動をする」という扱いになっているが、「意に反する行動」が合理的なケースも少なからずあるのであろう。現実的には、それが不正・腐敗と混ざり合って、判断がつかなくなっているということだろうか。この映画の中でも「人民のために服務する!」というスローガンが登場するが、金正恩が彼の「労作」の中でこうしたスローガンを繰り返していることが、こうした問題が深刻であることの反証ではないだろうか。張成沢事件には色々な意味合いがあろうが、彼が私利私欲を肥やす中央幹部を象徴し、それが「人民のために服務する」という「党中央=金正恩」の意に反する行動を取り処刑されたと解釈すれば、朝鮮人民も納得するのかもしれない。もちろん「党中央の意」に疑義が全くない、つまり「一心団結」の状態がその前提となるわけであるが。
その後、試練を経ながらも発電所は完成する。工事期間は1年。前年の冬に建設を始めて1年後の初雪が降る日に完成したという設定になっている。

Source: KCTV, 2014/1/16放送
中小型発電所が完成したおかげで、人民の部屋には電灯がともっている。

Source: KCTV, 2014/1/16放送
「旅団長」が森で木を切っていると、「万歳!将軍様がいらっしゃいました」という「突撃隊員」の声が遠くから聞こえてくる。「突撃隊員」が雪の中を走ってくる。

Source: KCTV, 2014/1/16放送
そしてナレーションが入る。
ナレーション:「その日、父なる将軍様は、北部の険しい山を越えて、愛する慈江道人民を訪ねて下さった。真冬の厳寒も気にせず、チャンガン、江界、ソンガンの大小の発電所を一つずつご覧になった将軍様は、力強い動作音を響かせながら回る発電所をご覧になり厳しい試練の中でも決死貫徹の革命精神を持って党と首領、社会主義のための慈江道人民たちの闘争を高く評価された。そして将軍様は、慈江道内の幹部、党員、勤労者は今のように困難な時期に党をどのように支えなければならないかという実践的模範を見せたと、このような革命同志と一緒ならば、苦難の行軍をあと何百回しても怖いものはないと仰り、彼らの闘争精神を『江界精神』と名付けようと熱い信頼を下さった」
結局、「将軍様」は完成した発電所を視察するために「北部の険しい山を(ベンツに乗って)超えて」来ただけである。ただ、映画の中では「将軍様」が不足する鉄鋼を発電所建設のために特別に手配するという「恩情に満ちた措置」をしたという設定になっている。絶対量が不足するものに対して「特別の手配」をすれば、どこかで別の不足が生じるわけで、その優先順位を「将軍様」が決定することは政策判断とはいえ、何かが間違っている。しかし、その政策判断を「恩情」とすることで人民から敬意や信頼を引き出すことができるのであれば、統治手法としては正しい。もしかすると、民主主義国家でも地方出身の政治家が当選の暁には地方に「利権」を還元し、再当選を目指すという考え方とも通じるのかもしれない。ただ、地方の政治家との絶対的な違いは、絶対的な権力を有する最高指導者がそれをやってしまうところであろう。
映画の最後の場面では別の幹部がやって来て「早く行こう。偉大な将軍様が、朝食も食べないで、あなたを待っておられる」と「旅団長」に言う。「旅団長」は感涙にむせびながらベンツに乗り込むという場面で終わる。

Source: KCTV, 2014/1/16放送