プーチンから贈呈された車を「元帥様」が初めて公務に使ったという「(第1)副部長同志」の「談話」も出ているが‥
ブータンには野良犬がたくさんおり、4時ごろになるとあちこちで吠えまくるので目が覚める。あたりはまだ暗く、フクロウのような鳴き声も聞こえる。そもそも日本と3時間時差があるので、こちらの4時は日本で目が覚める時間でもある。
18日は、子宝の神様、ドゥクパ・キンレイが祀られているチミ・ラカンというお寺に行った。この神様、はちゃめちゃで面白い。正確な伝承と異なるかもしれないが、ガイドの話の方が分かりやすく、面白かったので忘れる前に書いておく。
ガイドは、ドゥクパ・キンレイを神様ではなく「お坊さん」と呼んでいる。修行をして、すごいパワーを身につけた「お坊さん」ということなのだろう。なぜ持っていたかは忘れてしまったが、この「お坊さん」弓と矢を持っている。ある日、この「お坊さん」は「綺麗な女と旨い酒があるところに飛んでいけ」と言って矢を放った。矢は遠くまで飛んで、ブータン中部のプナカという村の民家に落ちた。このお坊さんは矢が落ちた民家にやってきた。そこには人妻の「綺麗な女」がおり、「お坊さん」に「お茶をどうぞ」と差し出した。すると「お坊さん」は、「お茶は私が上げよう」と言って、その「綺麗な女」の家に「泊まった」。
この「お坊さん」は、スーパー男性器の持ち主で、「お茶」は「男性の体液」のことのようだ。「綺麗な女」の夫が帰宅し、「お坊さん」が妻にしたことに激怒し、剣を持ち出して「お坊さん」を斬り殺そうとした。しかし、お坊さんのスーパー男性器には太刀打ちすることができず、刀はくの字に曲がってしまった。その後、この夫婦がどうなったのかの部分は忘れてしまったが、普通に考えれば、この「お坊さん」はとんでもない輩ということになる。
しかし、この「お坊さん」は人民のためにパワーを使って悪魔退治もする良い「お坊さん」ということになっている。現在の首都ティンプーからプナカ(矢が飛んできた場所)に至る道にはドチュ・ラという標高3100m程の峠がある。その昔、この峠に悪魔が住んでおり、往来する人々を捕まえては食べていた。「お坊さん」は悪魔退治をするためにドチュ・ラ峠に行った。悪魔は「お坊さん」を食べようとしたが、「お坊さん」がスーパー男性器を出すと恐れ慄いて逃げ出した。峠を半分ほど降りたところで、悪魔たちは犬になってしまった。そして、やっとのことでプナカの村に辿り着いたのだが、小高い丘の上で死んでしまった。今、犬が死んだ場所には、この「お坊さん」が祀られているチミ・ラカンというお寺があり、「お坊さん」が子宝の神様として祀られている。
このお寺には、結婚してもなかなか子供ができない夫婦がやってきて、「お坊さん」に子供を授けてくれるようにお願いする。しかし、この「お坊さん」は一筋縄では行かない。夫婦でやってきても夫はお寺の外にある菩提樹の下で待たねばならず、妻と一緒にお寺に入ってはならない(「お願い」のためでなければ男性もお寺に入れる)。ある夫は、妻がお寺に入ってなかなか出てこないので、痺れを切らして見に行った。スーパー男性器をもつ「お坊さん」に何をされているかわからないからだ。なので、この夫婦には結局、子供はできなかった。また、ある夫は、心配なので妻と一緒に妻の妹をお寺の中に入れ、自分は菩提樹の下で待っていた。「お坊さん」女性であれば、何人入ってきても喜ぶので、結局、この夫婦には子供ができた。問題は、その子が「お坊さん」の子なのか、自分の子なのか分からないというところなのだが、それは「永遠の謎」となっているようだ。
では、お寺の中に入ると実際に何をされるのか。(小乗仏教のお祈りの仕方だと思うが)ブータン式のお祈りを3回して、お賽銭を差し出すと、お坊さん(普通の人)が「お坊さん」のスーパー男性器を模った木、牛の骨で作った棒で頭を叩いてくれる(痛くないように、先端には布が巻かれている)。「お願い」でなければ、男女問わずお祈りをして賽銭を出せば、頭を叩いてくれる。
それで、子宝の神様である「お坊さん」のご利益はあるのか。一番分かりやすいのが、今の5代目国王の話だ。5代目の国王は結婚後、3年間、子供ができなかった。そのため、妃と共にこの寺にやってきて「お願い」をした。ガイドに聞くのを忘れてしまったが、国王とはいえ、妃とお寺の中に入らず菩提樹の下で待っていたのだろう。お願いをしてすぐ、国王夫妻は子宝に恵まれ、今は3人の子供がいる。 国王陛下に大変申し訳ない間違いをしてしまった。5代目国王はこのお寺には来ていない。婚姻3年目に子宝を授かるようにお願いしたのは、首都ティンプーの丘の上にある大きな大仏像の中に妃が観音像をお供えしたということだった。この話と子宝寺の話がごちゃごちゃになってしまった。
お寺には子宝に恵まれた夫婦がお礼参りにやってくる。ガイドのお母さんもガイドが生まれた後、供物を持ってお寺にお礼参りにやってきたそうだ。
お寺の周辺の食堂で昼食を食べたが、食堂のど真ん中には「お坊さん」のスーパー男性器の大きな置き物が置かれていた。
峠やお寺外部(寺の内部は撮影禁止。なので、いかにもという顔つきの「お坊さん」の絵の写真はない)の写真はあるので、追って。
今、ブータンにいる。理由は、北朝鮮に行けなかったからだ。職場から海外で研究をする資金が急に提供されることになり、それを執行するためにどこに行くか悩んだ挙句に選んだのがブータンだった。しかし、ブータンについての知識は、日本の皇室と関係が良い王国だという程度だった。なので、北朝鮮の研究者がなぜブータンに行くのかという理由作りはとても苦労した。一つだけ思いついたのが、「北朝鮮もブータンもガイドなしの個人旅行が認められていない国」ということで、両国のツーリズムについて比較するというかなり無理筋な計画書を作った。
昨日朝、ブータンに着いた。バンコクからDurkairで来たが、座席の前に挟まっていた冊子を読んでいたらとても面白かった。冊子の内容は、4代目国王の演説の内容が英訳されたもので、プンツォリン(Phuntsholing)にインドの協力を得ながらSAR(Special Administrative Region)を建設することについて書かれていた。しかし、人民に対する呼びかけや自信がそのために献身しているというような表現は、なんとも「元帥様」の演説と似ていることに気がついた。別にどちらがどちらを真似したということはないのだが、やはりGDPが低い国の「王」が経済開発を人民に訴える言い回しは自然と似てくるものなのだと思いながら読んでいた。冊子は持ち帰りかとのことだったので、帰国したら訳出して拙ブログで紹介したいと思っている。
インドは第3代国王の時代からブータンとの経済協力関係を強め、21日はモディ首相がブータンの首都を訪問するとのことで、国王とインド首相の写真がメインストリートには飾ってある。これも北朝鮮と何となく似ている。違う点といえば肖像画の扱いがブータンの方が北朝鮮よりも緩やかだという点だ。人々がつけている国王バッジもそこらの土産物屋で売っているものだという。
そして、「動員」もある。空港から首都ティンプにつながる道路を掃除している人々がたくさんいたが、ガイドはインドの首相が来るので動員されて掃除をしている言っていた。
ブータンの人々は国王をとても尊敬している。国王の写真はあちこちに掲げられており、昨夜、ブータン・ワインを飲んだホテルのバーには国王一家の写真を文字盤に使った掛け時計まであった。領導者のバッジを付けるのは北朝鮮ぐらいだと思っていたが、ブータンの人々の中にも「国王」バッジを付けて歩いている人が一定程度いることが分かった。
ホテルの宿泊客が二人しかいなかったこともあり、食堂のウェイトレスから色々と話を聞くことができた。彼女はバーの係も兼ねていたので、昨夜は10時過ぎまで彼女から様々な話を聞くことができた。
これからまた出かけるので詳細を書くことはできないが、「両国のツーリズム比較」などとかなり怪しい研究課題を出したのだが、そんなことよりも文化・社会・政治・経済に関する様々な貴重な情報が得られ、全く想定していなかった北朝鮮「王国」との比較ができそうな気がしている。
15日夜、ホテルから徒歩数分の距離にあるホアンキエム湖を探索した。本当は昨夜、探索する予定だったのだが、ソウルからの移動の疲れと雨で食事をしただけで撤退した。
ホアンキエム湖周辺の道路は、金曜日の夜、歩行者天国になるようだ。強権と専横の限りを尽くすバイク・自動車帝国主義者共から解放された解放区、人民の楽園がそこには展開していた。
「湖」とはいえ、サイズは池なので一周歩いてみることにした。外人もたくさんいたが、ベトナム人民にも人気のスポットのようで、家族連れや若者グループ、カップルがたくさんいた。
兵士と労働者と農民(女性)だろうか、朝鮮だと兵士の代わりに「インテリ」がいるのだが、似たような銅像の前で人民が踊っていた。楽曲は退廃した資本主義の曲ではなく、ベトナム音楽のようだった。
朝鮮にもありそうなスローガンの旗。なんと書いてあるのかは調べていないが、朝鮮的には「2024年、党中央の周りに固く団結し総邁進しよう!」とでもなろうか。
ハノイ市人民委員会の建物にはホーチミン同志の肖像画が。朝鮮との違いは、「代を継いで」いないので、絶世偉人は一人だけだ。
写真を撮ったときは意識しなかったが、湖水上のリフレクションが美しい。
ハノイ市人民委員会の対岸にある食堂(というか、雰囲気的にはレストラン)でサイゴンビールを飲んだ。昨日行った店には、瓶ビールしかなかったのだが、やはり生は美味しい。残念ながら、ハノイビールの生はなかった。サイゴンビールを飲みながら、対岸のホーチミン同志の肖像画を眺めていると本当に「解放」された気分になる。さらに、レストラン横の公園では音楽公演が開催されており、良いBGMになった。
公園で演奏する演奏家同志。「4月の春、親善芸術祝典」に招待したい。
1日だけのハノイだったが、満喫できた。
行軍は続く。
15日、「朝鮮中央通信」に以下。
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金ヨジョン朝鮮労働党中央委員会副部長談話発表
김여정 조선로동당 중앙위원회 부부장 담화발표
最近、岸田日本首相が国会の衆議院予算委員会で日朝間の現状況を大胆に替えなければならない必要性を強く感じていると言いながら、自分自身が朝鮮民主主義人民共和国の国務委員長と主導的に関係を結ぶことが非常に重要であり、現在の当面する経路を通して継続して努力していると発言したという。
최근 기시다 일본수상이 국회 중의원 예산위원회에서 일조간의 현 상황을 대담하게 바꾸어야 할 필요성을 강하게 느낀다고 하면서 자기자신이 조선민주주의인민공화국 국무위원장과 주동적으로 관계를 맺는것이 매우 중요하며 현재 다양한 경로를 통하여 계속 노력하고있다고 발언하였다고 한다.
私は、岸田首相の発言と関係して日本メディアが朝日関係問題についてこれまでとは異なる立場を表明したことになると評価していることについて留意する。
나는 기시다수상의 발언과 관련하여 일본언론들이 조일관계문제에 대해 종전과는 다른 립장을 표시한것으로 된다고 평가한데 대해서도 류의한다.
岸田首相の今回の発言が過去の束縛から大胆に抜け出し、朝日関係を前進させようという真意から出発したものなら、肯定的なものと評価されない理由はないと思う。
기시다수상의 이번 발언이 과거의 속박에서 대담하게 벗어나 조일관계를 전진시키려는 진의로부터 출발한것이라면 긍정적인것으로 평가되지 못할 리유는 없다고 본다.
今まで、日本が既に全て解決された拉致問題や朝日関係改善とはなんら関係もない核・ミサイル問題を前提とし続けながら出てきたことからして、両国関係が数十年間、悪化一路歩んできたことは誰もが認める事実である。
지금까지 일본이 이미 다 해결된 랍치문제나 조일관계개선과는 아무런 인연도 없는 핵,미싸일문제를 전제부로 계속 들고나온것으로 하여 두 나라 관계가 수십년간 악화일로를 걷게 되였다는것은 누구나 인정하는 사실이다.
日本が時代錯誤的な敵対意識と実現宇可能な執念を勇気を持って取り下げ、お互いの認定した基礎の上で丁重な身の振り方と信意のある行動で関係改善の新たな出路を切り開いていく政治的決断を下したなら、両国はいくらでも新たな未来を共に切り開くことができるというのが私の見解である。
일본이 시대착오적인 적대의식과 실현불가한 집념을 용기있게 접고 서로를 인정한 기초우에서 정중한 처신과 신의있는 행동으로 관계개선의 새 출로를 열어나갈 정치적결단을 내린다면 두 나라가 얼마든지 새로운 미래를 함께 열어나갈수 있다는것이 나의 견해이다.
過去ではなく、未来を見つめることを知っている賢明さと戦略的眼目、そして政治的決断を下すことができる意志と実行力を持った政治家だけが機会を手にすることができ、歴史を変えられる。
과거가 아니라 앞을 내다볼줄 아는 현명성과 전략적안목,그리고 정치적결단을 내릴수 있는 의지와 실행력을 가진 정치가만이 기회를 잡을수있고 력사를 바꿀수 있다.
日本が我々の正当防衛権について不当に問題視している悪習を拭い去り、既に解決された拉致問題を両国関係の将来の障害物としさえしなければ、両国が近づけない理由はなく、首相が平壌を訪問する日が来ることもできる。
일본이 우리의 정당방위권에 대하여 부당하게 걸고드는 악습을 털어버리고 이미 해결된 랍치문제를 량국관계전망의 장애물로만 놓지 않는다면 두 나라가 가까워지지 못할 리유가 없을것이며 수상이 평양을 방문하는 날이 올수도 있을것이다.
ただし、現在まで我が国指導部は、朝日関係改善のためのいかなる構想も持っておらず、接触にもなんら関心もないものと知っている。
다만 현재까지 우리 국가지도부는 조일관계개선을 위한 그 어떤 구상도 가지고있지 않으며 접촉에도 아무런 관심이 없는것으로 알고있다.
今後、岸田首相の下心をさらに見守らなければならない。
앞으로 기시다수상의 속내를 더 지켜봐야 할것이다.
これは、あくまでも私の個人的な見解だけであり、私は公式的に朝日関係を評価する立場にない。
이것은 어디까지나 나 개인적인 견해일뿐 나는 공식적으로 조일관계를 평가할 위치에 있지는 않다.
主体113(2024)年2月15日
주체113(2024)년 2월 15일
平壌
평 양(끝)
www.kcna.kp (주체113.2.15.)
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「(第1)副部長同志」が、なかなかのコメントを出した。
「評価する立場にない」と言いながら、誰もが分かっているように「元帥様」の「お気持ち」を代弁する「(第1)副部長同志」さすがだ。「傀儡韓国」が相手でなくなると、さらっと日本を相手にするところも「(第1)副部長同志」がどれほど重要な「立場」にいるのかを示している。
支持率10%台が続いている岸田政権を見透かしたように、「拉致問題はなかったことにする」、「核・ミサイルは問題視しない」ことを朝日関係対話の前提としているところなど、さすがに「(第1)副部長同志」である。
岸田ごときに国内的には「拉致問題はない」ことにし、米国追従の態度を改め「核・ミサイル安保理決議」を無視して朝鮮と対話をしろと言っているのだから、できるはずもないことを言っているに等しい。それでも言っているのだから、岸田など相手にしないという意志の表れであろう。
もちろん、日本の保守勢力を押さえ、米国も押さえ、それでも朝鮮と対話をするのならということであろう。
「元帥様」が能登半島地震に「慰問文」を送ったことで「閣下」と書いたことで大騒ぎをしたが、あんなものはその他の国(友好国であったとしても)に送る「慰問文」のフォーマットを使っただけで、それ自体にほとんど意味はない。そんなことは、朝鮮をきちんと見ていれば分かるはずなのだが、凄いことのように騒ぎ立てるメディアが信じ難い。
ともかくも、「(第1)副部長同志」に一歩も二歩も先を行かれた「談話」を出された岸田政権、どうするつもりだろうか。
朝日関係も大切だが、腐りきった日本政治を何とかする方が先決ではないだろうか。
電撃訪朝、拉致被害者帰国で支持率回復などという浅はかな考えは捨てるべきだ。
そもそも「(第1)副部長同志」の要求など叶えられるはずはないのだし。
<追記>
長いコメントを頂いたので、「元帥様」の「慰問文」について少し書いておく。
「閣下」については、上記のとおり他国に送る「慰問文」のフォーマットを使った結果だと思われる。非難する際に使う「日本首相、岸田」という表現は「慰問文」では使えないし、「岸田文雄首相」と書くこともできただろうが、一般的なフォーマットを使うことでむしろ特別感をなくしているのではないかと思う。
「慰問文」を出した意図だが、日本を意識してというよりもむしろ対内向けのメッセージ性が高いのではないだろうか。拙ブログにも書いたように、「朝鮮中央TV」では地震発生直後に津波情報を画面下に出してる。それを見た朝鮮人民も日本で津波が発生するほどの大きな地震が発生したことは分かったはずだ。この点、大きな災害が発生してから数日後に「20時報道」の「国際ニュース」の中で報じる海外の災害報道とは異なる。そのような状況で敵対的な国であっても、日本「人民」が地震で大きな被害を受けたことで心を痛めた「元帥様」が「天のような雅量」を発揮して「岸田閣下」に「慰問文」を送れば、朝鮮人民にとって「元帥様」の偉大さは増すことになる。
「朝鮮中央TV」で肉声演説、放送中。
敬愛する金正恩同志が朝鮮労働党中央委員会第8期第19回政治局拡大会議で綱領的な結論をなさった
경애하는 김정은동지께서 조선로동당 중앙위원회 제8기 제19차 정치국 확대회의에서 강령적인 결론을 하시였다
(평양 1월 25일발 조선중앙통신)
조선로동당 총비서이신 경애하는 김정은동지께서 1월 24일 조선로동당 중앙위원회 제8기 제19차 정치국 확대회의에서 강령적인 결론 《당의 〈지방발전 20×10 정책〉을 강력히 추진할데 대하여》를 하시였다.
동무들!
당중앙위원회 제8기 제19차 정치국 확대회의는 금후 지방경제의 확실하고도 급속한 발전을 실현하고 국가의 전면적부흥에 큰 힘을 실어주게 될 《지방발전 20×10 정책》의 실행대책들과 주요정책대상공사들을 다그쳐 결속하기 위한 문제들을 심중하게 토의결정하였습니다.
참으로 중대하고도 력사적인 선택과 결단을 내렸습니다.
이로 하여 차후 10년안에 지방의 세기적인 락후성을 털어버리고 지방인민들의 숙망을 풀어주게 될 새로운 혁명이 개시되고 인민들의 복리증진을 위한 중대사안들을 성과적으로 완결할수 있는 조치들이 강구되게 되였으며 사회주의의 전면적발전에로 나아가는 우리의 장엄한 투쟁에 거대한 활력이 더해지게 되였습니다.
이번 정치국 확대회의가 가지는 전략적의의는 실로 크며 회의에서 우리 당의 기본투쟁원칙과 로선,그에 일관된 인민적성격을 명명백백히 과시하는 중대결정들을 채택한데 대하여 나는 대단히 만족하게 생각합니다.
이번 회의를 통하여 우리 당은 지방공업을 동시다발적으로,매우 균형적이면서도 전면적으로,효과적으로,특색있게 발전시킬수 있는 각방의 조치들을 확정짓고 그 실행담보를 철저히 세움으로써 창당이래 근 80년간 오직 인민을 위함에 총지향해온 자기의 투쟁사에 획기적인 리정표를 마련하였습니다.
이미 언급하였지만 농촌의 후진성과 종국적으로 결별하는데서 전례없이 방대하고 통이 큰 전선으로 되는 농촌살림집건설이 전국적판도에서 대대적으로 벌어지고있는 속에 전국 지방공업의 새로운 발전국면을 여는 또 하나의 거창한 전선을 형성하고 이 두 혁명단계를 병행하여 수행할것을 결심한것은 쉽게 용단을 내릴 문제가 아닙니다.
하지만 지방인민들의 숙망이자 우리 당의 숙원이고 지방공업의 발전이자 지방의 발전이며 지방의 발전이자 국가의 전면적부흥장성으로 되기에 우리는 새로운 투쟁을 주저없이 단행해나갈 중대결심을 내리게 된것입니다.
나는 이번 기회에 모든 방면에서 도시와 농촌,중앙과 지방의 격차를 줄이며 불균형을 해소하고 다 함께 발전하는 부유하고 문명한 사회건설을 다그치며 특히 지방인민들의 복리를 증진시키고 권익을 보호하며 지방과 농촌생활환경을 개선하는데 우선적인 힘을 넣는것이 우리 당이 현시기 견지해야 할 중요한 원칙이며 사회주의전면적발전기로 이행하는데서 반드시 실행하여야 할 정치투쟁과업이라는데 대해 다시금 강조하였습니다.
우리는 계속혁신,계속전진으로 일관되여온 조선혁명특유의 투쟁전통과 본때를 가세하여 과감한 행동실천으로써 오늘의 의의있는 결정들이 반드시 결점없이 변혁으로 펼쳐지게 만들어야 합니다.
동무들!
이 회의장을 시종일관 가열시킨 전체 참가자들의 열렬한 호응에서 전국의 더없이 앙양된 분위기를 그대로 실감하였고 책임적이고도 적극적인 자세로 의안토의에 림해주는 동무들의 진정에서 우리 결심의 당위성을 재삼 확인할수 있었으며 이에서 큰 힘을 얻고 우리 사업의 전도를 락관하게 된데 대하여 기쁘게 생각합니다.
바로 이것으로 하여 사랑하는 인민들을 위한 우리의 새로운 사업은 격동적인 첫시작과 마찬가지로 그 과정도 완결도 어김없고 실속있을것이라고 확신하면서 본 정치국회의에서 심도있게 토의결정한 사항들을 철저히 집행해나가는데서 나서는 몇가지 중요한 문제들을 강조하자고 합니다.
《지방발전 20×10 정책》이 올해부터 성공적인 결실을 맺도록 하자면 그 관철을 위한 작전과 지도를 구체적으로,실속있게 잘해나가야 합니다.
무엇보다 전국의 시,군들에 지방공업공장들을 건설하기 위한 사업체계부터 정연하게 세워야 하겠습니다.
무슨 일에서나 사업체계를 바로세우는것이 중요합니다. 수도의 5만세대 살림집건설은 사업체계를 정연하게 세우고 드세게 내밀고있기때문에 해마다 1만세대의 살림집을 한세대의 드팀도 없이 완공하고있습니다.
이와 마찬가지로 해마다 20개 시,군들에 지방공업공장들을 드팀없이 일떠세우자면 사업체계부터 똑똑히 세워야 합니다.
앞으로 조직되는 《지방발전20×10비상설추진위원회》에서는 설계로부터 자재와 자금보장,원료기지조성사업에 이르기까지 지방공업공장건설과 운영준비와 관련한 모든 사업을 통일적으로 장악지휘하는 체계를 정연하게 세우고 통제력을 강화하여야 합니다.
추진위원회에 당중앙위원회 부서들,국방성과 해당 성,중앙기관 일군들이 망라되였는데 그에 맞게 호상간협동도 잘하여야 합니다.
김정은동지께서는 당에서 김화군처럼 지방공업공장들을 꾸리라고 하는것은 그 지방공업공장들처럼 현대화수준과 문명한 로동조건,생활조건이 보장되게 꾸리라는것이지 결코 일률적으로 공장규모를 김화군과 꼭같이 정하라는것이 아니라고 하시면서 지방공업공장들의 규모는 시,군의 인구수와 주민들의 수요,경제실태와 자연지리적조건을 잘 타산하여 정하도록 하여야 한다고 하시였다.
시,군들의 구체적인 실정에 맞는 설계를 보장해주는것이 특별히 중요하며 설계단위들과 시공단위,운영단위들사이의 3자합의체계를 철저히 세워 공장을 운영하는 과정에 불합리한 문제들이 제기되지 않도록 하여야 한다고 말씀하시였다.
공장부지를 선정하는데서는 처음부터 전기와 공업용수보장을 비롯하여 공장운영에 필요한 조건들을 충분히 만족시킬수 있는가,수송에 유리한가 하는것을 잘 타산하며 특히 주민들에게 불편을 주지 않겠는가 하는것도 고려하여야 한다고 지적하시였다.
김정은동지께서는 지방공업발전을 위한 투쟁의 전구에 가장 활력있고 전투력있는 인민군대를 내세웠다고 하시면서 인민군대는 우리 당의 숙원으로 되는 혁명과업을 실행하는 거창한 이 투쟁에서도 마땅히 기수가 되고 주인공이 되여야 하며 인민의 행복의 창조자,수호자로서의 자기의 고귀한 명함을 지켜내야 한다고 말씀하시였다.
건설 전 과정에 대한 검열감독사업을 책임적으로 하는 문제,건설자재를 제때에 보장하는 문제들에 대하여 언급하시고 새로 건설하는 지방공업공장들에 필요한 설비들의 현대화수준을 김화군보다 더 높게 정해야 한다고 강조하시였다.
지방공업공장들에서 생산을 정상화,활성화하도록 하기 위한 사업을 건설공사와 동시에 예견성있게 진행해나가야 한다고 하시면서 시,군당위원회들에서는 원료기지의 생산능력을 높이는 사업을 당위원회적인 사업으로 전환시키고 자기 지역의 일군들과 당원들과 근로자들을 사상적으로 발동시켜 완강하게 밀고나가야 한다고 말씀하시였다.
시,군들에 현대적으로 건설한 지방공업공장들에서 제품의 질을 높이는데 힘을 넣어 인민들이 좋아하는 질좋은 제품들을 많이 생산할데 대하여 언급하시였다.
천리길도 한걸음으로 시작되고 첫걸음을 잘 떼야 다음걸음도 힘있게 내짚을수 있는것처럼 올해에 계획한 지방공업공장건설을 성과적으로 결속하여야 당이 제시한 《지방발전 20×10 정책》의 승산을 확고히 내다보면서 지방공업공장건설을 년차적으로 어김없이 내밀수 있다고 하시면서 정치국 성원들이 시,군을 한개씩 맡아 지방공업공장건설을 강하게 추진하도록 당적인 조치를 취한데 대하여 말씀하시였다.
지방발전정책관철의 직접적인 조직자,집행자는 다름아닌 도,시,군당책임비서들이라고 하시면서 책임비서들은 자기 지역의 발전과 인민생활향상을 위해 항상 고민하고 사색하면서 긴박하고 절실한 일감들을 스스로 걸머지고 맡겨진 책무를 다해나가야 한다고 하시였다.
특히 당중앙은 지방발전정책집행정형을 놓고 도,시,군당책임비서들의 당성,인민성,책임성에 대하여 평가할것이라고 말씀하시면서 도당책임비서들은 올해에 건설되는 2개 시,군의 지방공업공장들을 실지 돌릴수 있게 원료기지들을 꾸리고 기능공들을 양성하는 사업을 책임적으로 하고 년말에 당중앙위원회 전원회의에 보고할데 대하여 지시하시였다.
도,시,군인민위원장들이 자기 지역 인민들의 생활을 책임진 호주답게 지방발전정책집행에서 책임성과 역할을 높여야 하며 당중앙과 한마음한뜻이 되여 지방이 변하는 새시대를 안아오기 위한 투쟁에 전심전력해야 한다고 말씀하시였다.
당중앙위원회 조직지도부에 내오게 된 지방공업건설지도과에서는 《지방발전 20×10 정책》집행에 대한 정치적지도,정책적지도를 잘하여 그 집행을 당적으로 담보하여야 한다고 하시면서 부서의 임무와 역할에 대하여 구체적으로 밝혀주시였다.
김정은동지께서는 오늘회의에서 미결된 주요정책대상들의 신속한 완공을 위한 당적인 중대조치들이 취해진데 대하여 언급하시고 올해에도 인민들이 반기고 기다리는 실제적인 변화를 이룩해나가야 한다고 하시면서 다음과 같이 말씀하시였다.
오늘 우리에게는 인민들에게 보다 문명하고 행복한 생활조건과 환경을 마련해주어야 할 무겁고도 영예로운 과업이 나서고있습니다.
이 자리에 참석한 당과 정부의 지도간부들은 수천만 인민들의 크나큰 믿음을 생의 명줄로 간직하고 완강한 분발력과 투지를 발휘하여 본 회의 결정을 어김없이 관철함으로써 이 땅 그 어디에서나 인민들의 행복한 웃음소리가 울려퍼지게 하여야 합니다.
명심하고 자각할것은 인민에 대한 복무정신과 자세입니다.
우리가 목적한 거창한 혁명사업의 성과여부는 그 무슨 자금,자재,로력의 유무와 보장성,경제작전의 주도세밀성에 앞서 우리 지도간부들,일군들의 투철한 인민관에 의해 담보되여야 한다고 생각합니다.
우리에게 인민은 무엇인가,우리가 무엇을 위하여,누구를 위하여 이 방대한 사업을 그것도 가장 어려운 시기에 스스로 걸머졌는가를 항상 명심해야 합니다.
우리 당이 밝힌 가장 정확한 투쟁로선과 방침이 있고 이미 축적된 경험도 있으며 자립경제의 튼튼한 잠재력이 있는한 지방이 변하는 새시대는 먼 후날이 아니라 눈앞의 현실로 펼쳐지게 될것입니다.
모든 일군들은 오늘 정치국 확대회의에서 채택된 결정을 가장 철저하게,가장 완벽하게 관철하는데서 자기의 사명과 본분을 다함으로써 우리 인민의 하늘같은 믿음에 무조건 기어이 보답하여야 하겠습니다.
모두다 백배의 신심과 용기를 안고 위대한 우리 위업의 새로운 변혁적결실을 위하여,사회주의의 전면적발전을 위하여,위대한 우리 인민의 복리를 위하여 힘차게 싸워나아갑시다.(끝)
www.kcna.kp (주체113.1.25.)