案内員、金同志とカン同志 (2019年9月9日)
案内員がなかなか来ないので、朝鮮国際旅行社の名札をぶら下げた別の案内員に「案内員がいないのだが」と話しかけた。すると、その案内員と一緒にいた人民服姿の「課長同志」が、電話をかけてくれた。電話で事情を伝えた後、「座って待っていて下さい」と言った。他の客が案内員と出て行くのを見ながら待つこと20分ぐらいだろうか、案内員がやって来た。「飛行機が早く着きましたね」と言っていたので、定刻に合わせてやって来たようだ。
案内員同志は2人で、これまでのパターン同様、中年と若い人のペアーだった。中年の方が金同志、若者の方がカン同志だ。初めの挨拶を日本語でした後は、ほとんど朝鮮語で話をした。2010年に来たときは、ソウルの言葉で話していたが、今回は修行の甲斐もあり、「平壌標準語だ」と褒めてもらえた。ついでに「延吉の方言も少し混ざっているようだが」と言われたが、これもまた、最近の行動パターンからすればあり得る話である。平壌標準語で話が始まれば、こちらのペースでどんどん話題を展開でき、都合が良い。また、運転手の金同志にも通じるので、運転手同志もニヤニヤしながら話を聞いていた。
ところで、金同志の方がやけになれなれしい。なぜか分からないが、やたらと女性の話ばかりしてくる。こちらは「党創建71周年」記念行事の話でもしようと思ったのだが、「ダンスは午前中に終わってしまったよ、もっと早く来なきゃ駄目だよ」と言われてしまった。そしてまた女性、酒、たばこの話に戻る。酒の話はいくらでもできるが、女性とたばこの話はそれほどネタがない。それほどエロ親父のように見られるとは思わないのだが。まあ、思想精神状態をチェックされていたのかもしれない。
帰国後に2010年の写真を見ていたら、どうやら、その時も案内員の1人が金同志だったようだ。金同志も「2010年はこの顔じゃなかったか?」と何回か言っていたので、そうだったのであろう。出かける前に2010年の写真を見ておけば良かったのだが、悪いことをしてしまった。2010年に案内をしてくれた若い方の案内員は名刺をくれたのでフルネームで覚えており、顔もかなりはっきりと記憶していた。「李XX同志は元気か?」と尋ねてみたところ、案内員を止めて中国にいるとのことだった。
平壌国際飛行場から平壌市内に向かう道は道路周辺や街路樹が整備されていたので、道幅が拡張されたように見えたが、カン同志は「道は同じだ」と言っていた。
金同志のペースで話をしながら高麗ホテルに到着した。前回は羊角島ホテルだったので、高麗ホテルは初めてになる。羊角島ホテルの場合、ホテルの周囲を一人で散歩することが可能であったが、高麗ホテルは街の中心にあるので、ホテルから一人で出ることはできなかった。ともあれ、隔離された感はないので、高麗ホテルの方が良い。
今回は、事前に総連系の旅行社と事前にかなり行き先について打ち合わせをして行ったのだが、訪問可能な場所が大幅に変更された。はっきりとした理由は示されなかったが、恐らく、9月7日に朝鮮を横切った台風13号の影響が大きかったのではないかと思う(台風13号の影響については後述)。
高麗ホテルのロビーで客を待っている女性案内員。金同志は「女性じゃなくて残念だね」と言っていたが、全体を通してみれば、今回の2人の案内員はとても良かった。
案内員同志は2人で、これまでのパターン同様、中年と若い人のペアーだった。中年の方が金同志、若者の方がカン同志だ。初めの挨拶を日本語でした後は、ほとんど朝鮮語で話をした。2010年に来たときは、ソウルの言葉で話していたが、今回は修行の甲斐もあり、「平壌標準語だ」と褒めてもらえた。ついでに「延吉の方言も少し混ざっているようだが」と言われたが、これもまた、最近の行動パターンからすればあり得る話である。平壌標準語で話が始まれば、こちらのペースでどんどん話題を展開でき、都合が良い。また、運転手の金同志にも通じるので、運転手同志もニヤニヤしながら話を聞いていた。
ところで、金同志の方がやけになれなれしい。なぜか分からないが、やたらと女性の話ばかりしてくる。こちらは「党創建71周年」記念行事の話でもしようと思ったのだが、「ダンスは午前中に終わってしまったよ、もっと早く来なきゃ駄目だよ」と言われてしまった。そしてまた女性、酒、たばこの話に戻る。酒の話はいくらでもできるが、女性とたばこの話はそれほどネタがない。それほどエロ親父のように見られるとは思わないのだが。まあ、思想精神状態をチェックされていたのかもしれない。
帰国後に2010年の写真を見ていたら、どうやら、その時も案内員の1人が金同志だったようだ。金同志も「2010年はこの顔じゃなかったか?」と何回か言っていたので、そうだったのであろう。出かける前に2010年の写真を見ておけば良かったのだが、悪いことをしてしまった。2010年に案内をしてくれた若い方の案内員は名刺をくれたのでフルネームで覚えており、顔もかなりはっきりと記憶していた。「李XX同志は元気か?」と尋ねてみたところ、案内員を止めて中国にいるとのことだった。
平壌国際飛行場から平壌市内に向かう道は道路周辺や街路樹が整備されていたので、道幅が拡張されたように見えたが、カン同志は「道は同じだ」と言っていた。
金同志のペースで話をしながら高麗ホテルに到着した。前回は羊角島ホテルだったので、高麗ホテルは初めてになる。羊角島ホテルの場合、ホテルの周囲を一人で散歩することが可能であったが、高麗ホテルは街の中心にあるので、ホテルから一人で出ることはできなかった。ともあれ、隔離された感はないので、高麗ホテルの方が良い。
今回は、事前に総連系の旅行社と事前にかなり行き先について打ち合わせをして行ったのだが、訪問可能な場所が大幅に変更された。はっきりとした理由は示されなかったが、恐らく、9月7日に朝鮮を横切った台風13号の影響が大きかったのではないかと思う(台風13号の影響については後述)。
高麗ホテルのロビーで客を待っている女性案内員。金同志は「女性じゃなくて残念だね」と言っていたが、全体を通してみれば、今回の2人の案内員はとても良かった。