「<断想>遠回りする退勤路」(2012年2月28日「労働新聞」)
万寿台地区住宅建設に動員される朝鮮人民の一端が現れた記事が出ていた。
http://www.rodong.rep.kp/InterKo/index.php?strPageID=SF01_02_01&newsID=2012-02-28-0031&chAction=L
「遠回りする退勤路(家路)」と題されたこの記事は、労働新聞記者が偶然聞いた二人の青年の会話から始まる。
「ウィソンさん、毎日夕方、こんなふうに退勤路を遠回りして疲れないの。」
「いや、むしろ習慣になって、今となってはこの道を通るとむしろ気持ちが楽だよ。」
この会話を聞いて、記者も「遠回りする退勤路?」と思ったそうだが、私も同じことを思った。さらに読み続けると、二人の青年がいたのは、「万寿台地区建設場へ向かう人波の中」であったそうだ。万寿台建設に「ボランティア」が動員されているということについては、非北朝鮮メディアを通じて伝えられていたが、この記事では「人波」ができるほど動員されているということが分かる。さらに、「彼らが退勤路を遠回りして、毎日夕方から翌日の明け方まで行った作業量は数字を見ても実に大変な量であった」としている。この記事は、当然のことながら、こうした「ボランティア」精神を称賛・鼓舞するためのものなので、「翌日の明け方」と誇張して書かれているのだろうが、そうではないとしても夜中まで作業をしているのであろう。こんなことをしていては体が持たないばかりではなく、翌日の本務に多大な支障が出ることは明白である。そして、万寿台住宅には誰が住むことになるのであろうか。自分の家になるのであれば、「ボランティア」にも精が出るであろう。しかし、他人の家の建設では、疲れて寒い中、早く家に帰って休みたいはずだ。北朝鮮に「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というスローガンがある。ディズニーチャンネルに出てくるミッキーマウスも同じことを言っているのだが、ミッキーマウスの住むファンタジーの世界と現実は違う。
記事は「それは、決して遠回りの道ではない。まさに偉大な先軍霊将(金正恩さん)の歩みに従い、いつもまっすぐに進む我らが時代の青年たちの生き様と闘争の直線走路ではないのか」と締めくくっているが、果たしてそうなのか。
http://www.rodong.rep.kp/InterKo/index.php?strPageID=SF01_02_01&newsID=2012-02-28-0031&chAction=L
「遠回りする退勤路(家路)」と題されたこの記事は、労働新聞記者が偶然聞いた二人の青年の会話から始まる。
「ウィソンさん、毎日夕方、こんなふうに退勤路を遠回りして疲れないの。」
「いや、むしろ習慣になって、今となってはこの道を通るとむしろ気持ちが楽だよ。」
この会話を聞いて、記者も「遠回りする退勤路?」と思ったそうだが、私も同じことを思った。さらに読み続けると、二人の青年がいたのは、「万寿台地区建設場へ向かう人波の中」であったそうだ。万寿台建設に「ボランティア」が動員されているということについては、非北朝鮮メディアを通じて伝えられていたが、この記事では「人波」ができるほど動員されているということが分かる。さらに、「彼らが退勤路を遠回りして、毎日夕方から翌日の明け方まで行った作業量は数字を見ても実に大変な量であった」としている。この記事は、当然のことながら、こうした「ボランティア」精神を称賛・鼓舞するためのものなので、「翌日の明け方」と誇張して書かれているのだろうが、そうではないとしても夜中まで作業をしているのであろう。こんなことをしていては体が持たないばかりではなく、翌日の本務に多大な支障が出ることは明白である。そして、万寿台住宅には誰が住むことになるのであろうか。自分の家になるのであれば、「ボランティア」にも精が出るであろう。しかし、他人の家の建設では、疲れて寒い中、早く家に帰って休みたいはずだ。北朝鮮に「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というスローガンがある。ディズニーチャンネルに出てくるミッキーマウスも同じことを言っているのだが、ミッキーマウスの住むファンタジーの世界と現実は違う。
記事は「それは、決して遠回りの道ではない。まさに偉大な先軍霊将(金正恩さん)の歩みに従い、いつもまっすぐに進む我らが時代の青年たちの生き様と闘争の直線走路ではないのか」と締めくくっているが、果たしてそうなのか。