羅先6:「学習と組織生活」、「エンペラーホテル」、カラオケ、「元帥様」→「大元帥様」、「舞踏会」ダンス、酔っ払った朝鮮人民
過去記事にも書いたが、今回の羅先ツアーでは、ガイド以外の朝鮮人民とかなり交流ができた。その中でも、最も友好的に接してくれたの、運転手ドンムの友人の運転手ドンムである。ややこしいので、Mr.Dとしておく。Mr.Dは、「豪華海鮮夕食」の時から合流してきた。
Mr.Dは私が朝鮮語を話せたこともあり、最初から冗談を飛ばしてきた。一番おもしろかったのは、
川口:「チキン、お好きなようなので、どうぞこれもお召し上がりください」
Mr.D:(立ち上がって)「はい。学習も組織生活もしっかりといたします」
川口:「そのように、しなさい(기렇게 하오、ママ)」
という対話である。
同じテーブルにいた朝鮮人民は笑うに笑えない冗談であったのだろうが、全員「プッ」という感じで吹き出していた。我々は、夕食後に「エンペラーホテル」を見に行ったのだが、その時も車の所までやってきて、運転手ドンムに「本当は僕がお連れする方がよいのだが、この先生をしっかりとお連れしてくれ」と言い、私にタバコを勧めてくれた。私は非喫煙者なのだが、せっかくの友好的雰囲気を壊したくなかったので、口にくわえて彼にライターで火を付けてもらった。「朝鮮芸術映画」を見ていても、親しい人にタバコを勧めるというシーンはしばしば登場する。そんなことからすれば、Mr.Dは多少酔っていたとはいえ、私に親近感を感じてくれたのであろう。嬉しいことだ。
「エンペラーホテル」のことを少し書いておくが、今回の羅先ツアーで最もつまらなかったのこのホテルである。
「琵琶閣」付近から眺望した「エンペラーホテル」と琵琶島(左)。

「エンペラーホテル」は香港資本が建設したホテルで、ホテル機能を持ったカジノである。新義州に一時カジノを作る計画があったが、それが頓挫してしまったので、北朝鮮国内唯一のカジノだと思う。このホテルがカジノであることは朝鮮人民も知っているようで、「賭博場」と呼んでいた。もちろん、従業員以外の朝鮮人民はアクセス禁止である。我々が訪れた時も、運転手ドンムは駐車場に入ることさえできず、ゲートの外で待っていた。

我々はカジノを目的に行ったわけではなく、「美味しいコーヒー」に期待をしていた。しかし残念ながら、ホテルの内外装にそぐわず、インスタントコーヒーしかないことが判明した。客のほとんどは中国人のようだが、中国人はレギュラーコーヒーをあまり飲まないので(多分)、インスタントでも問題がないということなのかもしれない。
インスタントコーヒーしか置いてなかったホテル内のカウンター

一同、マカオで嫌というほど見た「賭博場」は10分ほどで去り、「琵琶閣」に戻った。やることもないので、私の提案でMr.Dも誘って「琵琶閣」敷地内のカラオケに行くことになった。これには、北朝鮮ガイドも大乗で大変良い雰囲気であった。我々が着いたときはカラオケには誰もいなかったが、しばらくしたら5~6人の朝鮮人民のグループがやって来た。北朝鮮ガイドによると、観光関係者ではなく、羅先の人が遊びに来ただけだとのことであった。
熱唱するMs.C。右にいるのはカラオケの接待員ドンム。

その後、Ms.Cがモランボン楽団の曲を連発で3曲入れ、私が歌うことになった。私が歌う頃には、上に書いた朝鮮人民グループも2階席に座っており、友好的日本人民による「モランボン楽団最新歌謡」の熱唱に身を乗り出して拍手喝采を送ってくれた。モランボン楽団の曲は、さびの部分以外さすがに字幕を見ないで歌うことはできなかったが、最後の締めで歌った「パルコルム」は歌詞を全部暗記していたので、「功勲国家合唱団」のように行進するそぶりをしながら歌ったので、同行した外国人にも朝鮮人民にもとても受けていた。
Mr.Dにも歌を勧めた。彼は、私に「首領様」と「将軍様」をどれほど尊敬し慕っているのかというという話をした後、「将軍様に従い千万里」を熱唱した。歌詞の中に「金正日元帥様」だったか「元帥様」という部分があった。字幕には「元帥様」と出ているのだが、Mr.dは「大元帥様」と言い換えて歌っていた。さすがである。
熱唱するMr.D

しばらくすると、一人の朝鮮人民が降りてきて我々に合流した。かなり酔っていたようで、来るなり私に「パンマル(目下に対する乱暴な言葉遣い)」で話しかけてきた。年の頃、30代後半から40そこそこだというのに。ま、酔っているので仕方がないと思い、相手をした。この人、私のみならず下にいた全ての人々を踊らせた。外国人同行者も興味半分でフロアに出て行って踊り出した。彼が来なければ踊ることもなかったので、それはそれでよい経験だったと思う。当然、Ms.Cも踊らされた。踊るといってもいわゆる「舞踏会」式の踊りなのであるが、Ms.Cとペアを組んだ私に踊れるはずもない。最大の失敗は、踊るときにMs.Cの手を握ってしまったことである。彼女は、握るのではなく乗せるだけだと教えてくれたが、「モランボン楽団最新歌謡」を歌いこなす友好的日本人民も、さすがに「舞踏会」式ダンスの仕方は知らなかった次第である。
踊る朝鮮人民。手の動きがとても難しい。

さて、この酔っ払いであるが、だんだんエスカレートしてきた。私に「酒を飲むのにつまみが置いてないではないか」とつまみを頼むことを要求してきた。時間も時間だし、我々も疲れてきていたので、「すみませんが、もう帰らなければなりません」と丁重に話して、その場を立ち去ることになった。ともあれ、Mr.Dのように明るく酔う朝鮮人民、この酔っ払いのように威張り出す朝鮮人民、両方と交流することができたのはよい経験であった。Ms.Cは、ホテルに戻ってから「先生に不快な思いをさせて本当にすみませんでした」と何回も謝罪した。私は、「酒癖が悪い人など日本にもいくらでもいますよ。心配しないでください。今夜ははじめから終わりまで大満足です」と言っておいた。本当の気持ちである。
見送ってくれるカラオケの接待員ドンム
Mr.Dは私が朝鮮語を話せたこともあり、最初から冗談を飛ばしてきた。一番おもしろかったのは、
川口:「チキン、お好きなようなので、どうぞこれもお召し上がりください」
Mr.D:(立ち上がって)「はい。学習も組織生活もしっかりといたします」
川口:「そのように、しなさい(기렇게 하오、ママ)」
という対話である。
同じテーブルにいた朝鮮人民は笑うに笑えない冗談であったのだろうが、全員「プッ」という感じで吹き出していた。我々は、夕食後に「エンペラーホテル」を見に行ったのだが、その時も車の所までやってきて、運転手ドンムに「本当は僕がお連れする方がよいのだが、この先生をしっかりとお連れしてくれ」と言い、私にタバコを勧めてくれた。私は非喫煙者なのだが、せっかくの友好的雰囲気を壊したくなかったので、口にくわえて彼にライターで火を付けてもらった。「朝鮮芸術映画」を見ていても、親しい人にタバコを勧めるというシーンはしばしば登場する。そんなことからすれば、Mr.Dは多少酔っていたとはいえ、私に親近感を感じてくれたのであろう。嬉しいことだ。
「エンペラーホテル」のことを少し書いておくが、今回の羅先ツアーで最もつまらなかったのこのホテルである。
「琵琶閣」付近から眺望した「エンペラーホテル」と琵琶島(左)。

「エンペラーホテル」は香港資本が建設したホテルで、ホテル機能を持ったカジノである。新義州に一時カジノを作る計画があったが、それが頓挫してしまったので、北朝鮮国内唯一のカジノだと思う。このホテルがカジノであることは朝鮮人民も知っているようで、「賭博場」と呼んでいた。もちろん、従業員以外の朝鮮人民はアクセス禁止である。我々が訪れた時も、運転手ドンムは駐車場に入ることさえできず、ゲートの外で待っていた。

我々はカジノを目的に行ったわけではなく、「美味しいコーヒー」に期待をしていた。しかし残念ながら、ホテルの内外装にそぐわず、インスタントコーヒーしかないことが判明した。客のほとんどは中国人のようだが、中国人はレギュラーコーヒーをあまり飲まないので(多分)、インスタントでも問題がないということなのかもしれない。
インスタントコーヒーしか置いてなかったホテル内のカウンター

一同、マカオで嫌というほど見た「賭博場」は10分ほどで去り、「琵琶閣」に戻った。やることもないので、私の提案でMr.Dも誘って「琵琶閣」敷地内のカラオケに行くことになった。これには、北朝鮮ガイドも大乗で大変良い雰囲気であった。我々が着いたときはカラオケには誰もいなかったが、しばらくしたら5~6人の朝鮮人民のグループがやって来た。北朝鮮ガイドによると、観光関係者ではなく、羅先の人が遊びに来ただけだとのことであった。
熱唱するMs.C。右にいるのはカラオケの接待員ドンム。

その後、Ms.Cがモランボン楽団の曲を連発で3曲入れ、私が歌うことになった。私が歌う頃には、上に書いた朝鮮人民グループも2階席に座っており、友好的日本人民による「モランボン楽団最新歌謡」の熱唱に身を乗り出して拍手喝采を送ってくれた。モランボン楽団の曲は、さびの部分以外さすがに字幕を見ないで歌うことはできなかったが、最後の締めで歌った「パルコルム」は歌詞を全部暗記していたので、「功勲国家合唱団」のように行進するそぶりをしながら歌ったので、同行した外国人にも朝鮮人民にもとても受けていた。
Mr.Dにも歌を勧めた。彼は、私に「首領様」と「将軍様」をどれほど尊敬し慕っているのかというという話をした後、「将軍様に従い千万里」を熱唱した。歌詞の中に「金正日元帥様」だったか「元帥様」という部分があった。字幕には「元帥様」と出ているのだが、Mr.dは「大元帥様」と言い換えて歌っていた。さすがである。
熱唱するMr.D

しばらくすると、一人の朝鮮人民が降りてきて我々に合流した。かなり酔っていたようで、来るなり私に「パンマル(目下に対する乱暴な言葉遣い)」で話しかけてきた。年の頃、30代後半から40そこそこだというのに。ま、酔っているので仕方がないと思い、相手をした。この人、私のみならず下にいた全ての人々を踊らせた。外国人同行者も興味半分でフロアに出て行って踊り出した。彼が来なければ踊ることもなかったので、それはそれでよい経験だったと思う。当然、Ms.Cも踊らされた。踊るといってもいわゆる「舞踏会」式の踊りなのであるが、Ms.Cとペアを組んだ私に踊れるはずもない。最大の失敗は、踊るときにMs.Cの手を握ってしまったことである。彼女は、握るのではなく乗せるだけだと教えてくれたが、「モランボン楽団最新歌謡」を歌いこなす友好的日本人民も、さすがに「舞踏会」式ダンスの仕方は知らなかった次第である。
踊る朝鮮人民。手の動きがとても難しい。

さて、この酔っ払いであるが、だんだんエスカレートしてきた。私に「酒を飲むのにつまみが置いてないではないか」とつまみを頼むことを要求してきた。時間も時間だし、我々も疲れてきていたので、「すみませんが、もう帰らなければなりません」と丁重に話して、その場を立ち去ることになった。ともあれ、Mr.Dのように明るく酔う朝鮮人民、この酔っ払いのように威張り出す朝鮮人民、両方と交流することができたのはよい経験であった。Ms.Cは、ホテルに戻ってから「先生に不快な思いをさせて本当にすみませんでした」と何回も謝罪した。私は、「酒癖が悪い人など日本にもいくらでもいますよ。心配しないでください。今夜ははじめから終わりまで大満足です」と言っておいた。本当の気持ちである。
見送ってくれるカラオケの接待員ドンム
