羅先5:朝鮮人民との対話、「アジュミ」、中国元と北朝鮮ウォン、「ジャンマダン」、「我が国に乞食はいません」、豪華なディナー、<追記>ローテクなテーブルタップ
今回のツアーが2010年の平壌ツアーと大きく違うのは、朝鮮人民との接触がほぼ無制限に許されていたことだ。「許された」という表現が適切かどうか分からないが、朝鮮語が分かる私は、誰とでも好き勝手に話ができた。もちろん、見ず知らずの人に突然声を掛けて変な質問しようなどとは思わなかった。日本であっても、私のような変なおっさんが突然見ず知らずの人に話しかけ、「毎日何を食べていますか」などと質問すれば、変質者扱いされることは間違いない。しかし、最初は話して良いものだか悪いものだか分からなかったので、無難にホテルの売店のオバサンと話をした。
ホテルの食堂の屋上にテントを張って、北朝鮮の海産物(干物の魚介類)や山菜(主として乾燥させたキノコ類)を販売している。

羅先を訪れる観光客の95%(目視による推測)以上は中国人である。その次がロシア人、そして残りの1%程度が我々のような西側の人間ということになる。したがって、中国人が上客となるわけで、「販売員ドンム」も東洋人とみれば中国語で話しかけてくる。彼女らの中国語がどれほど上手いのかは私には判断できないが、ともかくも中国人観光客に商品をできるだけ買わせるような交渉はできている。私と「販売員ドンム」との話は朝鮮語であるが、凄い勢いで商品を売り込んでくる。直ぐに頭をよぎったのは、80年代韓国の南大門市場の「アジュマ(オバサン)」である。その系からしても、「販売員ドンム」などという堅い呼び方は相応しくない。北朝鮮方言での「アジュミ(オバサン)」の方が、この人たちを呼ぶのには相応しい。何も買わずに立ち去るのは悪いので、その夜の酒のつまみにとさきイカを買った。
さてここで、羅先の通貨事情について少し書いておく。羅先で流通している通貨は、人民元と北朝鮮ウォンである。これは、外国人だからという話ではなく、朝鮮人民が普通に中国元で買い物をしている。どちらかというと、中国元の方が一般的に使われているようで、別記事で紹介したDVDストアなどでの朝鮮人民の買い物を見ていても、元で価格を提示され、元で支払っているケースの方が多かった。我々は、「ジャンマダン(いちば)」にも行ったが、そこでも同様に元で売り買いをしているケースが多かったようだ。
ただ、誤解を招かぬよう書いておくが、北朝鮮ウォンもきちんと流通しており、通貨として何の遜色もなく使われていることも事実である。実は、我々は、「三角州銀行」で中国元を北朝鮮ウォンに交換することができた。北朝鮮ガイドはあまり気乗りしなかったようであるが、英国人ガイドの強い要請で「三角州銀行」に連れて行ってくれた。ともかく、外国人が外貨を北朝鮮ウォンに交換して使うことは、羅先では許可されている。英国人ガイドが、やたらと多額を北朝鮮ウォンに交換するので、北朝鮮ガイドのMs.Cが私の所にやって来て「あんなに交換してもどうせ使い切れないし、北朝鮮からは持ち出せない。それに、中国元の方が『いちば』では安く買える。何とか言ってください」と頼み込まれたが、こればかりはどうにもならなかった。Ms.Cは、彼が北朝鮮通貨を国外に持ち出すことを心配していたようだ。
「三角州銀行」の外貨交換窓口

私はといえば、Ms.Cに「換えてもも意味がないですよ」といわれたので、友好的日本人民ぶりを発揮して彼らが交換する様子を眺めていた。ただ、彼らが交換した紙幣の写真だけはしっかりと撮らせてもらった。
中でも珍しいのが、「北朝鮮で騒ぎを引き起こした」と西側で報道された2013年発行の「新5000ウォン札」である。旧札と比較すると分かるが、「首領様」の肖像画が消えて「万景台故郷の家」に変わっている。ただし、この間、2009年にデノミを実施しているので、3枚下の写真の紙幣は「旧旧5000ウォン札」というのが正確である。


2006年発行の「旧5000ウォン札」


<追記4>
2008年発行の5000ウォン紙幣の写真を知り合いが送ってくれた。デノミが実施された1年前の印刷だが、2006年の紙幣とも異なっているので、2008年に印刷され、2009年から流通が始まったということなのだろうか。

**************
交換レートはどのぐらいかというと、下の写真で分かる。

1中国元=1295北朝鮮ウォンで計算してある。1米ドル=6.14中国元なので、1米ドル=7951北朝鮮ウォンというのが、銀行での交換レートとなる。
では、何がどれだけ買えるのか。
・「朝鮮人民軍第1回飛行士大会参加者のためのモランボン楽団祝賀公演」DVD 10000北朝鮮ウォン
・「朝鮮労働党創建68周年慶祝モランボン楽団と功勲国家合唱団合同公演 朝鮮労働党万歳」DVD 4400北朝鮮ウォン
・「ジャンマダン」での砂糖水コップ1杯、300~500ウォン
過去記事に書いたDVDストアで見たら、このように印刷してあった。外国人専用ストアでは、同じDVDをそれぞれ20元と10元で売っていたので、約2倍の価格で売っていることになる。
私は、北朝鮮ウォンを手にしなかったので何とも言えないのであるが、同行した人々によると、「いちば」では北朝鮮ウォンの方が若干良いレートで買い物ができたといっていた。一方で、中国元だとおつりをくれるが、北朝鮮ウォンだとおつりをくれないともいっていた。Ms.Cの「換えても意味がないですよ」というのは、半分は外国人が北朝鮮ウォンを国外に持ち出さないようにするための方便であろうが、「おつりをくれない」ということからすると、結局は中国元の方がよいという話なのかもしれない。
さて、「いちば」の話が出たので、そのことにも触れておく。拙記事で敢えて「いちば」と書いているのは、朝鮮語でも「しじょう(シジャン)」とはいっていないからだ。上にも書いたように、「장마당」(ジャンマダン)と呼んでる。北朝鮮ガイドは、ほとんど写真撮影に関して禁止はしなかったが、「ジャンマダン」だけは、絶対に写真は撮らないようにいわれた。これにはさすがに、強者共もおとなしくカメラやスマホをしまっていた。
我々が行った「ジャンマダン」は、自然発生的な所ではなく、きちんと管理されている。それを「公設市場」と呼ぶべきなのか、本当は詳しく北朝鮮ガイドに聞いてみたかったのだが、「写真を撮っては行けない場所」ということは、あまり色々言えない場所であろうということで、詳しくは尋ねなかった。では、どのように管理されているのか。商売をしている女性たちは、首に写真入りの「登録証」をぶら下げている。「登録証」には名前と販売品目が「水産物」といった具合に書かれている。水産物は、屋外で発泡スチロール製のアイスボックスを並べて販売しているが、工具やタバコは半露天のような屋根のある建物で、衣類や電気製品は公民館のような広い建物の中で販売している。これら全てを合わせると、相当な面積になる。市場内は、「管理員」という腕章を付け、青い服を着た人が巡回している。高圧的に取り締まるというような雰囲気はなく、どちらかというと商店街の世話役のような感じに見えた。おそらく、ここまでが「公設市場」の範疇に入るのだろう。
しかし、公設市場の周りには私設市場もある。正確には、公設市場のゲートから橋を渡り公設市場に至るまでの100メートルぐらいの通路で「登録証」をぶら下げていない人々が細々と様々なものを売っている。古本、野菜・果物、電機部品、タバコ、何でもありの感じである。おもしろかったのは、いかにもローテクの延長コードを売っていた人だ。写真がどこかにあるので、追って追加するが、この人はこの延長コードを3つだけ売っていた。同行者がそのローテクさに目を付け購入したが20元であった。それを見て別の別の同行者も2つ買ったので、この人は完売となった。おかしな外国人集団のおかげで、随分楽な商売ができたと思ったことであろう。「まだあるのか」と聞いたら、「家にはある」といっていた。とにかく強者共が勝手に動き回るので、この人との交渉は私が通訳をやった。朝鮮人ガイドに後から見せたら、「私の家でも使ってますよ」と不思議そうな顔をしていた。
ただ、「登録証」がない人も、決して無秩序ではなく、何らかの決め事があるようだ。というのは、私と同行者が橋の上に立っていたら、ある時間から「登録証」を持たない人々がどんどんやって来て、橋の上を陣取り始めた。正確には、外国人がどくまで待ってたという方がよいのかもしれない。一人二人と来るのではなく一斉にやって来て、そして場所が決まっているかのようにそこで商品を広げ始めたので、何らかのルールがあるように見えた。
「登録証」所持者も非所持者も「ジャンマダン」で商売をやっているのは全て中年女性である。特に、水産物を売る「アジュミ」が積極的で、私にカニを何回も勧めてきた。ただ、観察をしていると買い物に来る朝鮮人民がある店に集中する。どうやら、その店は他の店よりも安く販売しているようで、皆それを知ってその店で買っていたようだ。
「ジャンマダン」で通用する外国語はやはり中国語である。ただ、欧米人同行者に対しては「ハラショー、ハラショー」とロシア語で声を掛けていた。確かに、ロシア人の姿もちらほら目に付いたし、「ジャンマダン」の外には、ロシアナンバーの車も止まっていた。
「ジャンマダン」には乞食もいたし、スリもいた。同行者の1人は、同じスリに2度ポケットに手を入れられ、2度目はスリの手を掴んだ。誤解をされないように書くが、乞食だらけでもないし、スリだらけでもない。途上国の乞食の数とGDPに負の相関関係があるとするならば、「ジャンマダン」の乞食の数は非常に少ないといえよう(例えば、フィリピンと比較しても)。私は、1時間ほどの間に1人目撃しただけである。
「ジャンマダン」に行くとき、経験豊富なMs.Cは「みなさん、鞄やポケットに注意して下さい」と言い、一方で、新米のMs.Hはニコニコしながら「我が国には泥棒はいません」と言っている。羅先ではどちらも「正しい」。そして、このコントラディクションこそが羅先を象徴しているとも言える。
<追記1>
Ms.Hはもう一つかわいらしいことを言っていた。我々が市場を出たところで、「あの電気線は、商店でも売っていますか?幾らで売っていますか?」と質問した。すると彼女は「我が国では政府が人民の所得と生活に配慮しながら商品の値段を決めているので、一物一価です」と答えた。いいのだが、「ジャンマダン」の前で言ってもあまり説得力はない。だが、それをニコニコしながら平気で言うところが、またチャーミングではないか。
さて、英国人ガイドが交換した大量の北朝鮮ウォンは何に変わったのか。

Ms.Cの心配は取り越し苦労だったようで、全て夕食の魚介類に変わってしまった。「ジャンマダン」で買った魚介類はホテルに持ち帰り、料理してもらった。北朝鮮ガイド、運転手ドンム、そしてその友人の運転手ドンムまで来て食べたが、食べきれないほどあった。
<追記2>
「チャンマダン」で思いだしたことがある。文房具を売っているコーナーで「生活総話」と金文字で書かれた赤いノートを売っていた。これはおもしろいと思い手に取った瞬間、「アジュミ」が「これは売ることはできません」と言って手で押さえてしまった。中身だけでも見たかったのだが残念である。イギリス人ガイドも「コレクターズアイテムなのに残念」と悔しそうだった。
<追記3>
上に書いたローテク・テーブルタップの写真である。材質はベークライトでいくつかのタイプの電源プラグに適応するようになっている。「ジャン・マダン」では、コード付きとコード無しがあり、コード無しが20元、コード付きが40元であった。コードの長さは1メートルもなかったので、それだけで値段が倍になるというのはどう考えても高すぎる。もしかすると、コードの取り付けを面倒だと思わせ、40元に誘導する商法だったのかもしれない。社会主義朝鮮の「アジュミ」恐ろしである。

さて、次は中身である。ハンドメイドの極致といった感じだ。半田の盛りは若干少ないような気はするが、それでもしっかりと半田付けされている。また、一カ所のみ配線が交差する部分があり、そこでは配線を曲げてジャンプさせるだけではなく、絶縁チューブも使っている。銅の単線であるが、10Aぐらいは大丈夫だろうか。北朝鮮の一般家庭で最も電力消費が大きいのは電熱器だと思うが、600Wぐらいの電熱器の延長コードとしては使えそうだ。

ローテクの中にも、キラッとハイテクを仕込んでおくのが「光明星3-2号機」打ち上げに成功した「宇宙強国」の北朝鮮らしいところである。それがこのLEDである。実は、私はLEDは直流でしか点灯しないものとばかり思っていた。というのも、これまで私がやってきた電子工作の中でLEDを交流で点灯させることなど考えてみなかったからだ。交流のパイロットランプとして手軽に使えるのは、ネオン管だけだと固く信じていた。ところが、ネットで調べてみると、LEDは交流でも点灯するようだ。これでは、北朝鮮をローテクと笑えない。このタップでは、抵抗で減圧しLEDを点灯させる構造になっている。

「宇宙強国」の旗

ホテルの食堂の屋上にテントを張って、北朝鮮の海産物(干物の魚介類)や山菜(主として乾燥させたキノコ類)を販売している。

羅先を訪れる観光客の95%(目視による推測)以上は中国人である。その次がロシア人、そして残りの1%程度が我々のような西側の人間ということになる。したがって、中国人が上客となるわけで、「販売員ドンム」も東洋人とみれば中国語で話しかけてくる。彼女らの中国語がどれほど上手いのかは私には判断できないが、ともかくも中国人観光客に商品をできるだけ買わせるような交渉はできている。私と「販売員ドンム」との話は朝鮮語であるが、凄い勢いで商品を売り込んでくる。直ぐに頭をよぎったのは、80年代韓国の南大門市場の「アジュマ(オバサン)」である。その系からしても、「販売員ドンム」などという堅い呼び方は相応しくない。北朝鮮方言での「アジュミ(オバサン)」の方が、この人たちを呼ぶのには相応しい。何も買わずに立ち去るのは悪いので、その夜の酒のつまみにとさきイカを買った。
さてここで、羅先の通貨事情について少し書いておく。羅先で流通している通貨は、人民元と北朝鮮ウォンである。これは、外国人だからという話ではなく、朝鮮人民が普通に中国元で買い物をしている。どちらかというと、中国元の方が一般的に使われているようで、別記事で紹介したDVDストアなどでの朝鮮人民の買い物を見ていても、元で価格を提示され、元で支払っているケースの方が多かった。我々は、「ジャンマダン(いちば)」にも行ったが、そこでも同様に元で売り買いをしているケースが多かったようだ。
ただ、誤解を招かぬよう書いておくが、北朝鮮ウォンもきちんと流通しており、通貨として何の遜色もなく使われていることも事実である。実は、我々は、「三角州銀行」で中国元を北朝鮮ウォンに交換することができた。北朝鮮ガイドはあまり気乗りしなかったようであるが、英国人ガイドの強い要請で「三角州銀行」に連れて行ってくれた。ともかく、外国人が外貨を北朝鮮ウォンに交換して使うことは、羅先では許可されている。英国人ガイドが、やたらと多額を北朝鮮ウォンに交換するので、北朝鮮ガイドのMs.Cが私の所にやって来て「あんなに交換してもどうせ使い切れないし、北朝鮮からは持ち出せない。それに、中国元の方が『いちば』では安く買える。何とか言ってください」と頼み込まれたが、こればかりはどうにもならなかった。Ms.Cは、彼が北朝鮮通貨を国外に持ち出すことを心配していたようだ。
「三角州銀行」の外貨交換窓口

私はといえば、Ms.Cに「換えてもも意味がないですよ」といわれたので、友好的日本人民ぶりを発揮して彼らが交換する様子を眺めていた。ただ、彼らが交換した紙幣の写真だけはしっかりと撮らせてもらった。
中でも珍しいのが、「北朝鮮で騒ぎを引き起こした」と西側で報道された2013年発行の「新5000ウォン札」である。旧札と比較すると分かるが、「首領様」の肖像画が消えて「万景台故郷の家」に変わっている。ただし、この間、2009年にデノミを実施しているので、3枚下の写真の紙幣は「旧旧5000ウォン札」というのが正確である。


2006年発行の「旧5000ウォン札」


<追記4>
2008年発行の5000ウォン紙幣の写真を知り合いが送ってくれた。デノミが実施された1年前の印刷だが、2006年の紙幣とも異なっているので、2008年に印刷され、2009年から流通が始まったということなのだろうか。

**************
交換レートはどのぐらいかというと、下の写真で分かる。

1中国元=1295北朝鮮ウォンで計算してある。1米ドル=6.14中国元なので、1米ドル=7951北朝鮮ウォンというのが、銀行での交換レートとなる。
では、何がどれだけ買えるのか。
・「朝鮮人民軍第1回飛行士大会参加者のためのモランボン楽団祝賀公演」DVD 10000北朝鮮ウォン
・「朝鮮労働党創建68周年慶祝モランボン楽団と功勲国家合唱団合同公演 朝鮮労働党万歳」DVD 4400北朝鮮ウォン
・「ジャンマダン」での砂糖水コップ1杯、300~500ウォン
過去記事に書いたDVDストアで見たら、このように印刷してあった。外国人専用ストアでは、同じDVDをそれぞれ20元と10元で売っていたので、約2倍の価格で売っていることになる。
私は、北朝鮮ウォンを手にしなかったので何とも言えないのであるが、同行した人々によると、「いちば」では北朝鮮ウォンの方が若干良いレートで買い物ができたといっていた。一方で、中国元だとおつりをくれるが、北朝鮮ウォンだとおつりをくれないともいっていた。Ms.Cの「換えても意味がないですよ」というのは、半分は外国人が北朝鮮ウォンを国外に持ち出さないようにするための方便であろうが、「おつりをくれない」ということからすると、結局は中国元の方がよいという話なのかもしれない。
さて、「いちば」の話が出たので、そのことにも触れておく。拙記事で敢えて「いちば」と書いているのは、朝鮮語でも「しじょう(シジャン)」とはいっていないからだ。上にも書いたように、「장마당」(ジャンマダン)と呼んでる。北朝鮮ガイドは、ほとんど写真撮影に関して禁止はしなかったが、「ジャンマダン」だけは、絶対に写真は撮らないようにいわれた。これにはさすがに、強者共もおとなしくカメラやスマホをしまっていた。
我々が行った「ジャンマダン」は、自然発生的な所ではなく、きちんと管理されている。それを「公設市場」と呼ぶべきなのか、本当は詳しく北朝鮮ガイドに聞いてみたかったのだが、「写真を撮っては行けない場所」ということは、あまり色々言えない場所であろうということで、詳しくは尋ねなかった。では、どのように管理されているのか。商売をしている女性たちは、首に写真入りの「登録証」をぶら下げている。「登録証」には名前と販売品目が「水産物」といった具合に書かれている。水産物は、屋外で発泡スチロール製のアイスボックスを並べて販売しているが、工具やタバコは半露天のような屋根のある建物で、衣類や電気製品は公民館のような広い建物の中で販売している。これら全てを合わせると、相当な面積になる。市場内は、「管理員」という腕章を付け、青い服を着た人が巡回している。高圧的に取り締まるというような雰囲気はなく、どちらかというと商店街の世話役のような感じに見えた。おそらく、ここまでが「公設市場」の範疇に入るのだろう。
しかし、公設市場の周りには私設市場もある。正確には、公設市場のゲートから橋を渡り公設市場に至るまでの100メートルぐらいの通路で「登録証」をぶら下げていない人々が細々と様々なものを売っている。古本、野菜・果物、電機部品、タバコ、何でもありの感じである。おもしろかったのは、いかにもローテクの延長コードを売っていた人だ。写真がどこかにあるので、追って追加するが、この人はこの延長コードを3つだけ売っていた。同行者がそのローテクさに目を付け購入したが20元であった。それを見て別の別の同行者も2つ買ったので、この人は完売となった。おかしな外国人集団のおかげで、随分楽な商売ができたと思ったことであろう。「まだあるのか」と聞いたら、「家にはある」といっていた。とにかく強者共が勝手に動き回るので、この人との交渉は私が通訳をやった。朝鮮人ガイドに後から見せたら、「私の家でも使ってますよ」と不思議そうな顔をしていた。
ただ、「登録証」がない人も、決して無秩序ではなく、何らかの決め事があるようだ。というのは、私と同行者が橋の上に立っていたら、ある時間から「登録証」を持たない人々がどんどんやって来て、橋の上を陣取り始めた。正確には、外国人がどくまで待ってたという方がよいのかもしれない。一人二人と来るのではなく一斉にやって来て、そして場所が決まっているかのようにそこで商品を広げ始めたので、何らかのルールがあるように見えた。
「登録証」所持者も非所持者も「ジャンマダン」で商売をやっているのは全て中年女性である。特に、水産物を売る「アジュミ」が積極的で、私にカニを何回も勧めてきた。ただ、観察をしていると買い物に来る朝鮮人民がある店に集中する。どうやら、その店は他の店よりも安く販売しているようで、皆それを知ってその店で買っていたようだ。
「ジャンマダン」で通用する外国語はやはり中国語である。ただ、欧米人同行者に対しては「ハラショー、ハラショー」とロシア語で声を掛けていた。確かに、ロシア人の姿もちらほら目に付いたし、「ジャンマダン」の外には、ロシアナンバーの車も止まっていた。
「ジャンマダン」には乞食もいたし、スリもいた。同行者の1人は、同じスリに2度ポケットに手を入れられ、2度目はスリの手を掴んだ。誤解をされないように書くが、乞食だらけでもないし、スリだらけでもない。途上国の乞食の数とGDPに負の相関関係があるとするならば、「ジャンマダン」の乞食の数は非常に少ないといえよう(例えば、フィリピンと比較しても)。私は、1時間ほどの間に1人目撃しただけである。
「ジャンマダン」に行くとき、経験豊富なMs.Cは「みなさん、鞄やポケットに注意して下さい」と言い、一方で、新米のMs.Hはニコニコしながら「我が国には泥棒はいません」と言っている。羅先ではどちらも「正しい」。そして、このコントラディクションこそが羅先を象徴しているとも言える。
<追記1>
Ms.Hはもう一つかわいらしいことを言っていた。我々が市場を出たところで、「あの電気線は、商店でも売っていますか?幾らで売っていますか?」と質問した。すると彼女は「我が国では政府が人民の所得と生活に配慮しながら商品の値段を決めているので、一物一価です」と答えた。いいのだが、「ジャンマダン」の前で言ってもあまり説得力はない。だが、それをニコニコしながら平気で言うところが、またチャーミングではないか。
さて、英国人ガイドが交換した大量の北朝鮮ウォンは何に変わったのか。

Ms.Cの心配は取り越し苦労だったようで、全て夕食の魚介類に変わってしまった。「ジャンマダン」で買った魚介類はホテルに持ち帰り、料理してもらった。北朝鮮ガイド、運転手ドンム、そしてその友人の運転手ドンムまで来て食べたが、食べきれないほどあった。
<追記2>
「チャンマダン」で思いだしたことがある。文房具を売っているコーナーで「生活総話」と金文字で書かれた赤いノートを売っていた。これはおもしろいと思い手に取った瞬間、「アジュミ」が「これは売ることはできません」と言って手で押さえてしまった。中身だけでも見たかったのだが残念である。イギリス人ガイドも「コレクターズアイテムなのに残念」と悔しそうだった。
<追記3>
上に書いたローテク・テーブルタップの写真である。材質はベークライトでいくつかのタイプの電源プラグに適応するようになっている。「ジャン・マダン」では、コード付きとコード無しがあり、コード無しが20元、コード付きが40元であった。コードの長さは1メートルもなかったので、それだけで値段が倍になるというのはどう考えても高すぎる。もしかすると、コードの取り付けを面倒だと思わせ、40元に誘導する商法だったのかもしれない。社会主義朝鮮の「アジュミ」恐ろしである。

さて、次は中身である。ハンドメイドの極致といった感じだ。半田の盛りは若干少ないような気はするが、それでもしっかりと半田付けされている。また、一カ所のみ配線が交差する部分があり、そこでは配線を曲げてジャンプさせるだけではなく、絶縁チューブも使っている。銅の単線であるが、10Aぐらいは大丈夫だろうか。北朝鮮の一般家庭で最も電力消費が大きいのは電熱器だと思うが、600Wぐらいの電熱器の延長コードとしては使えそうだ。

ローテクの中にも、キラッとハイテクを仕込んでおくのが「光明星3-2号機」打ち上げに成功した「宇宙強国」の北朝鮮らしいところである。それがこのLEDである。実は、私はLEDは直流でしか点灯しないものとばかり思っていた。というのも、これまで私がやってきた電子工作の中でLEDを交流で点灯させることなど考えてみなかったからだ。交流のパイロットランプとして手軽に使えるのは、ネオン管だけだと固く信じていた。ところが、ネットで調べてみると、LEDは交流でも点灯するようだ。これでは、北朝鮮をローテクと笑えない。このタップでは、抵抗で減圧しLEDを点灯させる構造になっている。

「宇宙強国」の旗
