羅先4:北朝鮮ガイド、Ms.Cと張成沢、「元帥様」気象水門局指導と天気予報、「A Whole New World」、モランボン楽団大人気、ソヌ・ヒャンヒも、「世界名作・名曲」、「アナ雪」、ジャズ
先行記事に書かなかったが、「羅先シリーズ」は時系列的には書いていないことをお断りしておく。話の成り行き次第で、時間的には行ったり来たりしていることを前提にお読み頂きたい。
「元汀国境通過検査所」を出て我々は、北朝鮮旅行社が準備してくれたワンボックスに乗った。「元汀国境通過検査所」の中国寄りのエリア(北朝鮮ではあるが、入国検査のゲート通過前)まで来られるのは年長の北朝鮮ガイドだけで、もう一人のガイドは車内にいた。前述のように、我々グループの北朝鮮ガイドは「英語ガイド」で、40代半ばの先輩女性ガイドと今年6月にガイドになったばかりの新米女性ガイドであった。先輩ガイドの方は「金日成総合大学英文学科(英語学科?失念)卒業」、学校の英語教員を経てガイドになったという。若いガイドの方は、平壌の「XXX大学卒業」(大学名失念)ということであったが、大学の格としては「金日成総合大学」より下の大学である(なので、大学名も簡単に失念してしまった)。
我々は、「英語グループ」なので、当然ガイドは英語で自己紹介などを始める。「Please call me Ms.C」(Cは実際には彼女の名字)と言っていた。「Ms.C」と書いておきながら、明かしてしまうのも何であるが、彼女が後に香港人と私と3人で話している時、「私(女性ガイド)の名前を漢字で書けますか?」と尋ねてきた。その時に、私は危うく「張成沢のCですよねぇ」と言いかけてしまった。言った結果の反応を見るのも意味があったかもしれないが、今思えば、言わないという選択が正しかったと思う。
というわけで、北朝鮮ガイドとの会話は、英語で始まった。同行したメンバーのこともあるし、北朝鮮ガイドの面子もあるのでしばらくは英語で通していた。ひときりガイドの案内が切れ、同行メンバーも何も言わなくなったので、「最近の天気はこんな感じなんですか?」とガイドに英語で質問した。Ms.Cがこの質問に簡単に英語で答えた後で、「元帥様におかれまして、気象水門局を現地指導されて以来、天気予報も変わりましたね」(朝鮮語で。ブログでは朝鮮語にできるだけ近い日本語に置き換えている。以下同様)と朝鮮語で尋ねてみた。Ms.Cは一瞬たじろぎ、助手席に座っていた若いMs.Hと「運転手ドンム」も振り返った。Ms.Cは「なぜそんなによくご存じなんですか」と朝鮮語で返した上で、「では、どのように変わったのですか?」と尋ねてきた。その変化ぶりは拙ブログにも書いたことなので、それを一つずつ挙げていったら、Ms.Cは、「人民に分かりやすく、詳しい天気予報になりました」と総括した。実にそのとおりなので、「元帥様のご教示のお陰です」と褒めておいた。私のような北朝鮮ワッチャーの日本人民のみならず、朝鮮人民も「元帥様の現地指導」の結果を「天気予報」の中に見いだしていることが分かった。
バン車内の様子。手前右がMs.C、助手席が若いMs.H。バックミラーにかかっているアクセサリーを香港人が欲しがっていた。

もう少し、車内の話を続けていくことにする。北朝鮮ガイドは、彼女の趣味なのか、それとも羅先国際観光旅行社のしきたりなのかは分からないが、歌で我々を歓迎してくれた。順序として、まず若いMs.Hに歌わせた。我々がリクエストしたのか彼女が選んで歌い出したのかは忘れてしまったが、彼女は「アリラン」を歌った。朝鮮人民全体に通じることといえると思うのだが、彼女も歌は非常に上手であった。やはり、「音楽政治」の国、「学習と組織生活」の中で歌も相当歌っているのであろう。
ところが、私はMs.Cの歌に大変驚かされた。英語ガイドとしてのサービスだったのかもしれないが、彼女が歌ったのは、なんとディズニー映画「アラジン」のテーマソング、「A Whole New World」であった。突然、「A Whole New World」を歌うというので一瞬たじろいだが、すかさず「Korean version please」とお願いした。「A Whole New World」の朝鮮語バージョン(韓国の翻訳ではない)があるのか聞きたかったからである。しかし、残念ながら、「朝鮮語版は知らない」と言い、英語で熱唱した。もしかすると、朝鮮語版の「A Whole New World」はないのかもしれない。しかし、北朝鮮に来て聞く2曲目の曲が「アラジン」のテーマソングとは、想像もしていなかった。もちろん厳密には、車内では、モランボン楽団の曲がmp3とカラージオを連結して流れていたので、厳密には2曲目ではないのだが。
ディズニー音楽の話はまだあるのだが、モランボン楽団の話を出したので、モランボン楽団について先に書いておくことにする。モランボン楽団は大人気のようである。我々が泊まった琵琶閣というホテルであるが、このホテルには中国人宿泊客も多く、ホテルの前にはたくさんのバスが止まっていた。
ホテルの入り口。左が「琵琶閣」の看板。右には小さな小屋と「自留地」なのであろうか、小規模の菜園があり野菜を育てていた(「自留地」については、別記事で書く予定)。

大型バスの掃除はしないが、この写真にあるようなワンボックスは、早朝、運転手が掃除をしている。そして、掃除をしながらどの運転手も大音響で聞いているのが「モランボン楽団」である。

Ms.Cの歌が終わり、英語での解説が切れたところで、再び朝鮮語で話しかけた。
川口:「私もモランボン楽団が好きで、日本でも良く聞いています」
Ms.C:「日本でもモランボン楽団は知られているのですか」
川口:「私の周りには(と、ここがポイントなのだが)、モランボン楽団のファンがたくさんいますよ」
Ms.C:「どんな曲が好きですか」
川口:「祖国賛歌、勝利の7.27、燃える願い・・・(以下、10曲ほど並べて)なんかいいですね」
ちょうど、その時、羅ユミの曲が流れていたので、
川口:「これは、羅ユミですね。この人の歌は最高です」
Ms.C:「羅ユミは、人民功勲俳優になりましたよ」(Ms.C、完全に話題に乗ってくれた)
川口:「そうですね。元帥様におかれましても出席された5月の全国芸術人大会で討論もしていましたね」
Ms.C:「よくご存じですね」
川口:「朝鮮中央TVで見ていました。ところで、あの時、ソヌ・ヒャンヒは登壇しなかったのですが残念ですね」
Ms.C:「そうなんです。でも、私たちはソヌ・ヒャンヒが一番上手だと思っています」(これを一番聞きたかった)
やはり、朝鮮人民にとってもソヌ・ヒャンヒが受賞や討論から外されたのは意外だったのであろう。ただ、さらっと彼女を評価しながら答えている所からすると、少なくとも朝鮮人民の間では彼女に思想的な問題があり云々という話は広まっていないのかもしれない。Ms.Cは、困ったり嫌なことがあると直ぐにそれを顔に表す人なのだが、この話の時はそのような表情はしなかった。話は続く。
川口:「ところで、アラジンの歌はいつ頃から歌っているんですか」
Ms.C:「2011か2012年ぐらいだと思います。話は『世界名作』としてもっと前からあるのですが、歌はその頃からです」
川口:「すると、元帥様におかれましても観覧された、モランボン楽団の示範公演の頃からでしょうか」
Ms.C:「そうだったかもしれません」
やはり、音楽や映像という形で比較的新しいディズニー映画が本格的に北朝鮮で流通し始めたのは、2012年夏のモランボン示範公演後のことのようだ。
川口:「あの時、クマやネズミが出てきて踊っていましたが、知っていましたか」
Ms.C:「『世界名作』の本で見たことがあるので知っていました」
西側で朝鮮人民が知らないキャラクターが飛び出して、朝鮮人民を驚かされたような報道がされていたが、当の朝鮮人民にとっては、あれらのキャラクターは「(敗退的文化を蔓延させようと策略する)米帝の映画に登場するキャラクター」という認識ではなく、「世界名作」の一部として捉えていたようだ。「元帥様」ご満悦だったわけだし。
羅津区域のDVDストアに並べられたディズニー映画(展示戸棚の左下)。私たちが訪れた時、何人かの朝鮮人民がDVDやVCDを買いに来ていた。外国人ショップではなく、一般の朝鮮人民が来る店である。

すると、モランボンが示範公演で「やりすぎて」お咎めを受けたということはないのかもしれない。
この「世界名作」というのが、なかなかのくせ者で、グレーゾーンを作っているようだ。もちろん、どこかの政府機関が「世界名作」を指定はしているのであろうが、その基準はよく分からない。
こんなこともあった。羅津区にある「海岸公園」に行ったとき、公園に設置された大型スクリーンで「朝鮮中央TV」を流していた。この日の公園は人が少なかったが、何人かの朝鮮人民がベンチや地面に座って「朝鮮中央TV」を見ていた。ちょうどその時は「朝鮮芸術映画」をやっており、その中でモランボン楽団やロシアの楽団が演奏するような西側の曲が流れていた(曲名は不詳)。そこで・・・
「海岸公園」奥に小さく見えるのが大型スクリーン

川口:「こんな退廃的な曲を流すんですか。南朝鮮が出ている場面でしょうか」
Ms.H:「退廃的ではありません。「世界名曲」です」
確かに、映画は「南朝鮮」が出るシーンではなかったようだが、ここでも「世界名曲(作)」が登場した。
再び車内でのMs.Cとの話に戻る。
Ms.C:「そういえば、最近、氷だったか雪だったかという映画もあるそうですね」
川口:「Frozen(アナと雪の女王)ですね。日本では歌がとても流行し、私の子供も毎日歌っていました」
Ms.C:「私も早く、見たいと思います」
北朝鮮当局が「世界名作」と認めれば、Ms.Cが「アナ雪」を見られる日もそう遠くはないであろう。
<追記>
あと一つ思い出した。ホテルの食堂で同行者やガイドと一緒に食事をしていたときである。このときも朝鮮音楽がDVDで流れており、Ms.Cが英語で同行者に「Do you like Korean mucis?」と質問した。同行者の一人が「Yes, but I like jazz」と答えた。Ms.Cが「Jazz?」と。これを聞いて出しゃばりの私は黙っているわけには行かない。
川口:「将軍様におかれましては、ジャズは最も退廃的な音楽だと仰りました」
Ms.C:(少し困った顔をしながら)「本当によくご存じですね」
その後、同行者が「What did she say?」というので、英語で説明しておいた。
ついでになるが、羅先ツアーでおもしろかったのは、2回程度の食事を除いてずっとガイドと同じテーブルか隣のテーブルで一緒に食事をしたことである。2日目ぐらいからは運転手ドンムとも親しくなり、彼も加わって一緒に食事をするようになった。英語と朝鮮語でややこしいこともあったが、それでもとても楽しかった。
パンもご飯も出る(琵琶閣の朝食)。この後、ワカメスープも出てきた。

「元汀国境通過検査所」を出て我々は、北朝鮮旅行社が準備してくれたワンボックスに乗った。「元汀国境通過検査所」の中国寄りのエリア(北朝鮮ではあるが、入国検査のゲート通過前)まで来られるのは年長の北朝鮮ガイドだけで、もう一人のガイドは車内にいた。前述のように、我々グループの北朝鮮ガイドは「英語ガイド」で、40代半ばの先輩女性ガイドと今年6月にガイドになったばかりの新米女性ガイドであった。先輩ガイドの方は「金日成総合大学英文学科(英語学科?失念)卒業」、学校の英語教員を経てガイドになったという。若いガイドの方は、平壌の「XXX大学卒業」(大学名失念)ということであったが、大学の格としては「金日成総合大学」より下の大学である(なので、大学名も簡単に失念してしまった)。
我々は、「英語グループ」なので、当然ガイドは英語で自己紹介などを始める。「Please call me Ms.C」(Cは実際には彼女の名字)と言っていた。「Ms.C」と書いておきながら、明かしてしまうのも何であるが、彼女が後に香港人と私と3人で話している時、「私(女性ガイド)の名前を漢字で書けますか?」と尋ねてきた。その時に、私は危うく「張成沢のCですよねぇ」と言いかけてしまった。言った結果の反応を見るのも意味があったかもしれないが、今思えば、言わないという選択が正しかったと思う。
というわけで、北朝鮮ガイドとの会話は、英語で始まった。同行したメンバーのこともあるし、北朝鮮ガイドの面子もあるのでしばらくは英語で通していた。ひときりガイドの案内が切れ、同行メンバーも何も言わなくなったので、「最近の天気はこんな感じなんですか?」とガイドに英語で質問した。Ms.Cがこの質問に簡単に英語で答えた後で、「元帥様におかれまして、気象水門局を現地指導されて以来、天気予報も変わりましたね」(朝鮮語で。ブログでは朝鮮語にできるだけ近い日本語に置き換えている。以下同様)と朝鮮語で尋ねてみた。Ms.Cは一瞬たじろぎ、助手席に座っていた若いMs.Hと「運転手ドンム」も振り返った。Ms.Cは「なぜそんなによくご存じなんですか」と朝鮮語で返した上で、「では、どのように変わったのですか?」と尋ねてきた。その変化ぶりは拙ブログにも書いたことなので、それを一つずつ挙げていったら、Ms.Cは、「人民に分かりやすく、詳しい天気予報になりました」と総括した。実にそのとおりなので、「元帥様のご教示のお陰です」と褒めておいた。私のような北朝鮮ワッチャーの日本人民のみならず、朝鮮人民も「元帥様の現地指導」の結果を「天気予報」の中に見いだしていることが分かった。
バン車内の様子。手前右がMs.C、助手席が若いMs.H。バックミラーにかかっているアクセサリーを香港人が欲しがっていた。

もう少し、車内の話を続けていくことにする。北朝鮮ガイドは、彼女の趣味なのか、それとも羅先国際観光旅行社のしきたりなのかは分からないが、歌で我々を歓迎してくれた。順序として、まず若いMs.Hに歌わせた。我々がリクエストしたのか彼女が選んで歌い出したのかは忘れてしまったが、彼女は「アリラン」を歌った。朝鮮人民全体に通じることといえると思うのだが、彼女も歌は非常に上手であった。やはり、「音楽政治」の国、「学習と組織生活」の中で歌も相当歌っているのであろう。
ところが、私はMs.Cの歌に大変驚かされた。英語ガイドとしてのサービスだったのかもしれないが、彼女が歌ったのは、なんとディズニー映画「アラジン」のテーマソング、「A Whole New World」であった。突然、「A Whole New World」を歌うというので一瞬たじろいだが、すかさず「Korean version please」とお願いした。「A Whole New World」の朝鮮語バージョン(韓国の翻訳ではない)があるのか聞きたかったからである。しかし、残念ながら、「朝鮮語版は知らない」と言い、英語で熱唱した。もしかすると、朝鮮語版の「A Whole New World」はないのかもしれない。しかし、北朝鮮に来て聞く2曲目の曲が「アラジン」のテーマソングとは、想像もしていなかった。もちろん厳密には、車内では、モランボン楽団の曲がmp3とカラージオを連結して流れていたので、厳密には2曲目ではないのだが。
ディズニー音楽の話はまだあるのだが、モランボン楽団の話を出したので、モランボン楽団について先に書いておくことにする。モランボン楽団は大人気のようである。我々が泊まった琵琶閣というホテルであるが、このホテルには中国人宿泊客も多く、ホテルの前にはたくさんのバスが止まっていた。
ホテルの入り口。左が「琵琶閣」の看板。右には小さな小屋と「自留地」なのであろうか、小規模の菜園があり野菜を育てていた(「自留地」については、別記事で書く予定)。

大型バスの掃除はしないが、この写真にあるようなワンボックスは、早朝、運転手が掃除をしている。そして、掃除をしながらどの運転手も大音響で聞いているのが「モランボン楽団」である。

Ms.Cの歌が終わり、英語での解説が切れたところで、再び朝鮮語で話しかけた。
川口:「私もモランボン楽団が好きで、日本でも良く聞いています」
Ms.C:「日本でもモランボン楽団は知られているのですか」
川口:「私の周りには(と、ここがポイントなのだが)、モランボン楽団のファンがたくさんいますよ」
Ms.C:「どんな曲が好きですか」
川口:「祖国賛歌、勝利の7.27、燃える願い・・・(以下、10曲ほど並べて)なんかいいですね」
ちょうど、その時、羅ユミの曲が流れていたので、
川口:「これは、羅ユミですね。この人の歌は最高です」
Ms.C:「羅ユミは、人民功勲俳優になりましたよ」(Ms.C、完全に話題に乗ってくれた)
川口:「そうですね。元帥様におかれましても出席された5月の全国芸術人大会で討論もしていましたね」
Ms.C:「よくご存じですね」
川口:「朝鮮中央TVで見ていました。ところで、あの時、ソヌ・ヒャンヒは登壇しなかったのですが残念ですね」
Ms.C:「そうなんです。でも、私たちはソヌ・ヒャンヒが一番上手だと思っています」(これを一番聞きたかった)
やはり、朝鮮人民にとってもソヌ・ヒャンヒが受賞や討論から外されたのは意外だったのであろう。ただ、さらっと彼女を評価しながら答えている所からすると、少なくとも朝鮮人民の間では彼女に思想的な問題があり云々という話は広まっていないのかもしれない。Ms.Cは、困ったり嫌なことがあると直ぐにそれを顔に表す人なのだが、この話の時はそのような表情はしなかった。話は続く。
川口:「ところで、アラジンの歌はいつ頃から歌っているんですか」
Ms.C:「2011か2012年ぐらいだと思います。話は『世界名作』としてもっと前からあるのですが、歌はその頃からです」
川口:「すると、元帥様におかれましても観覧された、モランボン楽団の示範公演の頃からでしょうか」
Ms.C:「そうだったかもしれません」
やはり、音楽や映像という形で比較的新しいディズニー映画が本格的に北朝鮮で流通し始めたのは、2012年夏のモランボン示範公演後のことのようだ。
川口:「あの時、クマやネズミが出てきて踊っていましたが、知っていましたか」
Ms.C:「『世界名作』の本で見たことがあるので知っていました」
西側で朝鮮人民が知らないキャラクターが飛び出して、朝鮮人民を驚かされたような報道がされていたが、当の朝鮮人民にとっては、あれらのキャラクターは「(敗退的文化を蔓延させようと策略する)米帝の映画に登場するキャラクター」という認識ではなく、「世界名作」の一部として捉えていたようだ。「元帥様」ご満悦だったわけだし。
羅津区域のDVDストアに並べられたディズニー映画(展示戸棚の左下)。私たちが訪れた時、何人かの朝鮮人民がDVDやVCDを買いに来ていた。外国人ショップではなく、一般の朝鮮人民が来る店である。

すると、モランボンが示範公演で「やりすぎて」お咎めを受けたということはないのかもしれない。
この「世界名作」というのが、なかなかのくせ者で、グレーゾーンを作っているようだ。もちろん、どこかの政府機関が「世界名作」を指定はしているのであろうが、その基準はよく分からない。
こんなこともあった。羅津区にある「海岸公園」に行ったとき、公園に設置された大型スクリーンで「朝鮮中央TV」を流していた。この日の公園は人が少なかったが、何人かの朝鮮人民がベンチや地面に座って「朝鮮中央TV」を見ていた。ちょうどその時は「朝鮮芸術映画」をやっており、その中でモランボン楽団やロシアの楽団が演奏するような西側の曲が流れていた(曲名は不詳)。そこで・・・
「海岸公園」奥に小さく見えるのが大型スクリーン

川口:「こんな退廃的な曲を流すんですか。南朝鮮が出ている場面でしょうか」
Ms.H:「退廃的ではありません。「世界名曲」です」
確かに、映画は「南朝鮮」が出るシーンではなかったようだが、ここでも「世界名曲(作)」が登場した。
再び車内でのMs.Cとの話に戻る。
Ms.C:「そういえば、最近、氷だったか雪だったかという映画もあるそうですね」
川口:「Frozen(アナと雪の女王)ですね。日本では歌がとても流行し、私の子供も毎日歌っていました」
Ms.C:「私も早く、見たいと思います」
北朝鮮当局が「世界名作」と認めれば、Ms.Cが「アナ雪」を見られる日もそう遠くはないであろう。
<追記>
あと一つ思い出した。ホテルの食堂で同行者やガイドと一緒に食事をしていたときである。このときも朝鮮音楽がDVDで流れており、Ms.Cが英語で同行者に「Do you like Korean mucis?」と質問した。同行者の一人が「Yes, but I like jazz」と答えた。Ms.Cが「Jazz?」と。これを聞いて出しゃばりの私は黙っているわけには行かない。
川口:「将軍様におかれましては、ジャズは最も退廃的な音楽だと仰りました」
Ms.C:(少し困った顔をしながら)「本当によくご存じですね」
その後、同行者が「What did she say?」というので、英語で説明しておいた。
ついでになるが、羅先ツアーでおもしろかったのは、2回程度の食事を除いてずっとガイドと同じテーブルか隣のテーブルで一緒に食事をしたことである。2日目ぐらいからは運転手ドンムとも親しくなり、彼も加わって一緒に食事をするようになった。英語と朝鮮語でややこしいこともあったが、それでもとても楽しかった。
パンもご飯も出る(琵琶閣の朝食)。この後、ワカメスープも出てきた。
