羅先2:ツアーの仲間、中朝国境、溢れる中国人、「観光証」と「徒歩入・出国手続き票」、「国際旅行社」、北朝鮮からのメール、厳しい「税関検査」
年を取って記憶力が落ちているので、忘れる前に経験を書き留めておこうと記事を連続で書くことにする。昨日、累積していた仕事は取りあえず片付けたので、今日は記事の執筆に集中できそうである。
今回、私が参加したツアーは、中国ベースに北朝鮮観光をやっている欧米系観光会社のツアーである。一緒に行った仲間は、香港、米国、英国(スコットランド)人で観光会社のガイドは英国人だった。このような構成なので、ツアー参加者の共通語は英語であり、北朝鮮ガイドも英語ガイドであった。英国人ガイドは訪朝回数は多いが、朝鮮語はほとんどできなかった。しかし、中国語は堪能だったので、中国ではとても助けられた。ツアー参加者は、2名が平壌訪問経験あり、1名が北朝鮮は初めてという構成で、いずれも朝鮮語能力や北朝鮮に関する知識という点では「素人さん」ばかりであった。
延吉から車で図們市を経て中国と羅先を結ぶ国境へ向かった。国境まではよく整備された高速道路でとても快適であった(直線部分で運転手が180Km/h出したときはさすがに怖かったが)。延吉から3時間ほどで中朝国境、圏河口岸に着いた。

中国側で出国手続きをしなければならないのだが、出国検査場は中国人で溢れていた。羅先観光に行く人がほとんどのように見えたが、中朝間を往来しながら商品を運んでいる人もいた。出国検査場がこの日混雑していたのは、停電があったからといことで、中国入管の出入国管理システムがしばらくダウンしていたことが原因であるようだ。しばらく待っていたらシステムは復旧し、出国することはできたが、北朝鮮に入るための書類まで中国側で検査されるため、我々のような非中国人の通過には時間がかかった。
中国の出国検査場を出ると図們江に架かる橋を渡って北朝鮮に入る。徒歩で橋を渡る中国人がいたので、我々も徒歩で渡ろうとしたのだが、中国の警備員に制止され、バスで渡ることとなった。バスが車でしばらく待たされたが、乗ってしまえば北朝鮮側の入国検査場まで5分もかからない。バスは中朝双方が運行しているようで、行きのバスは中国ナンバー、帰りのバスは北朝鮮ナンバーであった。
北朝鮮ではまず他国同様に入国検査がある。前記事に「手続きに時間がかかり、名古屋発の航空券を買った」と書いたが、実は「入国許可書類」が発行されたのが、出発の1週間前だったからである。「素人さん」なら問題なく発行されるのであろうが、私の場合、拙ブログに色々と書いているので、発行されない可能性もあるのではないかと思い、それまで延吉行きの航空券購入を控えていた。
ところで、「入国許可書類」と敢えて書いたのは、それが「査証(VISA)」ではないからである。北朝鮮が「羅先にはビザ無しで入ることができる」と宣伝しているのもそのためであるが、見た目と呼称こそ違えど実態としてビザと変わりない。
2010年、平壌訪問をしたときに取得した「観光証」。現在も羅先以外を「観光」する場合は、これが必要である。残念ながら、「観光証」は出国時に回収されてしまうので、写真しか残らない。

下は今回、羅先に入るに際して取得した「徒歩入・出国手続き票」である。これを取得するためには一般的な申請書に加え、私の場合は「略歴」も求められた。学歴の中に「南朝鮮ソウル、中央大学校」と書いておいたが、こちらは問題なかったようだ。署名は私の署名ではなく代理申請者の代筆である(私は日本語の語中にある無声音(濁点が付かない音)を激音で表記することにしているが、こちらは濃音で表記してある)。
また、「招請機関」が「国際旅行社」となっている点も興味深い。平壌観光の時は「朝鮮国際旅行社」の世話になったのだが、北朝鮮ガイドの話によると、自分たちは「羅先国際旅行社」所属ということであった。同行した米国人は羅先から南浦に向かったが、彼の場合、羅先の境界まで「羅先国際旅行社」のガイドにエスコートされ、その先は「南浦国際旅行社」のガイドに引き継がれるということになっていた(この米国人は、南浦に行くために上の青い「観光証」を所持していた)。これらの各地の「国際旅行社」が「朝鮮国際旅行社」の「支店」に該当するのかまでは確認することができなかった。

(生年月日部分のみ画像加工で削除してある。こちらも出国時に朝鮮側の橋に立っている警備員にバスの中で回収されてしまう)
別の記事中に書いたかどうか忘れてしまったが、実は、今回の旅行の段取りを進める中でおもしろいことがあった。北朝鮮系のウェブサイトの中で見つけた「朝鮮国際旅行社」のメールアドレスに「北朝鮮旅行をしたい」というメールを出したら返事が来た。「XXXXXX@silibank.net.kp」という北朝鮮ドメインのアドレスだったのでとても驚いた。というのは、2010年の北朝鮮観光後、ガイドの名刺に書いてあった「XXXXXXX@silibank.com」というアドレスに礼状をメールを送ったものの、サーバーから不達エラーのメールが返信されるだけだったからである。「silibank」以下のドメインこそ変わっているが、北朝鮮のメール事情も変わってきているのだと感じた。
話がそれてしまったが、北朝鮮の入国検査ではパスポートと「徒歩入・出国手続き票」を提出する。検査官はしばらく眺めた後で、「住んでいる所」と朝鮮語で聞いてきたが、横にいた北朝鮮ガイドが「Where do you live?」というので「Japan」と答えておいた。
入国検査以上に厳しいのが税関検査である。私はカメラ、スマホ、ラップトップPC、UQWIMAXのルーターを持っていたので、全て提出した。カメラ、スマホ、PCのメモリなどは全て空にしておいたので問題なかったが、キティーちゃんの描かれたルーターは機能の説明するのに少し苦労した。税関検査官は、同行者のスマホに記録されているアプリを丹念にチェックしていたようだ。結局、税関預かりにされたものは一つもなく、全員無事、税関検査をパスすることができた。おもしろかったのは、電子製品については綿密に検査をしていたにもかかわらず、スーツケースの方はX線検査機を通しただけで、中身の検査は一切されなかった点である。
下の写真のように、「衛生」(事実上、ノーチェック)、「通検(入管)」、「税関」の3つのスタンプがもらえると、入国が許可される。「税関」は北朝鮮に観光客が持ち込んで電子製品の台数を書き込んだ紙を北朝鮮ガイドに手渡し、出国時に同じ台数を持ち出すかどうか確認をする。

これでやっと、羅先に足を踏み入れることができた。
中朝国境周辺の地図

(Source: Google map, 一部筆者加工)
上と同じ中朝国境の縮尺を小さくした地図が下である。豆満江に架かる橋に繋がる黄色っぽい道が見えると思うが、この道は舗装されている。実は、我々が中国側で出国検査を受けている間も中国ナンバーの大型トラック(コンテナ車が多かった)や中国ナンバーの乗用車が何台も橋を渡って北朝鮮側に入っていった。トラックや乗用車が中国側の出国や北朝鮮側の入国でどのような検査を受けているのかは見ることができなかったが、徒歩で入るよりは楽なような雰囲気だった。トラックが観光目的出ないことは明白であるが、乗用車については観光目的なのか営業目的なのかについてはよく分からない。そもそも、羅先への中国ナンバー乗用車乗り入れについて、以前どこかで観光目的も許可されているということを読んだ気がするのだが、今回の訪問で英国人ガイドから聞いた話では、羅先と中国間でビジネスを行っている中国人に限られているということであった。彼は、中国側の事情には精通しているので、あながち間違っているともいえない気がする。しかし、乗用車は必ずしもビジネス目的ではないことは明らかで、明らかに観光客と思わしき人々を乗せた中国ナンバーの乗用車が羅先市内を多く走っていた。
圈河口岸から羅津に至る舗装道路は、全て中国により建設されたとのことである。徒歩で入国した場合は、検査所出口から旅行社が手配した車両かタクシーに乗るのであるが、黄色く見える舗装路と合流するまでの数百メートル(下の地図では上の曲がりくねった道)は、未舗装路である。

(Source: Google map, 一部筆者加工)
今回、私が参加したツアーは、中国ベースに北朝鮮観光をやっている欧米系観光会社のツアーである。一緒に行った仲間は、香港、米国、英国(スコットランド)人で観光会社のガイドは英国人だった。このような構成なので、ツアー参加者の共通語は英語であり、北朝鮮ガイドも英語ガイドであった。英国人ガイドは訪朝回数は多いが、朝鮮語はほとんどできなかった。しかし、中国語は堪能だったので、中国ではとても助けられた。ツアー参加者は、2名が平壌訪問経験あり、1名が北朝鮮は初めてという構成で、いずれも朝鮮語能力や北朝鮮に関する知識という点では「素人さん」ばかりであった。
延吉から車で図們市を経て中国と羅先を結ぶ国境へ向かった。国境まではよく整備された高速道路でとても快適であった(直線部分で運転手が180Km/h出したときはさすがに怖かったが)。延吉から3時間ほどで中朝国境、圏河口岸に着いた。

中国側で出国手続きをしなければならないのだが、出国検査場は中国人で溢れていた。羅先観光に行く人がほとんどのように見えたが、中朝間を往来しながら商品を運んでいる人もいた。出国検査場がこの日混雑していたのは、停電があったからといことで、中国入管の出入国管理システムがしばらくダウンしていたことが原因であるようだ。しばらく待っていたらシステムは復旧し、出国することはできたが、北朝鮮に入るための書類まで中国側で検査されるため、我々のような非中国人の通過には時間がかかった。
中国の出国検査場を出ると図們江に架かる橋を渡って北朝鮮に入る。徒歩で橋を渡る中国人がいたので、我々も徒歩で渡ろうとしたのだが、中国の警備員に制止され、バスで渡ることとなった。バスが車でしばらく待たされたが、乗ってしまえば北朝鮮側の入国検査場まで5分もかからない。バスは中朝双方が運行しているようで、行きのバスは中国ナンバー、帰りのバスは北朝鮮ナンバーであった。
北朝鮮ではまず他国同様に入国検査がある。前記事に「手続きに時間がかかり、名古屋発の航空券を買った」と書いたが、実は「入国許可書類」が発行されたのが、出発の1週間前だったからである。「素人さん」なら問題なく発行されるのであろうが、私の場合、拙ブログに色々と書いているので、発行されない可能性もあるのではないかと思い、それまで延吉行きの航空券購入を控えていた。
ところで、「入国許可書類」と敢えて書いたのは、それが「査証(VISA)」ではないからである。北朝鮮が「羅先にはビザ無しで入ることができる」と宣伝しているのもそのためであるが、見た目と呼称こそ違えど実態としてビザと変わりない。
2010年、平壌訪問をしたときに取得した「観光証」。現在も羅先以外を「観光」する場合は、これが必要である。残念ながら、「観光証」は出国時に回収されてしまうので、写真しか残らない。

下は今回、羅先に入るに際して取得した「徒歩入・出国手続き票」である。これを取得するためには一般的な申請書に加え、私の場合は「略歴」も求められた。学歴の中に「南朝鮮ソウル、中央大学校」と書いておいたが、こちらは問題なかったようだ。署名は私の署名ではなく代理申請者の代筆である(私は日本語の語中にある無声音(濁点が付かない音)を激音で表記することにしているが、こちらは濃音で表記してある)。
また、「招請機関」が「国際旅行社」となっている点も興味深い。平壌観光の時は「朝鮮国際旅行社」の世話になったのだが、北朝鮮ガイドの話によると、自分たちは「羅先国際旅行社」所属ということであった。同行した米国人は羅先から南浦に向かったが、彼の場合、羅先の境界まで「羅先国際旅行社」のガイドにエスコートされ、その先は「南浦国際旅行社」のガイドに引き継がれるということになっていた(この米国人は、南浦に行くために上の青い「観光証」を所持していた)。これらの各地の「国際旅行社」が「朝鮮国際旅行社」の「支店」に該当するのかまでは確認することができなかった。

(生年月日部分のみ画像加工で削除してある。こちらも出国時に朝鮮側の橋に立っている警備員にバスの中で回収されてしまう)
別の記事中に書いたかどうか忘れてしまったが、実は、今回の旅行の段取りを進める中でおもしろいことがあった。北朝鮮系のウェブサイトの中で見つけた「朝鮮国際旅行社」のメールアドレスに「北朝鮮旅行をしたい」というメールを出したら返事が来た。「XXXXXX@silibank.net.kp」という北朝鮮ドメインのアドレスだったのでとても驚いた。というのは、2010年の北朝鮮観光後、ガイドの名刺に書いてあった「XXXXXXX@silibank.com」というアドレスに礼状をメールを送ったものの、サーバーから不達エラーのメールが返信されるだけだったからである。「silibank」以下のドメインこそ変わっているが、北朝鮮のメール事情も変わってきているのだと感じた。
話がそれてしまったが、北朝鮮の入国検査ではパスポートと「徒歩入・出国手続き票」を提出する。検査官はしばらく眺めた後で、「住んでいる所」と朝鮮語で聞いてきたが、横にいた北朝鮮ガイドが「Where do you live?」というので「Japan」と答えておいた。
入国検査以上に厳しいのが税関検査である。私はカメラ、スマホ、ラップトップPC、UQWIMAXのルーターを持っていたので、全て提出した。カメラ、スマホ、PCのメモリなどは全て空にしておいたので問題なかったが、キティーちゃんの描かれたルーターは機能の説明するのに少し苦労した。税関検査官は、同行者のスマホに記録されているアプリを丹念にチェックしていたようだ。結局、税関預かりにされたものは一つもなく、全員無事、税関検査をパスすることができた。おもしろかったのは、電子製品については綿密に検査をしていたにもかかわらず、スーツケースの方はX線検査機を通しただけで、中身の検査は一切されなかった点である。
下の写真のように、「衛生」(事実上、ノーチェック)、「通検(入管)」、「税関」の3つのスタンプがもらえると、入国が許可される。「税関」は北朝鮮に観光客が持ち込んで電子製品の台数を書き込んだ紙を北朝鮮ガイドに手渡し、出国時に同じ台数を持ち出すかどうか確認をする。

これでやっと、羅先に足を踏み入れることができた。
中朝国境周辺の地図

(Source: Google map, 一部筆者加工)
上と同じ中朝国境の縮尺を小さくした地図が下である。豆満江に架かる橋に繋がる黄色っぽい道が見えると思うが、この道は舗装されている。実は、我々が中国側で出国検査を受けている間も中国ナンバーの大型トラック(コンテナ車が多かった)や中国ナンバーの乗用車が何台も橋を渡って北朝鮮側に入っていった。トラックや乗用車が中国側の出国や北朝鮮側の入国でどのような検査を受けているのかは見ることができなかったが、徒歩で入るよりは楽なような雰囲気だった。トラックが観光目的出ないことは明白であるが、乗用車については観光目的なのか営業目的なのかについてはよく分からない。そもそも、羅先への中国ナンバー乗用車乗り入れについて、以前どこかで観光目的も許可されているということを読んだ気がするのだが、今回の訪問で英国人ガイドから聞いた話では、羅先と中国間でビジネスを行っている中国人に限られているということであった。彼は、中国側の事情には精通しているので、あながち間違っているともいえない気がする。しかし、乗用車は必ずしもビジネス目的ではないことは明らかで、明らかに観光客と思わしき人々を乗せた中国ナンバーの乗用車が羅先市内を多く走っていた。
圈河口岸から羅津に至る舗装道路は、全て中国により建設されたとのことである。徒歩で入国した場合は、検査所出口から旅行社が手配した車両かタクシーに乗るのであるが、黄色く見える舗装路と合流するまでの数百メートル(下の地図では上の曲がりくねった道)は、未舗装路である。

(Source: Google map, 一部筆者加工)