「<新しく出た歌>あなたなしでは生きられない」:「太陽像」に近い顔、金正恩連呼、張成沢事件再考、ジレンマ (2013年12月21日 「労働新聞」)
21日付けの『労働新聞』で、また新しい歌が紹介された。昨日の「朝鮮中央TV」では、「我々はあなたしか知らない」や「革命武力は元帥様の領導だけを受ける」は繰り返し流されていたが、この新曲はまだ流されなかったようだ。まず、歌詞から紹介しておく。
「あなたなしでは生きられない」作詞:チャ・ホングン、作曲:金ウンリョン
1.
親近なるその方の情、胸に流れ
寝ても覚めても、温かい心
点のような人徳と、信頼に引かれ
我々は皆、従って生きる
その方なしでは生きられない
金正恩同志
その方なしでは生きられない
我々は生きられない
我々の運命
金正恩同志
その方なしでは
我々は生きられない
2.
我々の心、その方だけが最もよく抱き
いつでも我々の幸福を守って下さる
夢に見る希望も、胸に抱いた想像も
その方の懐で、全て花咲く
その方なしでは生きられない
金正恩同志
その方なしでは生きられない
我々は生きられない
我々の運命
金正恩同志
その方なしでは
我々は生きられない
3.
共に歩んできた道を思い出しても、前途を考えても
太陽のようなその微笑で溢れている
その方だけを頂き、地の果てまで
忠誠を尽くしてお仕えし、生きる
その方なしでは生きられない
金正恩同志
その方なしでは生きられない
我々は生きられない
我々の運命
金正恩同志
その方なしでは
我々は生きられない
歌詞からも分かるように、金正日のテーマソングである「あなたがいなければ祖国はない」また一歩近づいたようだ。しかし、それ以上にパワーアップしているのは「金正恩同志」とさびの部分で繰り返していることだ。また、下の写真にもあるように、万寿台創作社の芸術家による「絵」にはなっていないが、限りなく「太陽像(金日成や金正日が微笑んでいる肖像画)」に近い写真を使っている。そう思いながら、歌詞を見ていたら、歌詞の中に「共に歩んできた道を思い出しても、前途を考えても、太陽のようなその微笑で溢れている」という一節があった。金正恩の笑顔を「微笑」と表現することはこれまでもあったが、「太陽像」のように丸い円の中で微笑む彼とこの歌詞をセットで出してきたということは、やはり金正恩を格上げして、一歩、お父さんとお爺さんに近づけたのではないかと思う。

Source: 『労働新聞』、http://www.rodong.rep.kp/ko/index.php?strPageID=SF01_06_01
しかし、金正恩忠誠系の歌がこれほど連続して出されるのは、張成沢事件が体制に対してだけではなく、朝鮮人民にもかなり大きな影響を与えているのであろう。彼らも張成沢が単なる権力者ということではなく、「将軍様の妹の夫」ということをよく知っていたはずなので、そのような人物を処刑した金正恩に対して、張成沢の「罪状」とは別に、「将軍様に対する思い」と「叔父を処刑した」という金正恩の「人徳」への疑念が生じているのかもしれない。朝鮮人民は、ある部分に関しては制度的に「考える」ことを禁止されているが、「将軍様への思い」を募らせるのは常日頃奨励され、かつそれが習慣化しているであろうし、朝鮮民族に深く根付いた「儒教的人徳」は北朝鮮社会で韓国以上に強く残っている。このようなどうしようもない朝鮮人民の心の揺れを鎮めるために、金正恩忠誠ソングを連発しているのかもしれない。
また、金正恩とて、重要な、敢えていえば最も重要かつ信頼できる(間接的にではあるが、「白頭の血統」で繋がっている)アドバイザーを失ったわけだし、しかもそれが彼の「重大な背信」によるものであればあるほど、事態をどのように収拾すべきか悩んでいるはずである。今、その収集案を「締め付け」以外の方法で提示できるアドバイザーがいるのかどうか。
しかし、金正恩は「叔父さん張成沢」を本当に処刑したかったのであろうか。「労働党政治局拡大会議」で彼は眼鏡を掛けていた。記憶が正しければ、金正恩がサングラス以外の眼鏡を掛けたのは、執務室でお爺さんの真似をしながら書類に目を通す写真だけだったはずである。しかし今回は、動画での公開はなかったものの、眼鏡を掛けて登壇している写真が公開されている。彼が平素コンタクトレンズを使っていれば分からないが、そうでなければ近眼ではないはずである。これまでも彼は諸会議で書類に目を通していたが、その時は眼鏡は掛けていなかった。ここからは随分乱暴なというか、金正恩に同情したような憶測となるが、彼があの時に眼鏡を掛けていたのは、「変装」して心の動揺を隠そうとしたからのような気がする。
張成沢と金正恩の年齢差を考えれば、彼が幼少時代に「成沢叔父さん」にはかわいがってもらったはずである。その、「成沢叔父さん」がどれほどの「悪事」を働こうとしたのかは分からないが、処刑するのは金正恩としても忍びなかったのではないだろうか。また、叔父さんが「体制奪取」を仮に図ったとしても、かつてかわいがってやった「正恩ぼうや」を殺害しようとまで考えたであろうか。
では、なぜ金正恩は処刑を決断したのか。やはり、張成沢の「罪状」がそれほど重かったのであろうし、そこで幹部たちに「示し」を付けておかなければ、第二、第三の張成沢事件が発生すると考えたのであろう。幹部たちに対してはこの「示し」は有効であったかもしれないが、上記のように一方で朝鮮人民に動揺を引き起こし、あるジレンマに陥っている可能性はある。
もちろん、その時に有効な手段は、人民の目を外に向けさせることであるが、米国や韓国との対決ムードをこの時点で高めるのは難しいと思う。というのは、米国との「全面対決戦」では「戦勝記念日」を絶頂とし、「勝利宣言」を出したばかりであるし、韓国とは「開城工団問題」でさんざんもめたあげく、やっと解決の糸口を見いだし、数日前にも「三通問題」などを話し合う会議を正常に開催している。いずれまた「戦争フェーズ」に戻るにしても、今戻るのはタイミング的に早すぎるような気がする。さらに、政権が不安定な時に「対決」を引き起こすことが、「両刃の剣」であることも彼らはよく承知しているはずである。
そうなると、金正恩は歌で民心を鎮めつつ、経済的成果を出して朝鮮人民に「万福」を感じさせる道を選択しなければならないということになろうが、それとて「羅先の土地50年貸与」という字句を「判決文」に入れるなど、中国を刺激した状況のなかで、決して容易ではないはずだ。
八方塞がりになった北朝鮮の「大爆発」だけは避けて欲しいのだが。
「あなたなしでは生きられない」作詞:チャ・ホングン、作曲:金ウンリョン
1.
親近なるその方の情、胸に流れ
寝ても覚めても、温かい心
点のような人徳と、信頼に引かれ
我々は皆、従って生きる
その方なしでは生きられない
金正恩同志
その方なしでは生きられない
我々は生きられない
我々の運命
金正恩同志
その方なしでは
我々は生きられない
2.
我々の心、その方だけが最もよく抱き
いつでも我々の幸福を守って下さる
夢に見る希望も、胸に抱いた想像も
その方の懐で、全て花咲く
その方なしでは生きられない
金正恩同志
その方なしでは生きられない
我々は生きられない
我々の運命
金正恩同志
その方なしでは
我々は生きられない
3.
共に歩んできた道を思い出しても、前途を考えても
太陽のようなその微笑で溢れている
その方だけを頂き、地の果てまで
忠誠を尽くしてお仕えし、生きる
その方なしでは生きられない
金正恩同志
その方なしでは生きられない
我々は生きられない
我々の運命
金正恩同志
その方なしでは
我々は生きられない
歌詞からも分かるように、金正日のテーマソングである「あなたがいなければ祖国はない」また一歩近づいたようだ。しかし、それ以上にパワーアップしているのは「金正恩同志」とさびの部分で繰り返していることだ。また、下の写真にもあるように、万寿台創作社の芸術家による「絵」にはなっていないが、限りなく「太陽像(金日成や金正日が微笑んでいる肖像画)」に近い写真を使っている。そう思いながら、歌詞を見ていたら、歌詞の中に「共に歩んできた道を思い出しても、前途を考えても、太陽のようなその微笑で溢れている」という一節があった。金正恩の笑顔を「微笑」と表現することはこれまでもあったが、「太陽像」のように丸い円の中で微笑む彼とこの歌詞をセットで出してきたということは、やはり金正恩を格上げして、一歩、お父さんとお爺さんに近づけたのではないかと思う。

Source: 『労働新聞』、http://www.rodong.rep.kp/ko/index.php?strPageID=SF01_06_01
しかし、金正恩忠誠系の歌がこれほど連続して出されるのは、張成沢事件が体制に対してだけではなく、朝鮮人民にもかなり大きな影響を与えているのであろう。彼らも張成沢が単なる権力者ということではなく、「将軍様の妹の夫」ということをよく知っていたはずなので、そのような人物を処刑した金正恩に対して、張成沢の「罪状」とは別に、「将軍様に対する思い」と「叔父を処刑した」という金正恩の「人徳」への疑念が生じているのかもしれない。朝鮮人民は、ある部分に関しては制度的に「考える」ことを禁止されているが、「将軍様への思い」を募らせるのは常日頃奨励され、かつそれが習慣化しているであろうし、朝鮮民族に深く根付いた「儒教的人徳」は北朝鮮社会で韓国以上に強く残っている。このようなどうしようもない朝鮮人民の心の揺れを鎮めるために、金正恩忠誠ソングを連発しているのかもしれない。
また、金正恩とて、重要な、敢えていえば最も重要かつ信頼できる(間接的にではあるが、「白頭の血統」で繋がっている)アドバイザーを失ったわけだし、しかもそれが彼の「重大な背信」によるものであればあるほど、事態をどのように収拾すべきか悩んでいるはずである。今、その収集案を「締め付け」以外の方法で提示できるアドバイザーがいるのかどうか。
しかし、金正恩は「叔父さん張成沢」を本当に処刑したかったのであろうか。「労働党政治局拡大会議」で彼は眼鏡を掛けていた。記憶が正しければ、金正恩がサングラス以外の眼鏡を掛けたのは、執務室でお爺さんの真似をしながら書類に目を通す写真だけだったはずである。しかし今回は、動画での公開はなかったものの、眼鏡を掛けて登壇している写真が公開されている。彼が平素コンタクトレンズを使っていれば分からないが、そうでなければ近眼ではないはずである。これまでも彼は諸会議で書類に目を通していたが、その時は眼鏡は掛けていなかった。ここからは随分乱暴なというか、金正恩に同情したような憶測となるが、彼があの時に眼鏡を掛けていたのは、「変装」して心の動揺を隠そうとしたからのような気がする。
張成沢と金正恩の年齢差を考えれば、彼が幼少時代に「成沢叔父さん」にはかわいがってもらったはずである。その、「成沢叔父さん」がどれほどの「悪事」を働こうとしたのかは分からないが、処刑するのは金正恩としても忍びなかったのではないだろうか。また、叔父さんが「体制奪取」を仮に図ったとしても、かつてかわいがってやった「正恩ぼうや」を殺害しようとまで考えたであろうか。
では、なぜ金正恩は処刑を決断したのか。やはり、張成沢の「罪状」がそれほど重かったのであろうし、そこで幹部たちに「示し」を付けておかなければ、第二、第三の張成沢事件が発生すると考えたのであろう。幹部たちに対してはこの「示し」は有効であったかもしれないが、上記のように一方で朝鮮人民に動揺を引き起こし、あるジレンマに陥っている可能性はある。
もちろん、その時に有効な手段は、人民の目を外に向けさせることであるが、米国や韓国との対決ムードをこの時点で高めるのは難しいと思う。というのは、米国との「全面対決戦」では「戦勝記念日」を絶頂とし、「勝利宣言」を出したばかりであるし、韓国とは「開城工団問題」でさんざんもめたあげく、やっと解決の糸口を見いだし、数日前にも「三通問題」などを話し合う会議を正常に開催している。いずれまた「戦争フェーズ」に戻るにしても、今戻るのはタイミング的に早すぎるような気がする。さらに、政権が不安定な時に「対決」を引き起こすことが、「両刃の剣」であることも彼らはよく承知しているはずである。
そうなると、金正恩は歌で民心を鎮めつつ、経済的成果を出して朝鮮人民に「万福」を感じさせる道を選択しなければならないということになろうが、それとて「羅先の土地50年貸与」という字句を「判決文」に入れるなど、中国を刺激した状況のなかで、決して容易ではないはずだ。
八方塞がりになった北朝鮮の「大爆発」だけは避けて欲しいのだが。