ホギョン岩、1968年にあった北朝鮮特殊部隊による青瓦台襲撃事件の激戦地 (2023年8月20日)
先週末からソウルでの会議に出席するために訪韓していた。20日は空いていたので、ソウルに潜伏している同志と共に踏査訓練を実施した。
目標はソウルにあるミニ万里の長城のような首都を囲む城壁に沿って歩くことだった。スタート地点を地下鉄へファ駅近く、マロニエ公園の裏の丘にある長城とした。途中、李承晩の邸宅、梨花荘(イファジャン)に立ち寄ってみたが、改築中だったか、理由は忘れてしまったが、閉まっていた。80年代に韓国にいた頃は、この梨花荘の近くに住んでいたので、しばしば散歩に行ったが、その頃はまだ普通の家のように建っており、ゲートもなかったような記憶がある。

Source: 韓国・文化財庁、https://www.heritage.go.kr/heri/cul/culSelectDetail.do;jsessionid=yeme6zcJ0fUPnzRxCWrfC5O1E8AhO7axzQDQ5vnmCfdqbe6RxQpNeI8fWUnUbhEB.cpawas2_servlet_engine1?pageNo=1_1_2_0&ccbaCpno=1331104970000 日本語の説明あり。
小雨の中、丘を登り万里の長城へと向かった。80年代、丘を登る道沿いは、貧民層が住んでおり、掘っ立て小屋がたくさんあった。また、丘の上にはアパートが2~3棟あったが、これらは全てなくなっており、道沿いには高級乗用車が止めてあるおしゃれな店があり、丘の上のアパートの場所は整備され公園になっていた。
万里の長城に沿って「祖国」の方向に歩いて行ったが、残念ながら行き止まりになっており、一度、丘から降りた。
長城

位置関係

想定外の行き止まりで意気消沈したが、取りあえず成均館大学に向かってみることにした。成均館大学では、ちょうど前期卒業生のための卒業式が行われていた。
記念撮影をする成均館大学の卒業生

ナクサン公園(長城)から成均館大

成均館大学の丘を登り詰めてみると「散策路」という山道があったので、踏査隊員はその先に何があるのかも分からないまま、その道に入ってみた。その散策道を歩いて行くと一度車道に合流し、さらに歩いて行くとまた散策道の入り口があった。

そこから再び長城に沿って歩いて行くと「マルパウィ(馬岩)」という眺めの良い場所がある。散策路周辺には青瓦台を警護するための哨所跡がいくつもあるが、マルパウィにあった哨所跡には機関銃か双眼鏡の台座と思われるものが残っていた。
南方向の向けられた台座。人民軍は北から来ると思うのだが・・・

散策道入り口からマルパウィまで。直線部分は時計のスイッチを入れ忘れた部分だが、概ね長城に沿って歩いている。

マルパウィ付近の長城の南側、青瓦台の背後の山は、保安上、54年間、民間人は立ち入り禁止区域だった。しかし、2006年4月から徐々に開放され始め、2022年5月には完全開放された。下の地図のグレーの道が2022年5月に最終開放された部分。

マルパウィからは長城に沿って歩いて行くつもりだったのだが、歩いているうちに「八角亭(パルがクジョン)」に向かっていた。プガク・スカイウェイにある八角亭は、80年代に1度か2度、車で来たことがあるが、歩いて行くのは初めてだった。この区間にもたくさんの哨所があり、廃止されたものの他に有事に使うためなのか、施錠されていて入れないものもあった。

八角亭にはパン食堂があるので、冷コーヒーで喉を潤し、パンでお腹を満たした後、踏査を続けることにした。八角亭出て、スカイウェイ沿いの道を通って山を下るつもりで歩いていたのだが、分かれ道があった。分かれ道には「XX寺700m」と書かれており、そちらに向かおうとしたが、同志がベッチャンと胆力を失い、踏査の中断を言い出した。途中で倒れてもらっても困るので、少し引き返したら、「やはり行く」と言い出した。「戦士の道」の歌詞が頭をよぎったのだろうか。ではということで、ペースをかなり落として、「XX寺」への道に入った。

「戦士の道」
Source: KCTV, 2019/12/13
ところが、いくら歩いても「XX寺」には行き着かない。それでもと思いながら歩いて行くと大きな岩があった。岩に登ってみると「ホギョン(虎警)岩、猛虎3中隊 79.10.17」と書かれた石碑があった。「猛虎3中隊」とあるので、軍隊が設置した石碑であることは分かったが、その他のことは分からなかった。それよりもソウルを一望に見渡せる絶景に感動していた。

また、「ホギョン岩」の西方向には空軍基地がある。

朝鮮式には「反航空軍」と言うべきかも知れないが、「ホギョン岩」からは対空ミサイルがよく見えた。同志曰く、「北に向いてる」と。言われてみればその通りで、対空ミサイルに関していえば南に向けておいても意味がない。ミサイルの種類は分からないが、PAC2迎撃ミサイルのように見える。青瓦台ミサイル防衛の要となる基地なのだろう。

この「ホギョン岩」であるが、その後、調べていたらおもしろいことが分かった。1968年1月21日、北朝鮮の特殊部隊が青瓦台を攻撃するために浸透し、青瓦台から300mの地点まで接近するという事件があった。この時は、韓国の警察に発見されて青瓦台の裏山、つまり上で紹介した2022年に開放された山に逃げ込んだという。そして、このホギョン岩で韓国の軍・警察と銃撃戦となり、人民軍兵士、3人が死亡したという。岩の正面には弾痕が残っているとのことだが、岩に登った時はこの話を全く知らなかったので、写真撮影はしていない。

Source: 『聯合ニュース』、「41년만에 개방 `김신조 루트' 걸어보니」、2009/10/25、https://www.yna.co.kr/view/AKR20091025036300004
「ホギョン岩」から下る途中の「ヨレ寺」には抗日闘争をした独立闘士の位牌が祭られている。

また、さらに下ると黄海道ベクソン郡出身者が建立した望郷の碑もあった。

踏査行軍は国民大学で終わった。

目標はソウルにあるミニ万里の長城のような首都を囲む城壁に沿って歩くことだった。スタート地点を地下鉄へファ駅近く、マロニエ公園の裏の丘にある長城とした。途中、李承晩の邸宅、梨花荘(イファジャン)に立ち寄ってみたが、改築中だったか、理由は忘れてしまったが、閉まっていた。80年代に韓国にいた頃は、この梨花荘の近くに住んでいたので、しばしば散歩に行ったが、その頃はまだ普通の家のように建っており、ゲートもなかったような記憶がある。

Source: 韓国・文化財庁、https://www.heritage.go.kr/heri/cul/culSelectDetail.do;jsessionid=yeme6zcJ0fUPnzRxCWrfC5O1E8AhO7axzQDQ5vnmCfdqbe6RxQpNeI8fWUnUbhEB.cpawas2_servlet_engine1?pageNo=1_1_2_0&ccbaCpno=1331104970000 日本語の説明あり。
小雨の中、丘を登り万里の長城へと向かった。80年代、丘を登る道沿いは、貧民層が住んでおり、掘っ立て小屋がたくさんあった。また、丘の上にはアパートが2~3棟あったが、これらは全てなくなっており、道沿いには高級乗用車が止めてあるおしゃれな店があり、丘の上のアパートの場所は整備され公園になっていた。
万里の長城に沿って「祖国」の方向に歩いて行ったが、残念ながら行き止まりになっており、一度、丘から降りた。
長城

位置関係

想定外の行き止まりで意気消沈したが、取りあえず成均館大学に向かってみることにした。成均館大学では、ちょうど前期卒業生のための卒業式が行われていた。
記念撮影をする成均館大学の卒業生

ナクサン公園(長城)から成均館大

成均館大学の丘を登り詰めてみると「散策路」という山道があったので、踏査隊員はその先に何があるのかも分からないまま、その道に入ってみた。その散策道を歩いて行くと一度車道に合流し、さらに歩いて行くとまた散策道の入り口があった。

そこから再び長城に沿って歩いて行くと「マルパウィ(馬岩)」という眺めの良い場所がある。散策路周辺には青瓦台を警護するための哨所跡がいくつもあるが、マルパウィにあった哨所跡には機関銃か双眼鏡の台座と思われるものが残っていた。
南方向の向けられた台座。人民軍は北から来ると思うのだが・・・

散策道入り口からマルパウィまで。直線部分は時計のスイッチを入れ忘れた部分だが、概ね長城に沿って歩いている。

マルパウィ付近の長城の南側、青瓦台の背後の山は、保安上、54年間、民間人は立ち入り禁止区域だった。しかし、2006年4月から徐々に開放され始め、2022年5月には完全開放された。下の地図のグレーの道が2022年5月に最終開放された部分。

マルパウィからは長城に沿って歩いて行くつもりだったのだが、歩いているうちに「八角亭(パルがクジョン)」に向かっていた。プガク・スカイウェイにある八角亭は、80年代に1度か2度、車で来たことがあるが、歩いて行くのは初めてだった。この区間にもたくさんの哨所があり、廃止されたものの他に有事に使うためなのか、施錠されていて入れないものもあった。

八角亭にはパン食堂があるので、冷コーヒーで喉を潤し、パンでお腹を満たした後、踏査を続けることにした。八角亭出て、スカイウェイ沿いの道を通って山を下るつもりで歩いていたのだが、分かれ道があった。分かれ道には「XX寺700m」と書かれており、そちらに向かおうとしたが、同志がベッチャンと胆力を失い、踏査の中断を言い出した。途中で倒れてもらっても困るので、少し引き返したら、「やはり行く」と言い出した。「戦士の道」の歌詞が頭をよぎったのだろうか。ではということで、ペースをかなり落として、「XX寺」への道に入った。

「戦士の道」
Source: KCTV, 2019/12/13
ところが、いくら歩いても「XX寺」には行き着かない。それでもと思いながら歩いて行くと大きな岩があった。岩に登ってみると「ホギョン(虎警)岩、猛虎3中隊 79.10.17」と書かれた石碑があった。「猛虎3中隊」とあるので、軍隊が設置した石碑であることは分かったが、その他のことは分からなかった。それよりもソウルを一望に見渡せる絶景に感動していた。

また、「ホギョン岩」の西方向には空軍基地がある。

朝鮮式には「反航空軍」と言うべきかも知れないが、「ホギョン岩」からは対空ミサイルがよく見えた。同志曰く、「北に向いてる」と。言われてみればその通りで、対空ミサイルに関していえば南に向けておいても意味がない。ミサイルの種類は分からないが、PAC2迎撃ミサイルのように見える。青瓦台ミサイル防衛の要となる基地なのだろう。

この「ホギョン岩」であるが、その後、調べていたらおもしろいことが分かった。1968年1月21日、北朝鮮の特殊部隊が青瓦台を攻撃するために浸透し、青瓦台から300mの地点まで接近するという事件があった。この時は、韓国の警察に発見されて青瓦台の裏山、つまり上で紹介した2022年に開放された山に逃げ込んだという。そして、このホギョン岩で韓国の軍・警察と銃撃戦となり、人民軍兵士、3人が死亡したという。岩の正面には弾痕が残っているとのことだが、岩に登った時はこの話を全く知らなかったので、写真撮影はしていない。

Source: 『聯合ニュース』、「41년만에 개방 `김신조 루트' 걸어보니」、2009/10/25、https://www.yna.co.kr/view/AKR20091025036300004
「ホギョン岩」から下る途中の「ヨレ寺」には抗日闘争をした独立闘士の位牌が祭られている。

また、さらに下ると黄海道ベクソン郡出身者が建立した望郷の碑もあった。

踏査行軍は国民大学で終わった。
