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    「南朝鮮当局は、開城工業地区を危機に追いやった責任から絶対に免れられない 中央特区開発指導総局 忘備録」 (2013年4月17日 「労働新聞」)

    17日付けの「労働新聞」に表題のような記事が掲載された。今の事態を招いたのは全的に韓国側の責任であるという前提に基づく北朝鮮側の主張ではあるが、開城工業団地開設から現在に至るまでの彼らの認識が反映されているので訳出しておく(長文なので、指導者に付く敬称や尊敬語は省略)。


    開城工業地区は、金正日将軍が南朝鮮のある企業家の統一愛国の意が貴重であると考え、崇高な民族愛と同胞愛の見地から大英断を下したことにより、和解と協力、統一の象徴として建設されることになった。

    金正日将軍は、1999年10月と2000年6月、南朝鮮の現代グループの名誉会長である鄭周永を親しく接見し、共和国北半部地域に来たと南が協力する経済特区を一つ建設させてくれという彼の要請を受け入れた。

    将軍は、良い意見であるといい、北南双方の武力が激しく対立している軍事境界線一帯であるが、地理的に南側と隣接した開城が良いと言い、開城の広い地域を経済特区の敷地として自ら指定し、一度上手くやってみろと自信まで付けてくれた。

    将軍の恩情に満ちた配慮により、2000年8月、朝鮮アジア太平洋平和委員会と現代の間に「工業地区建設運営に関する合意書」が締結され、これに基づき11月、現代峨山が開城工業地区1段階、100万坪の区域に対する測量及び地質調査を開始した。

    これと共に、2002年8月、第7回北南上級会談で、工業地区事業を積極的に推進するための実務接触を持つことに合意し、12月には開城工業地区の1段階100万坪地区を現代と南朝鮮土地公社が共同開発する「開城工業地区工場区域開発業者指定合意書」が締結された。

    2002年11月には、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会政令として、開城工業地区法が採択されたのに続き、12月には開城工業地区に対する土地利用証が発給され、「開城工業地区通信、通関、検疫に関する合意書」が締結された。

    2003年4月、最高人民会議常任委員会の決定として「開城工業地区開発規定」、「開城工業地区企業創設及び運営規程」等、関係する規定が採択、発効した。

    一方、2003年1月、北南軍事当局者の間で東・西海地区の北南管理区域の臨時道路通行問題が妥結し、引き続いて、西海ソンリム市道路が完成し、2月、開城工業地区建設のための南側関係者の現地調査が行われ、6月には全ても朝鮮民族の大きな期待と関心の中で、開城工業地区建設着工式が盛大に開催された。

    南朝鮮の各階層をはじめとした全ての朝鮮民族と内外世論は、開城工業地区について「6.15の玉の子」、「歴史的事変」、「北南協力と和解、統一の象徴」などとこぞって称賛した。

    その後、開城工業地区建設が本格的に進められ、2004年上半期に1段階100万坪開発区域内にある1万坪の試用地区における敷地造成工事が始まり、12月、この地区に進出した南朝鮮企業の開城工業地区初の製品生産記念式が開催された。

    将軍は、北南経済協力事業で経済的な損得勘定を前面に出すことなく、民族の和解と団合、共同繁栄を達成しなければならないと言い、開城工業地区に南朝鮮企業家が安心して入ってきて、経済活動を行えるよう様々な特恵措置を立て続けに行った。

    特に、2007年10月、歴史的な平壌南北首脳会談で6.15共同宣言の実践的綱領である「北南関係と平和繁栄のための宣言」を打ち出したことで、開城工業地区1段階建設を早い期日内に完工し、2段階開発に着手することができる広い道筋が開かれた。

    将軍は、李明博逆徒が執権し、対決に狂いながら開城工業地区事業に厳重な障害を造り出したときにも、和解と協力のための積極的な方案を提示するようにし、南側が提起する問題を最大限の雅量をもって円満に解決するようにするなど、工業地区事業が正常化するようにするためのあらゆる措置を取った。

    そして、開城工業地区には123の南朝鮮企業が入り、共同繁栄の機械音を高く鳴り響かせた。

    金正恩元帥は、最近、内外の反統一勢力の対決と戦争策動が絶頂に至った深刻な情勢の中でも開城工業地区に関心を寄せ、工業地区事業が維持され、活性化するよう賢明に導いた。

    実に、開城工業地区は、絶世の偉人たちの崇高な愛国・民族を愛する思いと統一の意思、細心の関心を離れては、その存在を考えることはできず、歴史的な北南共同宣言の旗の下で我が民族同士の理念、全民族の統一念願と意志に支えられて名実共に民族共同の経済特区としての地位を得た。


    開城工業地区が破局の運命に置かれたのは、李明博のような南朝鮮の傀儡保守一味のせいである。

    傀儡保守一味は、開城工業地区建設をはじめから快く思っておらず、工業地区事業を破綻させるために悪辣に策動してきた。

    「セヌリ党」の前身である「ハンナラ党」の奴らは、全民族の関心の中で北と南が手を握り開城工業地区建設着工の初めてのスコップを入れるとすぐに、「経済特区は北の核とミサイル開発を助けるものとなる」だの、「ざるになる」だの言いながら、ことある毎に足を引っ張った。

    李明博逆徒は、「大統領」の椅子に座るやいなや、「核問題が解決する前には、なにもできない」と騒ぎ立て、10.4宣言を踏みにじることで、そこに明示された開城工業地区建設に関連する条項の履行にもブレーキを掛けた。

    こうして、前「政権」が我々と合意した開城工業地区1段階建設完工と2段階開発着手問題は、相対して座る前に破綻してしまった。

    2008年3月当時、統一部長官の金夏中は、開城工業地区の企業代表との懇談会をはじめとした様々な機会に「北朝鮮の核問題が解決しない限り、開城工団事業を継続することが難しい」、「開城工団は、中断しても仕方がない」、「開城工団閉鎖と軍事的衝突など、最悪の場合まで全て予見している」と公言しながら、工業地区事業を破綻させる悪意を露骨に示した。

    我々の主導的定義により、2009年4月から2010年2月まで開城工業地区実務接触が行われたときにも、逆賊一味は、それに嫌々出てきて、開城工業地区の活性化とは何の関係もない我々の衛星発射と地下核実験、身辺安全保障問題等を持ち出し、基本問題の討議を避けたたために、6回も空転を繰り返し、結局、決裂してしまった。

    その時、我が方は、傀儡一味が反共和国核騒動と「制裁」策動に狂奔する中でも、開城工業地区で新たに操業した企業の在留人員を増やし工業地区在留及び通行制限措置を緩和するなど、誠意ある提案をしたが、南側はソウルの指令を受け、非常に傲慢にふざけたことを言い、話し合いの席を蹴って出るという人間の屑のようなことまでした。

    開城工業地区事業を破綻させようという李明博一味の策動は、2010年3月「天安」号事件を契機にさらに強化された。

    事件発生直後の4月末、李明博逆徒は、商工会議所や経済人連合会をはじめとした経済団体の関係者と開城工業地区に進出した中小企業家たちを集め、「対北政策」を揺らぐことなく継続すると公言し、「経済人が対北政策に異なる意見を持つことはできるが、時が過ぎれば正しいということがわかるはず」と捲し立てた。

    そして、開城工業地区で操業している企業に事業を新たに展開せず、任意の瞬間に撤収できる準備をするよう秘密指令まで出した。

    それだけではなく、きわめて悪辣な「5.24措置」を発表したのに続き、開城工業地区に在留する南側企業人員を半分に減らさせ、工業地区に対する新たな投資を全て中止させ、設備、資材などの搬入もできなくして企業の生産と経営活動に大きな障害を造り出した。

    傀儡統一部長官であった玄仁澤をはじめとする対決狂共は、「ざる(何でも無条件に与える)」だの何だのと言いながら、開城工業地区事業を妨害しようと執拗に策動した。

    特に、傀儡国防部長官の金寛鎮野郎をはじめとした軍部好戦狂は、開城工業地区に在留している南側人員が今後、軍事作戦を展開する過程で人質となる可能性があるので、工業地区を閉鎖しなければならないと言ってのけた。

    「ハンナラ党」の屑共も開城工業地区で彼らの人員を撤収しなければならないと騒ぎ立て、保守御用メディアは開城工業地区が南北間の「衝突を抑制した砦」の役割から「人質事件を引き起こす危険地域」に変化したと言いながら、工業地区閉鎖を積極的に煽った。

    傀儡一味は、2011年1月、朝鮮民主主義人民共和国政府、政党、団体の連合声明により、北南当局会談を早く再開し、中断された赤十字会談と金剛山観光再開会談、開城工業地区会談を早期に開催することを提案したのに対し、全面拒否した。

    我々はその時、北南関係改善のための善意の措置として、閉鎖されていた板門店赤十字連絡通路を再び開き、開城工業地区の北南経済協力協議事務所の凍結措置を解除し、工業地区事業と関連した会談をはじめとした北南会談の議題と日にち、場所などを明らかにした朝鮮アジア太平洋平和委員会、赤十字会中央委員会委員長、名勝地総合開発指導局、中央特区開発総局などの通知文を南側の当該機関に送った。

    しかし、傀儡一味は、分別もなく「真剣さがない」だの「統一戦線戦術」だの言いながら、核廃棄と「天安」号事件、延坪島問題など、不当な条件を付けて対話の提案を全て拒否した。

    逆賊一味の故意的な破綻策動により3段階に分けて総6000万平方メートルの地域を開発しようとした開城工業地区事業が、2、3段階開発はおろか、1段階区域の半分も開発できないまま止まってしまった。

    李明博一味は、それでも足りず、工業地区を反共和国謀略と対決の場として悪用した。

    逆賊一味は、機会がある毎に開城工業地区を通じて北を「改革」、「開放」に誘導しなければならないとか、「北の勤労者に市場経済を学習させることができる機会を提供しなければならない」だの言いながら、工業地区を反共和国体制転覆のための足場にしようとする企図を公言した。

    そして、人間の屑共を集め、開城工業地区の近くで我々の最高尊厳を中傷冒涜するビラ配付騒ぎを引き起こす一方、塔に火をともすだの何だの言いながら、反共和国心理謀略戦に熱を上げた。

    さらには、2009年、開城工業地区に入って来て、我々の体制を誹謗中傷し、不純な挑発行為を行い摘発されたユ・ソンジン事件が示しているとおり、南側企業家と労働者の中に謀略軍、情報探索軍を混ぜ、工業地区内で我々の体制を攻撃するための陰湿な謀略策動も継続して行ってきた。

    これは、李明博逆賊一味が開城工業地区を叩きつぶすためにどれほど悪辣に策動しているのかを示すものである。


    開城工業地区事業は、李明博「政権」の極悪な対決政策をそのまま引く継ぐ現保守「政権」によりさらなる危機に直面した。

    現「政権」は、政権が発足するやいなや我々の平和的な衛星発射と自衛的核実験を口実に反共和国「制裁」策動に狂奔しながら、これまで何とか続けられてきた北南民間団体の協力事業さえ完全に遮断した。

    去る2月からは、やっと維持されてきた開城工業地区に対する物品搬入を厳格に統制し始めた。

    そして、いわゆる北の「金づる」だの、「飯の種」だの言いながら、我々の尊厳を極度に刺激する一方、「開城工業地区が閉鎖されれば、さらに被害を被るのは北」だの、「北が開城工団を絶対に放棄しない」だの言い、悪口を言うことに熱を上げながら、工業地区を反共和国対決の場にしようと発狂した。

    特に、極悪な軍事チンピラであり好戦狂である金寛鎮野郎は、新「政権」の傀儡国防長官として留任されるやいなや、米国と共に北侵戦争策動にさらに血眼でかけずり回りながら、開城工業地区を戦争発生地にしようと悪辣に策動した。

    奴は、去る4月はじめ「セヌリ党」の北核安保戦略特別委員会で「国民の身辺安全」だの何だのと言いながら、それに備える軍事措置を取ったと公言したのに続き、「人質救出」作戦を騒ぎ立てながら、平和的な経済特区である開城工業地区に傀儡軍はもちろん、米軍特殊部隊まで引き入れる企図を公言した。

    これに便乗し、南朝鮮保守政治家、専門家、メディアは、「大規模抑留事件発生」だの、「人質救出対策」だの言いながら、開城工業地区をさらに険悪な状態に追いやった。

    南朝鮮出版物は「開城工団で人質事件が発生した場合に備え策定した国防部の秘密計画は、青瓦台に報告されたものと認識している」、「軍は韓米連合で人質救出訓練も実施した」と暴露した。

    これは、開城工業地区の軍事作戦計画が青瓦台の部屋の主人の承認の上で行われ、米帝侵略軍が傀儡共と結託して「人実救出」作戦と関連した実動訓練まで行ったということを物語っている。

    これと時を同じくし、傀儡軍部チンピラは、平壌をはじめとした共和国の都市に丁重に頂いている我々の最高尊厳の象徴である首領永世、首領称賛の記念碑に対する精密打撃計画をでっち上げるという著しい挑発をした。

    そして、「政権」メンバーを選定している時、国防部長官として内定していた金炳琯野郎と傀儡国防部スポークスマンなどのチンピラは、我々の最高尊厳を傷つけ「北政権消滅」だの、「交替」だの、「崩壊」だの言い、極悪な妄言を躊躇なくはいた。

    さらに、青瓦台の部屋の主人まで出てきて、我々の体制と経済、人民生活を公然と非難しながら「変化」を騒ぎ立てただけではなく、「核開発と挑発で得られるものはない」だの、「核を捨てない限り、何も期待することはできない」だの言いながら、我々を激しく冒涜した。

    このように前例のない対決狂乱の中で開城工業地区が存在できなくなったと言うことはいうまでもない。

    傀儡一味が口を開けば開城工業地区に対する北の「金づる」だの何だの言いながら、我々が大きな得をしているように騒ぎ立てているが、工業地区を通して莫大な利益を得ているのは南側である。

    開城工業地区で働く我々の勤労者の労賃は、初歩的な生活に比もならない。

    一方、開城工業地区で南朝鮮企業が稼ぐ利益は計算できないほど大きい。

    開城工業地区では、土地賃貸料と土地使用料、各種の税金はほとんど無料に近い。

    傀儡当局の公式発表によっても、開城工業地区が閉鎖される場合、南側が被る1日の被害額だけでも129万ドルに達し、それと関わる企業が被る被害額は60億ドルに達するという。

    特に、開城工業地区の軍事的、安保的価値は金で計算することができない。

    この世の中に我々の開城工業地区のように軍事的に最も敏感な要衝地域をそのまま提供した事例はない。

    これだけ見ても我々が開城工業地区のためにどれほど大きな譲歩をし、南側がどれほど大きな利益を得たのかを知ることができる。

    それにもかかわらず、傀儡一味が我々に対する悪口を言い、尊厳まで傷つけようとしていることは、恩を仇で返す行為であるといわざるを得ない。

    諸般の事実は、開城工業地区を今日の破滅危機に追いやった張本人は、間違いなく傀儡保守一味であるということを明確に示している。

    傀儡一味が我々の善意と雅量、同胞愛を愚弄、冒涜し、6.15の象徴として唯一残っている開城工業地区を同族対決の中心とし、北侵戦争の発生地に試用とあらゆる策動を行っている状況で、我々が重大な措置を宣告したのは至極当然である。

    今、傀儡保守一味が「開城工団正常化」だの、「対話」だの言いながら騒ぎ立てているのは、実際に南朝鮮の中小企業を考え、いわゆる局面転換のためではなく、開城工業地区を危機に追いやったことに対する責任を免れ、彼らの対決と戦争策動を正当化しようという狡猾な術策以外の何物でもない。

    外国勢力と共に反許和国「制裁」策動に極悪にぶら下がり、最新戦争装備を大々的に引き入れ、北侵戦争演習に狂奔しながら「対話」だの何だのと言うことこそが、相手に対する愚弄で荒れ破廉恥の極致である。

    傀儡一味は、開城工業地区を今日の厳しい状態に陥れた犯罪的責任を絶対に免れることはできない。

    万が一、南朝鮮当局が我々の重大措置に対して継続的にあれこれ言いながら責任を転嫁しようとするならば、事態はさらに悪化し、取り返しの付かない状況に至るであろう。

    傀儡一味は、無謀な反共和国敵対行為と北侵戦争策動から得られるものは、恥ずかしい終末しかないということを肝に銘じなければならない。

    『労働新聞』、「남조선당국은 개성공업지구를 위기에 몰아넣은 책임에서 절대로 벗어날수 없다 중앙특구개발지도총국 비망록」、http://www.rodong.rep.kp/InterKo/index.php?strPageID=SF01_02_01&newsID=2013-04-17-0028&chAction=L

    非常に長文で疲れたが、「忘備録」とあるように、これまで北朝鮮が開城工業団地に関して主張してきたことの総まとめなので、翻訳しておいた。

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    Author:川口智彦
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    2021年1月11日から「総秘書同志」
    「首領様」=金日成主席
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