「朝鮮カトリック教協会中央委員会委員長カトリック教会教皇の司牧活動に成果があることを祝願」 (2013年3月17日 「朝鮮中央通信」)
「朝鮮中央通信」が、北朝鮮のカトリック教関係者が新ローマ法王であるフランチェスコ1世に祝電を送ったと報じた。記事によると「朝鮮カトリック教協会中央委員会委員長のサミュエル・チャンジェオンは、主様の恩寵とカトリック協会の熱い信頼の中で第266代法王として選出されたベルゴリオ枢機卿に祝電を送」り、「キリストの地上の代理者としてカトリック教会の発展と愛と平和、正義を具現するための法王の司牧活動で肯定的な成果があることを祝願した」と報じた。
朝鮮カトリック教協会中央委員会委員長は、「委員長」であるが神父なのか信徒なのか分からない。私にはカトリックに関する知識はほとんどないが、神学校というのがあるくらいなので、神父になるにはこれらの学校で何らかの教育を受けなければならないはずだ。朝鮮人民が神学校に通う機会はないだろうから、彼は信徒であろう。委員長が信徒であるならば、北朝鮮には神父は存在しないことになる。すると不思議なのは、彼に「サミュエル」という洗礼名が付いていることである。洗礼名というのは神父によって与えられるものであるとすれば、「サミュエル」というチャン・ジェオン委員長の洗礼名は誰によって与えられたのであろうか。
ちなみにこの記事は本日の「労働新聞」には掲載されていない。「主様の恩寵」などという言葉は、北朝鮮国内で存在してはならない言葉なのであろう。恩情は大元帥様や元帥様から与えられるものなのだから。
朝鮮カトリック教協会中央委員会委員長は、「委員長」であるが神父なのか信徒なのか分からない。私にはカトリックに関する知識はほとんどないが、神学校というのがあるくらいなので、神父になるにはこれらの学校で何らかの教育を受けなければならないはずだ。朝鮮人民が神学校に通う機会はないだろうから、彼は信徒であろう。委員長が信徒であるならば、北朝鮮には神父は存在しないことになる。すると不思議なのは、彼に「サミュエル」という洗礼名が付いていることである。洗礼名というのは神父によって与えられるものであるとすれば、「サミュエル」というチャン・ジェオン委員長の洗礼名は誰によって与えられたのであろうか。
ちなみにこの記事は本日の「労働新聞」には掲載されていない。「主様の恩寵」などという言葉は、北朝鮮国内で存在してはならない言葉なのであろう。恩情は大元帥様や元帥様から与えられるものなのだから。