「安全・安心」:鉄道 (2021年6月27日)
昨日、久しぶりに卒業生と「対面」した。オンラインでは時々話をしていたのだが、「対面」はとても久しぶりだった。そして、これまた久しぶりの焼肉を食べながら話をしていた。
そんな中、「安全・安心」の話題になったのだが、ふと、鉄道の話をした。鉄道に乗る際、事故の不安を感じながら乗る人はいるだろうか。私が鉄道に乗るときの唯一の「不安」は、空港に向かう際、鉄道側に起因しない理由で電車が止まってしまい、飛行機に乗れなくなることぐらいしかない(実際に、何回かこのピンチに遭遇している)。
それほど日本の鉄道は客観的な「安全」が確保されていることが実証されているからなのだろう。時々、運転席の後ろで運転手の様子を見ながら電車に乗ることがあるが、指さしや声出し確認をしっかりと実行している。こうした「安全」を確保するための地道な行動がきちんと行われているからこそ、私たちは「安心」して鉄道を利用できるのだろう。
少し前、新幹線の運転手が車両を走らせたまま、トイレに行ったという「事件」があった。その数分間、運転席には車掌がいたというが、それをもって新幹線に乗ることを「不安」に感じるようになった人はいるだろうか。そうした事実をきちんと発表した鉄道会社の誠実さもあり、人々はそのような異例な事態への対応策を講じておくことを希望しつつも、その後も「安心」して新幹線に乗っている。
「安全・安心」というのは、そのようにして作られていくのだと思う。昨日、紹介した「国務委員会演奏団公演-各界の反応」動画の中でも、「言葉で何百回、何千回言うよりも」と話している人民が出てくる。「地平」こそ異なるが、東京五輪の「安全・安心」に繋がるものがある。
そんな中、「安全・安心」の話題になったのだが、ふと、鉄道の話をした。鉄道に乗る際、事故の不安を感じながら乗る人はいるだろうか。私が鉄道に乗るときの唯一の「不安」は、空港に向かう際、鉄道側に起因しない理由で電車が止まってしまい、飛行機に乗れなくなることぐらいしかない(実際に、何回かこのピンチに遭遇している)。
それほど日本の鉄道は客観的な「安全」が確保されていることが実証されているからなのだろう。時々、運転席の後ろで運転手の様子を見ながら電車に乗ることがあるが、指さしや声出し確認をしっかりと実行している。こうした「安全」を確保するための地道な行動がきちんと行われているからこそ、私たちは「安心」して鉄道を利用できるのだろう。
少し前、新幹線の運転手が車両を走らせたまま、トイレに行ったという「事件」があった。その数分間、運転席には車掌がいたというが、それをもって新幹線に乗ることを「不安」に感じるようになった人はいるだろうか。そうした事実をきちんと発表した鉄道会社の誠実さもあり、人々はそのような異例な事態への対応策を講じておくことを希望しつつも、その後も「安心」して新幹線に乗っている。
「安全・安心」というのは、そのようにして作られていくのだと思う。昨日、紹介した「国務委員会演奏団公演-各界の反応」動画の中でも、「言葉で何百回、何千回言うよりも」と話している人民が出てくる。「地平」こそ異なるが、東京五輪の「安全・安心」に繋がるものがある。