朝鮮労働党党証 (2021年3月22日)
「朝鮮労働党党証」なるものを入手した。「党員証」なるものは、赤い布にくるまれた状態で上着の内ポケットから大切そうに出し入れする様子は「朝鮮芸術映画」で見たことがあるが、実物の映像はまだ見たことがなかった。
今回見つけたのは「党員証」ではなく、「党証」となっている。uriminzokkiriの「朝鮮語大辞典」で確認する限りでは、「党証」は「党員証」の略語と出てくるので、「党員証」は「党証」とも呼ばれているのかも知れない。
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朝鮮の勤労者達は団結しろ!
朝鮮労働党
党証
朝鮮労働党 中央委員会

****************
以前、「公民証」を紹介したが、「公民証」よりも少し小さく、表紙は厚手の紙で表装されている。また、「公民証」よりもかなり状態が良い。公民証は、身分証明書として常に携帯しているが、「党証」は通常、大切にケースに入れて自宅に保管しているからなのかも知れない。また、表紙は金箔が剥離したのでなければ、「公民証」同様に文字は打ち込んであるだけである。もう少し派手かと思ったが、案外地味だった(それで「党証」と気付かれず、安く入手できたのだが・・・)。
「公民証」との比較。緑が「公民証」。

「党証」ケースに以入れたときの写真。銀色のケースには「党証」ではなく「朝鮮労働党党員証」と書かれている。


では、「党証」の中身を見ていく。
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(左ページ)
朝鮮勤労者達は団結しろ!
朝鮮労働党
党証
No 1538971
姓名 シム・ウォンソク
生まれ 1940年10月4日
入党 1963年7月30日
党証授与機関 朝鮮労働党両江道プンソ郡委員会
党員署名 シム・ウォンソク
党証授与機関責任者サイン 金ジンソン
党証授与 1963年9月2日
(右ページ)
党費納入欄 1963年
月 月収入 党費 委員長サイン

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「公民証」は「邑」で発行されていたが、「党証」は「郡党委員会」で発行されている。また、「公民証」の写真スタンプは押し出し型であるが、「党証」は写真の印鑑が重なる部分を白くプリントして、印鑑で押してある。印章は「朝鮮労働党プンソ党委員会」であるが、下の部分はインクがうすくなっており読み取れない。
では、右ページは「党費納入欄」であるが、「党証」が党費納入証を兼ねているとは知らなかった。そんなこともあり、この人は7月末に入党しているが、党費は「党証」が発行された9月から支払い始めている。
このページでは、1963年9月から12月までの「月収入」は、「36.38」と一定である。単位が分からないが、36ウォン38銭だと思われる。そして、「党費」もまた「0.73」で一貫している。計算してみると、「月収入」の約2%となる。
その後、1968年5月まで「党費納入欄」に納入記録がある。
64年は6月から10月まで、「月収入」が少し上がっている。それに応じて「党費」も上がっているが、やはり「月収入」の約2%となっている。11月と12月に記された数値については意味不明である。
65年になると、「月収入」が毎月変わっている。何か制度変更があったのかもしれない。しかし、党費の割合は依然として約2%のままである。

「年」の欄に記入はないが、下のページは66、67年であろう。「月収入」の変化はこの年も続いているが、両年で11月の「月収入」が増えているのが特徴的である。この人がどのような仕事をしていたのかは分からないが、農業関係の仕事だと、その年の収穫に応じてプラスαが支給されているのだろうか。

次のページは68年だと思うが、「党費」納付は5月で終わっている。終わっている理由は不明だが、党員資格を失ったのか、死亡したのか、失踪したのか・・・。もしかすると、更新の際に返納されなかったのかも知れない。

「党員」であることは現在に至るまで「栄誉」とされているので、それを証明する「党証」と管理は「公民証」よりも厳格であろう。前回紹介した「公民証」同様、今回入手した「党証」が本物である確証はないが、見た限りは本物のように思われる。大変珍しいものなので、「党員証」ケースに入れて大切に保管しようと思う。
今回見つけたのは「党員証」ではなく、「党証」となっている。uriminzokkiriの「朝鮮語大辞典」で確認する限りでは、「党証」は「党員証」の略語と出てくるので、「党員証」は「党証」とも呼ばれているのかも知れない。
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朝鮮の勤労者達は団結しろ!
朝鮮労働党
党証
朝鮮労働党 中央委員会

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以前、「公民証」を紹介したが、「公民証」よりも少し小さく、表紙は厚手の紙で表装されている。また、「公民証」よりもかなり状態が良い。公民証は、身分証明書として常に携帯しているが、「党証」は通常、大切にケースに入れて自宅に保管しているからなのかも知れない。また、表紙は金箔が剥離したのでなければ、「公民証」同様に文字は打ち込んであるだけである。もう少し派手かと思ったが、案外地味だった(それで「党証」と気付かれず、安く入手できたのだが・・・)。
「公民証」との比較。緑が「公民証」。

「党証」ケースに以入れたときの写真。銀色のケースには「党証」ではなく「朝鮮労働党党員証」と書かれている。


では、「党証」の中身を見ていく。
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(左ページ)
朝鮮勤労者達は団結しろ!
朝鮮労働党
党証
No 1538971
姓名 シム・ウォンソク
生まれ 1940年10月4日
入党 1963年7月30日
党証授与機関 朝鮮労働党両江道プンソ郡委員会
党員署名 シム・ウォンソク
党証授与機関責任者サイン 金ジンソン
党証授与 1963年9月2日
(右ページ)
党費納入欄 1963年
月 月収入 党費 委員長サイン

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「公民証」は「邑」で発行されていたが、「党証」は「郡党委員会」で発行されている。また、「公民証」の写真スタンプは押し出し型であるが、「党証」は写真の印鑑が重なる部分を白くプリントして、印鑑で押してある。印章は「朝鮮労働党プンソ党委員会」であるが、下の部分はインクがうすくなっており読み取れない。
では、右ページは「党費納入欄」であるが、「党証」が党費納入証を兼ねているとは知らなかった。そんなこともあり、この人は7月末に入党しているが、党費は「党証」が発行された9月から支払い始めている。
このページでは、1963年9月から12月までの「月収入」は、「36.38」と一定である。単位が分からないが、36ウォン38銭だと思われる。そして、「党費」もまた「0.73」で一貫している。計算してみると、「月収入」の約2%となる。
その後、1968年5月まで「党費納入欄」に納入記録がある。
64年は6月から10月まで、「月収入」が少し上がっている。それに応じて「党費」も上がっているが、やはり「月収入」の約2%となっている。11月と12月に記された数値については意味不明である。
65年になると、「月収入」が毎月変わっている。何か制度変更があったのかもしれない。しかし、党費の割合は依然として約2%のままである。

「年」の欄に記入はないが、下のページは66、67年であろう。「月収入」の変化はこの年も続いているが、両年で11月の「月収入」が増えているのが特徴的である。この人がどのような仕事をしていたのかは分からないが、農業関係の仕事だと、その年の収穫に応じてプラスαが支給されているのだろうか。

次のページは68年だと思うが、「党費」納付は5月で終わっている。終わっている理由は不明だが、党員資格を失ったのか、死亡したのか、失踪したのか・・・。もしかすると、更新の際に返納されなかったのかも知れない。

「党員」であることは現在に至るまで「栄誉」とされているので、それを証明する「党証」と管理は「公民証」よりも厳格であろう。前回紹介した「公民証」同様、今回入手した「党証」が本物である確証はないが、見た限りは本物のように思われる。大変珍しいものなので、「党員証」ケースに入れて大切に保管しようと思う。