「公民証」:古い手帳バージョン (2021年1月28日)
古い「公民証」が手に入った。もちろん、偽物か本物かは分からないが、総合的に判断すると本物だと思う。ネット検索をするとラミネートされた公民証の写真が出回っており、知り合いも図們の北朝鮮グッズ屋でラミネート型の「公民証」を手に入れたと言っていた。
「朝鮮中央TV」の「朝鮮芸術映画」を見ていても、なかなか「公民証」は出てこないので、実態はなかなか分からないのだが、今回、入手したものを紹介したい。
「公民証」表紙。表紙と裏表紙はビニールでカバーされている。閉じた状態での大きさは10X7cm。

表紙が1ページなので、3ページに写真と名前が出ている。「本人署名」とあり下に「金ウィジョン」という署名がある。また、写真には「社会安全省 290」という刻印が押されている。この「公民証」は次のページで見るように1964年に発行されているので、「社会安全省」という名称は同名称が使われていた時期と一致する。

4~5ページには、所有者に関する基本情報が書かれている。
4ページの上から、
「姓名 金ウィジョン、性別 男」
「生年月日 1933年6月4日 生まれ」
「民族別 朝鮮人」
「出生地 咸鏡北道ミョンチョン郡トゥン面ヤンチョン里」
「公民証の交付を受けた住所」
「両江道ベクアム郡ベグアム邑」
5ページ上から、
「公民証を交付した根拠」
「交換交付」
「ベクアム郡社会安全部 部長 李ジファン」
「1964年10月1日 交付」
印影 「朝鮮民主主義人民共和国 両江道ベグアム郡社会安全部」

金さんの出生地と「公民証」が「交付」された場所を朝鮮地図で確認した。
出生地のミョンチョン郡

交付地のベクアム郡。ベクアム郡は昨年の台風被害報道で名前が出ていたと記憶している。

6~7ページは「家族欄」となっている。金さんに1954年に長女が生まれたことが記されている。
6ページ枠内の左から、
「登録年月日 1964年10月1日」
「姓名 金シンオク」
「身分関係 長女」
「生年月日 1954年7月24日」
「出生地 咸鏡北道ミョンチョン郡トゥン面ヤンチョン里 ベクアム郡社会安全部」
印影「金ボムチュン」
「移動事項」

8~9ページも「家族欄」であるが、未記入なので省略。
10ページは「婚姻関係欄」になっている。金さんは結婚から6年後に長女が生まれていることになる。
「1958年4月28日 金ジョンナムと結婚 ベクアム郡社会安全部」
印影「金ボンチュン」
11ページは「職業欄」
「1962年3月6日 事務員 ベクアム郡農村建設隊 ベグアム郡社会安全部」
印影「金ボンチュン」

12ページは「職業欄」、13ページは「居住退去登録欄」となっている。
「居住退去登録欄」には「1962年3月6日 両江道ベクアム郡ベグアム邑10班」となっており、「ベグアム郡農村建設隊」の「事務員」になった日と同じだ。ということは、金さんは、ミョンチョン郡の故郷から就職をするためにベグアム郡に移動してきたということなのだろう。年齢は29歳なので、義務教育を受けた後に人民軍隊に入隊、除隊後に高等教育を受け、就職という経歴なのだろうか。徴兵期間がよく分からないので、何とも言えない。

19ページまで「居住退去登録欄」があるが未記入。
20~22ページは、「特別記録欄」になっている。金さんの場合未記入なので、何を記録するのかは分からない。賞罰でも記録するのだろうか。

23ページには「公民証」の扱いに関する「注意事項」が書かれている。
「公民証は、朝鮮労働党と共和国政府の政策を擁護、貫徹し、祖国の統一、独立と社会主義制度の強化、発展のために自分の創意、創発性と愛国的献身性を発揮する共和国の公民であることを示す国家的証票である。
1.公民は、公民証を大切に保管しなければならず、常に携帯しなければならない。
1.公民は、公民証の内容を任意に訂正削除及び添加したり、他人に貸すことはできない。
1.公民証を紛失した公民は、即時、紛失した地域の社会安全機関及び居住地の社会安全機関に申告しなければならない。
1.居住地を移動した公民は、新たな居住地に到着したら、5日以内に居住登録を受けなければならず、居住登録は、退去登録日から25日を越えてはならない。」

「公民証」を持つ「朝鮮公民」がが取るべき態度が書かれていて興味深い。「公民証」を「交換交付」された場合の扱いについては書かれていないが、「交換」ということなので、古い「公民証」は「社会安全部」に回収されるのであろう。今回紹介した「公民証」が本物だとすると、「紛失」したと思われたものが偶然残っていたのか、「公民」の状態で北朝鮮から出てそのまま戻らなかったのか、あるいは「社会安全部」できちんと回収していなかったということになるのだろう。
とりあえず「公民証」は見ることができたので、次は「党員証」を見たいと思っているのだが、こちらは「公民証」以上に管理が厳重なのでなかなか流出しないのだろう。
「公民証」を撮影する際に重石として使っていたのは、「党員証」保管用のケースだと思われる。このケースに「公民証」がピッタリと入るので、恐らく「党員証」もサイズ的には同じなのだろう。


「朝鮮中央TV」の「朝鮮芸術映画」を見ていても、なかなか「公民証」は出てこないので、実態はなかなか分からないのだが、今回、入手したものを紹介したい。
「公民証」表紙。表紙と裏表紙はビニールでカバーされている。閉じた状態での大きさは10X7cm。

表紙が1ページなので、3ページに写真と名前が出ている。「本人署名」とあり下に「金ウィジョン」という署名がある。また、写真には「社会安全省 290」という刻印が押されている。この「公民証」は次のページで見るように1964年に発行されているので、「社会安全省」という名称は同名称が使われていた時期と一致する。

4~5ページには、所有者に関する基本情報が書かれている。
4ページの上から、
「姓名 金ウィジョン、性別 男」
「生年月日 1933年6月4日 生まれ」
「民族別 朝鮮人」
「出生地 咸鏡北道ミョンチョン郡トゥン面ヤンチョン里」
「公民証の交付を受けた住所」
「両江道ベクアム郡ベグアム邑」
5ページ上から、
「公民証を交付した根拠」
「交換交付」
「ベクアム郡社会安全部 部長 李ジファン」
「1964年10月1日 交付」
印影 「朝鮮民主主義人民共和国 両江道ベグアム郡社会安全部」

金さんの出生地と「公民証」が「交付」された場所を朝鮮地図で確認した。
出生地のミョンチョン郡

交付地のベクアム郡。ベクアム郡は昨年の台風被害報道で名前が出ていたと記憶している。

6~7ページは「家族欄」となっている。金さんに1954年に長女が生まれたことが記されている。
6ページ枠内の左から、
「登録年月日 1964年10月1日」
「姓名 金シンオク」
「身分関係 長女」
「生年月日 1954年7月24日」
「出生地 咸鏡北道ミョンチョン郡トゥン面ヤンチョン里 ベクアム郡社会安全部」
印影「金ボムチュン」
「移動事項」

8~9ページも「家族欄」であるが、未記入なので省略。
10ページは「婚姻関係欄」になっている。金さんは結婚から6年後に長女が生まれていることになる。
「1958年4月28日 金ジョンナムと結婚 ベクアム郡社会安全部」
印影「金ボンチュン」
11ページは「職業欄」
「1962年3月6日 事務員 ベクアム郡農村建設隊 ベグアム郡社会安全部」
印影「金ボンチュン」

12ページは「職業欄」、13ページは「居住退去登録欄」となっている。
「居住退去登録欄」には「1962年3月6日 両江道ベクアム郡ベグアム邑10班」となっており、「ベグアム郡農村建設隊」の「事務員」になった日と同じだ。ということは、金さんは、ミョンチョン郡の故郷から就職をするためにベグアム郡に移動してきたということなのだろう。年齢は29歳なので、義務教育を受けた後に人民軍隊に入隊、除隊後に高等教育を受け、就職という経歴なのだろうか。徴兵期間がよく分からないので、何とも言えない。

19ページまで「居住退去登録欄」があるが未記入。
20~22ページは、「特別記録欄」になっている。金さんの場合未記入なので、何を記録するのかは分からない。賞罰でも記録するのだろうか。

23ページには「公民証」の扱いに関する「注意事項」が書かれている。
「公民証は、朝鮮労働党と共和国政府の政策を擁護、貫徹し、祖国の統一、独立と社会主義制度の強化、発展のために自分の創意、創発性と愛国的献身性を発揮する共和国の公民であることを示す国家的証票である。
1.公民は、公民証を大切に保管しなければならず、常に携帯しなければならない。
1.公民は、公民証の内容を任意に訂正削除及び添加したり、他人に貸すことはできない。
1.公民証を紛失した公民は、即時、紛失した地域の社会安全機関及び居住地の社会安全機関に申告しなければならない。
1.居住地を移動した公民は、新たな居住地に到着したら、5日以内に居住登録を受けなければならず、居住登録は、退去登録日から25日を越えてはならない。」

「公民証」を持つ「朝鮮公民」がが取るべき態度が書かれていて興味深い。「公民証」を「交換交付」された場合の扱いについては書かれていないが、「交換」ということなので、古い「公民証」は「社会安全部」に回収されるのであろう。今回紹介した「公民証」が本物だとすると、「紛失」したと思われたものが偶然残っていたのか、「公民」の状態で北朝鮮から出てそのまま戻らなかったのか、あるいは「社会安全部」できちんと回収していなかったということになるのだろう。
とりあえず「公民証」は見ることができたので、次は「党員証」を見たいと思っているのだが、こちらは「公民証」以上に管理が厳重なのでなかなか流出しないのだろう。
「公民証」を撮影する際に重石として使っていたのは、「党員証」保管用のケースだと思われる。このケースに「公民証」がピッタリと入るので、恐らく「党員証」もサイズ的には同じなのだろう。

