1971年、朝鮮総連が配った金日成バッジ (2019年2月11日)
1971年に朝鮮総連が配付したと思われる金日成バッジを入手した。
肖像徽章についておさらいをしようと、韓国発の色々な記事を読んでいたが、最も信憑性があるのが以下の記事だ。
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金日成主席の肖像を図案にした金日成バッジは、1970年11月、金正日国防委員長の指示で制作、普及され始められたもので、金日成個人偶像化のための重要な手段である。金正日国防委員長は、バッジが初めて制作されたとき、自分の胸にまず先に付けたと言うが、その時、金日成バッジは右側の胸ではなく、左側の胸の心臓の上に付けなければならないと指示した(朝鮮中央通信、99.10.27)
김일성 주석의 초상을 도안한 김일성 배지는 1970년 11월 김정일 국방위원장의 지시로 제작 보급하기 시작한 것으로 김일성 개인우상화를 위한 중요한 수단이다. 김정일 국방위원장은 배지가 처음 제작되었을 때 자신의 가슴에 맨 먼저 달았다고 하는데 이 때 김일성 배지는 오른쪽 가슴이 아니라 왼쪽 가슴의 심장위에 달아야 한다고 지시했다(조선중앙통신, 99.10.27)
NK朝鮮、 김일성배지(초상휘장)、http://nk.chosun.com/bbs/list.html?table=bbs_23&idxno=3877&page=3&total=247&sc_area=&sc_word=
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「朝鮮中央通信」の原文はネットで確認することはできないが、「NK朝鮮」が「朝鮮中央通信」から「将軍様」がバッジ制作を命じた時期についてまで引用しているのであれば、1971年頃からバッジの着用、普及が開始されたと考えてよいであろう。
入手したバッジの正面であるが、「首領様」の横顔が描かれている。私は、中朝国境で入手した偽物の可能性が非常に高いバッジをいくつか持っているが、いずれもアルミのような軽い金属で作られている。しかし、このバッジはアルミ製ではなく、重さを量ってみると約8グラムある。

そして、裏面を見るととても興味深いことが分かる。裏面には「在日本朝鮮人総連合会 1971」と書かれている。これは、刻印ではなく、鋳造時に描かれた文字のようで、盛り上がっている。一方、「1971」の下には、刻印された数列が残っている。初めの「19」と最後の「37」は何とか見えるのだが、その間の数字は「1971」でかぶさっており、部分的にしか残っていない。しかし、一連の数字のようで、かなりの桁数であることが分かる。

このバッジが総連の手によって日本で制作されたものかどうかは何とも言えないが、上の「NK朝鮮」の記事によれば、バッジは「万寿台創作社」で制作される「1号作品」とのことなので、朝鮮で制作して総連に引き渡されたと考えられる。「在日本朝鮮人総連合会 1971」という文字が朝鮮で制作時に付けられたのか、日本に来てから総連が付け加えたのは不明ながら、刻印ではなく盛り上がった文字なので、後付けはかなり手間が掛かるのではないだろうか。
そして、このバッジが入ってたのが桐の木箱である。この木箱の蓋にも「在日本朝鮮人総連合会 1971」と金文字で書かれている。朝鮮でも桐の木箱を使うのかどうかは不明ながら、感じとしてはこの木箱は日本で総連が制作したものではないかと思われる。

このセラーは、3つのバッジをセットにして売っていたが、2つ目は「常に準備」と書かれた「朝鮮少年団」のバッジである。このバッジもアルミ製ではないようで、小さいながら4グラム近くの重さがある。


3つめは、「首領様」の「共和国旗と太陽像」バッジである。このバッジはアルミ製で、大きいにもかかわらず重さは2グラムしかない。「太陽像」は2013年に登場しているので、比較的新しいバッジである。


さて、これらのバッジのセラーは小平市から発送している。小平市といえば、朝鮮大学校の所在地である。拙ブログでは紹介しなかったが、平壌で買ったというキーホルダーも別のセラーから購入したことがあるが、このセラーも小平市在住の朝鮮名の人であった。
そして、金日成バッジが入っている桐箱であるが、ほんのりと線香の香りがする。こうしたことからすると、金日成バッジを使っていた人物が死去し、しばらく仏壇に置いてあったバッジが、何らかの経路で流出したのではないかと思われる。
そして、一番上の「NK朝鮮」の記事の話に戻ると、「将軍様」が70年にバッジ制作の指示をしたとすれば、その直後に制作され、総連に送られてきた貴重なバッジということになる。その系からすると、少年団バッジも「太陽像」バッジも総連経由で配付された本物の可能性が高い。
「朝鮮少年団」バッジがあることから、元の所有者は朝鮮学校の先生ではないかと想像しているが、大切にしたい。
肖像徽章についておさらいをしようと、韓国発の色々な記事を読んでいたが、最も信憑性があるのが以下の記事だ。
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金日成主席の肖像を図案にした金日成バッジは、1970年11月、金正日国防委員長の指示で制作、普及され始められたもので、金日成個人偶像化のための重要な手段である。金正日国防委員長は、バッジが初めて制作されたとき、自分の胸にまず先に付けたと言うが、その時、金日成バッジは右側の胸ではなく、左側の胸の心臓の上に付けなければならないと指示した(朝鮮中央通信、99.10.27)
김일성 주석의 초상을 도안한 김일성 배지는 1970년 11월 김정일 국방위원장의 지시로 제작 보급하기 시작한 것으로 김일성 개인우상화를 위한 중요한 수단이다. 김정일 국방위원장은 배지가 처음 제작되었을 때 자신의 가슴에 맨 먼저 달았다고 하는데 이 때 김일성 배지는 오른쪽 가슴이 아니라 왼쪽 가슴의 심장위에 달아야 한다고 지시했다(조선중앙통신, 99.10.27)
NK朝鮮、 김일성배지(초상휘장)、http://nk.chosun.com/bbs/list.html?table=bbs_23&idxno=3877&page=3&total=247&sc_area=&sc_word=
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「朝鮮中央通信」の原文はネットで確認することはできないが、「NK朝鮮」が「朝鮮中央通信」から「将軍様」がバッジ制作を命じた時期についてまで引用しているのであれば、1971年頃からバッジの着用、普及が開始されたと考えてよいであろう。
入手したバッジの正面であるが、「首領様」の横顔が描かれている。私は、中朝国境で入手した偽物の可能性が非常に高いバッジをいくつか持っているが、いずれもアルミのような軽い金属で作られている。しかし、このバッジはアルミ製ではなく、重さを量ってみると約8グラムある。

そして、裏面を見るととても興味深いことが分かる。裏面には「在日本朝鮮人総連合会 1971」と書かれている。これは、刻印ではなく、鋳造時に描かれた文字のようで、盛り上がっている。一方、「1971」の下には、刻印された数列が残っている。初めの「19」と最後の「37」は何とか見えるのだが、その間の数字は「1971」でかぶさっており、部分的にしか残っていない。しかし、一連の数字のようで、かなりの桁数であることが分かる。

このバッジが総連の手によって日本で制作されたものかどうかは何とも言えないが、上の「NK朝鮮」の記事によれば、バッジは「万寿台創作社」で制作される「1号作品」とのことなので、朝鮮で制作して総連に引き渡されたと考えられる。「在日本朝鮮人総連合会 1971」という文字が朝鮮で制作時に付けられたのか、日本に来てから総連が付け加えたのは不明ながら、刻印ではなく盛り上がった文字なので、後付けはかなり手間が掛かるのではないだろうか。
そして、このバッジが入ってたのが桐の木箱である。この木箱の蓋にも「在日本朝鮮人総連合会 1971」と金文字で書かれている。朝鮮でも桐の木箱を使うのかどうかは不明ながら、感じとしてはこの木箱は日本で総連が制作したものではないかと思われる。

このセラーは、3つのバッジをセットにして売っていたが、2つ目は「常に準備」と書かれた「朝鮮少年団」のバッジである。このバッジもアルミ製ではないようで、小さいながら4グラム近くの重さがある。


3つめは、「首領様」の「共和国旗と太陽像」バッジである。このバッジはアルミ製で、大きいにもかかわらず重さは2グラムしかない。「太陽像」は2013年に登場しているので、比較的新しいバッジである。


さて、これらのバッジのセラーは小平市から発送している。小平市といえば、朝鮮大学校の所在地である。拙ブログでは紹介しなかったが、平壌で買ったというキーホルダーも別のセラーから購入したことがあるが、このセラーも小平市在住の朝鮮名の人であった。
そして、金日成バッジが入っている桐箱であるが、ほんのりと線香の香りがする。こうしたことからすると、金日成バッジを使っていた人物が死去し、しばらく仏壇に置いてあったバッジが、何らかの経路で流出したのではないかと思われる。
そして、一番上の「NK朝鮮」の記事の話に戻ると、「将軍様」が70年にバッジ制作の指示をしたとすれば、その直後に制作され、総連に送られてきた貴重なバッジということになる。その系からすると、少年団バッジも「太陽像」バッジも総連経由で配付された本物の可能性が高い。
「朝鮮少年団」バッジがあることから、元の所有者は朝鮮学校の先生ではないかと想像しているが、大切にしたい。