秋の延吉、柳京ホテル、千年白雪会館 (2018年10月18日)
先週末から今週初めにかけて、延吉と長春に行ってきた。本来は延吉にずっと滞在する予定だったのだが、参加を予定していた会議の関係で1日だけ長春での会議に参加することにした。ともあれ、丸1日、延吉での自由時間があったので、秋の延吉を充分に堪能することができた。
延吉からのレポートにも書いたように、柳京ホテルのHPが開設されている。コメントもいただいているが、既に8月の時点で開設されていたようで、その方は同HPから予約をされたようだ。柳京ホテル予約代行をするサイトもいくつかあるが、やはり直接予約した方が確実だし無駄な手数料も掛からなくてよい。私はいつも電話予約をしているが、これからはHPも活用しようと思う。
さて、その柳京ホテルであるが、宿泊客は私以外にはいなかったかいても数人であったようだ。8月もそうであったが、宿泊に関しては、依然として客は多くないようだ。
一方、レストランの方には韓国人観光客が舞い戻ってきているようである。柳京ホテルHPには「北朝鮮女性による歌謡ショー」を宣伝しているが、客がいないときはこの「歌謡ショー」はない。同志に「公演はあるのか」と尋ねてみたところ、申し訳なさそうに「ありません」と。ところが日曜日、私が外から戻り、「1階のカフェでのピアノの練習を聞きながら平壌冷麺でも食べるよ」(1階のカフェでは、毎日、同志がピアノの練習をしていた。とはいうものの、曲になっていないほど下手でまさに練習)と言ったら、「今日は公演がありますから」と舞台がある1階食堂に案内してくれた。

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/
この食堂では、かなり前に公演を見ながら食事をしたことがあるが、本当に久しぶりに入った。すると、例によって登山系の韓国人観光客の一団と延辺大学で開催された会議に参加した韓国人グループが円卓を囲んでいた。やはり、北南関係の好転で韓国人観光客が舞い戻ってきたようだ。特に、9月の文在寅平壌訪問の影響が大きかったのかも知れない。現在、韓国政府が北朝鮮食堂への出入りについてどのような指示をしているのかは未確認ながら、北朝鮮側が韓国人出入禁止規制を撤廃したことは明らかだ。
韓国人グループは、せっせと北朝鮮の外貨獲得に貢献していたが、27探査隊員(久しぶりに使うこの言葉)は、平壌冷麺(大15元、小12元、私のお腹には12元でちょうどよかった)と大同江ビールだけを軽く注文した。大同江ビールは30元だった。韓国人グループが、「平壌酒」を注文したので、こちらも注文しようと値段を聞いたら、なんと280元。限られた工作資金を千年白雪会館にも費やさなければならない状況では、諦めるしかなかった。
平壌冷麺(大15元、小12元)

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/restaurant/
同志は「冷麺がお好きなら」こちらを勧めてくれたが、どう見ても多すぎる。文在寅や「元帥様」が食べていたのは、こちらだと思う。平壌盆冷麺、28元。

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/restaurant/
柳京ホテルHPには、「220元」と書いてあるが、私の聞き違いか・・、どのみち高くて飲めないが。

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/restaurant/
韓国人グループに酒のリストを持って行った接待員同志は、「これは、盧武鉉大統領(金大中だったかも)が平壌を訪問されたとき、将軍様がとても美味しいからとお勧めしたお酒です」と「平壌ムンペ(ムンペ=ヤマナシ)酒」を勧めていた。620元ということで、流石の韓国人グループも注文しなかった。実はこの酒、何年か前に会議に参加した人々と行ったときに注文したことがあり、空瓶だけ飾ってある。味はどうだったかと言えば忘れてしまったが、「将軍様」ご推薦であれば、美味しいのであろう。
「ムンペ酒」620元

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/restaurant/
平壌冷麺を食べ終わり、追加注文した「氷川ビール」(延吉の地ビール、絶対お勧め、本物間違いなし)を飲みながらつまみ(多分無料)のピーナッツを食べていると、公演が始まった。「公演中撮影禁止」と看板が出ており、それに素直に従ったので写真はないが、例によって「嬉しいです(パンガプスムニダ)」から始まった。このところ、破格的にレベルが高い千年白雪会館の歌ばかり聞いていたこともあり、お世辞にも上手だとは言えない歌だった。しかし、中国人客がいなかったこともあり、聞きたくもない中国歌謡の演奏がないのはよかった。歌が今一つでガッカリしていると、サックスの演奏があった。よく聞く「将軍様」系の曲なのだが、曲名を忘れた曲のサックス演奏、大変よかった。これは、中国の朝鮮食堂で聞いたサックスの中で最高とも言えそうな素晴らしい演奏だった。韓国人達も「胸にしみるねぇ」と感動していた。もちろん、「胸にしみる」曲、歌はなくサックス演奏だけだったので、韓国人観光客が「将軍様」称賛歌だとは知るよしもない。素晴らしい思想浸透工作。その他の曲が民謡系の曲ばっかりだったので、27探査隊員にとっては、とても嬉しい曲であった。
続いて、千年白雪会館では見られない、踊りがあった。2階から同志が天女(だったはず)のような衣装で降りてきて踊るのだが、「朝鮮中央TV」でよく見る、小さな女の子の踊りのようでとてもかわいらしかった。この同志、8月にはいなかった新人だと思うのだがとてもフレンドリー。しかも、一人3役をこなしている。朝10時頃であったか、この同志がドアをノックして「部屋の掃除はいつしましょうか」と。この時は、ジャージのような服を着て、化粧もしていなかった。目が細いかわいらしいこの同志、朝鮮服を着て夕方に来るお客さんを入口で出迎えたり、食堂でウェイトレスをやったり、そして踊りを踊ったりと、色々な仕事をこなしていた。柳京ホテルでは、掃除も歌もウェイトレスもこなすということは知っていたが、踊りは初めてだったので、妙に感動してしまった。
公演の花束代は、柳京ホテルも50元。明朗会計ということで、これも看板に大きく金額が書かれている。韓国人グループは、花束を渡して一緒に写真を撮っていた(花束を渡せば、一緒に写真が撮れるというシステムのようだ)。サックス演奏は50元の価値があると思ったので、花束を渡したかったが、渡しそびれてしまった。公演が終わり会計をし、一度、食堂は出たのだが、やはり50元渡したかったので、食堂に戻りカウンターにいた同志に「サックス演奏がとてもよかったし、踊りもよかったが、花束を渡せなかった。サックスは本当の朝鮮の歌でとてもよかったが、南朝鮮人がいるのでもっと多くの朝鮮の歌を聞けなくて残念」と50元置いてきた。目の細い踊りを踊った同志は嬉しそうだった。
千年白雪会館は、2回行った。夕食は、1回目は英子狗肉店で食べ、2回目は上に書いた柳京ホテルで食べてからの突撃とした。英子狗肉店には、前回同様、朝鮮の同志達がいて、全て朝鮮語でことが足り、とても楽だった。英子狗肉店にも韓国人のグループがいて、テーブルを囲んでいた。軽く食べるのであれば、狗肉スープ(いわゆるポシンタン、25元)で充分。
夕食を済ませてから千年白雪会館に向かう理由は、同会館の食事が全体として高いし、量が多いからである。そもそも、1人客は想定していないようだ。1回目は、早く着きすぎ、直接3階の音楽食堂に上がった。中国人が数人いただけで、ガランとしており、同志も数人しかいなかった。9時以降に客が来ることは知っていたので想定内。とりあえず、氷川ビールと海苔(お勧め、15元で大量に出てくる)を注文し待っていると、2階から音楽が聞こえてきた。カウンターの同志に「2階に行って公演を聞いてくる」と言って降りて行き公演を聞いたが、全体として中国人向けの曲が多く、今一つだった。前回、「日本語を一生懸命勉強する」約束の指切りげんまんをした同志が歌っており、こちらをチラチラと見ていた。公演が終わると、こちらにやってきて、日本語で「こんばんは」と。何ともかわいらしい。
布爾哈通河の橋から眺める千年白雪会館。右側の低いビルの下辺りに位置する。知る人にはネオンも見えるはず。

「上で注文したものを持って来ますか」というので、上に戻ると3階に戻った。それが7時半過ぎになるのだが、ここから延々と9時過ぎまでビールを飲みながら一人で時間を潰すのはかなり辛い。同志もいるのだが、ビールはキャリアのようなものに入れて一気に3本持って来てテーブルの横に置いていくので、呼びつけて話をするきっかけもなかなか掴めない。7時台の2階の公演を放棄し、9時以降に来るという手もあるのだが、今回思ったことは、そうするとステージに近いよい席は取られてしまい、下手をするとステージがまともに見えない隅の方の席になってしまう。今回、1日目は、韓国人の団体が2グループ、日本人の団体が1グループやって来てかなり混み合い、ステージの真正面のボックス席(詰めれば8人掛け)を一人で占有し、15元の海苔と最も安い氷川ビールを飲み続けていることに多少の罪悪感を感じ、同志に「混んできたから別の席に移ります」と言ったら、「いいんですよ、ここに座っていてください」と、相席にすることもなく、ずっとスペースを占有させてくれた。
9時過ぎになると2階から同志達が上がってきた。1日目は、その頃にはかなりの客が入っていたこともあり、上がって来るなり1回目の公演があった。公演では客層に合わせ、革命的朝鮮曲は少なく、民謡や中国歌謡を歌っていた。ということは、27探査隊員にはつまらない公演ということになる。公演が終わると、指切りげんまんの同志がやって来た。今回は初めからノート持参で、新しいノートを持っていた。「『こんばんは』が言えたから、約束は守れたみたいだね」というと、「こんなに勉強しました」と日本語の勉強の痕跡が残る新しいノートを見せてくれた。前に見せてくれた学習帳がボロかったので、100均のノートを「本当は、教科書や辞書を持って来て上げようと思ったのだけど、思想精神的に悪い内容が書いてあると困るのでやめておいた。学習帳なら空白だから問題なだろう」とお土産に持って行った北海道ミルクキャンディー(これも100均)と一緒に手渡した。すると、北海道ミルクキャンディーの袋に書いてあるひらがなを読み始めた。
違うかもしれないが、イメージとしてこんな感じ。

しばらく、キャンディー袋のひらがなを読んだ後、「どのように勉強したらよいのかよく分からないです」と言うので、「教科書はないのか」というと、下に降りていって教科書を持って来た。「朝鮮から持って来たのか」と聞くと、「ここで買いました」と。見れば、朝鮮族向けの朝鮮語と日本で書かれた『ビジネス日本語(初級)』なる本。確かに「あいうえお」から勉強できるような構成にはなっているものの、独習には適さない本だった。前回見せてくれた学習帳には、そこから適宜抜き出した語彙や挨拶言葉がランダムに書き込まれていた。「どう勉強したら良いですか」というので、「朝鮮語と日本語は似ているから、とりあえず助詞を覚えれば色々なことが言えるようになる」と学習帳に日本語と朝鮮語の助詞対比リストを書いてやった。中国語は勉強しており、漢字の意味は分かるので、今度は北海道ミルクキャンディーの袋に書いてある日本語の意味を助詞対照リストを見ながら朝鮮語に訳して言い出した。カタカナは勉強不足で、「ミルクキャンディー」は読めなかったが。これは宿題。
一通り読み終わると、今度は、自分の言いたいことを助詞対比リストを見ながら言い出した。ところが、基本的な語彙すらほとんど知らないので、いちいち「日本語では何ですか」とやっていくので、一文言い切るのになかなか時間がかかる。なかなか大変だったが、最後に言った文は、「わたしは かわぐちせんせいを まちます」と。学習帳に名字を書いたので覚えていてくれたのだろうが、27探査隊員をとても喜ばせた。文法的に多少おかしいので、職業柄、一応指摘はしたものの、そんなことはどうでもよい。「文法の教科書はないのか」と聞くと、「あるのですが・・・」と。
通常、この種の場所では名刺は配らないのだが、この同志には名刺を渡した。すると「国際関係の先生ですね。朝鮮は統一するでしょうか」と質問してきた。こちらから仕掛けることはあるものの、朝鮮人からこのような政治的な質問をされるのは初めてで、これにも驚かされた。もちろん、9月平壌北南首脳会談の成果の反映ではあろうが、身近で1年前との違いをこれほど感じさせられるとは思わなかった。しかし油断大敵。無難な答えとしては、「元帥様の賢明な領導に従い前進していけば、統一のその日も遠からず訪れることでしょう」なのだろうが、「国際関係の先生」ということで、多少色を付け「南朝鮮は資本主義、朝鮮は社会主義と思想・制度が違うので直ぐに統一するのは難しいです。首領様が提示された高麗連邦共和国のような一国二制度の体制が先でしょう。しかし、何よりも北南が和解することが一番大切です」と回答をしておいた。
この間、ほぼ1時間。周りの同志達は動き回っているのに、この同志だけはずっと27探査隊員につきっきりだったが、2回目の公演が始まるということで準備に入った。ところが、公演が始まらない。しばらくすると、2階から音が聞こえてきた。時間的には2階はとっくに閉店しているはずなのだが、大人数の客が来たからなのか、閉店時間を延長したようだ。カウンターの同志に再び2階の公演を聞いてくると伝えて降りていき、公演を聞いた。中国人のグループだったようで、中国系の楽曲を主に歌っていた。かなり混み合っているのに3階の席をキープして、2階に降りていくという大胆不敵な行為。親善的日本人民だからこそなせる技である。
2階の公演が終わりしばらくすると、また同志が上がってきたので、「元帥様が三池淵管弦楽団劇場を現地指導されましたね」と話題を振ってみた。すると「その報道は見ました」と。その系で「共和国創建70周年慶祝公演で歌われた新曲、知ってますか」と聞いたら、知らなかった。地味な曲だからなのだろうか、あまり知られていないようだ。
そうこうしているうちに、朝鮮族が歌い出し、続いて韓国人も歌い、「歌いませんか」と誘われるままに、12時頃まで3曲歌った。前回のような「延吉労働党亭」状態にはならなかったが、お決まりの「金日成将軍の歌」を歌っている人はいた。その間、ビールは何本飲んだのだろうか。3本入りのキャリアが2回は来たので、6本は飲んでいるはずである。そして会計、歌だけでも150元のはずのところを親善的日本人民に対する同志愛的な破格で済ませてくれた(これなら毎日でも来られる)。同志に「明後日また来る」と言いながら店を出る。
延吉では、丸1日時間があったと上に書いたが、この日は帽儿山(モア山)に登ってみた。いつも、延吉空港から見て気になっていたのだが、会議詰めの日程ではなかなか行く機会がなかった。最近、体力を回復するために近所の里山をよく歩いているのだが、その力試しも兼ねて柳京ホテルから帽儿山に登り柳京ホテルに戻るという徒歩旅行をしてみた。
柳京ホテルを11時頃出て、約12キロの道程を歩いて帽儿山頂上に3時半頃到着した。名前のとおり帽子のような形の山なので、最後の登りがきつかったが、トレーニングの成果があり、人々を追い抜きながら頂上に到達できた。途中、道を間違えて大豆畑に迷い込んだ。何を取っていたのか分からないが、何人かの人々が収穫が終わった大豆畑で何かを拾っていた。乾いた枝豆の中の豆でも取っていたのかもしれないが、朝鮮人民でもない中国人が、落ち穂拾いをする必要もなさそうだが。下は行きの道筋。帰りは迷わずストレートに延吉駅横の道を通って帰った。「苦難の行軍」をしたくなければ、帽儿山の登山口までたくさんのバスが走っているので、それを利用すればよい。

Source: Google Earth
大豆畑付近から見た延吉

迷い込んだ森は紅葉してきれいだった。

左側の池の先にあるのが延吉空港

帽儿山国家山林公園紹介:
伝えられるところによれば、帽儿山は渤海時期の烽火台だったという。火山岩が積み上がり、外形が麦わら帽子のようなので、帽儿山という名前が付けられたという。
延吉市の南側10kmに位置しており、ヘラン江と布爾哈通河の間に位置しており、天然の展望台である。海抜517mで、周囲の面積は1517ヘクタールである。1992年に国家級山林公園として選定され、山の中には高木、低木など、300種あまりの野生植物が育ち、山ウサギ、リス、ヘビなどの動物が自生している。

昼食を抜いての「苦難の行軍」だったので、柳京ホテルに戻る前に上に書いた英子狗肉食堂に直行した。その後、一度ホテルに戻り、時間潰しのために2階の食堂で大同江ビールを1本飲み、千年白雪会館へと向かった。(1回目)
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<追記>
1回目の翌日は、長春に高速鉄道で向かった。隣の席に大きなスーツケースを2つ持ったオバサンが来て、スーツケースを棚にも置かず、超迷惑状態で座った。中国語でゴチャゴチャ言ってくるが、訳が分からない。そのうちに、息子と携帯で話を始めたのだが、それが朝鮮語。電話が切れた後、朝鮮語で「さっきは何を言ったんだ?」と尋ねてみると、「狭くして申し訳ない」と言ったと。まあ、言葉が通じれば、迷惑も迷惑ではなくなるというもの。その後、自分が持って来たインスタントコーヒーを一緒に飲もうと、どこかからお湯と紙コップを調達してきてくれた。実は、この日は列車内で長春での仕事に使うパワポの修正を行う予定だったのだが、1時間以上、このオバサンと話をすることになった。その後、途中駅から3人掛けの席を予約した男性一人が来て、オバサン、「悪いけど、真ん中に座ってください」と私に。まあ、仲良くなったこともあり、キチキチの席に座っていった。オバサン、「今度、延吉に来たら連絡して」と、ウェイチャットに記録を残そうとするも、こちらのパッドにはウェイチャットは入っていないので、オバサンの名前とスマホの番号を聞き、こちらの名刺を渡しておいた。
27探査隊員心得:コーヒーは、一応、オバサン側に置かれた粉末パックをしらばっくれて取り、オバサンがコーヒーを口にするまで、飲むふりだけ。工作員としては、睡眠強盗に遭遇しないための基本動作。
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さて、2回目の千年白雪会館であるが、同志に日本語文法の本を買ってやろうと思い市中心部にある新華書店に立ち寄った。現在、国営なのか民営なのかは分からないが、建物自体は改革開放前そのままのような感じの本屋だ。なぜか、従業員は朝鮮族が多く、どの階に行っても朝鮮語で話している。語学の本がどこにあるのかと聞くと、1階だと。日本語学習コーナーはあるのだが、置かれている本の99%は中国語で日本語を学ぶための本。朝鮮語で学べるものは同志が持っていた『ビジネス日本語』シリーズと日本語文法シリーズ。独習は厳しそうな構成だったが、せっかく来たのだし、16元だったのでお土産に買った。
その日も3階の音楽食堂に直行したのだが、1回目と比べものにならないほど人がいなかった。同志達もほとんど2階の食道におり、ガランとしていた。朝鮮族の2人組がいたので、観察していたらなかなか面白かった。朝鮮族の親分格の男が、一人の同志を執拗に呼びつけて話をしている。横柄な言葉遣いであるが、どうやらこの同志のお得意さんのようだ。同志が両手で頬の辺りを押さえているのでどうしたのかと思って話を聞いていると、親知らずが痛いということのようだ。朝鮮族の男は、「俺が良い歯医者を知っているから連れてってやる」というようなことを言っているが、男がかなり酔っていることもあり、言葉がはっきりしない。そういうことが可能なのかどうかは不明ながら、男はその話ずっと同志にしていた。
この日は9時を過ぎても2階の同志達が上がってこない。しばらくすると、少しずつ上がっては来るが、指切りげんまんの同志が来ないので、9時半を過ぎた辺りで帰ろうと思った。最後のビールを空けようとしていると、「今日は下が混んでいました」と指切りの同志が上がってきた。そこで、ふと気付いたのだが、3階の音楽食堂はどうやらパブに近い運営をしており、お得意さんには、虫歯の同志もしかり、特定の同志が奉仕するようになっているようだ。
同志に聞かせようと、YouTubeにアップロードした新曲の『ああ、慈愛深い父』をダウンロードしてパッドに入れておいた。聞かせてもやはり歌詞を覚えていないようで、サビの部分以外は歌えてなかった。
文法の本を見せると、「その本は持っています」と。まあ、選択肢が限られる中、持っていても不思議ではない。「持っているのですが、何をどう勉強したら良いのか分かりません」と言うものの、27探査隊員にも名案はない。仕方がないので、その日は数字の勉強をすることにした。基本的に漢字語の数詞と固有語の数詞をゴチャゴチャにして覚えているので、簡単で応用範囲が広い漢字語の数詞を一から兆まで言えるように学習帳に書き込みながら学習した。この日も周囲を無視しながら、40分ぐらい日本語学習に熱中していたであろうか、1度目の3階公演が始まるまでずっとやっていた。
1度目の3階公演が始まる頃になると、2階から上がってくる客も含めて、客の数が増えていた。この日も韓国人のグループが2組ほど来ていた。ところが、1度目の公演が終わるも、誰もカラオケをやり出さない。画面音楽では、27探査隊員がよく歌う『告白』を何回も流している。どうやら、27探査隊員にカラオケの火付け役をやらせたいようで、指切りの同志が「歌いませんか」と誘ってくる。『告白』で誘っているが、同じ曲を日は違えど同じ訪問時に2回歌うのも何だと、朝鮮曲リストを持って来てもらった。モランボン楽団時代の新曲は別途リストにあり、「将軍様」時代の楽曲はたくさん冊子にある。敢えて『ああ、慈悲深い父』を歌いたいと言ってみると、「その曲は、次に来られるときまでに準備しておきます」と。仕方がないので『高くたなびけ、我々の党旗よ』を歌ったら、韓国人民が盛り上がっていた。聞こえた限りでは、「韓国人でもなし、朝鮮族でもなし、日本人なのか」というようなことを言っていた。カラオケは、いつも指切り同志がハモってくれるので、下手くそな27探査隊員の歌もそれなりに上手く聞こえる。
この火付けが効いたのか、韓国人が歌ったり、同志にリクエストしたりと、商売繁盛に貢献した。盛り上がりが一段落すると、また「歌いませんか」と来るので、今回の探査のフィナーレとして『行こう、白頭山へ』を歌ったら、これまた北南平壌首脳会談の効果もあり、韓国人がかなり盛り上がっていた。ついには、私の所に名刺を持って挨拶に来たが、この時は名刺を持ち合わせていなかったので、こちらの名刺を渡すことができなかった。見れば、韓国の社会科学系研究機関の偉いさん、延辺大学で開催された会議の関係で来ていたようだ。
12時近くになり、まだまだ盛り上がりは続いていたが、翌日の飛行機に遅れるわけにも行かないので、指切りの同志に「来年また会おう」と惜別の挨拶をしながら千年白雪会館を後にした。会計は、例によって友好的日本人民価格。1度目よりもさらに下がっていた。
千年白雪会館を12時に出て徒歩で柳京ホテルに帰ると、毎度、回転ドアに鍵が掛けられている。ガタガタと押すと年寄りの男性が来て鍵を開けてくれる。この同志、朝鮮族なのか朝鮮人なのかは分からないが、顔を合わせると挨拶をするぐらいになった。
翌日は、既に記事にした偽AIBOを見ながら帰国したが、今回は、会議参加でトラブルがあったものの、いつになく有意義な延吉旅行だった。
「来年」と言ったものの、真冬の寒い時期にまた行きたいと思っている。
<追記>
一つ思いだした。ロシア人も数人いて、彼らのためにロシア語で『モスクワ郊外の夕べ』を披露していた。ロシア語が上手いのか下手なのかは判断できないが、ロシア人が出てきて踊っていたので、恐らくは上手だったのだろう。青峰楽団並のマルチ・ナショナル楽曲対応のようだ。
延吉からのレポートにも書いたように、柳京ホテルのHPが開設されている。コメントもいただいているが、既に8月の時点で開設されていたようで、その方は同HPから予約をされたようだ。柳京ホテル予約代行をするサイトもいくつかあるが、やはり直接予約した方が確実だし無駄な手数料も掛からなくてよい。私はいつも電話予約をしているが、これからはHPも活用しようと思う。
さて、その柳京ホテルであるが、宿泊客は私以外にはいなかったかいても数人であったようだ。8月もそうであったが、宿泊に関しては、依然として客は多くないようだ。
一方、レストランの方には韓国人観光客が舞い戻ってきているようである。柳京ホテルHPには「北朝鮮女性による歌謡ショー」を宣伝しているが、客がいないときはこの「歌謡ショー」はない。同志に「公演はあるのか」と尋ねてみたところ、申し訳なさそうに「ありません」と。ところが日曜日、私が外から戻り、「1階のカフェでのピアノの練習を聞きながら平壌冷麺でも食べるよ」(1階のカフェでは、毎日、同志がピアノの練習をしていた。とはいうものの、曲になっていないほど下手でまさに練習)と言ったら、「今日は公演がありますから」と舞台がある1階食堂に案内してくれた。

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/
この食堂では、かなり前に公演を見ながら食事をしたことがあるが、本当に久しぶりに入った。すると、例によって登山系の韓国人観光客の一団と延辺大学で開催された会議に参加した韓国人グループが円卓を囲んでいた。やはり、北南関係の好転で韓国人観光客が舞い戻ってきたようだ。特に、9月の文在寅平壌訪問の影響が大きかったのかも知れない。現在、韓国政府が北朝鮮食堂への出入りについてどのような指示をしているのかは未確認ながら、北朝鮮側が韓国人出入禁止規制を撤廃したことは明らかだ。
韓国人グループは、せっせと北朝鮮の外貨獲得に貢献していたが、27探査隊員(久しぶりに使うこの言葉)は、平壌冷麺(大15元、小12元、私のお腹には12元でちょうどよかった)と大同江ビールだけを軽く注文した。大同江ビールは30元だった。韓国人グループが、「平壌酒」を注文したので、こちらも注文しようと値段を聞いたら、なんと280元。限られた工作資金を千年白雪会館にも費やさなければならない状況では、諦めるしかなかった。
平壌冷麺(大15元、小12元)

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/restaurant/
同志は「冷麺がお好きなら」こちらを勧めてくれたが、どう見ても多すぎる。文在寅や「元帥様」が食べていたのは、こちらだと思う。平壌盆冷麺、28元。

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/restaurant/
柳京ホテルHPには、「220元」と書いてあるが、私の聞き違いか・・、どのみち高くて飲めないが。

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/restaurant/
韓国人グループに酒のリストを持って行った接待員同志は、「これは、盧武鉉大統領(金大中だったかも)が平壌を訪問されたとき、将軍様がとても美味しいからとお勧めしたお酒です」と「平壌ムンペ(ムンペ=ヤマナシ)酒」を勧めていた。620元ということで、流石の韓国人グループも注文しなかった。実はこの酒、何年か前に会議に参加した人々と行ったときに注文したことがあり、空瓶だけ飾ってある。味はどうだったかと言えば忘れてしまったが、「将軍様」ご推薦であれば、美味しいのであろう。
「ムンペ酒」620元

Source: 柳京ホテルHP、https://ryugyong.pvt7.com/restaurant/
平壌冷麺を食べ終わり、追加注文した「氷川ビール」(延吉の地ビール、絶対お勧め、本物間違いなし)を飲みながらつまみ(多分無料)のピーナッツを食べていると、公演が始まった。「公演中撮影禁止」と看板が出ており、それに素直に従ったので写真はないが、例によって「嬉しいです(パンガプスムニダ)」から始まった。このところ、破格的にレベルが高い千年白雪会館の歌ばかり聞いていたこともあり、お世辞にも上手だとは言えない歌だった。しかし、中国人客がいなかったこともあり、聞きたくもない中国歌謡の演奏がないのはよかった。歌が今一つでガッカリしていると、サックスの演奏があった。よく聞く「将軍様」系の曲なのだが、曲名を忘れた曲のサックス演奏、大変よかった。これは、中国の朝鮮食堂で聞いたサックスの中で最高とも言えそうな素晴らしい演奏だった。韓国人達も「胸にしみるねぇ」と感動していた。もちろん、「胸にしみる」曲、歌はなくサックス演奏だけだったので、韓国人観光客が「将軍様」称賛歌だとは知るよしもない。素晴らしい思想浸透工作。その他の曲が民謡系の曲ばっかりだったので、27探査隊員にとっては、とても嬉しい曲であった。
続いて、千年白雪会館では見られない、踊りがあった。2階から同志が天女(だったはず)のような衣装で降りてきて踊るのだが、「朝鮮中央TV」でよく見る、小さな女の子の踊りのようでとてもかわいらしかった。この同志、8月にはいなかった新人だと思うのだがとてもフレンドリー。しかも、一人3役をこなしている。朝10時頃であったか、この同志がドアをノックして「部屋の掃除はいつしましょうか」と。この時は、ジャージのような服を着て、化粧もしていなかった。目が細いかわいらしいこの同志、朝鮮服を着て夕方に来るお客さんを入口で出迎えたり、食堂でウェイトレスをやったり、そして踊りを踊ったりと、色々な仕事をこなしていた。柳京ホテルでは、掃除も歌もウェイトレスもこなすということは知っていたが、踊りは初めてだったので、妙に感動してしまった。
公演の花束代は、柳京ホテルも50元。明朗会計ということで、これも看板に大きく金額が書かれている。韓国人グループは、花束を渡して一緒に写真を撮っていた(花束を渡せば、一緒に写真が撮れるというシステムのようだ)。サックス演奏は50元の価値があると思ったので、花束を渡したかったが、渡しそびれてしまった。公演が終わり会計をし、一度、食堂は出たのだが、やはり50元渡したかったので、食堂に戻りカウンターにいた同志に「サックス演奏がとてもよかったし、踊りもよかったが、花束を渡せなかった。サックスは本当の朝鮮の歌でとてもよかったが、南朝鮮人がいるのでもっと多くの朝鮮の歌を聞けなくて残念」と50元置いてきた。目の細い踊りを踊った同志は嬉しそうだった。
千年白雪会館は、2回行った。夕食は、1回目は英子狗肉店で食べ、2回目は上に書いた柳京ホテルで食べてからの突撃とした。英子狗肉店には、前回同様、朝鮮の同志達がいて、全て朝鮮語でことが足り、とても楽だった。英子狗肉店にも韓国人のグループがいて、テーブルを囲んでいた。軽く食べるのであれば、狗肉スープ(いわゆるポシンタン、25元)で充分。
夕食を済ませてから千年白雪会館に向かう理由は、同会館の食事が全体として高いし、量が多いからである。そもそも、1人客は想定していないようだ。1回目は、早く着きすぎ、直接3階の音楽食堂に上がった。中国人が数人いただけで、ガランとしており、同志も数人しかいなかった。9時以降に客が来ることは知っていたので想定内。とりあえず、氷川ビールと海苔(お勧め、15元で大量に出てくる)を注文し待っていると、2階から音楽が聞こえてきた。カウンターの同志に「2階に行って公演を聞いてくる」と言って降りて行き公演を聞いたが、全体として中国人向けの曲が多く、今一つだった。前回、「日本語を一生懸命勉強する」約束の指切りげんまんをした同志が歌っており、こちらをチラチラと見ていた。公演が終わると、こちらにやってきて、日本語で「こんばんは」と。何ともかわいらしい。
布爾哈通河の橋から眺める千年白雪会館。右側の低いビルの下辺りに位置する。知る人にはネオンも見えるはず。

「上で注文したものを持って来ますか」というので、上に戻ると3階に戻った。それが7時半過ぎになるのだが、ここから延々と9時過ぎまでビールを飲みながら一人で時間を潰すのはかなり辛い。同志もいるのだが、ビールはキャリアのようなものに入れて一気に3本持って来てテーブルの横に置いていくので、呼びつけて話をするきっかけもなかなか掴めない。7時台の2階の公演を放棄し、9時以降に来るという手もあるのだが、今回思ったことは、そうするとステージに近いよい席は取られてしまい、下手をするとステージがまともに見えない隅の方の席になってしまう。今回、1日目は、韓国人の団体が2グループ、日本人の団体が1グループやって来てかなり混み合い、ステージの真正面のボックス席(詰めれば8人掛け)を一人で占有し、15元の海苔と最も安い氷川ビールを飲み続けていることに多少の罪悪感を感じ、同志に「混んできたから別の席に移ります」と言ったら、「いいんですよ、ここに座っていてください」と、相席にすることもなく、ずっとスペースを占有させてくれた。
9時過ぎになると2階から同志達が上がってきた。1日目は、その頃にはかなりの客が入っていたこともあり、上がって来るなり1回目の公演があった。公演では客層に合わせ、革命的朝鮮曲は少なく、民謡や中国歌謡を歌っていた。ということは、27探査隊員にはつまらない公演ということになる。公演が終わると、指切りげんまんの同志がやって来た。今回は初めからノート持参で、新しいノートを持っていた。「『こんばんは』が言えたから、約束は守れたみたいだね」というと、「こんなに勉強しました」と日本語の勉強の痕跡が残る新しいノートを見せてくれた。前に見せてくれた学習帳がボロかったので、100均のノートを「本当は、教科書や辞書を持って来て上げようと思ったのだけど、思想精神的に悪い内容が書いてあると困るのでやめておいた。学習帳なら空白だから問題なだろう」とお土産に持って行った北海道ミルクキャンディー(これも100均)と一緒に手渡した。すると、北海道ミルクキャンディーの袋に書いてあるひらがなを読み始めた。
違うかもしれないが、イメージとしてこんな感じ。

しばらく、キャンディー袋のひらがなを読んだ後、「どのように勉強したらよいのかよく分からないです」と言うので、「教科書はないのか」というと、下に降りていって教科書を持って来た。「朝鮮から持って来たのか」と聞くと、「ここで買いました」と。見れば、朝鮮族向けの朝鮮語と日本で書かれた『ビジネス日本語(初級)』なる本。確かに「あいうえお」から勉強できるような構成にはなっているものの、独習には適さない本だった。前回見せてくれた学習帳には、そこから適宜抜き出した語彙や挨拶言葉がランダムに書き込まれていた。「どう勉強したら良いですか」というので、「朝鮮語と日本語は似ているから、とりあえず助詞を覚えれば色々なことが言えるようになる」と学習帳に日本語と朝鮮語の助詞対比リストを書いてやった。中国語は勉強しており、漢字の意味は分かるので、今度は北海道ミルクキャンディーの袋に書いてある日本語の意味を助詞対照リストを見ながら朝鮮語に訳して言い出した。カタカナは勉強不足で、「ミルクキャンディー」は読めなかったが。これは宿題。
一通り読み終わると、今度は、自分の言いたいことを助詞対比リストを見ながら言い出した。ところが、基本的な語彙すらほとんど知らないので、いちいち「日本語では何ですか」とやっていくので、一文言い切るのになかなか時間がかかる。なかなか大変だったが、最後に言った文は、「わたしは かわぐちせんせいを まちます」と。学習帳に名字を書いたので覚えていてくれたのだろうが、27探査隊員をとても喜ばせた。文法的に多少おかしいので、職業柄、一応指摘はしたものの、そんなことはどうでもよい。「文法の教科書はないのか」と聞くと、「あるのですが・・・」と。
通常、この種の場所では名刺は配らないのだが、この同志には名刺を渡した。すると「国際関係の先生ですね。朝鮮は統一するでしょうか」と質問してきた。こちらから仕掛けることはあるものの、朝鮮人からこのような政治的な質問をされるのは初めてで、これにも驚かされた。もちろん、9月平壌北南首脳会談の成果の反映ではあろうが、身近で1年前との違いをこれほど感じさせられるとは思わなかった。しかし油断大敵。無難な答えとしては、「元帥様の賢明な領導に従い前進していけば、統一のその日も遠からず訪れることでしょう」なのだろうが、「国際関係の先生」ということで、多少色を付け「南朝鮮は資本主義、朝鮮は社会主義と思想・制度が違うので直ぐに統一するのは難しいです。首領様が提示された高麗連邦共和国のような一国二制度の体制が先でしょう。しかし、何よりも北南が和解することが一番大切です」と回答をしておいた。
この間、ほぼ1時間。周りの同志達は動き回っているのに、この同志だけはずっと27探査隊員につきっきりだったが、2回目の公演が始まるということで準備に入った。ところが、公演が始まらない。しばらくすると、2階から音が聞こえてきた。時間的には2階はとっくに閉店しているはずなのだが、大人数の客が来たからなのか、閉店時間を延長したようだ。カウンターの同志に再び2階の公演を聞いてくると伝えて降りていき、公演を聞いた。中国人のグループだったようで、中国系の楽曲を主に歌っていた。かなり混み合っているのに3階の席をキープして、2階に降りていくという大胆不敵な行為。親善的日本人民だからこそなせる技である。
2階の公演が終わりしばらくすると、また同志が上がってきたので、「元帥様が三池淵管弦楽団劇場を現地指導されましたね」と話題を振ってみた。すると「その報道は見ました」と。その系で「共和国創建70周年慶祝公演で歌われた新曲、知ってますか」と聞いたら、知らなかった。地味な曲だからなのだろうか、あまり知られていないようだ。
そうこうしているうちに、朝鮮族が歌い出し、続いて韓国人も歌い、「歌いませんか」と誘われるままに、12時頃まで3曲歌った。前回のような「延吉労働党亭」状態にはならなかったが、お決まりの「金日成将軍の歌」を歌っている人はいた。その間、ビールは何本飲んだのだろうか。3本入りのキャリアが2回は来たので、6本は飲んでいるはずである。そして会計、歌だけでも150元のはずのところを親善的日本人民に対する同志愛的な破格で済ませてくれた(これなら毎日でも来られる)。同志に「明後日また来る」と言いながら店を出る。
延吉では、丸1日時間があったと上に書いたが、この日は帽儿山(モア山)に登ってみた。いつも、延吉空港から見て気になっていたのだが、会議詰めの日程ではなかなか行く機会がなかった。最近、体力を回復するために近所の里山をよく歩いているのだが、その力試しも兼ねて柳京ホテルから帽儿山に登り柳京ホテルに戻るという徒歩旅行をしてみた。
柳京ホテルを11時頃出て、約12キロの道程を歩いて帽儿山頂上に3時半頃到着した。名前のとおり帽子のような形の山なので、最後の登りがきつかったが、トレーニングの成果があり、人々を追い抜きながら頂上に到達できた。途中、道を間違えて大豆畑に迷い込んだ。何を取っていたのか分からないが、何人かの人々が収穫が終わった大豆畑で何かを拾っていた。乾いた枝豆の中の豆でも取っていたのかもしれないが、朝鮮人民でもない中国人が、落ち穂拾いをする必要もなさそうだが。下は行きの道筋。帰りは迷わずストレートに延吉駅横の道を通って帰った。「苦難の行軍」をしたくなければ、帽儿山の登山口までたくさんのバスが走っているので、それを利用すればよい。

Source: Google Earth
大豆畑付近から見た延吉

迷い込んだ森は紅葉してきれいだった。

左側の池の先にあるのが延吉空港

帽儿山国家山林公園紹介:
伝えられるところによれば、帽儿山は渤海時期の烽火台だったという。火山岩が積み上がり、外形が麦わら帽子のようなので、帽儿山という名前が付けられたという。
延吉市の南側10kmに位置しており、ヘラン江と布爾哈通河の間に位置しており、天然の展望台である。海抜517mで、周囲の面積は1517ヘクタールである。1992年に国家級山林公園として選定され、山の中には高木、低木など、300種あまりの野生植物が育ち、山ウサギ、リス、ヘビなどの動物が自生している。

昼食を抜いての「苦難の行軍」だったので、柳京ホテルに戻る前に上に書いた英子狗肉食堂に直行した。その後、一度ホテルに戻り、時間潰しのために2階の食堂で大同江ビールを1本飲み、千年白雪会館へと向かった。(1回目)
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<追記>
1回目の翌日は、長春に高速鉄道で向かった。隣の席に大きなスーツケースを2つ持ったオバサンが来て、スーツケースを棚にも置かず、超迷惑状態で座った。中国語でゴチャゴチャ言ってくるが、訳が分からない。そのうちに、息子と携帯で話を始めたのだが、それが朝鮮語。電話が切れた後、朝鮮語で「さっきは何を言ったんだ?」と尋ねてみると、「狭くして申し訳ない」と言ったと。まあ、言葉が通じれば、迷惑も迷惑ではなくなるというもの。その後、自分が持って来たインスタントコーヒーを一緒に飲もうと、どこかからお湯と紙コップを調達してきてくれた。実は、この日は列車内で長春での仕事に使うパワポの修正を行う予定だったのだが、1時間以上、このオバサンと話をすることになった。その後、途中駅から3人掛けの席を予約した男性一人が来て、オバサン、「悪いけど、真ん中に座ってください」と私に。まあ、仲良くなったこともあり、キチキチの席に座っていった。オバサン、「今度、延吉に来たら連絡して」と、ウェイチャットに記録を残そうとするも、こちらのパッドにはウェイチャットは入っていないので、オバサンの名前とスマホの番号を聞き、こちらの名刺を渡しておいた。
27探査隊員心得:コーヒーは、一応、オバサン側に置かれた粉末パックをしらばっくれて取り、オバサンがコーヒーを口にするまで、飲むふりだけ。工作員としては、睡眠強盗に遭遇しないための基本動作。
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さて、2回目の千年白雪会館であるが、同志に日本語文法の本を買ってやろうと思い市中心部にある新華書店に立ち寄った。現在、国営なのか民営なのかは分からないが、建物自体は改革開放前そのままのような感じの本屋だ。なぜか、従業員は朝鮮族が多く、どの階に行っても朝鮮語で話している。語学の本がどこにあるのかと聞くと、1階だと。日本語学習コーナーはあるのだが、置かれている本の99%は中国語で日本語を学ぶための本。朝鮮語で学べるものは同志が持っていた『ビジネス日本語』シリーズと日本語文法シリーズ。独習は厳しそうな構成だったが、せっかく来たのだし、16元だったのでお土産に買った。
その日も3階の音楽食堂に直行したのだが、1回目と比べものにならないほど人がいなかった。同志達もほとんど2階の食道におり、ガランとしていた。朝鮮族の2人組がいたので、観察していたらなかなか面白かった。朝鮮族の親分格の男が、一人の同志を執拗に呼びつけて話をしている。横柄な言葉遣いであるが、どうやらこの同志のお得意さんのようだ。同志が両手で頬の辺りを押さえているのでどうしたのかと思って話を聞いていると、親知らずが痛いということのようだ。朝鮮族の男は、「俺が良い歯医者を知っているから連れてってやる」というようなことを言っているが、男がかなり酔っていることもあり、言葉がはっきりしない。そういうことが可能なのかどうかは不明ながら、男はその話ずっと同志にしていた。
この日は9時を過ぎても2階の同志達が上がってこない。しばらくすると、少しずつ上がっては来るが、指切りげんまんの同志が来ないので、9時半を過ぎた辺りで帰ろうと思った。最後のビールを空けようとしていると、「今日は下が混んでいました」と指切りの同志が上がってきた。そこで、ふと気付いたのだが、3階の音楽食堂はどうやらパブに近い運営をしており、お得意さんには、虫歯の同志もしかり、特定の同志が奉仕するようになっているようだ。
同志に聞かせようと、YouTubeにアップロードした新曲の『ああ、慈愛深い父』をダウンロードしてパッドに入れておいた。聞かせてもやはり歌詞を覚えていないようで、サビの部分以外は歌えてなかった。
文法の本を見せると、「その本は持っています」と。まあ、選択肢が限られる中、持っていても不思議ではない。「持っているのですが、何をどう勉強したら良いのか分かりません」と言うものの、27探査隊員にも名案はない。仕方がないので、その日は数字の勉強をすることにした。基本的に漢字語の数詞と固有語の数詞をゴチャゴチャにして覚えているので、簡単で応用範囲が広い漢字語の数詞を一から兆まで言えるように学習帳に書き込みながら学習した。この日も周囲を無視しながら、40分ぐらい日本語学習に熱中していたであろうか、1度目の3階公演が始まるまでずっとやっていた。
1度目の3階公演が始まる頃になると、2階から上がってくる客も含めて、客の数が増えていた。この日も韓国人のグループが2組ほど来ていた。ところが、1度目の公演が終わるも、誰もカラオケをやり出さない。画面音楽では、27探査隊員がよく歌う『告白』を何回も流している。どうやら、27探査隊員にカラオケの火付け役をやらせたいようで、指切りの同志が「歌いませんか」と誘ってくる。『告白』で誘っているが、同じ曲を日は違えど同じ訪問時に2回歌うのも何だと、朝鮮曲リストを持って来てもらった。モランボン楽団時代の新曲は別途リストにあり、「将軍様」時代の楽曲はたくさん冊子にある。敢えて『ああ、慈悲深い父』を歌いたいと言ってみると、「その曲は、次に来られるときまでに準備しておきます」と。仕方がないので『高くたなびけ、我々の党旗よ』を歌ったら、韓国人民が盛り上がっていた。聞こえた限りでは、「韓国人でもなし、朝鮮族でもなし、日本人なのか」というようなことを言っていた。カラオケは、いつも指切り同志がハモってくれるので、下手くそな27探査隊員の歌もそれなりに上手く聞こえる。
この火付けが効いたのか、韓国人が歌ったり、同志にリクエストしたりと、商売繁盛に貢献した。盛り上がりが一段落すると、また「歌いませんか」と来るので、今回の探査のフィナーレとして『行こう、白頭山へ』を歌ったら、これまた北南平壌首脳会談の効果もあり、韓国人がかなり盛り上がっていた。ついには、私の所に名刺を持って挨拶に来たが、この時は名刺を持ち合わせていなかったので、こちらの名刺を渡すことができなかった。見れば、韓国の社会科学系研究機関の偉いさん、延辺大学で開催された会議の関係で来ていたようだ。
12時近くになり、まだまだ盛り上がりは続いていたが、翌日の飛行機に遅れるわけにも行かないので、指切りの同志に「来年また会おう」と惜別の挨拶をしながら千年白雪会館を後にした。会計は、例によって友好的日本人民価格。1度目よりもさらに下がっていた。
千年白雪会館を12時に出て徒歩で柳京ホテルに帰ると、毎度、回転ドアに鍵が掛けられている。ガタガタと押すと年寄りの男性が来て鍵を開けてくれる。この同志、朝鮮族なのか朝鮮人なのかは分からないが、顔を合わせると挨拶をするぐらいになった。
翌日は、既に記事にした偽AIBOを見ながら帰国したが、今回は、会議参加でトラブルがあったものの、いつになく有意義な延吉旅行だった。
「来年」と言ったものの、真冬の寒い時期にまた行きたいと思っている。
<追記>
一つ思いだした。ロシア人も数人いて、彼らのためにロシア語で『モスクワ郊外の夕べ』を披露していた。ロシア語が上手いのか下手なのかは判断できないが、ロシア人が出てきて踊っていたので、恐らくは上手だったのだろう。青峰楽団並のマルチ・ナショナル楽曲対応のようだ。