「朝鮮外務省スポークスマン共和国を非難する米国務長官の妄言を糾弾」(2012年6月17日 「朝鮮中央通信」)
過去記事にも書いたが、クリントン米国務長官の北朝鮮関連発言(people first)に北朝鮮が反発している。
「朝鮮中央通信」の記者の質問に朝鮮外務省スポークスマンが答える形で「最近、米国当局者が我々の『人権問題』、『人民の生活問題』を云々しながら、立場もわきまえずに騒いでいるが、その代表的な人物が、まさにヒラリー国務長官である」と始まる。
以前からそうだったのであろうが、この記事を読んでいて気がついたのは、「クリントン国務長官」ではなく「ヒラリー国務長官」とファーストネームで呼んでいることである。クリントン元大統領と区別するために意図的にそう呼んでいるのか、単なるミスなのかは分からないが、おもしろい。
北朝鮮が国防に資金を傾けなければならない理由を米国に押しつけ、「我が共和国を長期的に敵対視して威嚇し、我々にそれに対処するための国防力を持たざるを得なくした米国が、今になって『人民生活』を第一にしろと言うのは、病気にしておいて薬を与えるような卑劣な偽善である」と主張している。
そして、「人民生活」問題については、「我々の敬愛する金正恩同志は、既に我々人民を世の中にうらやむことがないほど生活水準を上げる我々式の発展目標と戦略戦術を立てられ、経済建設と人民生活向上のための我々人民の総進軍を賢明に導いておられる」とし、金正恩さんが経済建設に力を入れていることを力説している。
その前提として、北朝鮮は金正日さんにより「自衛的軍事強国」が打ち立てられ、それが「社会主義強盛国家建設を推進できるようにする土台となる」としている。つまり、軍事的には「強国」となったので、次は経済面での建設に邁進することができるということであろう。
続いて、北朝鮮の核開発について、「米国が言葉では我々に対して敵意がないといいながら、このように行動では依然として敵視する限り、国と民族の平和と安全を担うための我々の核抑止力は継続して強化されるであろう」とし、その責任を米国に押しつけている。また、米国が「言葉ではなく行動で」といっているのをそのまま米国に当てはめている。さらに、「我々の軍事工業もついに人民を犠牲にすることなく、核抑止力を自らたゆまず強化発展させることができる土台と能力を持っている」とし、米国が主張するように核開発のような軍備増強が人民生活を犠牲にしない「レベルまで来た」と主張している。しかし、この部分は別の読み方をすれば、これまでは人民生活を犠牲にしながら核開発を行ってきたことを認めていることにもなる。事実そうなのであろうが、朝鮮人民は「米国の核による威嚇」があるので仕方がないと思っているのであろうか。そして、もう今は人民を苦しめることなく核開発を推し進めることが可能になり、あるいは米国に対抗するための核抑止力は既に手にしたので、これからは人民生活向上のための経済建設を推し進めると考えるのであろうか。
この記事は、今日付の「労働新聞」には掲載されていないが、そのうちに掲載されることになれば、朝鮮人民も読むことになる。その時に、例え米国がその原因であったにせよ、朝鮮人民の生活を圧迫しながら進めた核開発をどう考えるのであろうか。単に米国に怒りをぶつけて昇華することができるのであろうか。
また、金正恩さんは軍事に資金を注ぎ込むのはやめるとまではいわないにしても、人民生活の向上を約束したとも取れることが書かれている。それに対して朝鮮人民はどんな夢を抱くのか。
失敗に終わった4月のロケット発射が、最近では最大の浪費であったであろう。しかし、あれが金正日さんの遺言で行われたということであれば、金正日時代の幕が閉じ、金正恩時代が開幕するという一つのセレモニーになったのかもしれない。十分な準備もできないまま、そして米国との約束を反故にしてまであの時期に打ち上げをしたのは、米国に到達する弾道ミサイルの実験という側面がなかったとはいわないが、それ以上に国威発揚のセレモニーであったと考えられるのではないか。
「我ら人民自身が選択した我々式社会主義制度が、米国式の資本主義制度よりはるかに無窮繁栄するであろうということは、時が証明してくれるであろう」という北朝鮮であるが、朝鮮人民のためにも是非証明して欲しいものである。
<追記:2012年6月13日>
「労働新聞」にこの記事が掲載されるかと数日間眺めていたが、出てこない。やはり、「人民を犠牲にしながらの核開発」などという「過激」な表現は国内向けには出せないのであろうか。「朝鮮中央TV」でも、この「スポークスマン談話」については伝えていないようである。
「朝鮮中央通信」の記者の質問に朝鮮外務省スポークスマンが答える形で「最近、米国当局者が我々の『人権問題』、『人民の生活問題』を云々しながら、立場もわきまえずに騒いでいるが、その代表的な人物が、まさにヒラリー国務長官である」と始まる。
以前からそうだったのであろうが、この記事を読んでいて気がついたのは、「クリントン国務長官」ではなく「ヒラリー国務長官」とファーストネームで呼んでいることである。クリントン元大統領と区別するために意図的にそう呼んでいるのか、単なるミスなのかは分からないが、おもしろい。
北朝鮮が国防に資金を傾けなければならない理由を米国に押しつけ、「我が共和国を長期的に敵対視して威嚇し、我々にそれに対処するための国防力を持たざるを得なくした米国が、今になって『人民生活』を第一にしろと言うのは、病気にしておいて薬を与えるような卑劣な偽善である」と主張している。
そして、「人民生活」問題については、「我々の敬愛する金正恩同志は、既に我々人民を世の中にうらやむことがないほど生活水準を上げる我々式の発展目標と戦略戦術を立てられ、経済建設と人民生活向上のための我々人民の総進軍を賢明に導いておられる」とし、金正恩さんが経済建設に力を入れていることを力説している。
その前提として、北朝鮮は金正日さんにより「自衛的軍事強国」が打ち立てられ、それが「社会主義強盛国家建設を推進できるようにする土台となる」としている。つまり、軍事的には「強国」となったので、次は経済面での建設に邁進することができるということであろう。
続いて、北朝鮮の核開発について、「米国が言葉では我々に対して敵意がないといいながら、このように行動では依然として敵視する限り、国と民族の平和と安全を担うための我々の核抑止力は継続して強化されるであろう」とし、その責任を米国に押しつけている。また、米国が「言葉ではなく行動で」といっているのをそのまま米国に当てはめている。さらに、「我々の軍事工業もついに人民を犠牲にすることなく、核抑止力を自らたゆまず強化発展させることができる土台と能力を持っている」とし、米国が主張するように核開発のような軍備増強が人民生活を犠牲にしない「レベルまで来た」と主張している。しかし、この部分は別の読み方をすれば、これまでは人民生活を犠牲にしながら核開発を行ってきたことを認めていることにもなる。事実そうなのであろうが、朝鮮人民は「米国の核による威嚇」があるので仕方がないと思っているのであろうか。そして、もう今は人民を苦しめることなく核開発を推し進めることが可能になり、あるいは米国に対抗するための核抑止力は既に手にしたので、これからは人民生活向上のための経済建設を推し進めると考えるのであろうか。
この記事は、今日付の「労働新聞」には掲載されていないが、そのうちに掲載されることになれば、朝鮮人民も読むことになる。その時に、例え米国がその原因であったにせよ、朝鮮人民の生活を圧迫しながら進めた核開発をどう考えるのであろうか。単に米国に怒りをぶつけて昇華することができるのであろうか。
また、金正恩さんは軍事に資金を注ぎ込むのはやめるとまではいわないにしても、人民生活の向上を約束したとも取れることが書かれている。それに対して朝鮮人民はどんな夢を抱くのか。
失敗に終わった4月のロケット発射が、最近では最大の浪費であったであろう。しかし、あれが金正日さんの遺言で行われたということであれば、金正日時代の幕が閉じ、金正恩時代が開幕するという一つのセレモニーになったのかもしれない。十分な準備もできないまま、そして米国との約束を反故にしてまであの時期に打ち上げをしたのは、米国に到達する弾道ミサイルの実験という側面がなかったとはいわないが、それ以上に国威発揚のセレモニーであったと考えられるのではないか。
「我ら人民自身が選択した我々式社会主義制度が、米国式の資本主義制度よりはるかに無窮繁栄するであろうということは、時が証明してくれるであろう」という北朝鮮であるが、朝鮮人民のためにも是非証明して欲しいものである。
<追記:2012年6月13日>
「労働新聞」にこの記事が掲載されるかと数日間眺めていたが、出てこない。やはり、「人民を犠牲にしながらの核開発」などという「過激」な表現は国内向けには出せないのであろうか。「朝鮮中央TV」でも、この「スポークスマン談話」については伝えていないようである。