「20時報道」:「祖国統一汎民族連合」南側本部の盧修熙副議長板門店へ(2012年6月8日 「朝鮮中央TV」)
「祖国統一汎民族連合(汎民連)」南側(韓国側)本部の盧修熙副議長が板門店などを訪れた様子を「朝鮮中央TV」が伝えた。
http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
関連ニュースは、韓国の新聞「朝鮮日報」にも掲載されている。
「朝鮮日報日本語版」:無断訪朝の汎民連幹部、人民服姿で板門店に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120609-00000570-chosun-kr
盧修熙さんは、4月頃からたびたび北朝鮮のメディアに登場し、「労働新聞」やKCTVで写真や動画が紹介されている。いつか、ここに記事として書こうかと思っていたが、今まで書かなかった。そもそも、どんな経歴の人かよく分からなかったのであるが、上記の「朝鮮日報」記事によると「世運商店街で露天商」をしていたとのことである。2012年の世運商店街がどうなっているのか分からないが(まだ存在するのだろうか?)、盧修熙さんが露天商をやっていた頃(80年代)には、私もよく家電製品を買いに出かけた。龍山に大規模家電街が形成されるまでは、ソウルの電気街といえば世運商店街であった。だから、もしかすると、私も盧修熙さんの露店で何かを買ったのかもしれない。その後の盧修熙さん遍歴については上記の記事を参照されたい。
初めて盧修熙さんをKCTVで見たときは、北朝鮮がでっち上げた「南側」人士かと思った。というのは、KCTVのカメラの前で「金日成将軍の歌」を口ずさんだりしたからである。これを見て、さすがに本当の「南側」人士ではないと思ったが、本当に南側人士だったとは驚きである。時代が変わったとでもいうべきか。「前科19犯」の強者というべきか。
盧修熙さんは、朝鮮戦争の停戦協定が調印された建物を見学している

Source: KCTV, http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
この建物は、北側からの板門店観光のルートに入っており、私も盧修熙さんと同じ席に座って、案内員ドンムに写真を撮ってもらった。調印場ではやはり「この席」に座るのが習わしのようで、駄目とは言われないが、あまり反対側には座らないようである。なぜか?こちら側に北朝鮮代表が座ったからである。

Source: KCTV, http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
どこで着替えたのか分からないが、盧修熙さんは人民服姿になり、板門閣の展望場にやってきた。私もここから南側を眺めたのだが、南側から北側は何回も眺めていたので、何とも異様な感じであった。中国人観光客もここに来ていたが、そのうち一人が知ってか知らずか、韓国の「愛国歌」を口笛で吹いていたのにはたまげた。北朝鮮側の関係者は誰も制止しなかった。中国人の若者であったが、中国は朝鮮戦争の当事者であるにもかかわらず、彼らにとってはあまり関係のないことになってしまったのかもしれない。

Source: KCTV, http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
そして、望遠鏡で韓国側が設置したというコンクリートの障害物を見たようだ。

Source: KCTV, http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
「朝鮮日報」記事には、盧修熙さんは、かつて北朝鮮を無断訪問した人々のように、板門店経由で韓国に戻るのではないかと書かれている。あまり滞在が長引くと、宣伝材料としての価値も低くなって来るであろうから、そろそろ韓国に戻った方が良いのかもしれない。
http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
関連ニュースは、韓国の新聞「朝鮮日報」にも掲載されている。
「朝鮮日報日本語版」:無断訪朝の汎民連幹部、人民服姿で板門店に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120609-00000570-chosun-kr
盧修熙さんは、4月頃からたびたび北朝鮮のメディアに登場し、「労働新聞」やKCTVで写真や動画が紹介されている。いつか、ここに記事として書こうかと思っていたが、今まで書かなかった。そもそも、どんな経歴の人かよく分からなかったのであるが、上記の「朝鮮日報」記事によると「世運商店街で露天商」をしていたとのことである。2012年の世運商店街がどうなっているのか分からないが(まだ存在するのだろうか?)、盧修熙さんが露天商をやっていた頃(80年代)には、私もよく家電製品を買いに出かけた。龍山に大規模家電街が形成されるまでは、ソウルの電気街といえば世運商店街であった。だから、もしかすると、私も盧修熙さんの露店で何かを買ったのかもしれない。その後の盧修熙さん遍歴については上記の記事を参照されたい。
初めて盧修熙さんをKCTVで見たときは、北朝鮮がでっち上げた「南側」人士かと思った。というのは、KCTVのカメラの前で「金日成将軍の歌」を口ずさんだりしたからである。これを見て、さすがに本当の「南側」人士ではないと思ったが、本当に南側人士だったとは驚きである。時代が変わったとでもいうべきか。「前科19犯」の強者というべきか。
盧修熙さんは、朝鮮戦争の停戦協定が調印された建物を見学している

Source: KCTV, http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
この建物は、北側からの板門店観光のルートに入っており、私も盧修熙さんと同じ席に座って、案内員ドンムに写真を撮ってもらった。調印場ではやはり「この席」に座るのが習わしのようで、駄目とは言われないが、あまり反対側には座らないようである。なぜか?こちら側に北朝鮮代表が座ったからである。

Source: KCTV, http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
どこで着替えたのか分からないが、盧修熙さんは人民服姿になり、板門閣の展望場にやってきた。私もここから南側を眺めたのだが、南側から北側は何回も眺めていたので、何とも異様な感じであった。中国人観光客もここに来ていたが、そのうち一人が知ってか知らずか、韓国の「愛国歌」を口笛で吹いていたのにはたまげた。北朝鮮側の関係者は誰も制止しなかった。中国人の若者であったが、中国は朝鮮戦争の当事者であるにもかかわらず、彼らにとってはあまり関係のないことになってしまったのかもしれない。

Source: KCTV, http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
そして、望遠鏡で韓国側が設置したというコンクリートの障害物を見たようだ。

Source: KCTV, http://www.uriminzokkiri.com/contents/movie/centertv/streams/_definst_/2012-06-08-18.flv
「朝鮮日報」記事には、盧修熙さんは、かつて北朝鮮を無断訪問した人々のように、板門店経由で韓国に戻るのではないかと書かれている。あまり滞在が長引くと、宣伝材料としての価値も低くなって来るであろうから、そろそろ韓国に戻った方が良いのかもしれない。