「<朝鮮映画>自分の家になるとは」:80年代の白黒映画だがおもしろい、手抜き工事 (2017年2月5日 「朝鮮中央TV」)
5日、「朝鮮中央TV」で放送された「朝鮮映画」。「朝鮮中央TV」では、週末の夕方、この種の「思想教養」映画を放送している。新しくは制作されていないようで、多くは白黒で80年代に制作されたと思われるものである。以前もいくつか拙ブログでこの種の映画は紹介してきたが、今回は建設現場での手抜き工事を戒めるストーリー。
社会主義朝鮮だからということはなく、南北共に「適当」は共通している。資本主義競争の中で、韓国では「適当」は淘汰されつつあるようだが、80年代は色々なものやことが非常に「適当」であった。私が住んでいた部屋のアルミサッシの窓枠も「適当」で、小さな窓にもかかわらず、ガタガタやらないと閉まらなかった。よく見れば、アルミ材の合わせ目が「適当」に切断されているので、隙間だらけだった。そんな「適当」が、当時は、いちいち気になったし、時には腹も立った。
韓国人に言わせると、そういう「適当」は「大らか」な証で、何事も細かく正確にやる日本人は「大らかではない」ということになり、しばしばジンロ焼酎を飲みながら、韓国人の友人と言い争いをしていた。
「大らか」なのは良いことだが、結局、技術という意味においては「細かく、正確に」は必須なので、韓国人も技術の側面においてはそちらを選択したようだが、その他の部分では相変わらず「大らか」あるいは「適当」であるようだ。私は、韓国に短期間しか滞在しないのでほとんどそういうことを感じないが、留学から帰ってくる学生の話を聞くと、依然として、そういう「適当さ」に辟易としている。
さて、社会主義朝鮮では、資本主義的な競争がないので、「思想観点」から「適当」を是正しないと直らないようだ。数日前に紹介した「旧正月の風景」の舞台となる「適当食堂」もそうであるが、とにかく「適当」を是正するためには、「党の方針」とか「将軍様の労苦」とかを持ち出さなければならないようだ。
「自分の家になるとは」の中にも「施工指導員」がおり、「施工検査」も実施することになっているようだが、映画だから誇張されているにせよ、それらの検査もかなり「適当」なふうに見える。80年だとはいえ、北朝鮮の建設現場の様子が垣間見えるおもしろい映画だと思う。
日本語字幕付き。
Source: KCTV, 2017/02/05
社会主義朝鮮だからということはなく、南北共に「適当」は共通している。資本主義競争の中で、韓国では「適当」は淘汰されつつあるようだが、80年代は色々なものやことが非常に「適当」であった。私が住んでいた部屋のアルミサッシの窓枠も「適当」で、小さな窓にもかかわらず、ガタガタやらないと閉まらなかった。よく見れば、アルミ材の合わせ目が「適当」に切断されているので、隙間だらけだった。そんな「適当」が、当時は、いちいち気になったし、時には腹も立った。
韓国人に言わせると、そういう「適当」は「大らか」な証で、何事も細かく正確にやる日本人は「大らかではない」ということになり、しばしばジンロ焼酎を飲みながら、韓国人の友人と言い争いをしていた。
「大らか」なのは良いことだが、結局、技術という意味においては「細かく、正確に」は必須なので、韓国人も技術の側面においてはそちらを選択したようだが、その他の部分では相変わらず「大らか」あるいは「適当」であるようだ。私は、韓国に短期間しか滞在しないのでほとんどそういうことを感じないが、留学から帰ってくる学生の話を聞くと、依然として、そういう「適当さ」に辟易としている。
さて、社会主義朝鮮では、資本主義的な競争がないので、「思想観点」から「適当」を是正しないと直らないようだ。数日前に紹介した「旧正月の風景」の舞台となる「適当食堂」もそうであるが、とにかく「適当」を是正するためには、「党の方針」とか「将軍様の労苦」とかを持ち出さなければならないようだ。
「自分の家になるとは」の中にも「施工指導員」がおり、「施工検査」も実施することになっているようだが、映画だから誇張されているにせよ、それらの検査もかなり「適当」なふうに見える。80年だとはいえ、北朝鮮の建設現場の様子が垣間見えるおもしろい映画だと思う。
日本語字幕付き。
Source: KCTV, 2017/02/05