北京「玉柳館」:夜の部、「27号探査隊員」の「200日戦闘」を勝利の中で貫徹する輝かしい成果 (2016年12月15日)
前線司令部(ホテル)に戻った「27号探査隊員」は、かなり歩き回ったこともあり疲れていた。「訓練も戦闘だ!」という「元帥様」の「教示」を実践できていない自分を反省しつつ、前日に買っておいた変わったデザインの缶に入っている燕京ビールを飲んだ。ところが、このビール、甘い!何も考えずに買ってきたのだが、よく見ればフルーツビールと。確かにパイナップルの味がする。アルコールも含まれてはいるようだが、よく言ってもビールよりはカクテルのような味だった。捨てるのも勿体ないので、飲み干したのだが、疲れにはこの適当な甘さが良かったのか、次の作戦計画策定作業を始める「ベッチャン(度胸)」が湧いてきた。
既に予定していた作戦項目は達成していたので、新たに作戦地点を検討する必要があるのだが、取りあえず考えられるのは、ミファドンムの玉柳館に再浸透するか、新規目標ととしてヘダンファ(海棠花)館に浸透するのかという程度。ヘダンファ館については、事前に戦略地図を準備していなかったので、前線司令部でBaiduを検索したところ、すぐに出てきた。しかも、なんと朝鮮大使館から東大橋駅に向かう道の近くに位置しているではないか。Baidu地図で見るとこんな感じに出てくるのだが、1とマークされているのがヘダンファ館で、その南に朝鮮大使館がある。そんなことが分かっていれば、前線司令部に戻ることなく、そのままヘダンファ館に浸透することも出来たのだが、作戦準備が甘かった。ミファドンムは、「ヘダンファ館は、玉柳館から遠いです」と言っていたが、確かに地下鉄に20分ぐらい乗ったので、遠いことは遠い。

Source: Baidu, http://map.baidu.com/?newmap=1&l=5&tn=B_NORMAL_MAP&s=s%26contp%3D1%26on_gel%3D0%26wd%3D%E6%9C%9D%E9%B2%9C+%E6%B5%B7%E6%A3%A0%E8%8A%B1%26c%3D1%26sc%3D0%26sfrom%3Dmap_pc&from=alamap&tpl=text01
玉柳館にするかヘダンファ館にするか迷っていると、学術会議主催者の先生が「夕食を一緒に食べよう」と部屋まで迎えに来て下さった。いずれかの朝鮮食堂で「公演」を見たいという思いはあったのだが、わざわざ部屋まで来て下さった先生に申し訳ないので、その先生方と夕食を共にすることにした。幸い、お酒を大量に飲む方々ではなかったので、8時少し前には夕食会は終わり、解放された。しかし、「7時20分から」の「公演」にはもちろん間に合わない。上海の「モランボン音楽食堂」や延吉の「千年白雪館」のように何回も演奏してくれればよいのだが、ミファドンムは「7時20分の1度だけ」と言っていた。
しかし、「27号探査隊員」は、「200日戦闘」を栄光的な勝利の中で貫徹するという鋼鉄のような信念を抱き、玉柳館再浸透を決意した。ヘダンファ館という選択肢もあったのだが、8時からの作戦計画としては、ヘダンファ館は遠すぎた。「朝鮮の友達に会いに行きます」と一緒にホテルに向かっていた先生方と途中で別れ、再び牡丹駅から望京駅に向かった。2度目の行軍なので、乗り換えなどは迷うことなくスムーズだったのだが、それでも玉柳館に到着したのは9時近かった。
しかし!玉柳館、客の姿は見えず、計算台ではドンムが片付けを始めている。店内の照明もなんとなく暗い。ここで撤退しては「200日戦闘」を勝利的に貫徹できないので、取りあえずドアを開ける。もちろん、この時間は、ドアで出迎えをしてくれる接待員ドンムなどいるはずもない。中に入ると、チマチョゴリを着たドンムが奥からやって来た。営業時間は過ぎたので帰ってくれと言われると思いきや、「お食事ですか。まだ大丈夫です」と焼き肉席の方に案内される。昼に座ったのと近い、店内を見渡せる場所に座り、「もう片付けを始めているのに申し訳ない」と言うと、接待員ドンム(ヒャンドンム)は「いえ、まだ2階にお客さんがいるから大丈夫です」と。歌声こそ聞こえてこなかったが、2階の個室を使っている人々がいたのかもしれない。
ヒャンドンム「昼間も来られましたね。もっと早く来れば公演も見られたのに」と。「27号探査隊員」は、来られなかった事情を説明した上で、「ミファドンムと約束をしたので、遅くなったが来てみた」と。ところが、ヒャンドンム「ミファドンムですか?」と。また、例によって名前間違えをしてしまったのかと思ったが、今回は昼間、店を出て直ぐに名前をメモしておいたので絶対に間違いはないはず。「3年目のドンムですよ」などと説明すると、しばらく知らない素振りをした後、「ミXX(XXの部分は失念)ドンムですよ」と教えてくれた。ネームプレートを付けているので、本名ではないにしろ、名前は極秘事項ではないと思うのだが、少し不思議だった。まあ、拘っていても仕方がないので、「環境美化(ミファ)と混同したのかなぁ」などと冗談を言いながら名前問題は終了。
「夕食は食べたので、大同江ビールをお願いします」とビールを注文し飲んだは良いが、零下の寒空の中の行軍だったので体が冷え切っている。そこで「テンジャンチゲ」も追加注文。ちょっとしたキムチ類もセットで出てくるので、ビールのつまみとしてはちょうど良かった。
2階の状況について質問してみると、「個室があり、歌を歌えるようになっている」と。しかし、どうやら個室を使うためのセット料理があり、それが事実上の個室利用料金となるシステムのようだ。ドンムとデュエットすると追加料金が発生するのかまでは未確認。
さて、ヒャンドンム、ミファドンムとは違い1年目の新米工作員。まだ来たばかりで、中国語も勉強中と言っていた。この店のシステムなのか、朝鮮語を話す親善的日本人民が来たからなのかは不明ながら、ヒャンドンムも横に立ってずっと話し相手になってくれた。今回は、上海で調達した偽装用の人民服を着用していったので、さらなる親近感を醸し出すことが出来たのかもしれない。話が逸れるが、この人民服、偽装以外の目的でも今回は大活躍した。会議中も着用していたのだが、暑くもなく寒くもなく非常に快適で、さらに前がしっかりとしまっているので、この上にダウンジャケットを着ると、外を歩いていても特段の寒さは感じなかった。さらに北京空港では、後ろを歩いていた日本人老年夫婦の「中山服かっこいいね」という声が聞こえ、ちょっと嬉しかった。
ヒャンドンム、新米ながらもミファドンム同様、色々と「尋問」してきた。年齢を尋ねてきたので、「何歳か当ててみろ」と。まあ大体正しい年齢を当てたので、「ドンムのお父さんぐらいかな」とか言いながら、こちらの「尋問」主導権を確保し、ヒャンドンムの家族について「尋問」を開始。ヒャンドンムのお父さんは「化学者」というので、「(金日成)総合大学ですか?」と質問すると、「総合大学よりは少し落ちますが、金策工業大学です」と。「金策工業大学は、総合大学と同じぐらい優秀な大学ですよ。羊角島ホテルから見えました」と言うと、嬉しそうな顔をした。続けて、「では、元帥様が建設して下さった教員住宅に住んでいるのですか?」と質問すると「そうです」と。「元帥様が現地指導された上層階からは平壌の素晴らしい風景が見えますね」というと、「私達の部屋は14階ですから、それほど高くありません」と。しかし、「朝鮮中央TV」で紹介されたとおり、「各フロアには、遊び場やくつろぎの場所があり、休日はそこで過ごす人もたくさんいます」と言っていた。お母さんは「平凡な料理士」と。お兄さんがおり、大学を卒業して事業所で働いていると言っていた。「お父さんが優秀な方だから、ドンムも優秀なんでしょ?」と言うと、「頭は似ませんでした」と恥ずかしそうに答えた。
そんな話をしていると、奥の方から「ドンム達、食事しよう!」という声が聞こえてきた。ヒャンドンムに「私は、一人でビールを飲んでいるから、食事をしてきなさい」と言うと、「私は奉仕時間なので大丈夫です」と。新参兵だから夜遅くまで「奉仕」させられているのか、シフトが組まれているのか分からないが、少し気の毒だった。トイレに行く途中、厨房の様子も見えるのだが、接待員ドンム達が床掃除をしていた。営業時間終了後にやってきた迷惑な客にも、しっかりと「奉仕」してくれるヒャンドンムに感謝。
食事に向かうミファドンムが平服を着て通りかかった。「7時20分と言ったのに、遅く来られましたね」と叱られたので、「それでも、ドンムとの約束は守ったよ」と言うと、「コマスムニダ(ありがとうございます)」と言いながら、食事をしに行った。
食事が終わり、平服を着たドンム達が円卓の方に集合した。20人以上いたであろうか。ヒャンドンムと話をしながらその様子を見ていた。「平壌は、どこを見物されましたか?」と聞かれたので、通常の観光スポットをいくつか列挙した上で「当時は、今のように記念碑的創造物が多くありませんでした。元帥様の時代になってから、ムンス・ウォーターパーク、ミリム乗馬クラブ、ローラースケート場、ルンラ・イルカ館などたくさん建設されましたね。本当に元帥様の時代になってから、文字通り万里馬速度で平壌は発展しているようです」と褒めると、「そうです。お若い元帥様なので、発展速度も早いです。青年大国ですよ」と模範解答。
そんな話をしていると、拍手が聞こえたので、「あれは何をしているのですか?」と聞くと「総話です」と。まさか、「朝鮮中央TV」のドラマや映画でしか見たことがない「総話」を実際に見られるとは思ってもみなかった。まさに、「200日戦闘」の輝かしい成果。そして、「立って拍手をされているドンムは、お客さんにたくさん売ることが出来たドンムです」と大変ストレートな答え。「祖国のために良い仕事をたくさんしたということですね」と返しておいた。ミファドンムも500元の切手帳を売ったわけだが、恐らく500元程度は物の数にも入らず、金満中国人に数千元、否、数万元の売り上げをしたドンムなのであろう。続いて、3人のドンムが立たされ、うつむいていた。ヒャンドンムに聞くまでもなく、売り上げに貢献できなかったドンム達が叱られていたのであろう。かなり距離があったので、中心になって話していた女性の顔や年齢は分からなかったが、支配人なのかもしれない。
大同江ビールが38元と書いてあったので、「平壌で飲んだら、このビールはいくらですか?」と質問すると、ヒャンドンム、困った顔をしながら「このビールは輸送費や・・・・」と苦しそうに説明を始めたので、「様々な費用がかかっているので、平壌より高いのは当然です。でも、平壌での値段を知りたいです」と言うと、「4~5元ぐらいです」と答えた。「そんなに安いのなら、今度平壌で1番から7番まで全部飲んでみます」と返すと、「11と書いてるのはアルコール度数ですよ」とヒャンドンム。どうやら、ビールの味別番号は知らないようだ。
その他にも、あれこれとヒャンドンムと話をしていたのだが、何を話したのか忘れてしまった。それほど多くのことを話したということだが、時計を見ると10時半頃になっていた。中国の地下鉄の最終列車は早いと聞いていたので、ヒャンドンムに会計をしてもらった。大同江ビール数本とテンジャンチゲで100元ちょっと。200元出して、おつりを持って来たので、「いらない」というと、「駄目です」と手渡そうとする。直ぐに受け取らないところがいじらしい。「これは、1時間以上、平壌の発展の様子などを聞かせてくれたドンムへの感謝の気持ちです。こういう感謝の気持ちの表し方は、社会主義朝鮮でもあるでしょ」と言うと、やっと受け取ってくれた。
望京駅に着いて切符を買おうとしたが、自動販売機は全て販売終了。窓口で買えたのかもしれないが、途中で電車が終了してしまうともっと困るので、タクシーで帰ることにした。幸い、駅周辺に空車がいたので、空港からホテルに行くために用意しておいた紙を運転手に見せ、無事ホテルに帰着。北京のタクシーは、メーターで動いてくれるので、本当に安心して乗れる。日本のタクシーと同じで、到着するとレシートを印刷する機械がカチャカチャと音を出している。
以上、今回の北京での生産計画は、200%、否、300%ぐらいの超過達成をした。まさに「200日戦闘」を勝利の中で貫徹した輝かしい成果と言えよう。
既に予定していた作戦項目は達成していたので、新たに作戦地点を検討する必要があるのだが、取りあえず考えられるのは、ミファドンムの玉柳館に再浸透するか、新規目標ととしてヘダンファ(海棠花)館に浸透するのかという程度。ヘダンファ館については、事前に戦略地図を準備していなかったので、前線司令部でBaiduを検索したところ、すぐに出てきた。しかも、なんと朝鮮大使館から東大橋駅に向かう道の近くに位置しているではないか。Baidu地図で見るとこんな感じに出てくるのだが、1とマークされているのがヘダンファ館で、その南に朝鮮大使館がある。そんなことが分かっていれば、前線司令部に戻ることなく、そのままヘダンファ館に浸透することも出来たのだが、作戦準備が甘かった。ミファドンムは、「ヘダンファ館は、玉柳館から遠いです」と言っていたが、確かに地下鉄に20分ぐらい乗ったので、遠いことは遠い。

Source: Baidu, http://map.baidu.com/?newmap=1&l=5&tn=B_NORMAL_MAP&s=s%26contp%3D1%26on_gel%3D0%26wd%3D%E6%9C%9D%E9%B2%9C+%E6%B5%B7%E6%A3%A0%E8%8A%B1%26c%3D1%26sc%3D0%26sfrom%3Dmap_pc&from=alamap&tpl=text01
玉柳館にするかヘダンファ館にするか迷っていると、学術会議主催者の先生が「夕食を一緒に食べよう」と部屋まで迎えに来て下さった。いずれかの朝鮮食堂で「公演」を見たいという思いはあったのだが、わざわざ部屋まで来て下さった先生に申し訳ないので、その先生方と夕食を共にすることにした。幸い、お酒を大量に飲む方々ではなかったので、8時少し前には夕食会は終わり、解放された。しかし、「7時20分から」の「公演」にはもちろん間に合わない。上海の「モランボン音楽食堂」や延吉の「千年白雪館」のように何回も演奏してくれればよいのだが、ミファドンムは「7時20分の1度だけ」と言っていた。
しかし、「27号探査隊員」は、「200日戦闘」を栄光的な勝利の中で貫徹するという鋼鉄のような信念を抱き、玉柳館再浸透を決意した。ヘダンファ館という選択肢もあったのだが、8時からの作戦計画としては、ヘダンファ館は遠すぎた。「朝鮮の友達に会いに行きます」と一緒にホテルに向かっていた先生方と途中で別れ、再び牡丹駅から望京駅に向かった。2度目の行軍なので、乗り換えなどは迷うことなくスムーズだったのだが、それでも玉柳館に到着したのは9時近かった。
しかし!玉柳館、客の姿は見えず、計算台ではドンムが片付けを始めている。店内の照明もなんとなく暗い。ここで撤退しては「200日戦闘」を勝利的に貫徹できないので、取りあえずドアを開ける。もちろん、この時間は、ドアで出迎えをしてくれる接待員ドンムなどいるはずもない。中に入ると、チマチョゴリを着たドンムが奥からやって来た。営業時間は過ぎたので帰ってくれと言われると思いきや、「お食事ですか。まだ大丈夫です」と焼き肉席の方に案内される。昼に座ったのと近い、店内を見渡せる場所に座り、「もう片付けを始めているのに申し訳ない」と言うと、接待員ドンム(ヒャンドンム)は「いえ、まだ2階にお客さんがいるから大丈夫です」と。歌声こそ聞こえてこなかったが、2階の個室を使っている人々がいたのかもしれない。
ヒャンドンム「昼間も来られましたね。もっと早く来れば公演も見られたのに」と。「27号探査隊員」は、来られなかった事情を説明した上で、「ミファドンムと約束をしたので、遅くなったが来てみた」と。ところが、ヒャンドンム「ミファドンムですか?」と。また、例によって名前間違えをしてしまったのかと思ったが、今回は昼間、店を出て直ぐに名前をメモしておいたので絶対に間違いはないはず。「3年目のドンムですよ」などと説明すると、しばらく知らない素振りをした後、「ミXX(XXの部分は失念)ドンムですよ」と教えてくれた。ネームプレートを付けているので、本名ではないにしろ、名前は極秘事項ではないと思うのだが、少し不思議だった。まあ、拘っていても仕方がないので、「環境美化(ミファ)と混同したのかなぁ」などと冗談を言いながら名前問題は終了。
「夕食は食べたので、大同江ビールをお願いします」とビールを注文し飲んだは良いが、零下の寒空の中の行軍だったので体が冷え切っている。そこで「テンジャンチゲ」も追加注文。ちょっとしたキムチ類もセットで出てくるので、ビールのつまみとしてはちょうど良かった。
2階の状況について質問してみると、「個室があり、歌を歌えるようになっている」と。しかし、どうやら個室を使うためのセット料理があり、それが事実上の個室利用料金となるシステムのようだ。ドンムとデュエットすると追加料金が発生するのかまでは未確認。
さて、ヒャンドンム、ミファドンムとは違い1年目の新米工作員。まだ来たばかりで、中国語も勉強中と言っていた。この店のシステムなのか、朝鮮語を話す親善的日本人民が来たからなのかは不明ながら、ヒャンドンムも横に立ってずっと話し相手になってくれた。今回は、上海で調達した偽装用の人民服を着用していったので、さらなる親近感を醸し出すことが出来たのかもしれない。話が逸れるが、この人民服、偽装以外の目的でも今回は大活躍した。会議中も着用していたのだが、暑くもなく寒くもなく非常に快適で、さらに前がしっかりとしまっているので、この上にダウンジャケットを着ると、外を歩いていても特段の寒さは感じなかった。さらに北京空港では、後ろを歩いていた日本人老年夫婦の「中山服かっこいいね」という声が聞こえ、ちょっと嬉しかった。
ヒャンドンム、新米ながらもミファドンム同様、色々と「尋問」してきた。年齢を尋ねてきたので、「何歳か当ててみろ」と。まあ大体正しい年齢を当てたので、「ドンムのお父さんぐらいかな」とか言いながら、こちらの「尋問」主導権を確保し、ヒャンドンムの家族について「尋問」を開始。ヒャンドンムのお父さんは「化学者」というので、「(金日成)総合大学ですか?」と質問すると、「総合大学よりは少し落ちますが、金策工業大学です」と。「金策工業大学は、総合大学と同じぐらい優秀な大学ですよ。羊角島ホテルから見えました」と言うと、嬉しそうな顔をした。続けて、「では、元帥様が建設して下さった教員住宅に住んでいるのですか?」と質問すると「そうです」と。「元帥様が現地指導された上層階からは平壌の素晴らしい風景が見えますね」というと、「私達の部屋は14階ですから、それほど高くありません」と。しかし、「朝鮮中央TV」で紹介されたとおり、「各フロアには、遊び場やくつろぎの場所があり、休日はそこで過ごす人もたくさんいます」と言っていた。お母さんは「平凡な料理士」と。お兄さんがおり、大学を卒業して事業所で働いていると言っていた。「お父さんが優秀な方だから、ドンムも優秀なんでしょ?」と言うと、「頭は似ませんでした」と恥ずかしそうに答えた。
そんな話をしていると、奥の方から「ドンム達、食事しよう!」という声が聞こえてきた。ヒャンドンムに「私は、一人でビールを飲んでいるから、食事をしてきなさい」と言うと、「私は奉仕時間なので大丈夫です」と。新参兵だから夜遅くまで「奉仕」させられているのか、シフトが組まれているのか分からないが、少し気の毒だった。トイレに行く途中、厨房の様子も見えるのだが、接待員ドンム達が床掃除をしていた。営業時間終了後にやってきた迷惑な客にも、しっかりと「奉仕」してくれるヒャンドンムに感謝。
食事に向かうミファドンムが平服を着て通りかかった。「7時20分と言ったのに、遅く来られましたね」と叱られたので、「それでも、ドンムとの約束は守ったよ」と言うと、「コマスムニダ(ありがとうございます)」と言いながら、食事をしに行った。
食事が終わり、平服を着たドンム達が円卓の方に集合した。20人以上いたであろうか。ヒャンドンムと話をしながらその様子を見ていた。「平壌は、どこを見物されましたか?」と聞かれたので、通常の観光スポットをいくつか列挙した上で「当時は、今のように記念碑的創造物が多くありませんでした。元帥様の時代になってから、ムンス・ウォーターパーク、ミリム乗馬クラブ、ローラースケート場、ルンラ・イルカ館などたくさん建設されましたね。本当に元帥様の時代になってから、文字通り万里馬速度で平壌は発展しているようです」と褒めると、「そうです。お若い元帥様なので、発展速度も早いです。青年大国ですよ」と模範解答。
そんな話をしていると、拍手が聞こえたので、「あれは何をしているのですか?」と聞くと「総話です」と。まさか、「朝鮮中央TV」のドラマや映画でしか見たことがない「総話」を実際に見られるとは思ってもみなかった。まさに、「200日戦闘」の輝かしい成果。そして、「立って拍手をされているドンムは、お客さんにたくさん売ることが出来たドンムです」と大変ストレートな答え。「祖国のために良い仕事をたくさんしたということですね」と返しておいた。ミファドンムも500元の切手帳を売ったわけだが、恐らく500元程度は物の数にも入らず、金満中国人に数千元、否、数万元の売り上げをしたドンムなのであろう。続いて、3人のドンムが立たされ、うつむいていた。ヒャンドンムに聞くまでもなく、売り上げに貢献できなかったドンム達が叱られていたのであろう。かなり距離があったので、中心になって話していた女性の顔や年齢は分からなかったが、支配人なのかもしれない。
大同江ビールが38元と書いてあったので、「平壌で飲んだら、このビールはいくらですか?」と質問すると、ヒャンドンム、困った顔をしながら「このビールは輸送費や・・・・」と苦しそうに説明を始めたので、「様々な費用がかかっているので、平壌より高いのは当然です。でも、平壌での値段を知りたいです」と言うと、「4~5元ぐらいです」と答えた。「そんなに安いのなら、今度平壌で1番から7番まで全部飲んでみます」と返すと、「11と書いてるのはアルコール度数ですよ」とヒャンドンム。どうやら、ビールの味別番号は知らないようだ。
その他にも、あれこれとヒャンドンムと話をしていたのだが、何を話したのか忘れてしまった。それほど多くのことを話したということだが、時計を見ると10時半頃になっていた。中国の地下鉄の最終列車は早いと聞いていたので、ヒャンドンムに会計をしてもらった。大同江ビール数本とテンジャンチゲで100元ちょっと。200元出して、おつりを持って来たので、「いらない」というと、「駄目です」と手渡そうとする。直ぐに受け取らないところがいじらしい。「これは、1時間以上、平壌の発展の様子などを聞かせてくれたドンムへの感謝の気持ちです。こういう感謝の気持ちの表し方は、社会主義朝鮮でもあるでしょ」と言うと、やっと受け取ってくれた。
望京駅に着いて切符を買おうとしたが、自動販売機は全て販売終了。窓口で買えたのかもしれないが、途中で電車が終了してしまうともっと困るので、タクシーで帰ることにした。幸い、駅周辺に空車がいたので、空港からホテルに行くために用意しておいた紙を運転手に見せ、無事ホテルに帰着。北京のタクシーは、メーターで動いてくれるので、本当に安心して乗れる。日本のタクシーと同じで、到着するとレシートを印刷する機械がカチャカチャと音を出している。
以上、今回の北京での生産計画は、200%、否、300%ぐらいの超過達成をした。まさに「200日戦闘」を勝利の中で貫徹した輝かしい成果と言えよう。