『太陽の下(Under the Sun)』:これを「最悪」と言うべきではない、資本主義国でも同じ演出、度合いの問題 (2016年10月3日)
注文しておいた『太陽の下』が今朝、届いた。米国からの送料込みで4000円そこそこのDVDであるが、ドブに金を捨てたような気持ちにさせた(しかもやたらと高い)、どこぞの「モランボン楽団」DVDとは比べものにならない内容である。
まず、この映画で使われている映像は、「朝鮮中央TV」の画面を間接的に撮影した場面以外は、全て独自の映像を使っている。一方で、『The Interview』のように「最高尊厳」を直接的に「冒涜」するような映像も一切ない。もちろん、この映画は、北朝鮮の人民抑圧や偽善性を告発する内容であるが、とにかく「最高尊厳」の直接的な「冒涜」はない。もしかすると、だからよけいに北朝鮮を怒らせて「最悪」という名誉の評価を得ることができたのかもしれない。
この映画はロシアの取材班による北朝鮮の「ドキュメンタリー」映画である。「ドキュメンタリー」に括弧を付けてあるところがポイントで、北朝鮮側の非ドキュメンタリー化の試みを、ロシア側が「こっそりと」ドキュメンタリー化してしまっている。「エクストラ」として収録されている監督のインタビューで監督は、「北朝鮮側は技術に関する知識が希薄なので、赤いランプが点灯していなければ、撮影していないと思っていたようだ」と述べている。つまり、録画中を表示する赤ランプを何らかの方法で点灯しないようにし、撮影のために設置したカメラを回し続けたようである。したがって、映像は三脚に設置されたカメラで撮影されたように安定しており、いわゆる「隠し撮り」映像のような画面はほとんどない。同監督によると、北朝鮮側は毎日撮影後に映像をチェックしていたが、ロシア側はその前に見つからないよう、映像をコピーしたりして北朝鮮から持ち出したと言っている。
しかし、興味深いことは、この映画を作る際に使われた多くのシーンが「やらせ」であることを北朝鮮側が、ロシア側に全て見せていることである。さらに言えば、北朝鮮側の監督とロシア側の監督が一緒に「やらせ」をしている点である。もちろん、北朝鮮側からは、「やらせ」と分からないような映画を作ることをロシア側に要求していたはずだし、そのために余計な映像は削除させようと努力していたのだろうが、映像は消えても、映画を撮影しているロシア側には、北朝鮮のこの種の映像が「やらせ」であるということは、伝わってしまう。「やらせ」場面を見ている感じでは、ドキュメンタリーではなく、ドラマを撮影しているように北朝鮮監督が出演者に演技指導をしている。
北朝鮮側の「やらせ」は明白であるが、一方でロシア側もこの映画で「悲惨な北朝鮮」を見せようとする「演出」もしている。まず、この映画の中で使われるBGMは、撮影の際に収録された北朝鮮の楽曲以外は、全て短調の悲しく暗い感じの曲ばかりである。明らかに意図的な選曲である。また、効果音も使われているようで、LEDライトが故障で消灯する場面で、大きな電球か蛍光灯が切れるような効果音を入れている。また、主人公の少女が涙を流す場面をあたかも「少年団員としての誓い」を無理矢理言わされて泣いているかのような演出をしているが、その前に出てくる踊りの練習で涙を流す場面同様、「演技」がうまくできないから泣いているだけである。拙宅の「芸術家」も、ピアノがうまく弾けないと泣くことは時々ある。
また、子供たちは思いどおりにコントロールできないことを示すように、授業中にニヤニヤしている子供や老兵の「つまらない」話しを繰り返し聞かせられながら、居眠りをしてしまう子供も出てくる。残念なのは、映画の中でどこを隠し撮りして、どこを北朝鮮にチェックされたのか明らかにしてあれば、北朝鮮の美化の意図がもっとはっきりと分かったであろうということである。特に、こうした子供の自然な姿を北朝鮮がどう考えるのかというところには関心がある。
この映画を見ていて、一番吹き出した場面は、少女の父親が「責任秘書(この父親の役柄も北朝鮮側にコロコロと変えられたと,映画の中の字幕に出てくる)」の工場で、1度目の撮影では「目標を150%超過達成しました」と言っていたのを2度目の撮影では「200%超過達成しました」と言い換えている場面である。北朝鮮の「超過達成」はそもそもこの程度適当なものなのか、この「ドラマ」を撮影するために台本を書き換えただけなのかは分からないが、吹き出してしまった。
この父親が働く工場の入り口を撮影する場面で、知らない人がフラッと歩いてきて、北朝鮮監督に押し戻されている。まあ「やらせ」ではあるが、この場面を見ながら思ったのは、資本主義国のテレビと同じだということである。某キー局の周辺で「お天気情報」か何かの野外撮影をしていた。お天気オジサン(オネーサンだったかもしれない)の後ろには、「通行人」らしき人々が集まってカメラの方を見ているが、実は、この「通行人」も選ばれた人で、他の「通行人」が混入しないよう、カメラの画角から外れたところに警備員が立って、人の流れを整理していた。所詮、テレビ番組というのは「演出」の賜であり、基本的には北朝鮮とやっていることは同じで、その度合いの違いだけなのだと思った。上に書いたロシアが使ったBGMも、もちろん北朝鮮の意図とは真逆の状況を作り出すための「演出」である。
この他にも見ながらメモしたことはたくさんあるが、ネタばらしはこのぐらいにしておく。
日本語字幕がついたDVDが発売されるのかは分からないが、英語字幕だけでよければ、今すぐにAMAZONに4000円払っても見る価値がある映画だと思う。字幕を読まなくても、HD画質で朝鮮人民の「肌のきめ細かさ」を見たり、老兵の「勲章」のデザインをチェックするだけでも見る価値はある。
最後に、一つだけネタばらししておくと、銅像に供えられた花を回収する場面があり、リアカーに花束を投げ込んで回収する前に金属探知機で不審物をチェックしている(もちろん、ロシアの「演出」による金属探知機の音入り)。これを見ながら、やはり国情院のスパイが銅像爆破を狙っているのかなと思った。
まず、この映画で使われている映像は、「朝鮮中央TV」の画面を間接的に撮影した場面以外は、全て独自の映像を使っている。一方で、『The Interview』のように「最高尊厳」を直接的に「冒涜」するような映像も一切ない。もちろん、この映画は、北朝鮮の人民抑圧や偽善性を告発する内容であるが、とにかく「最高尊厳」の直接的な「冒涜」はない。もしかすると、だからよけいに北朝鮮を怒らせて「最悪」という名誉の評価を得ることができたのかもしれない。
この映画はロシアの取材班による北朝鮮の「ドキュメンタリー」映画である。「ドキュメンタリー」に括弧を付けてあるところがポイントで、北朝鮮側の非ドキュメンタリー化の試みを、ロシア側が「こっそりと」ドキュメンタリー化してしまっている。「エクストラ」として収録されている監督のインタビューで監督は、「北朝鮮側は技術に関する知識が希薄なので、赤いランプが点灯していなければ、撮影していないと思っていたようだ」と述べている。つまり、録画中を表示する赤ランプを何らかの方法で点灯しないようにし、撮影のために設置したカメラを回し続けたようである。したがって、映像は三脚に設置されたカメラで撮影されたように安定しており、いわゆる「隠し撮り」映像のような画面はほとんどない。同監督によると、北朝鮮側は毎日撮影後に映像をチェックしていたが、ロシア側はその前に見つからないよう、映像をコピーしたりして北朝鮮から持ち出したと言っている。
しかし、興味深いことは、この映画を作る際に使われた多くのシーンが「やらせ」であることを北朝鮮側が、ロシア側に全て見せていることである。さらに言えば、北朝鮮側の監督とロシア側の監督が一緒に「やらせ」をしている点である。もちろん、北朝鮮側からは、「やらせ」と分からないような映画を作ることをロシア側に要求していたはずだし、そのために余計な映像は削除させようと努力していたのだろうが、映像は消えても、映画を撮影しているロシア側には、北朝鮮のこの種の映像が「やらせ」であるということは、伝わってしまう。「やらせ」場面を見ている感じでは、ドキュメンタリーではなく、ドラマを撮影しているように北朝鮮監督が出演者に演技指導をしている。
北朝鮮側の「やらせ」は明白であるが、一方でロシア側もこの映画で「悲惨な北朝鮮」を見せようとする「演出」もしている。まず、この映画の中で使われるBGMは、撮影の際に収録された北朝鮮の楽曲以外は、全て短調の悲しく暗い感じの曲ばかりである。明らかに意図的な選曲である。また、効果音も使われているようで、LEDライトが故障で消灯する場面で、大きな電球か蛍光灯が切れるような効果音を入れている。また、主人公の少女が涙を流す場面をあたかも「少年団員としての誓い」を無理矢理言わされて泣いているかのような演出をしているが、その前に出てくる踊りの練習で涙を流す場面同様、「演技」がうまくできないから泣いているだけである。拙宅の「芸術家」も、ピアノがうまく弾けないと泣くことは時々ある。
また、子供たちは思いどおりにコントロールできないことを示すように、授業中にニヤニヤしている子供や老兵の「つまらない」話しを繰り返し聞かせられながら、居眠りをしてしまう子供も出てくる。残念なのは、映画の中でどこを隠し撮りして、どこを北朝鮮にチェックされたのか明らかにしてあれば、北朝鮮の美化の意図がもっとはっきりと分かったであろうということである。特に、こうした子供の自然な姿を北朝鮮がどう考えるのかというところには関心がある。
この映画を見ていて、一番吹き出した場面は、少女の父親が「責任秘書(この父親の役柄も北朝鮮側にコロコロと変えられたと,映画の中の字幕に出てくる)」の工場で、1度目の撮影では「目標を150%超過達成しました」と言っていたのを2度目の撮影では「200%超過達成しました」と言い換えている場面である。北朝鮮の「超過達成」はそもそもこの程度適当なものなのか、この「ドラマ」を撮影するために台本を書き換えただけなのかは分からないが、吹き出してしまった。
この父親が働く工場の入り口を撮影する場面で、知らない人がフラッと歩いてきて、北朝鮮監督に押し戻されている。まあ「やらせ」ではあるが、この場面を見ながら思ったのは、資本主義国のテレビと同じだということである。某キー局の周辺で「お天気情報」か何かの野外撮影をしていた。お天気オジサン(オネーサンだったかもしれない)の後ろには、「通行人」らしき人々が集まってカメラの方を見ているが、実は、この「通行人」も選ばれた人で、他の「通行人」が混入しないよう、カメラの画角から外れたところに警備員が立って、人の流れを整理していた。所詮、テレビ番組というのは「演出」の賜であり、基本的には北朝鮮とやっていることは同じで、その度合いの違いだけなのだと思った。上に書いたロシアが使ったBGMも、もちろん北朝鮮の意図とは真逆の状況を作り出すための「演出」である。
この他にも見ながらメモしたことはたくさんあるが、ネタばらしはこのぐらいにしておく。
日本語字幕がついたDVDが発売されるのかは分からないが、英語字幕だけでよければ、今すぐにAMAZONに4000円払っても見る価値がある映画だと思う。字幕を読まなくても、HD画質で朝鮮人民の「肌のきめ細かさ」を見たり、老兵の「勲章」のデザインをチェックするだけでも見る価値はある。
最後に、一つだけネタばらししておくと、銅像に供えられた花を回収する場面があり、リアカーに花束を投げ込んで回収する前に金属探知機で不審物をチェックしている(もちろん、ロシアの「演出」による金属探知機の音入り)。これを見ながら、やはり国情院のスパイが銅像爆破を狙っているのかなと思った。