「<国際シンポジウム>北朝鮮脱北者の文学活動と韓国文壇~「脱北者」による記録文学の現状と課題-」:脱北作家からいろいろな話を聞けて、大変有意義な時間を過ごした (2016年10月1日)
8日、富山で開催された「北朝鮮脱北者の文学活動と韓国文壇~「脱北者」による記録文学の現状と課題-」という国際シンポジウムに出席した。「文学」というところで、多少引っ掛かりを感じながらも、脱北者による北朝鮮告発・批判集会ではないことに期待しながら行ってみた。
結果からいうと、大変得るものが多いシンポジウムであった。脱北者に知り合いもおらず、ましてやコンタクトをする道筋もあまり考えたことがないので、まず、今回のシンポジウムで脱北者の声を直接聞け、色々と質問をすることができたのは、大変大きな収穫であった。私も脱北者を色眼鏡(ある程度、北朝鮮カラーで着色された)で見ていたが、その色を抜くこともできたし、メディアで伝えられる部分的な脱北者のイメージとはだいぶ異なることが分かった。
3人の脱北「作家」による報告があったが、三人三様でおもしろかった。最初の報告者は、北朝鮮でも「作家であった」ということであり、韓国に入国してからも作家として活動しているという。文学的才能がない私は、彼の文学作品を評する能力はないが、彼の基本的なスタンスは、「北朝鮮は核・ミサイルだけではなく、人間が生きてる世界ということを理解して欲しい」と言っていたので、この点については、拙ブログもそのようなスタンスで書いていることもあり、大いに感銘を受けた。
2人目の脱北「作家」も北朝鮮で「作家」として活動していたのことで、自分は「詩人」だと言っていた。2人の話で面白かったのは、北朝鮮で作家になる道筋、そして作家として生きていくことの難しさについて、それぞれの経験から詳しく話してくれたことである。特におもしろかったのは、2人のいうことが食い違い、片方が「そうではない」と訂正していた点である。どちらかが嘘を言っているとも思えないので、おそらく、作家としての二人の経験が異なったことに起因するのであろう。基本的には、「作家同盟」に加盟することが「作家」として認められる道であるということであるが、「作家同盟に加盟するのは、労働党に入党するよりも難しい」と言っていた。拙ブログでも何回も紹介してきたように、公式的には北朝鮮で「労働党員」になることは、とても大変だし、それは大変名誉であるということになっている。「労働党に入党するよりも難しい」というのは、それを皮肉った言葉であったと思うのだが、残念ながら、その意味を理解する人はあまりいなかったようだ。
そして、「作家同盟」に加盟するにしても、まず「候補」になり、「正同盟員」になっていくということで、「作家同盟」にも党中央委員会にもあるような「候補」制度があるようだ。この「候補」制度について詳しく聞きたかったのだが、作家に関しては、「候補」は「現職作家」、つまり別の職業に就きながら作家活動をする人であり、「現役作家」は、作家業を専門的に行う人であると説明していた(記憶が逆かもしれないので、追って確認する)。ということは、党の職責の何とか「候補」というのもそういうことがあるのかもしれない。
3人目は、女性であったが、前の2人とだいぶ雰囲気が違っていた。それが、女性だからなのか、彼女の性格だからなのかは、判断できないが、3人の中で一番「韓国化」されており、ある意味、発言が注意深かった(注意深さは、北朝鮮的なのかもしれないが)。この人は、北朝鮮女性の婚姻や性(特に、売春やセックス)についての意識が変わってきているという話をした。詳しくは書ききれないが、「苦難の行軍」の時期には「食べるために体を売った」が、今は「お金を稼ぐために体を売っている。性が市場化している」というようなことを言っていた。つまり、根本的なところには経済的困窮があるにせよ、食糧を得て生命を維持するというレベルから、一つの職業としての売春が「今の」北朝鮮にはあるという話のようである。指導者があちこちに建てる総合健康施設は、「売春で持っている」ようなことも言っていたが、いささか誇張のような気はした。しかし、途上国で貧困のために女性が売春をするというのは、ある意味、普遍的な現象であり、何も北朝鮮が特殊なわけではない。
そのようなことも含め、3人の話に共通していえることだが、どうやら扱っている対象地域が北朝鮮であるというだけで、その内容たるやかなり普遍的なもののような気がした。そうすると、「脱北者」文学というカテゴリーが成り立つのかどうかすら怪しくなってくる。
とにかく、3人が書いた作品を読むことなく、聞いた話だけで書いているので間違っているかもしれないが、面白かった。
オフィシャルな会が終わった後、主催者にお誘いいただき、脱北作家とビールを飲むことができた。実は、こちらの方が、私には有益であった。特に、「詩人」先生とたくさん話をしたのだが、北朝鮮での出来事をいろいろと話してくれた。この人、「世襲一味」は大嫌いのようであったが、やはり故郷としての北朝鮮をとても愛しているし、北朝鮮で暮らしていたころの出来事をとても懐かしく思っていると感じられた。「世襲一味」がいなくなり、「中国のような社会主義国になればよい」とも言っていたので、「世襲一味」がいなくなれば、北朝鮮に帰るのかもしれないし、必ずしも韓国による吸収統一を望んでいないのかもしれない。こういう話は、メディアが伝える脱北者像からはほとんど伝わってこない。
この「詩人」先生、北朝鮮で詩を書いたら逮捕されて3年間、臭い飯を食ったとも言っていた。残念ながら、どのような詩を書いて臭い飯を食ったのか聞くことはできなかった(時間がなかったので)が、そんなことも含め、北朝鮮の話をいろいろとしてくれた。子供のころ、真っ黒な顔の炭鉱夫をからかって叱られた話、「カンネンイ(トウモロコシ)うどん」の話、飲み会の酒が足りないので、ビール+焼酎+飴を削った粉を混ぜて「醸造」して量を増やした話、帰国した在日朝鮮人が出資して作った(「将軍様」も大喜びした)両江道のアサヒビール系工場の話、小松左京『日本沈没』など、推理小説を「保安部員」が「捜査手法を学ぶために回し読みした」話、「将軍様」が「どんな映画でも見てよいから」と作家にいろいろな映画を見せた話(もちろん、「足は地につけ、目は世界を」という発想からだが)、北朝鮮のたばこ習慣の話など、本当にたくさんの話を聞くことができた。しかし、上に書いた通り、いずれも北朝鮮を批判するような感じでの話ではなく、むしろ郷愁を感じながら話しているようだった。
一方で、脱北者は韓国を必ずしも肯定的に受け入れていないことも分かった。特に、作家としては、韓国の文学作品について「恋愛と企業不正の話ばかりだ」と批判していた。もちろん、北朝鮮の文学よりも多様性はあるはずだが、それでも、現状を厳しく批判していた。また、脱北作家が150人韓国にいるが、彼らの作品もまた内容が似たり寄ったりで、韓国では読まれなくなってしまったとも言っていた。
私は、北朝鮮の宣伝に惑わされて、脱北者を「故郷を捨てた人々」とみる傾向があったが、今回、彼らと話をしてみて、韓国社会に不満を抱き、北朝鮮での生活への郷愁も感じつつ、一方で「世襲一味」には強い嫌悪抱きながら韓国で暮らしている人々でなのだという印象を受けた。作家という職業の特殊性も関係しているかもしれないが、韓国で生きる脱北者の一つの姿であることは間違いない。
書き忘れるところだったが、ビールは「清涼飲料」の謎が解けた。北朝鮮では、ビールは「酒」ではなく、「清涼飲料」のカテゴリーに属するそうである。「アルコールが入っているではないか」と質問したが、清涼飲料らしく、職場でビールを飲んで酔っ払い叱られても、「清涼飲料を飲んだだけだ」と言い訳できると半分冗談で言っていた。こちらが持ち掛けた話ではなく、ビールの話の中から出てきた冗談話なので、事実だと思う。
接点ができたので、韓国に行って、また「詩人」先生らとビールを飲む機会があればと思っている。
朝鮮語で深い議論をする機会を提供していただいた、富山大学人文学部東アジア言語文化講座朝鮮言語文化研究室とオーガナイザーの和田とも美先生には、この場で深い謝意を表しておく。
また、メールで送られてくる広告の最後の方に、本シンポジウム情報を記して頂いた、レインボー通商の宮川社長にも謝意を表しておく(同社長もシンポジウムに来られていた)。このメールがなければ、こうしたシンポジウムがあることすら分からなかった。
<追記>
一つ書き忘れたが、「北朝鮮の体制は冷戦体制といえるか」という質問をしてみた。質問の趣旨がうまく伝わらなかったのかもしれないが、誰もすぐに口を開かなかった。ソウル大の先生が間に入り、説明してくださった結果、通じたが、雰囲気的には「冷戦」という言葉にピンと来ていないようだった。そして答えとしては、ソ連崩壊までは確かに冷戦構造に組み込まれていたが、その時代も含めて今に至るまで北朝鮮は「封建的な独裁体制」だと言っていた。朝鮮半島分断の起点は冷戦であるが、その体制は冷戦とは一線を画しながら形成されてきたと理解すべきであるようだ。
<追記2>
ゼミで学生に話をしていたら、一つ思い出した。「詩人」先生の話であるが、北朝鮮では、日本の印象はさほど悪くないと。『日本沈没』は、朝鮮人民が「日本が沈没」するのを喜んで読んでいるのかと思ったが、そうではなかったようだし、「朝鮮中央TV」を見ている限りでは、「米帝」と「日帝」は同等の悪の権現であるにもかかわらず、朝鮮人民の間でそのような認識があるというのは、少し意外であった。アサヒビールの話しから展開した内容であるが、「詩人」先生、自分の娘を朝鮮にいた頃から「トモコ」と呼んだりしたそうである。理由は、ある北朝鮮映画に出てきた日本女性の名前が「トモコ」で、その女性が「とても可愛かったから」ということであるが、朝鮮の女優が演じた「トモコ」であったにしても、随分気に入ったようだ。「トモコ」が演じた役柄についても話してくれたが、ビールの勢いで記憶が飛んでしまっている(「27号探査隊員」としては、失格)。日本人の印象が悪くない原因として、「帰国同胞」もあると言っていた。「帰国同胞」やはり、日本のことを懐かしく思っていたようで、周囲の朝鮮人にもそういう話しをしたそうだ。
一方、「米帝」に関しては、徹底的に嫌っていると言っていた。雰囲気的には、「世襲一味」が大嫌いな「詩人」先生ですら、「米帝」はあまり好きではないようであった。やはり、「米帝」は、朝鮮戦争中に北朝鮮に大量の爆弾を落とし、町を破壊し、戦争とはいえ、民間人をたくさん殺害したのであろう。結局、朝鮮人民にとっては、「米帝」は単なる破壊者・殺人者でしかなかったのではないかと思った。これは、「世襲一味」が宣伝するからではなく、経験から来ているような気がする。
ではなぜ「日帝」がと考えてしまうが、「日帝」は、「米帝」とは違い、36年もの長き間朝鮮を支配したので、良きにつけ悪しきにつけ、破壊者・殺人者だけではなかったからではないだろうか。誤解しないで欲しいが、植民地支配を美化するつもりも、正当化するつもりもない。相対的に、「米帝」とは違う関係にあったのではということが言いたいだけである。韓国にとっては米国は韓国を「日帝」から解放してくれた解放者、そして共産主義集団による「侵略」を撃退してくれた守護者であり、憎むべきは「日帝」だけということになる。この辺りに、南北での「日帝」に対する意識の差があるのかなとも思った。
結果からいうと、大変得るものが多いシンポジウムであった。脱北者に知り合いもおらず、ましてやコンタクトをする道筋もあまり考えたことがないので、まず、今回のシンポジウムで脱北者の声を直接聞け、色々と質問をすることができたのは、大変大きな収穫であった。私も脱北者を色眼鏡(ある程度、北朝鮮カラーで着色された)で見ていたが、その色を抜くこともできたし、メディアで伝えられる部分的な脱北者のイメージとはだいぶ異なることが分かった。
3人の脱北「作家」による報告があったが、三人三様でおもしろかった。最初の報告者は、北朝鮮でも「作家であった」ということであり、韓国に入国してからも作家として活動しているという。文学的才能がない私は、彼の文学作品を評する能力はないが、彼の基本的なスタンスは、「北朝鮮は核・ミサイルだけではなく、人間が生きてる世界ということを理解して欲しい」と言っていたので、この点については、拙ブログもそのようなスタンスで書いていることもあり、大いに感銘を受けた。
2人目の脱北「作家」も北朝鮮で「作家」として活動していたのことで、自分は「詩人」だと言っていた。2人の話で面白かったのは、北朝鮮で作家になる道筋、そして作家として生きていくことの難しさについて、それぞれの経験から詳しく話してくれたことである。特におもしろかったのは、2人のいうことが食い違い、片方が「そうではない」と訂正していた点である。どちらかが嘘を言っているとも思えないので、おそらく、作家としての二人の経験が異なったことに起因するのであろう。基本的には、「作家同盟」に加盟することが「作家」として認められる道であるということであるが、「作家同盟に加盟するのは、労働党に入党するよりも難しい」と言っていた。拙ブログでも何回も紹介してきたように、公式的には北朝鮮で「労働党員」になることは、とても大変だし、それは大変名誉であるということになっている。「労働党に入党するよりも難しい」というのは、それを皮肉った言葉であったと思うのだが、残念ながら、その意味を理解する人はあまりいなかったようだ。
そして、「作家同盟」に加盟するにしても、まず「候補」になり、「正同盟員」になっていくということで、「作家同盟」にも党中央委員会にもあるような「候補」制度があるようだ。この「候補」制度について詳しく聞きたかったのだが、作家に関しては、「候補」は「現職作家」、つまり別の職業に就きながら作家活動をする人であり、「現役作家」は、作家業を専門的に行う人であると説明していた(記憶が逆かもしれないので、追って確認する)。ということは、党の職責の何とか「候補」というのもそういうことがあるのかもしれない。
3人目は、女性であったが、前の2人とだいぶ雰囲気が違っていた。それが、女性だからなのか、彼女の性格だからなのかは、判断できないが、3人の中で一番「韓国化」されており、ある意味、発言が注意深かった(注意深さは、北朝鮮的なのかもしれないが)。この人は、北朝鮮女性の婚姻や性(特に、売春やセックス)についての意識が変わってきているという話をした。詳しくは書ききれないが、「苦難の行軍」の時期には「食べるために体を売った」が、今は「お金を稼ぐために体を売っている。性が市場化している」というようなことを言っていた。つまり、根本的なところには経済的困窮があるにせよ、食糧を得て生命を維持するというレベルから、一つの職業としての売春が「今の」北朝鮮にはあるという話のようである。指導者があちこちに建てる総合健康施設は、「売春で持っている」ようなことも言っていたが、いささか誇張のような気はした。しかし、途上国で貧困のために女性が売春をするというのは、ある意味、普遍的な現象であり、何も北朝鮮が特殊なわけではない。
そのようなことも含め、3人の話に共通していえることだが、どうやら扱っている対象地域が北朝鮮であるというだけで、その内容たるやかなり普遍的なもののような気がした。そうすると、「脱北者」文学というカテゴリーが成り立つのかどうかすら怪しくなってくる。
とにかく、3人が書いた作品を読むことなく、聞いた話だけで書いているので間違っているかもしれないが、面白かった。
オフィシャルな会が終わった後、主催者にお誘いいただき、脱北作家とビールを飲むことができた。実は、こちらの方が、私には有益であった。特に、「詩人」先生とたくさん話をしたのだが、北朝鮮での出来事をいろいろと話してくれた。この人、「世襲一味」は大嫌いのようであったが、やはり故郷としての北朝鮮をとても愛しているし、北朝鮮で暮らしていたころの出来事をとても懐かしく思っていると感じられた。「世襲一味」がいなくなり、「中国のような社会主義国になればよい」とも言っていたので、「世襲一味」がいなくなれば、北朝鮮に帰るのかもしれないし、必ずしも韓国による吸収統一を望んでいないのかもしれない。こういう話は、メディアが伝える脱北者像からはほとんど伝わってこない。
この「詩人」先生、北朝鮮で詩を書いたら逮捕されて3年間、臭い飯を食ったとも言っていた。残念ながら、どのような詩を書いて臭い飯を食ったのか聞くことはできなかった(時間がなかったので)が、そんなことも含め、北朝鮮の話をいろいろとしてくれた。子供のころ、真っ黒な顔の炭鉱夫をからかって叱られた話、「カンネンイ(トウモロコシ)うどん」の話、飲み会の酒が足りないので、ビール+焼酎+飴を削った粉を混ぜて「醸造」して量を増やした話、帰国した在日朝鮮人が出資して作った(「将軍様」も大喜びした)両江道のアサヒビール系工場の話、小松左京『日本沈没』など、推理小説を「保安部員」が「捜査手法を学ぶために回し読みした」話、「将軍様」が「どんな映画でも見てよいから」と作家にいろいろな映画を見せた話(もちろん、「足は地につけ、目は世界を」という発想からだが)、北朝鮮のたばこ習慣の話など、本当にたくさんの話を聞くことができた。しかし、上に書いた通り、いずれも北朝鮮を批判するような感じでの話ではなく、むしろ郷愁を感じながら話しているようだった。
一方で、脱北者は韓国を必ずしも肯定的に受け入れていないことも分かった。特に、作家としては、韓国の文学作品について「恋愛と企業不正の話ばかりだ」と批判していた。もちろん、北朝鮮の文学よりも多様性はあるはずだが、それでも、現状を厳しく批判していた。また、脱北作家が150人韓国にいるが、彼らの作品もまた内容が似たり寄ったりで、韓国では読まれなくなってしまったとも言っていた。
私は、北朝鮮の宣伝に惑わされて、脱北者を「故郷を捨てた人々」とみる傾向があったが、今回、彼らと話をしてみて、韓国社会に不満を抱き、北朝鮮での生活への郷愁も感じつつ、一方で「世襲一味」には強い嫌悪抱きながら韓国で暮らしている人々でなのだという印象を受けた。作家という職業の特殊性も関係しているかもしれないが、韓国で生きる脱北者の一つの姿であることは間違いない。
書き忘れるところだったが、ビールは「清涼飲料」の謎が解けた。北朝鮮では、ビールは「酒」ではなく、「清涼飲料」のカテゴリーに属するそうである。「アルコールが入っているではないか」と質問したが、清涼飲料らしく、職場でビールを飲んで酔っ払い叱られても、「清涼飲料を飲んだだけだ」と言い訳できると半分冗談で言っていた。こちらが持ち掛けた話ではなく、ビールの話の中から出てきた冗談話なので、事実だと思う。
接点ができたので、韓国に行って、また「詩人」先生らとビールを飲む機会があればと思っている。
朝鮮語で深い議論をする機会を提供していただいた、富山大学人文学部東アジア言語文化講座朝鮮言語文化研究室とオーガナイザーの和田とも美先生には、この場で深い謝意を表しておく。
また、メールで送られてくる広告の最後の方に、本シンポジウム情報を記して頂いた、レインボー通商の宮川社長にも謝意を表しておく(同社長もシンポジウムに来られていた)。このメールがなければ、こうしたシンポジウムがあることすら分からなかった。
<追記>
一つ書き忘れたが、「北朝鮮の体制は冷戦体制といえるか」という質問をしてみた。質問の趣旨がうまく伝わらなかったのかもしれないが、誰もすぐに口を開かなかった。ソウル大の先生が間に入り、説明してくださった結果、通じたが、雰囲気的には「冷戦」という言葉にピンと来ていないようだった。そして答えとしては、ソ連崩壊までは確かに冷戦構造に組み込まれていたが、その時代も含めて今に至るまで北朝鮮は「封建的な独裁体制」だと言っていた。朝鮮半島分断の起点は冷戦であるが、その体制は冷戦とは一線を画しながら形成されてきたと理解すべきであるようだ。
<追記2>
ゼミで学生に話をしていたら、一つ思い出した。「詩人」先生の話であるが、北朝鮮では、日本の印象はさほど悪くないと。『日本沈没』は、朝鮮人民が「日本が沈没」するのを喜んで読んでいるのかと思ったが、そうではなかったようだし、「朝鮮中央TV」を見ている限りでは、「米帝」と「日帝」は同等の悪の権現であるにもかかわらず、朝鮮人民の間でそのような認識があるというのは、少し意外であった。アサヒビールの話しから展開した内容であるが、「詩人」先生、自分の娘を朝鮮にいた頃から「トモコ」と呼んだりしたそうである。理由は、ある北朝鮮映画に出てきた日本女性の名前が「トモコ」で、その女性が「とても可愛かったから」ということであるが、朝鮮の女優が演じた「トモコ」であったにしても、随分気に入ったようだ。「トモコ」が演じた役柄についても話してくれたが、ビールの勢いで記憶が飛んでしまっている(「27号探査隊員」としては、失格)。日本人の印象が悪くない原因として、「帰国同胞」もあると言っていた。「帰国同胞」やはり、日本のことを懐かしく思っていたようで、周囲の朝鮮人にもそういう話しをしたそうだ。
一方、「米帝」に関しては、徹底的に嫌っていると言っていた。雰囲気的には、「世襲一味」が大嫌いな「詩人」先生ですら、「米帝」はあまり好きではないようであった。やはり、「米帝」は、朝鮮戦争中に北朝鮮に大量の爆弾を落とし、町を破壊し、戦争とはいえ、民間人をたくさん殺害したのであろう。結局、朝鮮人民にとっては、「米帝」は単なる破壊者・殺人者でしかなかったのではないかと思った。これは、「世襲一味」が宣伝するからではなく、経験から来ているような気がする。
ではなぜ「日帝」がと考えてしまうが、「日帝」は、「米帝」とは違い、36年もの長き間朝鮮を支配したので、良きにつけ悪しきにつけ、破壊者・殺人者だけではなかったからではないだろうか。誤解しないで欲しいが、植民地支配を美化するつもりも、正当化するつもりもない。相対的に、「米帝」とは違う関係にあったのではということが言いたいだけである。韓国にとっては米国は韓国を「日帝」から解放してくれた解放者、そして共産主義集団による「侵略」を撃退してくれた守護者であり、憎むべきは「日帝」だけということになる。この辺りに、南北での「日帝」に対する意識の差があるのかなとも思った。