「上海レポート」:『東方紅』、「日本帝国主義」、北朝鮮食堂に「大同江ビール」!、写真は検閲、200日戦闘終了日、接待員ドンムの部屋には「朝鮮中央TV」がない、インターン制度 (2016年9月6日)
4日から7日まで、小規模な国際学術会議があり、上海に滞在していた。上海は、空港で乗り換え通過を除けば、実に30年ぶり近い訪問であった。上海の発展ぶりについては書くまでもないが、古き良き北朝鮮的な「人民の国」を探していた私を和ませたのが、上海海関大楼の鐘の音である。
外灘遊歩道を歩いていたときに、その音は聞こえた。まさか、中国で最も資本主義的な上海でこの音を聞くとは思わなかった。それは、80年代、街のスピーカーから朝夕(だったはず)流れていた「東方紅」であった。案内をしてくれた同済大学の学生に「東方紅だね」と言ったら、一瞬きょとんとしていたが、「東方紅」の1節を中国語(中学時代から「革命家」であった私は、テレビの中国語講座でこれだけはなぜか覚えた)で言ってみたら、「それは、小学校か中学校の教科書に出ていたような・・・歌詞を覚えていない」と言っていた。若い上海人の記憶から消えかけている「偉大な毛主席」の歌が、上海の中心地で15分ごとに流されているのは、「偉大な毛主席」の資本主義へのささやかな対抗なのかもしれない。
Source: 2016/09/05 撮影
この鐘の音を聞きながら思ったのは、平壌の時計台から流れる『金日成将軍の歌』との類似性である。思えば、『金日成将軍の歌』を流している平壌では、お孫さんが「社会主義」を堅持すると頑張っており、「偉大な毛主席」が中国共産党第1回党大会を開催し、社会主義国中国を建設した上海では、社会主義の残滓はこの鐘の音だけになってしまったという非常に対照的な関係にある。
中国共産党第1回党大会が開催された建物。今は、博物館となっている(当日は、休館日だったが)。

Source: 2016/09/05 撮影
ボートで浦東に渡ったとき、朝鮮人民らしき人を目撃した。赤くて丸いバッジを胸に付けていたのだが、一瞬だったので、バッジの絵柄まで確認することはできなかった。その人、随分、奇妙な行動をしていた。ボートが船着き場に着いた直後、バス停の方に歩いて行ったものの、直ぐに切符売り場に戻ってきて帰りの切符を買っていた。
バッジは左胸に着いていたので、この写真からは残念ながら確認できない。

Source: 2016/09/05 撮影
同済大学の学生の話によると、同学の中国語コースには北朝鮮から20名前後の「中国語教師」が勉強に来ており、「集団で登校する」と言っていた。同じ教室には、韓国人や他の外国人もいるらしく、韓国人とは「ピリピリした関係」とその学生は言っていた。しかし、外国人とは口をきかないということではないらしく、その学生とも「かなり上手な中国語」で、朝鮮の家族のことなどを話したとのことである。機会があれば、朝鮮語が通じる地域にある延辺大学で中国語を勉強したいと思っていたが、この話を聞いて、北朝鮮の同志と同じ教室で中国語を学ぶのも悪くないと思った。授業の様子を見たかったのだが、まだ夏休みが終わっておらず、それには至らなかった。
上海で朝鮮半島との関わりがあるもう一つの場所は、韓国上海臨時政府の建物である。ここも現在は博物館になっている。案内してくれた学生は、「ここは、韓国人の観光コースになっています」と言っていた。その言葉通り、私が訪れた時も、小さな韓国人グループがやって来た。私が韓国にいた80年代と変わっていなければ、それぞれの展示、特に「日帝の蛮行」と関係する部分はよく読むはずであるが、来ていたのは若い女性を中心としたグループであったためか、「何これ?」という雰囲気で通り過ぎていった。展示の解説は、基本的に中韓英で書かれていたが、中国語と韓国語にはしっかりと「日本帝国主義」と表記されていたものの、英語は多少気遣いしてか「Japanese imperialist」とは書かず「Japan」と書かれていた。しかし、考えようによっては、今の「Japan」と当時の「Japanese imperialist」を同一視しているともとれる。

Source: 2016/09/05 撮影
この博物館には、「金九先生」の写真や関連資料が多数展示されていたが、同先生にもう少しご活躍頂ければ、今の朝鮮半島情勢は随分違っていたのかもしれない。北朝鮮映画にも登場する「金九先生」は、安重根などの「反日闘士」を除けば、南北共で尊敬されている珍しい人の1人である。
インターネットで検索すると、若干資料は古いが、上海には数件の北朝鮮レストランがあると出てくる。しかし、情報が2010年以前に集中しており、その後のフォローをほとんど見つけることができなかった。2016年7月末にコリアンタウンがある柴藤路の「平壌高麗館」に行ったというブログの記事を発見したので、地下鉄10号線(柴藤路1番出口出て直ぐ)で行ける柴藤路を目指してみることにした。
しばらく歩いて行くと、「モラン館」(だったはず)という北朝鮮レストランがあった。例によって、店の前には接待員ドンムが2名立っていたので、「公演は何時か?」と聞いたら「9時」とのこと。こちらは、これまで行った北朝鮮レストランの「7時半」を目指していったので、随分時間がある。「他にこの付近に朝鮮レストランはないのか?」との問いには「ありません」と。一応、裏を取るために周囲を歩いてみたが、ドンムの言葉通りなかった。7月末に存在した「平壌高麗館」は閉店したということのようだ。「ドンムの言うことを初めから信じればよかった」とか言いながら、「アンニョンハシムニカ」と歓迎されて入店。
入店すると、そこは、私がこれまで訪れた北朝鮮レストランとは別世界であった。これまで行ったところは、基本的に「食堂」つまり、食事を提供する場所であった。ところが、今回行ったところは、完全にスナックかクラブ。丸いテーブルの周りにソファーがあり、その真ん中に大きなステージがある。予算超過するのかドキドキしながらメニューを見ると、他の北朝鮮レストランと値段的には大差がなかった。しかし、メニューの数が少し少なく、どちらかというとおつまみ系が多かった。
ステージには「画面音楽」のカラオケが流れていたが、何とも古い曲ばかりだったので、ドンムに「モランボン楽団」の歌をリクエスト。ドンムは、カラオケ機器を操作して、「モランボン楽団」シリーズに切り替えてくれた(これは無料)。その1曲目が、『行こう、白頭山へ』。断然盛り上がる。
接待員ドンム(自分の名前入りの店のバッジを着用)がメニューを持って来た後、中年の女性が来た(バッジ未着用)。この女性、朝鮮語も話したが、朝鮮族の朝鮮語+若干南朝鮮的。同行した中国人同志に確認してもらったところ、やはり朝鮮族とのことであった。「支配人」なのかどうかは分からないが、「北朝鮮女性12人が南朝鮮国情院のチンピラに拉致」されたレストランの経営者も中国人であったようなので、中国側経営者の関係者なのであろう。
メニューには、南朝鮮の「カス(製品名の音訳)」ビールも含む中国と日本のビールは出ていたが、北朝鮮ビールはやはり出ていなかった。同行者が「生を飲みたい」というので、アサヒの生を注文した。驚いたのは、この生が日本で出てくる生のようにガンガンに冷えていたことだ(グラスが結露していた)。恐らく、中国で飲んだビールの中では、最高の冷えだっと思う。
公演が始まるまで時間があったこともあり、店内は我々だけであった。よって、接待員ドンムには話しかけ放題。この店、ドンムと話をすることは全く問題ないようだ。もちろん、横に座ったり、横にずっと立っていることはないが、少し離れたところに別の接待員と一緒に立っており、「ドンム!」と呼びかけるとやってくる。同行者が「北朝鮮ビールが飲みたい」と言うので、「メニューに出ていないよ」と言いつつも、接待員ドンムに聞いてみた。すると、何と「イッスムニダ(あります)」と。拙ブログには、これまで「大同江ビールは中国では飲めない」とさんざん書いてきたが、間違いであったことが判明した。ドンムに「メニューに出てないけど」と言うと、ドンムは「最近、入ったみたいです」と。いつからかは正確に分からないようであったが、「最近」というのは、やはり本国の「大同江ビール」キャンペーンと無関係ではないのかもしれない。
ドンムが大同江ビールを持って来たので、「これは、何番ビールか?」と聞いたが、意味が分からない。「大同江ビール祝典を知らないのか?」と質問したところ、「知らない」と。このドンム、「青峰楽団と功勲国家合唱団合同公演」、『青年賛歌』も知らず、当然、「元帥様の指導のもと行われた火星砲兵部隊弾道ロケット発射」も知らなかった。「SLBM大成功、成功中の成功」については、知っているようであった。
「朝鮮中央TVを見ていないの?」と質問すると、「見られません」というので、「『労働新聞』も読まないの?」と質問すると、「読めません」と。上海では「朝鮮中央TV」の衛星放送を受信しておらず、ドンム達のインターネット接続は禁止されているので、たとえ、北朝鮮のサイトであっても見ることができないようになっているようだ。すると、「祖国のニュース」は口伝えか、遅れて配送されてくる『労働新聞』の紙バージョンを読むしかないのかもしれない。
「朝鮮のことを本当によく知ってますね」というので、「ドンムよりも僕が朝鮮人みたいだ」とか言いながら、少し古い話題に切り替えてみた。「今、祖国では、何とか、えーと何だっかなぁ(演出)、戦闘やってますね?」と聞くと、ドンム、やっと我が意を得たりと「200日戦闘!」と元気に答える。なので、「200日戦闘、そうそう、あれはいつまでですか?」と質問すると、「12月17日、偉大な将軍様が逝去された日」と答えた。「200日戦闘」が終わる日については、過去記事で検討してみたが、「12月17日」という設定があったことは知らなかった。この辺り、後で北朝鮮官営メディアに出ているのか再確認する必要があるが、出ていないとすると、朝鮮人民の間で口伝で伝えられているのかもしれない。
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<追記:2016.9.10>
「200日戦闘」終了日について、コメントで情報を頂いた。頂いた情報を基に確認したところ、2016年6月3日付けの『労働新聞』に掲載された「<随筆>カレンダーを広げながら」の中に「我々が駆けていかなければならない200日戦闘走路の終点に、まさに忘れることができない12月のその日があるので、忠情と報いで貫いてきた5年の歳月と共に200日の日と日を目映い遺訓想像で刻んでいく我ら人民である (우리가 달려가야 할 200일전투주로의 끝점에 바로 잊을수 없는 12월의 그날이 있기에 충정과 보답으로 이어온 5년세월과 함께 200일의 날과 날들을 눈부신 위훈창조로 새겨갈 우리 인민이다)」という一文がある。
朝鮮人民が、このような「随筆」をきちんと読んでいるのかどうか、その辺りは分からないが、暗に公式化されていることは間違いないようだ。
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壁に掛けてあった写真や絵が朝鮮とは全く関係ないもので、中に「スターウォーズ」のポスターもあったので、「壁に掛けてある絵が、この食堂に相応しくない。特に、あの米帝が作った映画のポスター(宣伝画)は良くない」と説教すると、「分かりました。今、朝鮮の絵を準備しているところです」と言っていた。言い訳であろう。
同行した中国人同志はその間、色々と写真を撮影していた。テーブルを撮影するフリをして、ドンムの写真も撮っていたようだが、それがドンムに見つかり、カメラの検閲を受けた。ドンムは、同志が撮った写真を見ながら、「ここに写っています」と確認しつつ、削除していった。しかし、これまで行った北朝鮮レストランの中で、ドンムの写真撮影を禁じられたのはここが初めてである。「12人が拉致された」事件と関係しているのかどうかは不明。
その他にも平壌の街の様子、ドンムの将来の夢などについて、色々話した。このドンム、観光系大学から「実習生」としてこのレストランに来ていると言っていたが、インターンとして観光系大学の学生を中国に派遣しているということが事実とすれば、北朝鮮も「観光大国」化の準備を本格化しているのかもしれない。
外灘遊歩道を歩いていたときに、その音は聞こえた。まさか、中国で最も資本主義的な上海でこの音を聞くとは思わなかった。それは、80年代、街のスピーカーから朝夕(だったはず)流れていた「東方紅」であった。案内をしてくれた同済大学の学生に「東方紅だね」と言ったら、一瞬きょとんとしていたが、「東方紅」の1節を中国語(中学時代から「革命家」であった私は、テレビの中国語講座でこれだけはなぜか覚えた)で言ってみたら、「それは、小学校か中学校の教科書に出ていたような・・・歌詞を覚えていない」と言っていた。若い上海人の記憶から消えかけている「偉大な毛主席」の歌が、上海の中心地で15分ごとに流されているのは、「偉大な毛主席」の資本主義へのささやかな対抗なのかもしれない。
Source: 2016/09/05 撮影
この鐘の音を聞きながら思ったのは、平壌の時計台から流れる『金日成将軍の歌』との類似性である。思えば、『金日成将軍の歌』を流している平壌では、お孫さんが「社会主義」を堅持すると頑張っており、「偉大な毛主席」が中国共産党第1回党大会を開催し、社会主義国中国を建設した上海では、社会主義の残滓はこの鐘の音だけになってしまったという非常に対照的な関係にある。
中国共産党第1回党大会が開催された建物。今は、博物館となっている(当日は、休館日だったが)。

Source: 2016/09/05 撮影
ボートで浦東に渡ったとき、朝鮮人民らしき人を目撃した。赤くて丸いバッジを胸に付けていたのだが、一瞬だったので、バッジの絵柄まで確認することはできなかった。その人、随分、奇妙な行動をしていた。ボートが船着き場に着いた直後、バス停の方に歩いて行ったものの、直ぐに切符売り場に戻ってきて帰りの切符を買っていた。
バッジは左胸に着いていたので、この写真からは残念ながら確認できない。

Source: 2016/09/05 撮影
同済大学の学生の話によると、同学の中国語コースには北朝鮮から20名前後の「中国語教師」が勉強に来ており、「集団で登校する」と言っていた。同じ教室には、韓国人や他の外国人もいるらしく、韓国人とは「ピリピリした関係」とその学生は言っていた。しかし、外国人とは口をきかないということではないらしく、その学生とも「かなり上手な中国語」で、朝鮮の家族のことなどを話したとのことである。機会があれば、朝鮮語が通じる地域にある延辺大学で中国語を勉強したいと思っていたが、この話を聞いて、北朝鮮の同志と同じ教室で中国語を学ぶのも悪くないと思った。授業の様子を見たかったのだが、まだ夏休みが終わっておらず、それには至らなかった。
上海で朝鮮半島との関わりがあるもう一つの場所は、韓国上海臨時政府の建物である。ここも現在は博物館になっている。案内してくれた学生は、「ここは、韓国人の観光コースになっています」と言っていた。その言葉通り、私が訪れた時も、小さな韓国人グループがやって来た。私が韓国にいた80年代と変わっていなければ、それぞれの展示、特に「日帝の蛮行」と関係する部分はよく読むはずであるが、来ていたのは若い女性を中心としたグループであったためか、「何これ?」という雰囲気で通り過ぎていった。展示の解説は、基本的に中韓英で書かれていたが、中国語と韓国語にはしっかりと「日本帝国主義」と表記されていたものの、英語は多少気遣いしてか「Japanese imperialist」とは書かず「Japan」と書かれていた。しかし、考えようによっては、今の「Japan」と当時の「Japanese imperialist」を同一視しているともとれる。

Source: 2016/09/05 撮影
この博物館には、「金九先生」の写真や関連資料が多数展示されていたが、同先生にもう少しご活躍頂ければ、今の朝鮮半島情勢は随分違っていたのかもしれない。北朝鮮映画にも登場する「金九先生」は、安重根などの「反日闘士」を除けば、南北共で尊敬されている珍しい人の1人である。
インターネットで検索すると、若干資料は古いが、上海には数件の北朝鮮レストランがあると出てくる。しかし、情報が2010年以前に集中しており、その後のフォローをほとんど見つけることができなかった。2016年7月末にコリアンタウンがある柴藤路の「平壌高麗館」に行ったというブログの記事を発見したので、地下鉄10号線(柴藤路1番出口出て直ぐ)で行ける柴藤路を目指してみることにした。
しばらく歩いて行くと、「モラン館」(だったはず)という北朝鮮レストランがあった。例によって、店の前には接待員ドンムが2名立っていたので、「公演は何時か?」と聞いたら「9時」とのこと。こちらは、これまで行った北朝鮮レストランの「7時半」を目指していったので、随分時間がある。「他にこの付近に朝鮮レストランはないのか?」との問いには「ありません」と。一応、裏を取るために周囲を歩いてみたが、ドンムの言葉通りなかった。7月末に存在した「平壌高麗館」は閉店したということのようだ。「ドンムの言うことを初めから信じればよかった」とか言いながら、「アンニョンハシムニカ」と歓迎されて入店。
入店すると、そこは、私がこれまで訪れた北朝鮮レストランとは別世界であった。これまで行ったところは、基本的に「食堂」つまり、食事を提供する場所であった。ところが、今回行ったところは、完全にスナックかクラブ。丸いテーブルの周りにソファーがあり、その真ん中に大きなステージがある。予算超過するのかドキドキしながらメニューを見ると、他の北朝鮮レストランと値段的には大差がなかった。しかし、メニューの数が少し少なく、どちらかというとおつまみ系が多かった。
ステージには「画面音楽」のカラオケが流れていたが、何とも古い曲ばかりだったので、ドンムに「モランボン楽団」の歌をリクエスト。ドンムは、カラオケ機器を操作して、「モランボン楽団」シリーズに切り替えてくれた(これは無料)。その1曲目が、『行こう、白頭山へ』。断然盛り上がる。
接待員ドンム(自分の名前入りの店のバッジを着用)がメニューを持って来た後、中年の女性が来た(バッジ未着用)。この女性、朝鮮語も話したが、朝鮮族の朝鮮語+若干南朝鮮的。同行した中国人同志に確認してもらったところ、やはり朝鮮族とのことであった。「支配人」なのかどうかは分からないが、「北朝鮮女性12人が南朝鮮国情院のチンピラに拉致」されたレストランの経営者も中国人であったようなので、中国側経営者の関係者なのであろう。
メニューには、南朝鮮の「カス(製品名の音訳)」ビールも含む中国と日本のビールは出ていたが、北朝鮮ビールはやはり出ていなかった。同行者が「生を飲みたい」というので、アサヒの生を注文した。驚いたのは、この生が日本で出てくる生のようにガンガンに冷えていたことだ(グラスが結露していた)。恐らく、中国で飲んだビールの中では、最高の冷えだっと思う。
公演が始まるまで時間があったこともあり、店内は我々だけであった。よって、接待員ドンムには話しかけ放題。この店、ドンムと話をすることは全く問題ないようだ。もちろん、横に座ったり、横にずっと立っていることはないが、少し離れたところに別の接待員と一緒に立っており、「ドンム!」と呼びかけるとやってくる。同行者が「北朝鮮ビールが飲みたい」と言うので、「メニューに出ていないよ」と言いつつも、接待員ドンムに聞いてみた。すると、何と「イッスムニダ(あります)」と。拙ブログには、これまで「大同江ビールは中国では飲めない」とさんざん書いてきたが、間違いであったことが判明した。ドンムに「メニューに出てないけど」と言うと、ドンムは「最近、入ったみたいです」と。いつからかは正確に分からないようであったが、「最近」というのは、やはり本国の「大同江ビール」キャンペーンと無関係ではないのかもしれない。
ドンムが大同江ビールを持って来たので、「これは、何番ビールか?」と聞いたが、意味が分からない。「大同江ビール祝典を知らないのか?」と質問したところ、「知らない」と。このドンム、「青峰楽団と功勲国家合唱団合同公演」、『青年賛歌』も知らず、当然、「元帥様の指導のもと行われた火星砲兵部隊弾道ロケット発射」も知らなかった。「SLBM大成功、成功中の成功」については、知っているようであった。
「朝鮮中央TVを見ていないの?」と質問すると、「見られません」というので、「『労働新聞』も読まないの?」と質問すると、「読めません」と。上海では「朝鮮中央TV」の衛星放送を受信しておらず、ドンム達のインターネット接続は禁止されているので、たとえ、北朝鮮のサイトであっても見ることができないようになっているようだ。すると、「祖国のニュース」は口伝えか、遅れて配送されてくる『労働新聞』の紙バージョンを読むしかないのかもしれない。
「朝鮮のことを本当によく知ってますね」というので、「ドンムよりも僕が朝鮮人みたいだ」とか言いながら、少し古い話題に切り替えてみた。「今、祖国では、何とか、えーと何だっかなぁ(演出)、戦闘やってますね?」と聞くと、ドンム、やっと我が意を得たりと「200日戦闘!」と元気に答える。なので、「200日戦闘、そうそう、あれはいつまでですか?」と質問すると、「12月17日、偉大な将軍様が逝去された日」と答えた。「200日戦闘」が終わる日については、過去記事で検討してみたが、「12月17日」という設定があったことは知らなかった。この辺り、後で北朝鮮官営メディアに出ているのか再確認する必要があるが、出ていないとすると、朝鮮人民の間で口伝で伝えられているのかもしれない。
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<追記:2016.9.10>
「200日戦闘」終了日について、コメントで情報を頂いた。頂いた情報を基に確認したところ、2016年6月3日付けの『労働新聞』に掲載された「<随筆>カレンダーを広げながら」の中に「我々が駆けていかなければならない200日戦闘走路の終点に、まさに忘れることができない12月のその日があるので、忠情と報いで貫いてきた5年の歳月と共に200日の日と日を目映い遺訓想像で刻んでいく我ら人民である (우리가 달려가야 할 200일전투주로의 끝점에 바로 잊을수 없는 12월의 그날이 있기에 충정과 보답으로 이어온 5년세월과 함께 200일의 날과 날들을 눈부신 위훈창조로 새겨갈 우리 인민이다)」という一文がある。
朝鮮人民が、このような「随筆」をきちんと読んでいるのかどうか、その辺りは分からないが、暗に公式化されていることは間違いないようだ。
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壁に掛けてあった写真や絵が朝鮮とは全く関係ないもので、中に「スターウォーズ」のポスターもあったので、「壁に掛けてある絵が、この食堂に相応しくない。特に、あの米帝が作った映画のポスター(宣伝画)は良くない」と説教すると、「分かりました。今、朝鮮の絵を準備しているところです」と言っていた。言い訳であろう。
同行した中国人同志はその間、色々と写真を撮影していた。テーブルを撮影するフリをして、ドンムの写真も撮っていたようだが、それがドンムに見つかり、カメラの検閲を受けた。ドンムは、同志が撮った写真を見ながら、「ここに写っています」と確認しつつ、削除していった。しかし、これまで行った北朝鮮レストランの中で、ドンムの写真撮影を禁じられたのはここが初めてである。「12人が拉致された」事件と関係しているのかどうかは不明。
その他にも平壌の街の様子、ドンムの将来の夢などについて、色々話した。このドンム、観光系大学から「実習生」としてこのレストランに来ていると言っていたが、インターンとして観光系大学の学生を中国に派遣しているということが事実とすれば、北朝鮮も「観光大国」化の準備を本格化しているのかもしれない。