「偉大な首領金日成大元帥様誕生100周年慶祝閲兵式でなさった我が党と人民の最高指導者金正恩同志の演説」(2012年4月16日「労働新聞」)
uriminzokkiriにアップロードされた閲兵式の動画のダウンロードを何回も試みているが、800MBの大型ファイルで途中でダンロードが中断してしまう。今、この記事を書きながらも230MBダウンロードできたが、どこまで行けるのか分からない。金正恩さんの演説が聞けなくて困っていたら、You Tubeに「朝鮮中央TV」から演説部分を切り出しアップロードされたものがあったのでそちらで聞いた。
演説のスクリプト「労働新聞」
http://www.rodong.rep.kp/InterKo/index.php?strPageID=SF01_02_01&newsID=2012-04-16-0001
聞き始めてすぐに感じたのは、「ずいぶん下手な演説だなあ」ということである。このところ、北朝鮮の重要な演説といえば、同国序列2位の金永南さんのものばかり聞いていた。金永南さんも、高齢のためか、咳払いをするなど癖はあるが、それでも演説らしく読んでいる。一方、金正恩さんは、早口で原稿を棒読みしているだけで、とても朝鮮人民に感銘を与えるような演説とは言いがたい。
しかし、金正恩さんの演説が金日成さんのそれと似ていると指摘する報道もあったので、やはりYouTubeにアップロードされていた金日成さんの最後の「新年の辞」(1994年)と聞き比べてみた。確かに、金日成さんの演説も棒読みに近く、しかも早口である。金正日さんの朝鮮人民を前にした唯一の肉声である「英雄的朝鮮人民軍将兵たちに栄光あれ!」という一言も早口でフラットな感じであった。金正日さんの肉声は、韓国の金大中大統領などとの会見の映像でも聞くことができるが、普通の話をするときも高めの声で早口で話しているようである。金正日さんまでお父さんをまねているとは考えられないので、もしかするとあれは金ファミリーの遺伝なのかもしれない。
とはいえ、金正恩さんは明らかにお祖父さんの演説スタイルをまねている。今朝、uriminzokkiriにアップロードされた「朝鮮中央TV」の「20時報道」の中にも、金正恩さんの演説を聴いた平壌市民が金日成さんにそっくりだというようなことを語っている場面があったが、平壌市民が本当にそう思っているのかは別とし、金正恩さんはそうしようと努めているはずである。
金正恩さんは、お祖父さんの演説のマネはできたとしよう。問題は、演説の中身をどれだけ理解し、事態をどのように把握しているのかということである。金日成さんの演説であれ、金正恩さんの演説であれ、原稿は秘書によって書かれ、それに彼らが決済を下して読み上げているのであろう。少なくとも金日成さんは、何を言っているのか自分で十分に理解し、自らのメッセージとして朝鮮人民と世界に発していたのであろう。
しかし、金正恩さんはどうであったのか。何の根拠もないが、この演説を視聴して感じたことは、形式的な権力継承は国防委員会第1委員長就任により完了したが、実質的な権力を金正恩さんは殆ど把握していないのではないかということである。若いということと実績がないということが分かりきっているだけに、余計にそう感じるのかもしれない。これは、朝鮮人民とて同じではないだろうか。
すると、側近の張成沢、李英鎬、崔龍海さんあたりがいろいろとアドバイスを与えながら、金正恩さんはそれにしたがって動いているだけなのではないだろうかなどと考えてしまう。そうであるとすると、側近間の力関係がとても重要になってくる。側近から異なったアドバイスがなされた場合、それを取捨選択する能力は金正恩さんにないと思われるので、彼には一元化されたアドバイスがなされなければならない。今のところは、金正日さんの既定路線で進んできたので、大きな混乱もなかったのかもしれないが、このお祭りが終わった後、「金日成-金正日主義」の解釈を巡る論争が起こる可能性がある。
やはり金正恩さんは若すぎる。一つ期待できるとすれば、「金日成-金正日主義」の表面的な標榜は維持しつつも、側近がとうてい容認できないような大胆なアイディアを第1委員長の権威を使って出すことができるのかである。「中央日報」に金正恩さんが「資本主義方式を主張しても批判はするな」と指示したという記事が出ていた。この記事は、日本の「毎日新聞」の記事を引用したものであったが、「毎日新聞」は恐らく同じソースから金正恩さんが「改革・開放的志向である」という情報を得て、何度か報道してきている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120417-00000008-cnippou-kr
このソースがどれだけ信用できるかは分からないが、少なくともそれを受け入れる器が彼にあるのか、そうでなくても政権内にそれを望む雰囲気ができてきているのかもしれない。
若者の悪い方向への暴発を防ぐために老人がきちんとアシストをするのがよいのか、それとも新たな方向へ進むために老人は一歩引き下がった方が良いのか。悩ましいところである。
そういえば、新聞だったかテレビだったか忘れたが、金正恩さんが演説中に体をくねらせた数を数えたら111回だったそうだ。北朝鮮は、日本や韓国同様に縁起の良い数字が好きな国である。111とは実に縁起の良い数字だ。これも演技だったとしたら凄い。私は、彼が演説中に舌を出したのが気になったのであるが。
それにしても、体をくねらせる数まで数えられる国家的指導者は世界広しといえども金正恩さん以外にはいないであろう。
<追記:2012年4月19日 08:22>
やはり金正恩さんは世界的に注目されているようである。
「金正恩氏選出、日本人なし=「影響力ある100人」―米誌」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120419-00000017-jij-int
そして、なんと日本では「女性自身」の記事にもなってしまった。
「金正恩 欠陥ミサイル強行発射の裏に「祖父に捨てられた過去」」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120419-00000307-jisin-soci
演説のスクリプト「労働新聞」
http://www.rodong.rep.kp/InterKo/index.php?strPageID=SF01_02_01&newsID=2012-04-16-0001
聞き始めてすぐに感じたのは、「ずいぶん下手な演説だなあ」ということである。このところ、北朝鮮の重要な演説といえば、同国序列2位の金永南さんのものばかり聞いていた。金永南さんも、高齢のためか、咳払いをするなど癖はあるが、それでも演説らしく読んでいる。一方、金正恩さんは、早口で原稿を棒読みしているだけで、とても朝鮮人民に感銘を与えるような演説とは言いがたい。
しかし、金正恩さんの演説が金日成さんのそれと似ていると指摘する報道もあったので、やはりYouTubeにアップロードされていた金日成さんの最後の「新年の辞」(1994年)と聞き比べてみた。確かに、金日成さんの演説も棒読みに近く、しかも早口である。金正日さんの朝鮮人民を前にした唯一の肉声である「英雄的朝鮮人民軍将兵たちに栄光あれ!」という一言も早口でフラットな感じであった。金正日さんの肉声は、韓国の金大中大統領などとの会見の映像でも聞くことができるが、普通の話をするときも高めの声で早口で話しているようである。金正日さんまでお父さんをまねているとは考えられないので、もしかするとあれは金ファミリーの遺伝なのかもしれない。
とはいえ、金正恩さんは明らかにお祖父さんの演説スタイルをまねている。今朝、uriminzokkiriにアップロードされた「朝鮮中央TV」の「20時報道」の中にも、金正恩さんの演説を聴いた平壌市民が金日成さんにそっくりだというようなことを語っている場面があったが、平壌市民が本当にそう思っているのかは別とし、金正恩さんはそうしようと努めているはずである。
金正恩さんは、お祖父さんの演説のマネはできたとしよう。問題は、演説の中身をどれだけ理解し、事態をどのように把握しているのかということである。金日成さんの演説であれ、金正恩さんの演説であれ、原稿は秘書によって書かれ、それに彼らが決済を下して読み上げているのであろう。少なくとも金日成さんは、何を言っているのか自分で十分に理解し、自らのメッセージとして朝鮮人民と世界に発していたのであろう。
しかし、金正恩さんはどうであったのか。何の根拠もないが、この演説を視聴して感じたことは、形式的な権力継承は国防委員会第1委員長就任により完了したが、実質的な権力を金正恩さんは殆ど把握していないのではないかということである。若いということと実績がないということが分かりきっているだけに、余計にそう感じるのかもしれない。これは、朝鮮人民とて同じではないだろうか。
すると、側近の張成沢、李英鎬、崔龍海さんあたりがいろいろとアドバイスを与えながら、金正恩さんはそれにしたがって動いているだけなのではないだろうかなどと考えてしまう。そうであるとすると、側近間の力関係がとても重要になってくる。側近から異なったアドバイスがなされた場合、それを取捨選択する能力は金正恩さんにないと思われるので、彼には一元化されたアドバイスがなされなければならない。今のところは、金正日さんの既定路線で進んできたので、大きな混乱もなかったのかもしれないが、このお祭りが終わった後、「金日成-金正日主義」の解釈を巡る論争が起こる可能性がある。
やはり金正恩さんは若すぎる。一つ期待できるとすれば、「金日成-金正日主義」の表面的な標榜は維持しつつも、側近がとうてい容認できないような大胆なアイディアを第1委員長の権威を使って出すことができるのかである。「中央日報」に金正恩さんが「資本主義方式を主張しても批判はするな」と指示したという記事が出ていた。この記事は、日本の「毎日新聞」の記事を引用したものであったが、「毎日新聞」は恐らく同じソースから金正恩さんが「改革・開放的志向である」という情報を得て、何度か報道してきている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120417-00000008-cnippou-kr
このソースがどれだけ信用できるかは分からないが、少なくともそれを受け入れる器が彼にあるのか、そうでなくても政権内にそれを望む雰囲気ができてきているのかもしれない。
若者の悪い方向への暴発を防ぐために老人がきちんとアシストをするのがよいのか、それとも新たな方向へ進むために老人は一歩引き下がった方が良いのか。悩ましいところである。
そういえば、新聞だったかテレビだったか忘れたが、金正恩さんが演説中に体をくねらせた数を数えたら111回だったそうだ。北朝鮮は、日本や韓国同様に縁起の良い数字が好きな国である。111とは実に縁起の良い数字だ。これも演技だったとしたら凄い。私は、彼が演説中に舌を出したのが気になったのであるが。
それにしても、体をくねらせる数まで数えられる国家的指導者は世界広しといえども金正恩さん以外にはいないであろう。
<追記:2012年4月19日 08:22>
やはり金正恩さんは世界的に注目されているようである。
「金正恩氏選出、日本人なし=「影響力ある100人」―米誌」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120419-00000017-jij-int
そして、なんと日本では「女性自身」の記事にもなってしまった。
「金正恩 欠陥ミサイル強行発射の裏に「祖父に捨てられた過去」」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120419-00000307-jisin-soci