「<朝鮮記録映画>朝鮮のために学ぼう」:今の「元帥様」ではできない「記録映画」 (2016年6月5日 「朝鮮中央TV」)
5日、「朝鮮のために学ぼう」という1999年に制作された「朝鮮記録映画」を放送している。韓国統一部のDBにると、2007年6月5日に初放送があり、2014年9月、2015年3月、2015年6月、2016年3月と放送されてきた。3月の放送は何を受けての放送なのか分からないが、6月は6月6日の「朝鮮少年団創設日」との関連である。
この『記録映画』では、「将軍様」の少年時代に遡り、「首領様」を支える行動をしたり、作曲・作詞をしたり、他の少年をリードしたりと、「首領様」に忠実な革命家に成長する過程とその「天才」ぶりを紹介している。
この映画を見ながら思ったことは、現状の「元帥様」では、こうした映画はできそうもないということだ。まず、少年時代に遡るためには「お母さん問題」をクリアしなければならず、仮にそれをクリアしたとして、子供の「将軍様」が活躍したとされる中学・高校時代は、米国亡命中の「お母さん」の姉か妹の証言によれば、スイスで過ごしたことになる。それはそれで、「卓越した国際感覚を身につけ」と宣伝することはできるかもしれないが、基本は「足は地に着け」なので、北朝鮮的にはよろしくない。ましてや「我が国の優越した教育制度」の中で学んでいないことになる。
「将軍様」のユーラ時代は、もっと幼かったので端っこを切ってしまえばよいが、「元帥様」は中間なので切ることできない。それこそ「将軍様」を支えて「天才的」な革命活動をしなければならなかった時期に海外にいたのは、たいへんまずい。
この辺り、「偉人」としてはいつかは説明しなければならないと思うのだが、真実を伝えるのか、それともストーリーを作るのか。ストーリーを作るとして、どのようなストーリーになるのか楽しみだ。
<追記>
書いたついでに、「朝鮮記録映画」を参照しながら、「将軍様」の少年時代を紹介しておく。
「平壌第4人民学校」に通っていた「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
ナレーションでは触れられないが、横に立っている女の子は金敬姫だと思う。

Source: KCTV, 2016/06/05
少年時代のエピソードを紹介するには、こういう絵も必要になるが、今の「元帥様」では出せない。

Source: KCTV, 2016/06/05
「党創建5年目に幼い妹と共に2本の松を植えられた将軍様」とナレーション。再び金敬姫が出ている。

Source: KCTV, 2016/06/05
「将軍様が創作された不朽の古典的名作『祖国の懐』」とその一節を紹介する場面。大人の「将軍様」の作品ではなく、子供の「将軍様」というところがポイントである。

Source: KCTV, 2016/06/05
「1954年夏」、「朝鮮のために学ぼう」という名言を残した「将軍様」。

Source: KCTV, 2016/06/05
1954年4月15日の「将軍様」、「首領様」、金敬姫(金敬姫を紹介するナレーションはない)

Source: KCTV, 2016/06/05
1954年9月1日、「平壌第1中学校」に入学した「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
1956年6月5日、「革命戦跡地踏査団を引率して」出発した「将軍様」。周りの学生たちは、同行した学生だと思われる。この中に写っている女の子と結婚しておけば、「元帥様」の「お母様問題」もなかったはずだが。

Source: KCTV, 2016/06/05
1958年から60年「高級中学校」時代の「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
計算尺を使って勉強する「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
「高級中学校」を卒業する頃の「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
「将軍様」が「高級中学校」を卒業するとき、皆に頼まれて歌った歌『私の母』。「元帥様」の時代にも「母」の歌はたくさんあるが、全てはっきりと「母=党」ということが分かる歌詞になっている。しかし、この金文字で書かれた部分がその歌詞の全てだとすれば、「将軍様」がこの歌で金正淑(「お母様」)のことを歌っているのか労働党を歌っているのか分からない。

Source: KCTV, 2016/06/05
この『記録映画』では、「将軍様」の少年時代に遡り、「首領様」を支える行動をしたり、作曲・作詞をしたり、他の少年をリードしたりと、「首領様」に忠実な革命家に成長する過程とその「天才」ぶりを紹介している。
この映画を見ながら思ったことは、現状の「元帥様」では、こうした映画はできそうもないということだ。まず、少年時代に遡るためには「お母さん問題」をクリアしなければならず、仮にそれをクリアしたとして、子供の「将軍様」が活躍したとされる中学・高校時代は、米国亡命中の「お母さん」の姉か妹の証言によれば、スイスで過ごしたことになる。それはそれで、「卓越した国際感覚を身につけ」と宣伝することはできるかもしれないが、基本は「足は地に着け」なので、北朝鮮的にはよろしくない。ましてや「我が国の優越した教育制度」の中で学んでいないことになる。
「将軍様」のユーラ時代は、もっと幼かったので端っこを切ってしまえばよいが、「元帥様」は中間なので切ることできない。それこそ「将軍様」を支えて「天才的」な革命活動をしなければならなかった時期に海外にいたのは、たいへんまずい。
この辺り、「偉人」としてはいつかは説明しなければならないと思うのだが、真実を伝えるのか、それともストーリーを作るのか。ストーリーを作るとして、どのようなストーリーになるのか楽しみだ。
<追記>
書いたついでに、「朝鮮記録映画」を参照しながら、「将軍様」の少年時代を紹介しておく。
「平壌第4人民学校」に通っていた「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
ナレーションでは触れられないが、横に立っている女の子は金敬姫だと思う。

Source: KCTV, 2016/06/05
少年時代のエピソードを紹介するには、こういう絵も必要になるが、今の「元帥様」では出せない。

Source: KCTV, 2016/06/05
「党創建5年目に幼い妹と共に2本の松を植えられた将軍様」とナレーション。再び金敬姫が出ている。

Source: KCTV, 2016/06/05
「将軍様が創作された不朽の古典的名作『祖国の懐』」とその一節を紹介する場面。大人の「将軍様」の作品ではなく、子供の「将軍様」というところがポイントである。

Source: KCTV, 2016/06/05
「1954年夏」、「朝鮮のために学ぼう」という名言を残した「将軍様」。

Source: KCTV, 2016/06/05
1954年4月15日の「将軍様」、「首領様」、金敬姫(金敬姫を紹介するナレーションはない)

Source: KCTV, 2016/06/05
1954年9月1日、「平壌第1中学校」に入学した「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
1956年6月5日、「革命戦跡地踏査団を引率して」出発した「将軍様」。周りの学生たちは、同行した学生だと思われる。この中に写っている女の子と結婚しておけば、「元帥様」の「お母様問題」もなかったはずだが。

Source: KCTV, 2016/06/05
1958年から60年「高級中学校」時代の「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
計算尺を使って勉強する「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
「高級中学校」を卒業する頃の「将軍様」

Source: KCTV, 2016/06/05
「将軍様」が「高級中学校」を卒業するとき、皆に頼まれて歌った歌『私の母』。「元帥様」の時代にも「母」の歌はたくさんあるが、全てはっきりと「母=党」ということが分かる歌詞になっている。しかし、この金文字で書かれた部分がその歌詞の全てだとすれば、「将軍様」がこの歌で金正淑(「お母様」)のことを歌っているのか労働党を歌っているのか分からない。

Source: KCTV, 2016/06/05