姜锡柱(党中央委員会委員名簿序列11位)、急性呼吸不全・食道癌で死去、姜锡柱の略歴、葬儀委員長はなぜ「元帥様」ではないのか (2016年5月21日 「朝鮮中央TV」)
<追記:5月23日>
「元帥様」は、結局「花輪」を贈っただけであった。下は、遺骨を埋める崔龍海ら。

Source: KCNA, 2016/05/22
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故姜锡柱同志

Source: KCNA
国葬委員会委員長:崔龍海
姜锡柱は、中央委員会名簿で序列11位(2016年5月10日『労働新聞』)であったにもかかわらず、党政治局委員から外れていたのは、病気が関連していたのだろうか。
<追記>
「朝鮮中央TV」は、ストリームの不調でブツブツ切れており聞き取れなかったが、「朝鮮中央通信」に略歴が出たので整理しておく。
朝鮮労働党中央委員会委員であり、朝鮮民主主義人民共和国最高人会議代議員である姜锡柱同志は、日帝植民地統治の暗澹たる時期である1939年8月29日、極貧の労働者家庭で出生した。
조선로동당 중앙위원회 위원이며 조선민주주의인민공화국 최고인민회의 대의원인 강석주동지는 일제식민지통치의 암담한 시기인 주체28(1939)년 8월 29일 극빈한 로동자가정에서 출생하였다.
姜锡柱同志は、解放後、党と首領の温かい懐の中で、有能な外交幹部へと育ち、党と国家の重要職責で長い間働いた。
강석주동지는 해방후 당과 수령의 따사로운 품속에서 유능한 외교일군으로 자라나 당과 국가의 중요직책에서 오래동안 사업하였다.
早い時期、偉大な首領金日成同志の大きな愛と信頼の中で、外交部門で仕事を始めた姜锡柱同志は、1969年から党中央委員会国際部指導員、課長として働きながら、党の対外政策を貫徹するために、あらゆる知恵と熱情を捧げた。
일찌기 위대한 수령 김일성동지의 크나큰 사랑과 믿음속에 외교부문에서 일을 시작한 강석주동지는 주체58(1969)년부터 당중앙위원회 국제부 지도원,과장으로 사업하면서 당의 대외정책을 관철하기 위하여 온갖 지혜와 열정을 다 바치였다.
姜锡柱同志は、1984年1月から外交部副部長、第1副部長として、2010年9月から内閣副総理として、2014年4月から党中央委員会秘書兼国際部部長として仕事をしながら、党の強化発展と国の対外的権威を保障するのに大きな寄与をした。
강석주동지는 주체73(1984)년 1월부터 외교부 부부장,제1부부장으로,주체99(2010)년 9월부터 내각부총리로,주체103(2014)년 4월부터 당중앙위원회 비서 겸 국제부 부장으로 사업하면서 당의 강화발전과 나라의 대외적권위를 보장하는데 크게 기여하였다.
姜锡柱同志は、1987年10月から党中央委員会候補委員、委員として、2010年9月から2016年5月まで党中央委員会政治局委員として仕事をした。
강석주동지는 주체76(1987)년 10월부터 당중앙위원회 후보위원,위원으로,주체99(2010)년 9월부터 주체105(2016)년 5월초까지 당중앙위원회 정치국 위원으로 사업하였다.
姜锡柱同志は、1987年、最高人民会議第8期の時から現在まで代議員として活動した。
강석주동지는 주체76(1987)년 최고인민회의 제8기때부터 지금까지 대의원으로 활동하였다.
姜锡柱同志は、党と革命、祖国と人民の前に立てた特出した功労により、共和国の最高勲章である金日成勲章と金正日勲章を授与され、労力英雄称号と国家勲章第1級を初めとした多くの国家表彰を受けた。
강석주동지는 당과 혁명,조국과 인민앞에 세운 특출한 공로로 하여 공화국의 최고훈장인 김일성훈장과 김정일훈장을 수여받았으며 로력영웅칭호와 국기훈장 제1급을 비롯한 많은 국가표창을 받았다.
姜锡柱同志は、2016年5月20日16時10分、急性呼吸不全、食道癌で悔やまれながら逝去した。
강석주동지는 주체105(2016)년 5월 20일 16시 10분 급성호흡부전,식도암으로 애석하게도 서거하였다.
姜锡柱同志は、党と首領に対する白玉のような忠情を持ち、生命の最後の瞬間まで党の領導に無限に忠実だった。
강석주동지는 당과 수령에 대한 백옥같은 충정을 지니고 생명의 마지막순간까지 당의 령도에 무한히 충실하였다.
姜锡柱同志は逝去したが、我が党と革命、国家と人民のために捧げた彼の闘争功績は末永く輝くであろう。
강석주동지는 비록 서거하였으나 우리 당과 혁명,조국과 인민을 위하여 바친 그의 투쟁공적은 길이 남아있을것이다.(끝)
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追記の前に書いた「党政治局委員が2012年まで」は誤り。「朝鮮中央TV」の「報道」でそう聞こえたから書いたのだが、音声が途切れていたので、聞き間違ったのかもしれない。
上記のように、姜锡柱の功績は高く評価されているものの、葬儀委員会の委員長は「元帥様」ではなく、崔龍海。「朝鮮中央通信」で検索してみると、金養建(2015.12.30)、李乙雪(2015.11.8)、チョン・ビョンホ(2014.7.9)の葬儀委員会院長は「元帥様」、金グッテ(2013.12.14)だけ金永南が委員長になっている。(括弧内の日時は「朝鮮中央通信」の報道日)
金養建と姜锡柱は、共に外交畑を歩んできた人で、前者は南北朝鮮関係、後者は対米交渉で活躍している。貢献度も職歴も甲乙付けがたいと思うのだが、姜锡柱の葬儀委員会の委員長に「元帥様」がならなかったのはなぜだろうか。本来、金養建の委員長になる予定もなかったのだが、「暗殺」と騒がれたので委員長になったのだろうか。崔龍海の格を上げるためなのか、はたまた葬儀の時期に「元帥様」が多忙なのか。実際に葬儀が執り行われ、その様子が報じられるだろうが、その中で「元帥様」がどのようにコミットするのか注目しなければならない。
「元帥様」は、結局「花輪」を贈っただけであった。下は、遺骨を埋める崔龍海ら。

Source: KCNA, 2016/05/22
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故姜锡柱同志

Source: KCNA
国葬委員会委員長:崔龍海
姜锡柱は、中央委員会名簿で序列11位(2016年5月10日『労働新聞』)であったにもかかわらず、党政治局委員から外れていたのは、病気が関連していたのだろうか。
<追記>
「朝鮮中央TV」は、ストリームの不調でブツブツ切れており聞き取れなかったが、「朝鮮中央通信」に略歴が出たので整理しておく。
朝鮮労働党中央委員会委員であり、朝鮮民主主義人民共和国最高人会議代議員である姜锡柱同志は、日帝植民地統治の暗澹たる時期である1939年8月29日、極貧の労働者家庭で出生した。
조선로동당 중앙위원회 위원이며 조선민주주의인민공화국 최고인민회의 대의원인 강석주동지는 일제식민지통치의 암담한 시기인 주체28(1939)년 8월 29일 극빈한 로동자가정에서 출생하였다.
姜锡柱同志は、解放後、党と首領の温かい懐の中で、有能な外交幹部へと育ち、党と国家の重要職責で長い間働いた。
강석주동지는 해방후 당과 수령의 따사로운 품속에서 유능한 외교일군으로 자라나 당과 국가의 중요직책에서 오래동안 사업하였다.
早い時期、偉大な首領金日成同志の大きな愛と信頼の中で、外交部門で仕事を始めた姜锡柱同志は、1969年から党中央委員会国際部指導員、課長として働きながら、党の対外政策を貫徹するために、あらゆる知恵と熱情を捧げた。
일찌기 위대한 수령 김일성동지의 크나큰 사랑과 믿음속에 외교부문에서 일을 시작한 강석주동지는 주체58(1969)년부터 당중앙위원회 국제부 지도원,과장으로 사업하면서 당의 대외정책을 관철하기 위하여 온갖 지혜와 열정을 다 바치였다.
姜锡柱同志は、1984年1月から外交部副部長、第1副部長として、2010年9月から内閣副総理として、2014年4月から党中央委員会秘書兼国際部部長として仕事をしながら、党の強化発展と国の対外的権威を保障するのに大きな寄与をした。
강석주동지는 주체73(1984)년 1월부터 외교부 부부장,제1부부장으로,주체99(2010)년 9월부터 내각부총리로,주체103(2014)년 4월부터 당중앙위원회 비서 겸 국제부 부장으로 사업하면서 당의 강화발전과 나라의 대외적권위를 보장하는데 크게 기여하였다.
姜锡柱同志は、1987年10月から党中央委員会候補委員、委員として、2010年9月から2016年5月まで党中央委員会政治局委員として仕事をした。
강석주동지는 주체76(1987)년 10월부터 당중앙위원회 후보위원,위원으로,주체99(2010)년 9월부터 주체105(2016)년 5월초까지 당중앙위원회 정치국 위원으로 사업하였다.
姜锡柱同志は、1987年、最高人民会議第8期の時から現在まで代議員として活動した。
강석주동지는 주체76(1987)년 최고인민회의 제8기때부터 지금까지 대의원으로 활동하였다.
姜锡柱同志は、党と革命、祖国と人民の前に立てた特出した功労により、共和国の最高勲章である金日成勲章と金正日勲章を授与され、労力英雄称号と国家勲章第1級を初めとした多くの国家表彰を受けた。
강석주동지는 당과 혁명,조국과 인민앞에 세운 특출한 공로로 하여 공화국의 최고훈장인 김일성훈장과 김정일훈장을 수여받았으며 로력영웅칭호와 국기훈장 제1급을 비롯한 많은 국가표창을 받았다.
姜锡柱同志は、2016年5月20日16時10分、急性呼吸不全、食道癌で悔やまれながら逝去した。
강석주동지는 주체105(2016)년 5월 20일 16시 10분 급성호흡부전,식도암으로 애석하게도 서거하였다.
姜锡柱同志は、党と首領に対する白玉のような忠情を持ち、生命の最後の瞬間まで党の領導に無限に忠実だった。
강석주동지는 당과 수령에 대한 백옥같은 충정을 지니고 생명의 마지막순간까지 당의 령도에 무한히 충실하였다.
姜锡柱同志は逝去したが、我が党と革命、国家と人民のために捧げた彼の闘争功績は末永く輝くであろう。
강석주동지는 비록 서거하였으나 우리 당과 혁명,조국과 인민을 위하여 바친 그의 투쟁공적은 길이 남아있을것이다.(끝)
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追記の前に書いた「党政治局委員が2012年まで」は誤り。「朝鮮中央TV」の「報道」でそう聞こえたから書いたのだが、音声が途切れていたので、聞き間違ったのかもしれない。
上記のように、姜锡柱の功績は高く評価されているものの、葬儀委員会の委員長は「元帥様」ではなく、崔龍海。「朝鮮中央通信」で検索してみると、金養建(2015.12.30)、李乙雪(2015.11.8)、チョン・ビョンホ(2014.7.9)の葬儀委員会院長は「元帥様」、金グッテ(2013.12.14)だけ金永南が委員長になっている。(括弧内の日時は「朝鮮中央通信」の報道日)
金養建と姜锡柱は、共に外交畑を歩んできた人で、前者は南北朝鮮関係、後者は対米交渉で活躍している。貢献度も職歴も甲乙付けがたいと思うのだが、姜锡柱の葬儀委員会の委員長に「元帥様」がならなかったのはなぜだろうか。本来、金養建の委員長になる予定もなかったのだが、「暗殺」と騒がれたので委員長になったのだろうか。崔龍海の格を上げるためなのか、はたまた葬儀の時期に「元帥様」が多忙なのか。実際に葬儀が執り行われ、その様子が報じられるだろうが、その中で「元帥様」がどのようにコミットするのか注目しなければならない。