「青峰楽団」と「モランボン楽団」公演をmp3に変換し、運転しながら聞いていた。映像を見ずに、音だけ聞いていると、またいろいろなことが発見できる。往路では「青峰楽団」を聞いたので、復路では「功勲・モランボン」を聞くつもりだ。
「青峰」の「田舎の競馬」であるが、訳詞が「思想・精神的」によろしくない。実は、「青峰」がこの歌を歌ったとき、「競馬」はまずいと思い、すぐに『朝鮮語大辞典』を調べた。結果、「馬の競走」という解釈がされており、賭博には全く触れられいなかった。お金を賭けなければ、単純なスポーツで、「ミリン乗馬クラブ」でも競技会が開催されているのかも知れない(レース用のコースではないような気もするが)。
ところが、今日、車中で訳詞を聞いていたら、「俺は速いおまえに賭ける」、「ポケットにはコインがいっぱい」、「おまえが勝てば、大金持ちだ」のような訳詞となっている。この訳詞は、明らかに賭け事について歌っており、賭博が禁止されている北朝鮮では「思想・精神的」に非常に良くない内容となっている。しかも、賭け事を明るく楽しく歌い上げている。例え、「外国の歌」であっても、ややもすれば賭け事を奨励するような歌は問題とされるのではないだろうか。
私の知る限り、北朝鮮では、彼の国のように賭博一般を禁止しておきながら、公営賭博だけは許可するという実態はないはずである(ましてや、カジノまで拡大すると彼の国では言っているのだから)。もちろん、彼の国からのグレーな換金システムを利用した実質賭博の収益金は、北朝鮮を潤わせててきたのだが。
訳した歌詞に問題ありというのは現実的ですね。放映中止もそのためかもしれませんね。私が以前聴いた草競馬は,歌詞なしバージョンだったので曲には問題ないと思われます。最近の公演では,朝鮮語の曲の歌詞も微妙に変わっているものが見られ,金正恩時代になってからどの程度歌詞が変わっているかも注目しているところです。
コメントありがとうございます。大変ではありますが、金正日時代に出された楽曲と金正恩時代のそれの歌詞を比較し、時代を象徴するような法則性を見つけるのはおもしろいかもしれませんね。また、私にはその能力はありませんが、同じ曲でも編曲がどのように変わっているのかもどなたかに研究していただきたいテーマです。同じ「モランボン」の演奏でも、過去に歌われた『党旗よ』と直近の合同公演では違うような感じがしています。カーステ(死語だ!)には、これまでのモランボン公演の楽曲が詰まったDVDが挿入されていて、ラジオが聞こえない場所で繰り返し聞いているのですが、直近の演奏と比べると、違うような違わないような。
> 訳した歌詞に問題ありというのは現実的ですね。放映中止もそのためかもしれませんね。私が以前聴いた草競馬は,歌詞なしバージョンだったので曲には問題ないと思われます。最近の公演では,朝鮮語の曲の歌詞も微妙に変わっているものが見られ,金正恩時代になってからどの程度歌詞が変わっているかも注目しているところです。
青峰放映中止について、「思想・精神的」原因では、私の能力では、よくわからないので、整理してみました。
1)訳詩がふさわしくない。
2)曲調が、北朝鮮の「上層部老人」には、無理があった。
フルートとクラベス(拍子木)の曲など、「ボサノバ」風であり、他にもラテ ンタッチのアレンジなど。
3)デビューしたてで、持ち歌も少なく、外国の曲に頼った。
モランボンの初期も同じでした。
アレンジャーの努力が逆効果に。
4)ドレスコードとちょっと色っぽいしぐさ。ドレスはロシアのときに、心配し ました。
5)最大の原因は、「プロパガンダ」色の不足ではないではないしょうか?
我々には、まあまあのコーラスグループ(この手は余り残らないが)ですが、 アレンジがいいので楽しめますが、北朝鮮上層部には無理でしょう。
どうでしょうか?
付録)演奏チーム(男性は除く)が気になります。これも立派な「情報価値」です。「気になるゥ」もアイテムにどうでしょう?(とくにベースが(汚れは別にして))
追記にお願いいたします。
青峰公演に、元帥は、モランボンを引き連れて、意気揚々かつデレデレでした。元帥の意気込みは相当なものと思います。先生のご指摘どうり、ここは「一歩引いて」状態なのかも知れません。モランボンもそうでした。
勝手な想像ですが、西側を知る元帥は、それまでの「北朝鮮音楽」では、満足できなかったと思います。それからの訣別のため、モランボンと青峰の創設でしょう。(ここは、元帥に賛成!)
次の公演に期待しましょう。
こめんとありがとうございます。「プロパガンダ色」ですが、持ち歌が少ないと、つまり外国曲が多ければ、自ずと少なくなってしまいますね。ただ、「元帥様」が「青峰」には敢えてそれをやらせ、その路線で行くことにしたのであれば、それは一つの判断だと思います。
「北朝鮮上層部」はお年寄りでして、日本でも(私も含む)お年寄りでは、お世辞にもAKB48は楽しめません(多分)。だとすると、お年寄りが「元帥様」のセンスを理解できず、それを「思想・精神的」問題と総括してしまっても不思議ではありませんね。
汚れていたのは、ギターではなくて、ベースでしたか。「気になるゥ」アイテムは、記事にも書いたバイオリンに加え、パーカッション、ベースでしょうか。
> 青峰放映中止について、「思想・精神的」原因では、私の能力では、よくわからないので、整理してみました。
> 1)訳詩がふさわしくない。
> 2)曲調が、北朝鮮の「上層部老人」には、無理があった。
> フルートとクラベス(拍子木)の曲など、「ボサノバ」風であり、他にもラテ ンタッチのアレンジなど。
> 3)デビューしたてで、持ち歌も少なく、外国の曲に頼った。
> モランボンの初期も同じでした。
> アレンジャーの努力が逆効果に。
> 4)ドレスコードとちょっと色っぽいしぐさ。ドレスはロシアのときに、心配し ました。
> 5)最大の原因は、「プロパガンダ」色の不足ではないではないしょうか?
> 我々には、まあまあのコーラスグループ(この手は余り残らないが)ですが、 アレンジがいいので楽しめますが、北朝鮮上層部には無理でしょう。
> どうでしょうか?
>
> 付録)演奏チーム(男性は除く)が気になります。これも立派な「情報価値」です。「気になるゥ」もアイテムにどうでしょう?(とくにベースが(汚れは別にして))
こちらもありがとうございます。その通りでして、あの「青峰」での「元帥様」の意気揚々ぶりと、放送中止が実に対照的で記事にしました。お返事を書きながら思ったのですが、もしかすると、「元帥様」は一歩進んだ「思想・精神的」世界を描いているのかもしれません。というのは、俗に言われているように、北朝鮮で「南朝鮮」のポップスを収録したDVDなどが闇で出回っているとすると、そんなものよりは「世界名曲」の枠をぐっと拡大して、しかもボサノバもラテンも許して、訳詞で愛も囁き、西側の若干の退廃的側面(賭け事)も聞かせた方がよほどましということになりますね。
平均的朝鮮人民にすれば、超退廃的なラップのような「南朝鮮」の楽曲よりも、50年代前後の米国の曲の方がよほど受け入れやすいはずです。
もちろん、一つ前のお返事に書いたように、それすら「悪」とする「老人」との軋轢はあるのかもしれませんが、「南朝鮮」ほど退廃的ではない、そして朝鮮人民にとっては斬新な、西側の人にとっては古い、この辺りの「思想・精神的」世界と、これまでの北朝鮮の楽曲を多少アレンジした「モランボン」楽団の「思想・精神的」世界、「モランボン」に一歩近けた「功勲国家」の「思想・精神的」世界を融合させた、「元帥様」の「青年音楽論」を構築しようとしているのでは。そうであれば、「青年強国」というスローガンとも合致してよいのでは。
また一つ、「偉人」ストーリーを書いてしまいました。
> 追記にお願いいたします。
> 青峰公演に、元帥は、モランボンを引き連れて、意気揚々かつデレデレでした。元帥の意気込みは相当なものと思います。先生のご指摘どうり、ここは「一歩引いて」状態なのかも知れません。モランボンもそうでした。
> 勝手な想像ですが、西側を知る元帥は、それまでの「北朝鮮音楽」では、満足できなかったと思います。それからの訣別のため、モランボンと青峰の創設でしょう。(ここは、元帥に賛成!)
> 次の公演に期待しましょう。
先生のご指摘どうりだと思います。元帥様の心は、もっとワールド志向のはずです。音楽で、米帝にサインを送っているのでしょう。
元帥様も、イランの例で、下らん金食い虫の「核」など止めれば、米帝と仲良くできることを知っていると思います。
ただ、障害は「中国」であり、それが強大すぎて、実行できないでいるというところでしょうか。(あれほど「鬼畜米英」といっていた日本人も、今はどうでしょう。)
コメントありがとうございます。イランの例、記事に書いた通りです。中国は、北朝鮮の核は止めて欲しいのですが、「米帝」と仲良くされすぎるのも嫌なわけでして、韓国と一緒に仲間にしたいと思っているのでしょうね。
日本は「鬼畜米(英)」に完敗したので、心機一転できたのだと思います。また、「米帝」は、冷戦構造の中で日本を上手く取り込みましたからね。北朝鮮の場合、負けたという認識は、少なくとも表向きは全くありませんね。
> 先生のご指摘どうりだと思います。元帥様の心は、もっとワールド志向のはずです。音楽で、米帝にサインを送っているのでしょう。
> 元帥様も、イランの例で、下らん金食い虫の「核」など止めれば、米帝と仲良くできることを知っていると思います。
> ただ、障害は「中国」であり、それが強大すぎて、実行できないでいるというところでしょうか。(あれほど「鬼畜米英」といっていた日本人も、今はどうでしょう。)