ハン・ヨンス、『逸話で見る偉人像1』 1 (平壌出版社、2015) その4 「描かれた乗用車を消せと美術の巨匠」
□専門家を驚かす
敬愛する元帥様が、父なる首領様の誕生100周年に際し、国家産業美術展示会を視察されるために、現地に来られたときのことであった。
そのお方に続いて展示会場を視察する幹部は、敬愛する元帥様が何かを仰る毎、激情を禁じ得なかった。
それは、元帥様が産業美術分野に対しあまりにも該博な識見をお持ちだからであった。
敬愛するそのお方が、ある展示台に至られたときのことであった。
元帥様は、ある展示物を指されながら、製品の形態と模様、色、商標と包装をどのようにするのかという問題は、今日、物質文化生活領域で切迫し、必須的な要求として提起されており、産業美術は、社会主義生活様式に合うように主体的立場から創造的に発展させていかなければならない、産業美術は、我々人民の生活福利と自立的民族経済建設を推進する力のある手段とななければならないと指摘された。
また、ある展示台に行かれ、商標を漫画的な手法で生々しくも実感が出るように描けば、見栄えが良く、人々の目も引き、製品に対する好奇心を持つようになると仰った。そして、商標図案を描くに際し、基本は色の調和を上手くすることだと仰りながら、そのためには商標の特性に合った色を調和を持って上手く使わなければならないと指摘された。
産業美術は、美術の一分野に過ぎない。
美術を専業とする専門家も、絵画であれば絵画、工芸であれば工芸、彫刻であれば彫刻と、一つの専門分野だけの造詣を持っているのが普通である。
しかし敬愛する元帥様は、美術の全ての分野に、それほどまで該博な識見をお持ちであるので、専門家が受けた衝撃がそれほど大きかったのである。
そのお方を仰ぐ幹部には、敬愛する元帥様が、ある創作師、美術家が描いた美術作品をご覧になったときのことが生々しく浮かんできた。
敬愛する元帥様は、その時、様々な作品をご覧になりながら、風景画『松』の前に至られた。
しばらくの間、風景画を何かをお考えになりながらご覧になっていた敬愛するそのお方は、夜が更けて何かが前にある松なのか、何かが後ろにある松なのか見分けることが難しいと仰った。
敬愛する元帥様は、風景画を遠近感があるように描くことができていないと仰り、続けられた。
自然の風景は、遠近感と立体感が出るように描くことが重要です。
元帥様は、続けて風景画に描かれた乗用車について指摘された。
その乗用車は、創作家が自然風景を実感あるように生かそうという意図で描いたものであった。
敬愛する元帥様は、乗用車は自然風景に合わない、絵からなくしたほうがよいと仰った。
幹部と創作家は、そのお方が指摘して下さったように乗用車がない絵を想像してみた。
自然風景がもっと生きた。
そう考えると、風景画に描かれた乗用車は、結局、自然風景を際立たせるのではなく、沈める逆効果をもたらすということであった。
驚きと感嘆に満ちた患部の顔は、赤くなった。
敬愛する元帥様は、アクリル画『先軍の春の日に』の前で歩みを止められた。そのお方は、絵をしばらくご覧になり仰った。
作品にある白頭山が大きくなりすぎているようです。
実際に三池淵から見ると、白頭山はそんなに大きく見えません。
作品に製作で表れた問題点について、分かりやすく教えて下さった敬愛する元帥様は、続けて、作品に描かれた池の波を指されながら、近景の小さな波も、もう少し動きがあるように描かなければならないと仰った。
遠近感と立体感を生かせてない松。
実際とは異なり大きく描きすぎた白頭山。
だから、砲兵に例えて言えば、砲位置角を誤って選定し、目標に命中させることができなくなるように描かれた絵。
細部の質感が出されておらず、生々しさを失った池の小さな波。
敬愛する元帥様の教えを思い返すほどに、幹部と創作家は自責と感動を禁じ得なかった。
一生、美術を専業としてきた自分たちも気付かないまま描いた絵から、一瞬にして正さなければならない問題点を見つけられ、具体的かつ細心に一つ一つ教えて下さる美術に対するそのお方の識見はどれほど非凡であるのか!・・・
展示会場を回られる元帥様をお送りする幹部の衝撃は実に大きかった。
それは、美術に深い造詣をお持ちの傑出の絶世の偉人を高く頂いた、何とも言い難い敬慕心に溢れた大きな衝撃であった。
限りない敬慕の心を抱き、幹部と創作家は、心の中でこのように叫んだ。
(実に、敬愛する金正恩元帥様は、この世の誰と付いていくことも、比べることもできない美術の巨匠であられる!)
敬愛する元帥様が、父なる首領様の誕生100周年に際し、国家産業美術展示会を視察されるために、現地に来られたときのことであった。
そのお方に続いて展示会場を視察する幹部は、敬愛する元帥様が何かを仰る毎、激情を禁じ得なかった。
それは、元帥様が産業美術分野に対しあまりにも該博な識見をお持ちだからであった。
敬愛するそのお方が、ある展示台に至られたときのことであった。
元帥様は、ある展示物を指されながら、製品の形態と模様、色、商標と包装をどのようにするのかという問題は、今日、物質文化生活領域で切迫し、必須的な要求として提起されており、産業美術は、社会主義生活様式に合うように主体的立場から創造的に発展させていかなければならない、産業美術は、我々人民の生活福利と自立的民族経済建設を推進する力のある手段とななければならないと指摘された。
また、ある展示台に行かれ、商標を漫画的な手法で生々しくも実感が出るように描けば、見栄えが良く、人々の目も引き、製品に対する好奇心を持つようになると仰った。そして、商標図案を描くに際し、基本は色の調和を上手くすることだと仰りながら、そのためには商標の特性に合った色を調和を持って上手く使わなければならないと指摘された。
産業美術は、美術の一分野に過ぎない。
美術を専業とする専門家も、絵画であれば絵画、工芸であれば工芸、彫刻であれば彫刻と、一つの専門分野だけの造詣を持っているのが普通である。
しかし敬愛する元帥様は、美術の全ての分野に、それほどまで該博な識見をお持ちであるので、専門家が受けた衝撃がそれほど大きかったのである。
そのお方を仰ぐ幹部には、敬愛する元帥様が、ある創作師、美術家が描いた美術作品をご覧になったときのことが生々しく浮かんできた。
敬愛する元帥様は、その時、様々な作品をご覧になりながら、風景画『松』の前に至られた。
しばらくの間、風景画を何かをお考えになりながらご覧になっていた敬愛するそのお方は、夜が更けて何かが前にある松なのか、何かが後ろにある松なのか見分けることが難しいと仰った。
敬愛する元帥様は、風景画を遠近感があるように描くことができていないと仰り、続けられた。
自然の風景は、遠近感と立体感が出るように描くことが重要です。
元帥様は、続けて風景画に描かれた乗用車について指摘された。
その乗用車は、創作家が自然風景を実感あるように生かそうという意図で描いたものであった。
敬愛する元帥様は、乗用車は自然風景に合わない、絵からなくしたほうがよいと仰った。
幹部と創作家は、そのお方が指摘して下さったように乗用車がない絵を想像してみた。
自然風景がもっと生きた。
そう考えると、風景画に描かれた乗用車は、結局、自然風景を際立たせるのではなく、沈める逆効果をもたらすということであった。
驚きと感嘆に満ちた患部の顔は、赤くなった。
敬愛する元帥様は、アクリル画『先軍の春の日に』の前で歩みを止められた。そのお方は、絵をしばらくご覧になり仰った。
作品にある白頭山が大きくなりすぎているようです。
実際に三池淵から見ると、白頭山はそんなに大きく見えません。
作品に製作で表れた問題点について、分かりやすく教えて下さった敬愛する元帥様は、続けて、作品に描かれた池の波を指されながら、近景の小さな波も、もう少し動きがあるように描かなければならないと仰った。
遠近感と立体感を生かせてない松。
実際とは異なり大きく描きすぎた白頭山。
だから、砲兵に例えて言えば、砲位置角を誤って選定し、目標に命中させることができなくなるように描かれた絵。
細部の質感が出されておらず、生々しさを失った池の小さな波。
敬愛する元帥様の教えを思い返すほどに、幹部と創作家は自責と感動を禁じ得なかった。
一生、美術を専業としてきた自分たちも気付かないまま描いた絵から、一瞬にして正さなければならない問題点を見つけられ、具体的かつ細心に一つ一つ教えて下さる美術に対するそのお方の識見はどれほど非凡であるのか!・・・
展示会場を回られる元帥様をお送りする幹部の衝撃は実に大きかった。
それは、美術に深い造詣をお持ちの傑出の絶世の偉人を高く頂いた、何とも言い難い敬慕心に溢れた大きな衝撃であった。
限りない敬慕の心を抱き、幹部と創作家は、心の中でこのように叫んだ。
(実に、敬愛する金正恩元帥様は、この世の誰と付いていくことも、比べることもできない美術の巨匠であられる!)