「<特集>航空武力建設の初の麓で 1」:北朝鮮の空軍史、新スタイルのスタジオ、「日帝」に訓練された初代飛行士、金正淑「お母様」の活躍、幼い「将軍様」 (2015年10月1日 「朝鮮中央TV」)
1日、「朝鮮中央TV」で北朝鮮の空軍史を紹介する「特集」番組の第1部が放送された(2015年7月9日の再放送であった)。
「航空武力建設の初の麓で 1」

Source: KCTV, 2015/10/02放送
この番組は、「朝鮮記録映画」のように、映像とナレーションだけで進行されるのではなく、進行役の記者がおり、過去の映像やインタビューを交えながら番組を進行していく。特に今年に入ってから、こうしたスタイルで制作される番組が多くなっているが、旧スタイルの「宣伝映画」からの脱却を図ろうとしているのではないだろうか。
進行役の記者。スタジオもフラットなボードや植木だけではなく、立体感を持った設定になっている。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「1947年8月に組織された初の正規飛行隊の隊員であり、1948年9月1日に組織された朝鮮で初めての飛行連隊大隊長の一人であった」金ハンオク老人(89才)。孫に囲まれて元気に暮らしている。北朝鮮で在命中の最高齢飛行士の一人である。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「朝鮮人民軍創作社」に展示されている「<油絵>赤い鷹に国籍標識を刻んで下さり」を金ハンオク老人は見に行き、「国籍標識」にまつわる話へと続いていく。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
北朝鮮の「共和国標識」。「首領様」が「金正淑ドンムの意見を聞いてデザインした」という。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
上の油絵の状況について説明する金老人。同老人によると「金正淑お母様がやってきて、肌が金属に張り付いてしまうような寒い日であったにもかかわらず、手袋を外して国籍標識を触り・・・隊員達を感動させた」と話している。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
それだけではなく、「幼い(6才)将軍様も手袋を外して飛行機を触り」、金老人が「寒いから」というと、「お母さんも外したのだから僕も外す」と答えたそうだ。子供としては普通のリアクションだとは思うが、金老人はその姿を見て「もう一人の偉大なお方」と思ったという。下は「戦勝記念館」に展示されていると思われる当時の飛行機。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
幼い「将軍様」のリアクションはさておき、「お母様」と北朝鮮空軍の結びつきが強調されている。
金老人は、「日帝敗亡直前に(日帝から)航空技術を学び、19歳の時、太平洋戦争に連れ出された」という。ここで、「神風特攻隊」が紹介される。説明は「太平洋戦争末期に日帝が組織した自殺特攻隊。日帝は神風特攻隊員に飛行機に爆弾を積み、敵軍の航空母艦や巡洋艦のような対象物に飛んでいき、突っ込んでいくことを強要した。日帝のこうした特攻隊に連れ出された朝鮮青年は、大部分が戻ってこられず、十数名の青年が九死に一生を得て戻ってきた」という解説が画面に出る。金老人が「特攻隊員」だったという解説はないが、南方の島で日本の敗戦を迎え、朝鮮に戻ってきたという。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
この解説、「朝鮮青年に・・・強要した」という部分については批判的であるが、「自殺特攻隊」の部分については微妙である。北朝鮮の映画では「金日成将軍万歳」と叫びながら敵艦に突っ込んでいく兵士を英雄扱いしている(最初から「自殺特攻」目的ではなかったにしても)。また、歌詞にもあったような気がするが、しばしば「行きの燃料だけあればよい」という言葉が使われている。これも「自殺特攻」を暗示するものであるし、「党中央を命で死守しよう」などまさに「自殺特攻」そのものではないだろうか。
金老人は、帰国後、江原道で「面農盟」の指導員として農業に就いていたという。ところが、「首領様が平壌に来いといっている」という話を聞き、平壌に向かった。当時、操縦能力や航空技術のある人々を「平壌学院」などに集めていたという。「1946年2月23日、学院の開院式が行われ、首領様がお母様と将軍様と共に現地に来られた」という。ここでも「お母様」が登場している。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
つづけて、「1946年3月17日、航空班創設について話し合うために平壌学院に」、「金正淑お母様も一緒に来られた」。「お母様」は、「航空班を創設しようという首領様の意図をよく理解しており」、「部屋や寝室を回られ、首領様の教示どおりに施設のが整えられるよう見守って下さった」。ここでも、「お母様」が「航空班創設」に一役買っている。
1946年6月に「航空班」が創設され、「任務は、正規の航空武力を持つための飛行士、技術者を専門的に育成すること」であったという。下の写真は、航空班団長の李ファル。解放後の朝鮮人としては珍しく、口ひげを生やしている(口ひげは「日帝」の象徴)。「航空班第1期生は、日帝時代に飛行技術を学んだ青年達」だったので、「一部の人は彼らは信じられないといったが、首領様は彼らの胸で燃える愛国心を信じられた」という。理屈はそうであろうが、当時、現実的に「日帝」に訓練された飛行士や技術者以外に朝鮮にいなかったはずなので、現実的な選択といえる。しかし、「祖国解放戦争(朝鮮戦争)で命を賭けて戦った(戦死した)人の大部分が航空班1期生であった」という。限られた機体と限られた飛行士で戦った戦争の当然の結果であろう。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
新義州の飛行場にいた李ファル。彼は、「日帝」が残した飛行機を修理して、新義州から平壌まで飛んできたという。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「解放後初めて、朝鮮航空協会新義州支部」が組織される。下は、「朝鮮航空協会」旗。新義州には、日本軍の飛行場があったので、それを活用したのであろう。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「平壌学院航空班から航空科に改編」された後、「お母様はしばしば平壌学院に来られ、航空科事業を指導して下さりました」、「新朝鮮の航空隊に対する愛と信頼は、それが生まれる前からお母様の胸の中に大切に込められていました」と、再び「お母様」と航空を結びつけている。そして、画面では「お母様」の「お言葉」が紹介される。背景の色は緑を使っている。書かれているのは、「将軍様(金日成)は、航空隊を一日も早く創設されようと、あらゆる心血を注いでおられます。将軍様(金日成)が教えられるとおり、飛行士を政治思想的に、軍事技術的に早くしっかりと準備させなければなりません。金正淑」

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「首領様」、「お母様」、「将軍様」。「お母様」は絵画が多く、写真を公開することは少ない。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
さらに「お母様」の業績への賛辞が続く。
「新朝鮮における航空技術者育成でお母様が最も関心を持たれた問題は、彼らの技術以前に首領様に対する正しく、きれいな忠誠心を持たせることでした」、「解放された祖国でのお母様の命は僅か4年でしたが、この短い期間にお母様は、航空武力に実に大きな業績を残されました」
「首領様」は、「お母様」と「将軍様」を連れて、「航空班」が使う飛行場建設現場にやって来た。6月26日(年度不詳)のことであった。例によって「首領様」が上着を脱いで仕事を手伝い、「お母様」も腕まくりをして仕事を手伝った。ここまではよいとし、「将軍様」も「土の塊を抱えて運んだ」そうである。小さな子供が親の真似をして泥遊びをしただけのことであろうが、これも「偉大さ」故にという話になってしまう。
完成した飛行場で学生たちの訓練の様子を見る「三大将軍」。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
父について回想する李ファルの息子。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
そして、「1947年8月20日に平壌学院の学生による正規航空隊」が組織された。
はっきりしないが、女性飛行士もいるように見える(例えば左端の人)。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
このような女性飛行士も写るが、こうした部分については第2部で紹介するという。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
1945年11月29日、「首領様」は、「朝鮮航空協会新義州支部」で「新朝鮮に航空隊を創設しよう」という演説を行った。この日が、「航空節」という北朝鮮の休日になっている。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「航空武力建設の初の麓で 1」

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この番組は、「朝鮮記録映画」のように、映像とナレーションだけで進行されるのではなく、進行役の記者がおり、過去の映像やインタビューを交えながら番組を進行していく。特に今年に入ってから、こうしたスタイルで制作される番組が多くなっているが、旧スタイルの「宣伝映画」からの脱却を図ろうとしているのではないだろうか。
進行役の記者。スタジオもフラットなボードや植木だけではなく、立体感を持った設定になっている。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「1947年8月に組織された初の正規飛行隊の隊員であり、1948年9月1日に組織された朝鮮で初めての飛行連隊大隊長の一人であった」金ハンオク老人(89才)。孫に囲まれて元気に暮らしている。北朝鮮で在命中の最高齢飛行士の一人である。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「朝鮮人民軍創作社」に展示されている「<油絵>赤い鷹に国籍標識を刻んで下さり」を金ハンオク老人は見に行き、「国籍標識」にまつわる話へと続いていく。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
北朝鮮の「共和国標識」。「首領様」が「金正淑ドンムの意見を聞いてデザインした」という。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
上の油絵の状況について説明する金老人。同老人によると「金正淑お母様がやってきて、肌が金属に張り付いてしまうような寒い日であったにもかかわらず、手袋を外して国籍標識を触り・・・隊員達を感動させた」と話している。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
それだけではなく、「幼い(6才)将軍様も手袋を外して飛行機を触り」、金老人が「寒いから」というと、「お母さんも外したのだから僕も外す」と答えたそうだ。子供としては普通のリアクションだとは思うが、金老人はその姿を見て「もう一人の偉大なお方」と思ったという。下は「戦勝記念館」に展示されていると思われる当時の飛行機。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
幼い「将軍様」のリアクションはさておき、「お母様」と北朝鮮空軍の結びつきが強調されている。
金老人は、「日帝敗亡直前に(日帝から)航空技術を学び、19歳の時、太平洋戦争に連れ出された」という。ここで、「神風特攻隊」が紹介される。説明は「太平洋戦争末期に日帝が組織した自殺特攻隊。日帝は神風特攻隊員に飛行機に爆弾を積み、敵軍の航空母艦や巡洋艦のような対象物に飛んでいき、突っ込んでいくことを強要した。日帝のこうした特攻隊に連れ出された朝鮮青年は、大部分が戻ってこられず、十数名の青年が九死に一生を得て戻ってきた」という解説が画面に出る。金老人が「特攻隊員」だったという解説はないが、南方の島で日本の敗戦を迎え、朝鮮に戻ってきたという。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
この解説、「朝鮮青年に・・・強要した」という部分については批判的であるが、「自殺特攻隊」の部分については微妙である。北朝鮮の映画では「金日成将軍万歳」と叫びながら敵艦に突っ込んでいく兵士を英雄扱いしている(最初から「自殺特攻」目的ではなかったにしても)。また、歌詞にもあったような気がするが、しばしば「行きの燃料だけあればよい」という言葉が使われている。これも「自殺特攻」を暗示するものであるし、「党中央を命で死守しよう」などまさに「自殺特攻」そのものではないだろうか。
金老人は、帰国後、江原道で「面農盟」の指導員として農業に就いていたという。ところが、「首領様が平壌に来いといっている」という話を聞き、平壌に向かった。当時、操縦能力や航空技術のある人々を「平壌学院」などに集めていたという。「1946年2月23日、学院の開院式が行われ、首領様がお母様と将軍様と共に現地に来られた」という。ここでも「お母様」が登場している。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
つづけて、「1946年3月17日、航空班創設について話し合うために平壌学院に」、「金正淑お母様も一緒に来られた」。「お母様」は、「航空班を創設しようという首領様の意図をよく理解しており」、「部屋や寝室を回られ、首領様の教示どおりに施設のが整えられるよう見守って下さった」。ここでも、「お母様」が「航空班創設」に一役買っている。
1946年6月に「航空班」が創設され、「任務は、正規の航空武力を持つための飛行士、技術者を専門的に育成すること」であったという。下の写真は、航空班団長の李ファル。解放後の朝鮮人としては珍しく、口ひげを生やしている(口ひげは「日帝」の象徴)。「航空班第1期生は、日帝時代に飛行技術を学んだ青年達」だったので、「一部の人は彼らは信じられないといったが、首領様は彼らの胸で燃える愛国心を信じられた」という。理屈はそうであろうが、当時、現実的に「日帝」に訓練された飛行士や技術者以外に朝鮮にいなかったはずなので、現実的な選択といえる。しかし、「祖国解放戦争(朝鮮戦争)で命を賭けて戦った(戦死した)人の大部分が航空班1期生であった」という。限られた機体と限られた飛行士で戦った戦争の当然の結果であろう。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
新義州の飛行場にいた李ファル。彼は、「日帝」が残した飛行機を修理して、新義州から平壌まで飛んできたという。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「解放後初めて、朝鮮航空協会新義州支部」が組織される。下は、「朝鮮航空協会」旗。新義州には、日本軍の飛行場があったので、それを活用したのであろう。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「平壌学院航空班から航空科に改編」された後、「お母様はしばしば平壌学院に来られ、航空科事業を指導して下さりました」、「新朝鮮の航空隊に対する愛と信頼は、それが生まれる前からお母様の胸の中に大切に込められていました」と、再び「お母様」と航空を結びつけている。そして、画面では「お母様」の「お言葉」が紹介される。背景の色は緑を使っている。書かれているのは、「将軍様(金日成)は、航空隊を一日も早く創設されようと、あらゆる心血を注いでおられます。将軍様(金日成)が教えられるとおり、飛行士を政治思想的に、軍事技術的に早くしっかりと準備させなければなりません。金正淑」

Source: KCTV, 2015/10/02放送
「首領様」、「お母様」、「将軍様」。「お母様」は絵画が多く、写真を公開することは少ない。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
さらに「お母様」の業績への賛辞が続く。
「新朝鮮における航空技術者育成でお母様が最も関心を持たれた問題は、彼らの技術以前に首領様に対する正しく、きれいな忠誠心を持たせることでした」、「解放された祖国でのお母様の命は僅か4年でしたが、この短い期間にお母様は、航空武力に実に大きな業績を残されました」
「首領様」は、「お母様」と「将軍様」を連れて、「航空班」が使う飛行場建設現場にやって来た。6月26日(年度不詳)のことであった。例によって「首領様」が上着を脱いで仕事を手伝い、「お母様」も腕まくりをして仕事を手伝った。ここまではよいとし、「将軍様」も「土の塊を抱えて運んだ」そうである。小さな子供が親の真似をして泥遊びをしただけのことであろうが、これも「偉大さ」故にという話になってしまう。
完成した飛行場で学生たちの訓練の様子を見る「三大将軍」。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
父について回想する李ファルの息子。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
そして、「1947年8月20日に平壌学院の学生による正規航空隊」が組織された。
はっきりしないが、女性飛行士もいるように見える(例えば左端の人)。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
このような女性飛行士も写るが、こうした部分については第2部で紹介するという。

Source: KCTV, 2015/10/02放送
1945年11月29日、「首領様」は、「朝鮮航空協会新義州支部」で「新朝鮮に航空隊を創設しよう」という演説を行った。この日が、「航空節」という北朝鮮の休日になっている。

Source: KCTV, 2015/10/02放送