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    「<朝鮮記録映画>父なる将軍様、農業勤労者と共にいらっしゃり」:バッジ着用の遍歴 (2015年7月21日 「朝鮮中央TV」)

    7月21日に「父なる将軍様、農業勤労者と共にいらっしゃり」という「朝鮮記録映画」が「朝鮮中央TV」で放映された。韓国・統一部の資料では、この「朝鮮記録映画」は、2013年3月19日放送の再放送ということである。

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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    「記録映画」の趣旨は、「将軍様」がいかに農業部門に献身し、多くの「現地指導」を行ってきたのかを紹介するものであるが、「将軍様」自身や周囲の人々のバッジに注目すると面白いことが分かる。

    1963年8月5日
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    同日の指導。金日成の横に金正日がいるが、バッジを着用していない。しかし、周囲にいる農民もバッジを着用していないので、この当時はバッジがなかったのかもしれない。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    何年かは不明であるが、両江道の農業視察で同行した「将軍様」。誰もバッジを着用していない。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    これもいつかは分からないが、バッジがない時代。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    確認はしにくいが、この時もバッジはない。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    直後に「首領様と数多くの農村指導をしていた日々に」、「偉大な農村テーゼを出され」執筆したという「社会主義建設で郡の位置と役割」が紹介される。日付は1964年3月。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    「元帥様」が着用するのと同じスタイルの半袖シャツ。一同バッジなし。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    日付不明、一同バッジなし。直後に1964年8月19日の「チェリョン郡チェチョン協同農場」訪問の字幕が出るので、この頃の写真であろう。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    一同バッジなし。「1960年代」とだけナレーション。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    ここまでの画面では、「集軍様」はもちろん、周囲の人々もバッジを着用していない。60年代には、バッジが存在しなかったということなのであろう。

    ところが、70年代になると幹部からバッジの着用が始まる。下は「1970年代、チョンサン里」とナレーションがある場面であるが、「将軍様」と右後ろにいる幹部らしき人物のみ丸い大きなバッジを着用している。しかし、農場員たちは未着用である。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    同上、会議風景。後ろにいるこぎれいな人民服を着た人(恐らく幹部)だけがバッジを着用している。バッジが権力を象徴していたのであろう。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    「旺載山里」指導。コートを着ているので、バッジは見えない。後ろにいる幹部らしき2人は着用。この「朝鮮記録映画」の中では、この場面から部分的にカラーフィルムが使われている。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    帽子の色や人民服の色が違うので、日時が異なるのかもしれないが、「旺載山里」を現地指導する「将軍様」。本人はバッジ未着用、幹部は小さな白いバッジを着用している。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    「ウアン村」指導。「将軍様」は、コートを着ておりバッジは見えない。農場員は、女性もバッジを着用している。白い小さな金日成バッジのようだ。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    「首領様が出された我々式営農方法を主体農法として正式化」したと紹介される「将軍様」。旗の形をしたバッジを着用している。旗型のバッジがこの頃から登場し、権力者から着用を開始したようだ。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    日時不明。この頃になると、農民にもバッジが浸透したように見える。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    日時不明。バッジ未着用の「将軍様」。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    日時不明。バッジ着用の「将軍様」。今の「元帥様」は、1970年代後半にお父さんがやっていた着用したり、着用しなかったりというスタイルを模倣しているのかもしれない。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    日時不明。バッジ着用の「将軍様」。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    いつ頃からは分からないが、「野戦服」を着用し始める「将軍様」。流れからすると、80年代前半から中盤頃であろうか。「野戦服」では、バッジの着用をしない。この「記録映画」に出てくる映像を見る限りでは、以後、バッジを着用した姿はない。もしかすると、80年の第6回党大会で後継が確定してからは、バッジの着用を止めたのかもしれない。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    1995年以降の「苦難の行軍」時期の「将軍様」。お父さんは既に死去しており、バッジもない。なぜかバスで移動している。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    1990年代末であろうか、半袖の「野戦服」を着た「将軍様」。バッジ着用なし。
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    Source: KCTV, 2015/07/21放送

    そして今日の『労働新聞』HPより。「敬愛する金正恩同志が新たに建設されたシンチョン博物館を現地指導された」では、白の半袖にバッチの着用はない。
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    Source:『労働新聞』、「경애하는 김정은동지께서 새로 건설한 신천박물관을 현지지도하시였다」、http://www.rodong.rep.kp/ko/index.php?strPageID=SF01_02_02&newsID=2015-07-23-0001_photo

    例によって、金ヨジョンはよそ見をしている。

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    No title

    北朝鮮でのバッジ着用と関係あるかどうかわかりませんが,中国のWebサイト「百度百科」の「毛主席像章(毛沢東バッジ)」項に次のような記述があります。「中華人民共和国建国初期,一部の地方で少量の毛沢東記念バッジやメダルが作られた。しかし社会全体の動きとなるのは文革が始まった1966年夏から1971年夏,とりわけ1967年春から1969年夏に各方面で革命委員会が成立した時期がピークだった。5年間で1万種,総数20億枚が作られた」。北朝鮮のバッジについては,ソ連のレーニンバッジやスターリンのバッジの影響という線もありそうですが,60年代になかったバッジ着用が70年代から現れたとすると,文革期の中国で盛んになったバッジ着用が伝播したという可能性もありそうです。

    バッジの起源

    コメントありがとうございます。私も記事を書くのに際して中国やソ連のバッジの由来について検索してみたのですが、バッジコレクター関連のページはたくさん出てくるものの、史実によるバッジの由来が書かれているページは見つけられませんでした。「百度百科」が中国語だと読めないのですが、日本語版があれば読んでみたいと思っています。

    記事にも書きましたとおり、60年代の場面では誰もバッジを着用していませんから、中国の影響を受けて70年代に製作したのでしょうね。それにしても、文革期、中朝関係は悪化したにもかかわらず、個人崇拝用のバッジだけは模倣したというところなど、実に面白いと思います。

    > 北朝鮮でのバッジ着用と関係あるかどうかわかりませんが,中国のWebサイト「百度百科」の「毛主席像章(毛沢東バッジ)」項に次のような記述があります。「中華人民共和国建国初期,一部の地方で少量の毛沢東記念バッジやメダルが作られた。しかし社会全体の動きとなるのは文革が始まった1966年夏から1971年夏,とりわけ1967年春から1969年夏に各方面で革命委員会が成立した時期がピークだった。5年間で1万種,総数20億枚が作られた」。北朝鮮のバッジについては,ソ連のレーニンバッジやスターリンのバッジの影響という線もありそうですが,60年代になかったバッジ着用が70年代から現れたとすると,文革期の中国で盛んになったバッジ着用が伝播したという可能性もありそうです。

    バッジの由来

    バッジの着用について、『金正日伝 第一巻』白峰社pp.369-370には、以下のような記述があります。川口先生は既に目を通しておられるかもしれませんが、参考までに引用します。

    「一九七二年四月、主席の銅像の除幕式と朝鮮革命博物館の開館式がおこなわれた。・・・(中略)・・・総書記は、『金日成勲章』『金日成賞』『金日成青年栄誉賞』、『金日成少年栄誉賞』、それに主席の直筆署名入りの時計表彰制を制定し、また全朝鮮人民が主席の肖像バッジを胸につけて、いつも主席とともにいるという人民の思いを表すようにした。」

    以上のことから、共和国公式の主張では、バッジの着用は1972年の主席誕生60周年を迎えての記念行事の一環として、総書記の主導で導入されたということになっているようです。1970年の周恩来総理訪朝によって、文革で悪化した朝中関係はひとまず改善されたため、“毛主席バッジ”の影響を受け入れやすいムードもあったのではないかと、素人考えながら推測します。

    余談ですが、川口先生はしばしば金与正氏に注目されていますね。
    私も労働新聞で第一書記に同行している写真を見るたびに、金与正氏が時折あらぬ方向を眺めている姿を見て苦笑しています。

    No title

    金日成バッジ着用が70年代初頭からとなると先代金正日の権力掌握過程と重なります。当時ならば権力世襲が自然なものとして受け入れられていたわけでもないでしょうし、パルチザン世代はともかく、朝鮮戦争世代からすれば自分達を越える最高指導者の若返りに苦々しいものを感じたとしても自然な流れです。

    そこで先代が『父親の威光』を借りる形で、まずは周辺幹部からバッジを着用させ他の幹部と差別化し、徐々にそれを広げ権力基盤を拡大していったということではないでしょうか。

    金正日自身は全権力掌握と共にバッジには何の興味も無くなり、正恩においても「生まれながらの将軍様」であるからには老幹部が煩いので着用自体は辞めないものの拘りは皆無なはずで、それが着けたり着けなかったりとなっただけではないかと・・・。

    バッジにより「親への忠誠」という大義を翳した金正日、ソッポを向くことで自身を「特別な存在」として演出する金ヨジョン、朝鮮人民の気質も徐々に変わっているんじゃないですか。

    Re: バッジの由来

    コメントありがとうございます。すっかりお返事が遅くなってしまい、申し訳ございません。

    『金正日伝 第一巻』は読んでおりまので、そのような記述があることさえ知りませんでした。ご教授いただきまして、ありがとうござます。お説の通り、タイミング的には中朝関係が改善した時期と重なりますので、毛沢東バッジ形式の金日成バッジも受け入れやすかったのでしょうね。実に興味深いです。表彰制度に関しては、「金正日勲章」が最高人民会議の政令としてだされているので「金日成賞」以下もそのような扱いになっているのでしょうが、「全朝鮮人民が主席の肖像バッジを胸につけて」は「政令」として出されているのでしょうか。「賞」は「制定」されているにもかかわらず、「バッジ」は「表すようにした」とだけ書かれていることからすると、「将軍様」の「お言葉」だけだったのかもしれませんね。しかし、着用に関する規定などはありそうなのですが、慣習法的な扱いになっているのでしょうか。北朝鮮の法令集を調べた限りでは、バッジに関する規則はありませんでした(見落としがなければですが)。「朝鮮芸術映画」を見ていても、バッジは自分の家の中では着用していないことが多いです。おもしろいのは、外出する際にバッジを付ける場面は見たことがありません。

    金ヨジョンですが、明後日の方向を向いている写真ばかり出してきます。相当数ある写真の中から、あえて「明後日方向」ばかり選んでいるのは意図的なのでしょうが、そうでなければ彼女は本当に兄貴の方を見ないのでしょうね。時々、わざとらしくメモを取っている写真も出してくるのですが。

    > バッジの着用について、『金正日伝 第一巻』白峰社pp.369-370には、以下のような記述があります。川口先生は既に目を通しておられるかもしれませんが、参考までに引用します。
    >
    > 「一九七二年四月、主席の銅像の除幕式と朝鮮革命博物館の開館式がおこなわれた。・・・(中略)・・・総書記は、『金日成勲章』『金日成賞』『金日成青年栄誉賞』、『金日成少年栄誉賞』、それに主席の直筆署名入りの時計表彰制を制定し、また全朝鮮人民が主席の肖像バッジを胸につけて、いつも主席とともにいるという人民の思いを表すようにした。」
    >
    > 以上のことから、共和国公式の主張では、バッジの着用は1972年の主席誕生60周年を迎えての記念行事の一環として、総書記の主導で導入されたということになっているようです。1970年の周恩来総理訪朝によって、文革で悪化した朝中関係はひとまず改善されたため、“毛主席バッジ”の影響を受け入れやすいムードもあったのではないかと、素人考えながら推測します。
    >
    > 余談ですが、川口先生はしばしば金与正氏に注目されていますね。
    > 私も労働新聞で第一書記に同行している写真を見るたびに、金与正氏が時折あらぬ方向を眺めている姿を見て苦笑しています。

    若さ

    コメントありがとうございます。金日成も抗日パルチザンの「将軍様」を随分若い頃からやっており、「朝鮮芸術映画」を見ていると、深々と頭を下げる老人や敬語で話をする年長者に「私は若いですから」と金日成が言っている場面があります。

    数日前に開催された「全国老兵大会」における金正恩演説、そして昨夜放送された「7.27慶祝祝砲発射」を見ていても、「老兵」を随分大切にしていることが強調されています。パルチザン世代の老兵の多くは他界してしまったのでしょうが、朝鮮戦争を戦った老兵たちには、彼らの功績を讃え、敬意を表しておくことで、「元帥様」の人徳を輝かせるという目的があるのではないかと思いました。

    お父さんはお祖父さんとくっついてい活動していたので、常に「若さ」はお父さんの陰に隠されていたのですが、「元帥様」はお祖父さん同様、覆ってくれる大樹がない状態で最高指導者になってしまったので、「若さ」対策で苦労しているのではないかと思います。バッジもその一環なのでしょうが、最近、着用しないこともあることからすると、この問題がある程度円満に解決したのか、あるいは、韓国で言われているように粛清の嵐を吹かせて独裁恐怖政治を強化しているのか、どちらなのでしょうね。

    > 金日成バッジ着用が70年代初頭からとなると先代金正日の権力掌握過程と重なります。当時ならば権力世襲が自然なものとして受け入れられていたわけでもないでしょうし、パルチザン世代はともかく、朝鮮戦争世代からすれば自分達を越える最高指導者の若返りに苦々しいものを感じたとしても自然な流れです。
    >
    > そこで先代が『父親の威光』を借りる形で、まずは周辺幹部からバッジを着用させ他の幹部と差別化し、徐々にそれを広げ権力基盤を拡大していったということではないでしょうか。
    >
    > 金正日自身は全権力掌握と共にバッジには何の興味も無くなり、正恩においても「生まれながらの将軍様」であるからには老幹部が煩いので着用自体は辞めないものの拘りは皆無なはずで、それが着けたり着けなかったりとなっただけではないかと・・・。
    >
    > バッジにより「親への忠誠」という大義を翳した金正日、ソッポを向くことで自身を「特別な存在」として演出する金ヨジョン、朝鮮人民の気質も徐々に変わっているんじゃないですか。
    プロフィール

    川口智彦

    Author:川口智彦
    「크는 아바이(成長するオッサン)」

    ブログの基本用語:
    「元帥様」=金正恩朝鮮労働党委員長(上の絵の人物)、2016年12月20日から「最高領導者同志」とも呼ばれる
    2021年1月11日から「総秘書同志」
    「首領様」=金日成主席
    「将軍様」=金正日総書記
    「政治局員候補」=金ヨジョン(「元帥様」の妹)、2018年2月11日から「第1副部長同志」とも
    「白頭の血統」=金一族
    「大元帥様達」=「首領様」と「将軍様」
    「女史」=李雪主夫人(2018.07.26より「同志」に)

    우 그림은 충정 담아 아이가 그린 경애하는 김정은원수님이십니다.


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