「玄永哲人民武力相を処刑=反逆罪で公開銃殺―北朝鮮」:最後の晩餐ならぬ最後の音楽会?、金格植死去との関係、金正恩訪ロ中止との関係、大将降格 (2015年5月13日 「時事通信」)
ソウル発で『時事通信』が韓国・国情院の情報として、「北朝鮮の玄永哲人民武力相(国防相)が4月30日に反逆罪で粛清されたと明らかにした。裁判が行われないまま、平壌の射撃場で、数百人が見守る中、高射機関銃で銃殺された」と報じた。
『時事通信』、「玄永哲人民武力相を処刑=反逆罪で公開銃殺―北朝鮮」、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150513-00000029-jij-kr
理由は、「金正恩第1書記に不満を示し数回にわたり指示に従わなかったほか、4月24、25両日に開かれた軍訓練幹部大会で居眠りしたため」というが、報道が正しいのであれば、彼は最後の晩餐ならぬ、最後の「モランボン公演」を聞いた直後に銃殺されたことになる。
久々のモランボン楽団公演にもかかわらず、「元帥様」が来なかったのは、これと関連するのだろうか。
まだ、『時事通信』の記事しか読んでいないので、もう少し調べてみることにする。
『労働新聞』HPからは、モランボン楽団公演の記事もそのまま残っており、玄永哲の名前はまだ削除されていない。
<追記>
玄永哲はロシアに朝鮮人民軍代表団長として、4月中旬に派遣された。これと処刑説を結びつけると、金正恩訪ロの条件、あるいは北朝鮮がロシアに要請した武器供与等を得ることができず、その責任を取らされた可能性もある。武器供与交渉が流れたことが金正恩訪ロ中止の直接的な原因となっていれば、彼に国際的な恥をかかせたことになるので、その「罪」は、北朝鮮体制の中では決して軽くはない。
また、金格植(人民武力部長 2012.10-2013.5)の病死(癌性中毒)とほぼ同じタイミングであることも、何らかの関連性があるのかもしれない。金格植に関しては、国防委員会名義の訃報を出し、金正恩も花輪を送っているほどなので、北朝鮮官営報道のとおり病死なのだろうが、偶然にしても時期が近い。
また、玄永哲は、2014年6月に人民武力部長に就任する際、次帥から大将に降格されている。その時は、人民軍内の階級調整の一環だと思ったが、今回の出来事と何か関係があったのだろうか。
金正恩体制になってから、人民武力部長は半年とか1年で交替しており、今回も交替の時期ではある。
『時事通信』、「玄永哲人民武力相を処刑=反逆罪で公開銃殺―北朝鮮」、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150513-00000029-jij-kr
理由は、「金正恩第1書記に不満を示し数回にわたり指示に従わなかったほか、4月24、25両日に開かれた軍訓練幹部大会で居眠りしたため」というが、報道が正しいのであれば、彼は最後の晩餐ならぬ、最後の「モランボン公演」を聞いた直後に銃殺されたことになる。
久々のモランボン楽団公演にもかかわらず、「元帥様」が来なかったのは、これと関連するのだろうか。
まだ、『時事通信』の記事しか読んでいないので、もう少し調べてみることにする。
『労働新聞』HPからは、モランボン楽団公演の記事もそのまま残っており、玄永哲の名前はまだ削除されていない。
<追記>
玄永哲はロシアに朝鮮人民軍代表団長として、4月中旬に派遣された。これと処刑説を結びつけると、金正恩訪ロの条件、あるいは北朝鮮がロシアに要請した武器供与等を得ることができず、その責任を取らされた可能性もある。武器供与交渉が流れたことが金正恩訪ロ中止の直接的な原因となっていれば、彼に国際的な恥をかかせたことになるので、その「罪」は、北朝鮮体制の中では決して軽くはない。
また、金格植(人民武力部長 2012.10-2013.5)の病死(癌性中毒)とほぼ同じタイミングであることも、何らかの関連性があるのかもしれない。金格植に関しては、国防委員会名義の訃報を出し、金正恩も花輪を送っているほどなので、北朝鮮官営報道のとおり病死なのだろうが、偶然にしても時期が近い。
また、玄永哲は、2014年6月に人民武力部長に就任する際、次帥から大将に降格されている。その時は、人民軍内の階級調整の一環だと思ったが、今回の出来事と何か関係があったのだろうか。
金正恩体制になってから、人民武力部長は半年とか1年で交替しており、今回も交替の時期ではある。