「モランボン音楽食堂」は心の故郷だった (2017年9月17日)
同済大学で開催されたシンポジウムに出席後、1921年7月の中国共産党第1回全国代表大会が上海から場所を移して開催されたという嘉興市南湖にある紅船を見てきた。昨年、上海にある第1回全国代表大会が開催された建物を使った博物館は見たので、一応これで中国共産党が誕生した「聖地」は全て見たということになる。
紅船の横にあった売店で、毛沢東バッジの箱入り6個セットを記念に買った。バッジ単体だと、オークションで100円ぐらいで売っていそうなものなのだが、箱入り6個セットで箱には紅船の絵も描かれているので、70元で購入した。
中国の自動車会社の共産党系組織の研修会参加者グループも来ており、記念写真を撮影していた。
毛主席にパワーを得て、夕刻以降は「27探査隊員」の工作を開始した。上海には、複数の朝鮮食堂があることが確認されており、営業中の食堂も分かっていた。過去記事に書いたかもしれないが、事前の情報収集活動が重要で、中国のネット検索サイト「百度」でターゲットとなる食堂を検索し、寄せられているコメントの直近がいつのものなのかを確認する。しかし今回は、この事前情報収集工作をする時間がほとんどないまま上海に来て、さらに出撃前の工作時間もほとんどなかった。
30分ほどしか時間がなかったので、適切なキーワードを入れられなかっただけなのかもしれないが、百度の様子が少し変わっていた。というのも、以前は「上海、朝鮮、料理」(全て日本語のIME使用)と入力すれば、百度地図と共に朝鮮食堂が何軒か出てきた。しかし今回はそれが出てこず、大変困った。単に、キーとなる検索語が脱落してしまっただけなのかもしれないが、百度側が朝鮮食堂をリストから除外したのかなとも感じた。この辺り、落ち着いて検索してみないと確かなことはいえないが、ともかく、見つけるのに苦労したことは間違いない。
「モランボン音楽食堂」は行ったことがあるので、別の朝鮮食堂を「探査」しようと、営業していそうな「平壌館」を目標地点とした。一応、百度で検索していたらそれらしい地図も見つかり、地下鉄2号線駅周辺というところまで分かったので進軍することとした。しかし、「平壌食堂」があるとされる地下鉄駅を出るも、そもそもそのような雰囲気ではない。周囲に見えるのは、カーネル・サンダースや大きな総合商業施設のみ。これまで「探査」した朝鮮食堂がある場所と明らかに雰囲気が違う。一応、地図に示された地点を「探査」するも、そこにあるのは大型商業施設。「平壌館」の看板など見つからない。
可能性として、大型商業施設建設に伴い、そこにあった古い建物で営業していた「平壌館」が撤去を求められたのではないかと思いつつ、「戦略的後退」を余儀なくされた。
「戦略的後退」を決めたとき、時はすでに18時半を過ぎており、新標準装備の中国SIMを装着したタブレットを使って検索している余裕はないと判断、「モランボン音楽食堂」に向かうことにした。同食堂であれば、公演は20時以降であったと記憶しているので、まだ余裕がある。
「モランボン音楽食堂」に到着すると、いつものように入り口にドンム達がいない。階段を上がってくと、数人の朝鮮族と漢族のグループ、そして制服を着た警官のグループがいた。漢族と朝鮮族のグループは毎度のことだが、制服警官の姿は異様だった。しかし、テーブルの上を見るとオレンジジュースの瓶が1本置かれているだけで、宴会をしている様子はなく、朝鮮語と中国語を話す男性と何か打ち合わせをしていたようだ。朝鮮語を話す男性は、店の冷蔵庫から「大同江ビール」を勝手に出しても警察官のところにもっていったので、店の人間であろう。もちろん、警官らは飲むこともせず、ビールの説明をする朝鮮族男性の話を聞いていた。最後に、店に置いてあった消火器をもって2人の警官が「記念撮影」をしていた。よく分からないが、消防署か警察による防火設備の点検だったのかもしれない。THAAD配備で韓国系企業に対するこうした「法律に基づく」調査や検査が厳しくなったと報じられているが、北朝鮮食堂に対しても同様の対処をしているのではないかと思った。
店の雰囲気は変わっておらず、ステージ上の大画面スクリーンでは朝鮮カラオケが流されていた。時々、Windowsの画面が出て、朝鮮楽曲のaviファイルが並んでおり、それをwindows media playerを使って流しているような感じもしたので、ソースはいま一つ分からない。
さて、ドンムであるが、開口一番「オレガンマンイムニダ(お久しぶりです)」と。こちらは、ミヨン・ドンムの顔すら覚えていないのに、次々にやってきて「オレガンマンイムニダ」と挨拶してくる。今年「探査」した朝鮮食堂は、総じて愛想があまり良くなかったので、「モランボン音楽食堂」も変わってしまったのかと思いきや、ここは古き良き心の故郷」のままであったようだ。
やはり一杯目は「大同江ビール」でと値段を聞きながら注文すると、48元と。どこがいくらだったのか忘れてしまったが、柳京ホテルの値引き前価格だと思う。つまみは、定番のキムチ。おつまみとしてピーナッツが一緒に出てくる。日本のようにお通し代を取られているのかは不明。
しばらく、カラオケ画面や周囲の様子を見ながらカラオケ画面を眺めていた。朝鮮族のオバサンも、厨房のオジサン(朝鮮人か?)も去年のまま、だんだんドンム達の顔も思い出し、2回目に行ったときに横で一緒に歌ってくれたドンムもいた。舞台の裏の方からは、サックスを練習する音が聞こえてくる。カラオケ画面が古いものばかりだったのに対して、サックスで練習しているのは「モランボン楽団」の楽曲だったので、公演に期待をした。
第1回公演は21時開始で、それに合わせて店に客が集まって来て、かなりの席が埋まった。それに合わせて店に出てくるドンム達の数も増え、ミヨン・ドンムも出てきて「オレガンマンイムニダ」と。まだいるとは思わなかったので、お土産も持ってこなかったのだが、「ドンムがまだいると分かっていたら、お土産をたくさん持ってきたのに」というと、嬉しそうな顔をしていた。
ミヨン・ドンムに「平壌館」について聞いてみた。すると、私が行った場所は正しかったようで、「百貨店のような建物の2階にあるが、外に看板は出ていない」と言っていた。商業施設の中まで「探査」すべきだったと後悔しつつ、ミヨン・ドンムとの再会があったので「モランボン音楽食堂」に来た方がよかったとも思った。
ドンムもこちらのことをしっかりと覚えているようで、拙宅の「芸術家」について「何歳になりましたか?」と聞いてきた。成長と共に子供が父親と疎遠になる話をしていると、他の客の対応をするよう「オンニ」に呼ばれ、「ミアナムニダ(すみません)」と言って、行ってしまった。
ミヨン・ドンムも含め、数人のドンムが「展示会があるので来たのですか」と聞いてきたが、何の展示会を言っているのだかよく分からなかった。一応、上海で開催される展示会を調べてはみたが、北朝鮮がブースを出しそうな展示会はなさそうだった。実は、日本のメディアが取材に向かった長春の展示会(北朝鮮ブースで海産物を展示)も数日の差で見られなかったので、もし上海で展示会が開催されているのであれば、滞在期間を1日延長してでも見に行こうと思ったのだが、どの展示会なのだか分からない。ドンム達に詳しく聞いておけばと後悔している。
21時になり、公演が始まった。定番の「パンガプスムニダ(うれしいです)」ではく、古い朝鮮曲から演奏が始まり、中国語の歌(楽曲名不詳)があり、私が知っている歌は「駿馬処女」しかなかった。演奏はキーボード、ドラム、サックス(サックスはギターと途中で交代)、そしてカヤグムの演奏。歌手は2人~3人。全体として、去年よりもレベルが落ちていた。
公演終了後、ミヨン・ドンムが来たので、「楽曲が古すぎて、『駿馬処女』以外は知らない曲ばかりでした。『駿馬処女』だって、将軍様時代の歌でしょ。飛躍する金正恩時代を代表する歌をなぜ歌はないのですか?」とクレームを入れると、ミヨン・ドンムは「楽曲編成に問題があります。変えるようにします」とは言っていた。
そうこうしているうちに22時が近づいてきた。地下鉄の最終は22時22分だと確認しておいたので、余裕をもって22時には撤退することを決めていた。22時少し前、「精算してください」とミヨン・ドンムに言うと、「10時からの公演をご覧にならないのですか」と。総額203元で、200元だけ払った。値段をしっかりと調べたのは大同江ビールの48元だけで、キムチやその後、飲んでいた中国ビールの値段はわからない。また、頼んでいないので、「サービスです」とポップコーンやキュウリの料理が出てきた。中国ビールは小瓶だったので、軽く5~6本は飲んだはずなので、1本20元として100元、キムチが30元、大同江ビールが48元、そんなものかなという気はしている。ただ、「サービス品」は私のテーブルだけに出されていたので、それが「友好的日本人民レピーター」への本当のサービスなのか、キムチしか注文しないどケチなオッサンから金を取るための作戦だったのかは分からない。ともあれ、2017年「探査」で初の成果を挙げられたので、200元の工作資金は問題なしとしておく。
後ろ髪をひかれたが、「地下鉄道の時間があるので」と事情を説明して撤退した。「来年まだいるなら、お土産たくさん持ってきます」というと、「まだいます。また、来てください」と。階段のところまで他のドンムと2人で見送ってくれ、「来年、また会いましょう」と別れた。
紅船の横にあった売店で、毛沢東バッジの箱入り6個セットを記念に買った。バッジ単体だと、オークションで100円ぐらいで売っていそうなものなのだが、箱入り6個セットで箱には紅船の絵も描かれているので、70元で購入した。
中国の自動車会社の共産党系組織の研修会参加者グループも来ており、記念写真を撮影していた。
毛主席にパワーを得て、夕刻以降は「27探査隊員」の工作を開始した。上海には、複数の朝鮮食堂があることが確認されており、営業中の食堂も分かっていた。過去記事に書いたかもしれないが、事前の情報収集活動が重要で、中国のネット検索サイト「百度」でターゲットとなる食堂を検索し、寄せられているコメントの直近がいつのものなのかを確認する。しかし今回は、この事前情報収集工作をする時間がほとんどないまま上海に来て、さらに出撃前の工作時間もほとんどなかった。
30分ほどしか時間がなかったので、適切なキーワードを入れられなかっただけなのかもしれないが、百度の様子が少し変わっていた。というのも、以前は「上海、朝鮮、料理」(全て日本語のIME使用)と入力すれば、百度地図と共に朝鮮食堂が何軒か出てきた。しかし今回はそれが出てこず、大変困った。単に、キーとなる検索語が脱落してしまっただけなのかもしれないが、百度側が朝鮮食堂をリストから除外したのかなとも感じた。この辺り、落ち着いて検索してみないと確かなことはいえないが、ともかく、見つけるのに苦労したことは間違いない。
「モランボン音楽食堂」は行ったことがあるので、別の朝鮮食堂を「探査」しようと、営業していそうな「平壌館」を目標地点とした。一応、百度で検索していたらそれらしい地図も見つかり、地下鉄2号線駅周辺というところまで分かったので進軍することとした。しかし、「平壌食堂」があるとされる地下鉄駅を出るも、そもそもそのような雰囲気ではない。周囲に見えるのは、カーネル・サンダースや大きな総合商業施設のみ。これまで「探査」した朝鮮食堂がある場所と明らかに雰囲気が違う。一応、地図に示された地点を「探査」するも、そこにあるのは大型商業施設。「平壌館」の看板など見つからない。
可能性として、大型商業施設建設に伴い、そこにあった古い建物で営業していた「平壌館」が撤去を求められたのではないかと思いつつ、「戦略的後退」を余儀なくされた。
「戦略的後退」を決めたとき、時はすでに18時半を過ぎており、新標準装備の中国SIMを装着したタブレットを使って検索している余裕はないと判断、「モランボン音楽食堂」に向かうことにした。同食堂であれば、公演は20時以降であったと記憶しているので、まだ余裕がある。
「モランボン音楽食堂」に到着すると、いつものように入り口にドンム達がいない。階段を上がってくと、数人の朝鮮族と漢族のグループ、そして制服を着た警官のグループがいた。漢族と朝鮮族のグループは毎度のことだが、制服警官の姿は異様だった。しかし、テーブルの上を見るとオレンジジュースの瓶が1本置かれているだけで、宴会をしている様子はなく、朝鮮語と中国語を話す男性と何か打ち合わせをしていたようだ。朝鮮語を話す男性は、店の冷蔵庫から「大同江ビール」を勝手に出しても警察官のところにもっていったので、店の人間であろう。もちろん、警官らは飲むこともせず、ビールの説明をする朝鮮族男性の話を聞いていた。最後に、店に置いてあった消火器をもって2人の警官が「記念撮影」をしていた。よく分からないが、消防署か警察による防火設備の点検だったのかもしれない。THAAD配備で韓国系企業に対するこうした「法律に基づく」調査や検査が厳しくなったと報じられているが、北朝鮮食堂に対しても同様の対処をしているのではないかと思った。
店の雰囲気は変わっておらず、ステージ上の大画面スクリーンでは朝鮮カラオケが流されていた。時々、Windowsの画面が出て、朝鮮楽曲のaviファイルが並んでおり、それをwindows media playerを使って流しているような感じもしたので、ソースはいま一つ分からない。
さて、ドンムであるが、開口一番「オレガンマンイムニダ(お久しぶりです)」と。こちらは、ミヨン・ドンムの顔すら覚えていないのに、次々にやってきて「オレガンマンイムニダ」と挨拶してくる。今年「探査」した朝鮮食堂は、総じて愛想があまり良くなかったので、「モランボン音楽食堂」も変わってしまったのかと思いきや、ここは古き良き心の故郷」のままであったようだ。
やはり一杯目は「大同江ビール」でと値段を聞きながら注文すると、48元と。どこがいくらだったのか忘れてしまったが、柳京ホテルの値引き前価格だと思う。つまみは、定番のキムチ。おつまみとしてピーナッツが一緒に出てくる。日本のようにお通し代を取られているのかは不明。
しばらく、カラオケ画面や周囲の様子を見ながらカラオケ画面を眺めていた。朝鮮族のオバサンも、厨房のオジサン(朝鮮人か?)も去年のまま、だんだんドンム達の顔も思い出し、2回目に行ったときに横で一緒に歌ってくれたドンムもいた。舞台の裏の方からは、サックスを練習する音が聞こえてくる。カラオケ画面が古いものばかりだったのに対して、サックスで練習しているのは「モランボン楽団」の楽曲だったので、公演に期待をした。
第1回公演は21時開始で、それに合わせて店に客が集まって来て、かなりの席が埋まった。それに合わせて店に出てくるドンム達の数も増え、ミヨン・ドンムも出てきて「オレガンマンイムニダ」と。まだいるとは思わなかったので、お土産も持ってこなかったのだが、「ドンムがまだいると分かっていたら、お土産をたくさん持ってきたのに」というと、嬉しそうな顔をしていた。
ミヨン・ドンムに「平壌館」について聞いてみた。すると、私が行った場所は正しかったようで、「百貨店のような建物の2階にあるが、外に看板は出ていない」と言っていた。商業施設の中まで「探査」すべきだったと後悔しつつ、ミヨン・ドンムとの再会があったので「モランボン音楽食堂」に来た方がよかったとも思った。
ドンムもこちらのことをしっかりと覚えているようで、拙宅の「芸術家」について「何歳になりましたか?」と聞いてきた。成長と共に子供が父親と疎遠になる話をしていると、他の客の対応をするよう「オンニ」に呼ばれ、「ミアナムニダ(すみません)」と言って、行ってしまった。
ミヨン・ドンムも含め、数人のドンムが「展示会があるので来たのですか」と聞いてきたが、何の展示会を言っているのだかよく分からなかった。一応、上海で開催される展示会を調べてはみたが、北朝鮮がブースを出しそうな展示会はなさそうだった。実は、日本のメディアが取材に向かった長春の展示会(北朝鮮ブースで海産物を展示)も数日の差で見られなかったので、もし上海で展示会が開催されているのであれば、滞在期間を1日延長してでも見に行こうと思ったのだが、どの展示会なのだか分からない。ドンム達に詳しく聞いておけばと後悔している。
21時になり、公演が始まった。定番の「パンガプスムニダ(うれしいです)」ではく、古い朝鮮曲から演奏が始まり、中国語の歌(楽曲名不詳)があり、私が知っている歌は「駿馬処女」しかなかった。演奏はキーボード、ドラム、サックス(サックスはギターと途中で交代)、そしてカヤグムの演奏。歌手は2人~3人。全体として、去年よりもレベルが落ちていた。
公演終了後、ミヨン・ドンムが来たので、「楽曲が古すぎて、『駿馬処女』以外は知らない曲ばかりでした。『駿馬処女』だって、将軍様時代の歌でしょ。飛躍する金正恩時代を代表する歌をなぜ歌はないのですか?」とクレームを入れると、ミヨン・ドンムは「楽曲編成に問題があります。変えるようにします」とは言っていた。
そうこうしているうちに22時が近づいてきた。地下鉄の最終は22時22分だと確認しておいたので、余裕をもって22時には撤退することを決めていた。22時少し前、「精算してください」とミヨン・ドンムに言うと、「10時からの公演をご覧にならないのですか」と。総額203元で、200元だけ払った。値段をしっかりと調べたのは大同江ビールの48元だけで、キムチやその後、飲んでいた中国ビールの値段はわからない。また、頼んでいないので、「サービスです」とポップコーンやキュウリの料理が出てきた。中国ビールは小瓶だったので、軽く5~6本は飲んだはずなので、1本20元として100元、キムチが30元、大同江ビールが48元、そんなものかなという気はしている。ただ、「サービス品」は私のテーブルだけに出されていたので、それが「友好的日本人民レピーター」への本当のサービスなのか、キムチしか注文しないどケチなオッサンから金を取るための作戦だったのかは分からない。ともあれ、2017年「探査」で初の成果を挙げられたので、200元の工作資金は問題なしとしておく。
後ろ髪をひかれたが、「地下鉄道の時間があるので」と事情を説明して撤退した。「来年まだいるなら、お土産たくさん持ってきます」というと、「まだいます。また、来てください」と。階段のところまで他のドンムと2人で見送ってくれ、「来年、また会いましょう」と別れた。