延吉レポート:金日成総合大の先生、朝鮮パブで公演連発、朝鮮族ドンム、カラオケパッド、「元帥様」の黒い服は「閉じた洋服」 、他(2016年10月17日)
<追記>
いろいろと加筆しているので、関心があればお読みいただきたい。
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少し前、延吉より戻ってきた。北京経由で行くと、やはり移動に丸一日要する。
参加したのは、延辺大学で開催された図們江フォーラムという会議であるが、、今回も金日成総合大学(総合大)からの参加者がおり、数的には去年を上回っているように見えた。
昨年との大きな違いは、総合大の先生の自由度が各段高まっているように見えたことである。去年の場合は、とにかく全員が一緒に固まっていて、その輪の中に入り込むのはとても難しい状況であった。例えば、朝食時も歓迎式典の時も、全員がしっかりと固まっており、話しかければ答えてはくれたものの、輪の中に入ることはできなかった。しかし今回は、さすがに単独行動はほとんど見られなかったが、全員一緒にいることよりも、2人とか3人で一緒に歩いているケースが多かった。特に驚いたのは、朝食時、ほぼ全員勝手気ままな時間に降りてきて、2人ぐらいのグループで食べていた。恐らく、総合大の先生は1部屋を2人でシェアしているので、そのようなことになったのではないかと思うが、去年とは全く様相が違った。そんなこともあり、朝食タイムは総合大の先生方と話しをする最高の機会であった。
私は、2日間の会議の中で、初日は自分も報告した経済関連の分科会、2日目は文学の分科会に参加した。2日目に文学に参加したのは、3名の報告者のうち、1名が韓国人、2名が総合大の先生で、全て朝鮮語・韓国語で分科会が進行されたためだ(通訳が入らないので、深い議論ができ、時間が有効に使える)。加えて、全員が「日帝」絡みの報告で、韓国の先生は親日派作家の話し、北朝鮮の先生(女性)は「日帝時代」も含む北朝鮮の「過去の」男尊女卑の話し、北朝鮮の男性の先生は、日帝時代の「反日文学」の話しであった。同フォーラムへの日本人参加者がそれほど多くなかったということもあるが、この「日帝」文学分科会にいた「日帝」の末裔は、なぜか私1人だった。
歓迎会の席上では、総合大の先生は比較的固まってはいたが、韓国人の先生や私が混ざり込んで、酒を酌み交わしながら話をしていた。経済分科会にいた李先生とは白酒で何回か乾杯をした。李先生は、経済分科会では、四面楚歌に近い状況に置かれていた。周りは中国人、韓国人、モンゴル人、ロシア人、日本人、そして親善的日本人民の私。この会議では、ルールとして「南朝鮮」や「北韓」という用語は使わない。相手国の指導者を非難しない。核・ミサイル問題を扱わないなどの、非公然のルールがあると主催者から聞いていた。よって、韓国からの参加者は朝鮮のことを「北側」と呼ぶことになっていたが、口についてしまっているのか、司会をしていた韓国の先生は何回か「北韓」と発言し、横にいた別の韓国の先生に「北側」と注意されていた。そんなこともあったので、私が参加していたときは、李先生は「北韓」発言に対する抗議はしなかった。しかし、私が文学分科会にいた時の経済分科会報告で、韓国側の参加者がパワポに「北韓」と書いてしまったので、ついに李先生の抗議があったそうである。
失礼千万だったのは、会議中、私の後ろ辺りに座っていた韓国人2人が、「北韓は小国のくせに、強盛大国といって威張っている」というようなことを話していたことである。私にははっきり聞こえたので、ロシア人を挟んでその隣にいた李先生にも聞こえていたはずである。李先生の爆発を心配したが、李先生の方が大人で、ルール違反・マナー違反の「人間のゴミ」は相手にしなかった。会議中は、さすがに直接的な核・ミサイル発言はなかったが、韓国や中国の参加者からはそれを暗示させる発言があった。李先生も最後の方ではさすがにエキサイトしてきており、「あなた方のように、米国(米帝とは言わなかった)の常態的な核威嚇の中で生活してない方々には理解できないだろうが」とはじめ、『労働新聞』などで報じられている、北朝鮮の公式的見解をほぼ一字一句間違いなく述べていた。親善的日本人民は、去年の経験から、そうなることは目に見えていたので、このような場で核問題を取り出して朝鮮からの参加者を責めたところで、非生産的でこそあれ、生産的なことは何もないことは知っていた。
親善的日本人民は、「北朝鮮の外国人観光」に関する話をした。会議に提出した論文(朝鮮文)は、朝鮮からの参加者を想定し、総合大学の紀要に則って、「元帥様」の「お言葉」の引用から入った。さすがに、「敬愛する」や「お言葉」という表現はやめておいたが、「金正恩委員長は、このように述べた」とした上で、彼がどこかでしゃべった「国際観光開発をもっとしなければならない」という言葉を引用しておいた(総合大の紀要からの再引用ではあるが)。論文と報告の中では、国名は「朝鮮」で通しておいた。おもしろかったのは、司会の韓国人の先生が数回、それにつられて「北側」と言わず、「朝鮮」と言っていたことである。言葉とはそんなものなのだろうが、親善的日本人民から李先生へのささやかなプレゼントとなった。少し驚いたのは、朝鮮が設定した観光特区(拙ブログでも過去記事でいくつか紹介した)の開発が、「国際情勢の影響を受けて、朝鮮が想定したように進んでいない」と李先生が正直に話していたことである。公式な場でこのような発言をしたところからすると、設定はしたもののなかなか投資を呼び込むことができず、苦労しているようである。
北朝鮮の人とは、案内員ドンムや運転手ドンムとは乾杯したことがあるが、総合大の先生と杯を空けたのは初めてで、李先生がサッカーをやっていて足を痛めた話や音楽の話をしていた。同先生、「モランボン楽団」の曲はあまり知らなかった。同先生の言葉によると、「モランボン楽団は若い人に人気がある」とのことで、ご自身は「若い人」ではないので、よく知らないということだった。
2日目の夜は、主催者側が用意した夕食をスキップし、某同志と「第27探索隊」を組織して、ホテルから徒歩10分の千年白雪会館という朝鮮食堂に行ってきた。実は、去年、このフォーラムに参加した際、この「食堂」には行き、拙ブログにもそこでの話しのレポートを書いたはずである。
去年は知らなかったのだが、千年白雪会館は、3階建ての建物で、2階が食堂、3回がビアホールになっている。今回は、2階の食堂に足を踏み入れたら、接待員ドンムに3階に行くよう指示された。3階の雰囲気は、少し前に行った上海の「モランボン音楽会館」と少し似ており、食堂というよりもクラブかパブという雰囲気であった。「第27探索隊」が到着したときには、中国人(朝鮮語を交ぜて話していたので、恐らく朝鮮族)の1グループがいただけで、ほぼガラガラであった。
「第27探索隊」のテーブルに来たのは、やたらとよくしゃべる、接待員ドンムであった。開口一番言われたのは、「あなたの朝鮮語は田舎くさいです。朝鮮族の言葉でもないし、平壌言葉でもないし、南朝鮮の言葉でもないし、どこから来たのですか」と。何年も朝鮮語を話してきたが、「田舎くさい」と言われたのは初めてである。一応、言い訳を書いておけば、今朝、総合大の先生と食事をしながら話していて、「いつ平壌で朝鮮語を習ったのか」と言われた。「いえ、ソウルです」と答えると、「でも、その言葉は・・・」と。ま、後は、「朝鮮中央テレビを見ていまして・・・」と正直な話をしておいたのだが、それなのに「田舎くさい」とは、少しひどい。ソウルの人が、北朝鮮の人の言葉を「田舎くさい」と笑っているのを何回も見ているので、その系ではないかと思う。
この接待員ドンム、至った結論からすると、どうやら北朝鮮から来た女性ではなく、いわゆる「在中同胞」か、そうでなければ朝鮮族だと思う。上に、「やたらとよくしゃべる」と書いたが、明らかに同店の接待員ドンムとは様子が違っていた。上海の朝鮮食堂にはオバサン朝鮮族がいたが、こちらはそのヤング・バージョンではないかと思う。詳細な比較はしていないが、このドンムはネックレスやイヤリングを着用しており、2号探索隊員が「どこで買ったのか」と質問をしていた。それと、この朝鮮パブの特色は、すべての女性がチマ・チョゴリを着ていることである。これまで行ったところでは、公演をするときだけチマ・チョゴリに着替えたり、入り口に立って呼び込みをしている数人がチマ・チョゴリを着ているだけだったが、ここは終始一貫、全員がチマ・チョゴリだった。
この店に入ったときは、例によって古い朝鮮の歌のカラオケが流れていた。「モランボン楽団に変えてくれ」とリクエストをすると、変えてくれたのはよいのだが、なんとYOUKUからダウンロードしたか、接続して流している映像であった。光明星4号打ち上げ成功の科学者宴会(多分)で同楽団に演奏をさせたときにテレビで放送された動画をそのまま流していたので、「元帥様」もしばしば写っていた。このような動画を流す朝鮮食堂もここが初めてであった。
「千年白雪会館」にも大同江ビールがあった。「いつから置いているのか」と聞いたら、よくしゃべるドンムは「開店当時から」と言っていたが、メニューには同ビールは書いてなかったし、去年2階のレストランに行ったときは置いていなかった。しかしこのドンム、「ビールは何番か」との質問には、しっかりと「2番」と答えられた。敵もやるものである。しかし、この店で明らかになったのは、大同江ビールは「高い!!!!」ということである。例によって、何本飲んだのかは覚えていないが、ビール代だけで360元取られた。2号探索隊員はほとんど飲まない人なので、1号探索隊員の私がほとんど飲んだとして、6~8本頼んだのであろうか。そんなことからすると、1本50元ぐらいの感じである。ローカルビールなど、メニューに書かれたその他のビールの値段をきちんとチェックしなかったが、延吉の物価からして、50元のビールというのは、やはり高いと思う。一応、我らに続く、探索隊の同志には注意を促しておくことにする。メニューには酒とおつまみしか出ていないが、言えば、2階のメニューを持ってきてくれる。酒以外の食べ物は、少し高い程度、加えて辛さは朝鮮的であった。2号探索隊員は、鍛錬が不足していたのか、辛さにやられていた。
しかし、千年白雪会館のパブが凄いのは、公演の頻繁にあるということである。他の食堂(千年白雪会館の2階も含む)では、1日1公演、あるいは2公演であるが、ここは、随時、連発という感じで公演があった。雰囲気的には、新しい客のグループが来る度に公演を演じていたようで、我が探索隊が着いたときには「20時半から」と言っていたにもかかわらず、20時には公演が始まっていた。使用する楽器は、電子バイオリンやベース、アコスティックベースを使うなど、「モランボン楽団」を意識した構成になっていたが、残念ながら、曲目は古いものがほとんどだった。これは、主要な客層である中国朝鮮族が新しい曲をあまり知らないからだと思う。彼らは、朝鮮語ができることもあり、朝鮮の歌を歌っていたが、とにかく、古い歌であった。まあ、「金日成将軍の歌」では、1号隊員は盛り上がっていたが、それでも古かった。なので、公演も彼らの時代に合わせた歌を歌っているような気がした。
写真撮影については、特段の注意書きはなかったようだが、朝鮮族も含めて誰も写真を撮っている人はいなかった。2号探索隊員が、スマホを出していじってはいたが、それについては注意されなかった。
例によって、リッチな中国の方々は、100元札をどんどんチップで飛ばしながら、カラオケを歌っていた。資本主義化が中国東北地区より進展している上海の朝鮮食堂では、1曲いくらとはっきり書かれていたが、こちらは、見渡した限りそのような表示はなかったようだった。ただ、リッチな方々がピンク色のお札を飛ばすので、工作資金に乏しい「第27探索隊」は、辛い立場に立たされた。
それでも、1号隊員は、頑張って「元帥様時代」の名曲、「行こう、白頭山へ」を朝鮮から来た「俳優」と一緒に歌うことができた。やはり、「俳優」の声は素晴らしい。一応、歌が終わる頃には、1号探索隊員の前には造花の花束が置かれており、そこに、ピンクのお札を1枚差し込んで席に戻った。上海の相場からすると、1曲ブルーのお札(50元)なのだろうが、リッチな方々がいると、探索隊も苦労する。
ここでは、過去記事でも紹介したパッド型のカラオケシステムを使っていた。PAやミキサーは別にあるが、基本音源はパッド型のカラオケシステムであった。我ら「第27探索隊」は、このカラオケシステムを戦取する闘争を展開した。「あれが欲しいのだがいくらか」との問いに対して、朝鮮族らしきドンムは「2800元(2400元だったかも記憶曖昧)」と答えた。「欲しいのだが」というと、下に降りていき「在庫」を探しているようであった。戻ってきて、「今はない」というので、「あれ(店で使っているも)でいいから売ってくれ」と言ったところ、「あれを売ってしまうと、営業ができない」と答えた。よくしゃべるドンムが朝鮮族だと思ったのは、ここで「営業」という言葉を使ったこともある。「朝鮮語大辞典」には、もちろん「営業」という言葉は出ているが、雰囲気的に朝鮮人民であれば「奉仕ができなくなる」と言いそうな気がしている。
ところが、このドンム、「今、前金を払ってくれれば、次に来るまでに準備しておく」という。「次に来るのは、早くても来年だ」と言うと、「それでよい」と。こういう商売っ気は、朝鮮からやって来たドンムであれば、出せないはずである。そして、工作資金に乏しい「第27探索隊」は、この時点でカラオケマシン戦取作戦を放棄することとなった。いや、「戦略的後退」と言っておくことにする。
カラオケマシンの戦取には失敗したものの、2号探索隊員が、音楽系DVDを数多く戦取していた。1号探索隊員は、大同江ビールの蓋と店のティッシュ袋を戦取するに留まった。
蓋を持ち帰ったのは、何でもありの中国なので、もしかすると大同江ビールさえ偽物が流通しているのではないかという疑念がわいたからである。1号探索隊員のようなアホが行って、50元のビールを馬鹿飲みしてくれれば、確かに儲かる。ちなみに、ローカルビールの氷川ビールを超市で買うと、昨年の価格で5元もしなかったと思う。今年は超市でビールを買わなかったが、北京空港で買った哈爾浜ビールが4.5元であった。北京空港の物価もぼったくり価格である。
総合大の先生に聞こうと思って忘れていた質問をドンムにしてみた。拙ブログでも答えが出ていない、「元帥様」の黒い服を朝鮮語で何と呼ぶのかという問題である。ドンムは「洋服」と答えていた。もちろん、完全に納得のいかない答えである。ということで、今朝、総合大の先生に同じ質問をぶつけてみた。正しい答えを得るために、「敬愛する金正恩元帥様がいつもお召しの黒い服は、朝鮮語で何というのですか?」と「思想・精神的」に正しいワーディングで質問したところ、やはり答えは「洋服」であった。今一つ納得できなったので、「では、第7回党大会で元帥様がお召しの服との違いを朝鮮語でどうやって表すのですか?」とたたみかけると、意味は伝わったものの、答えに窮しているようであった。その場には、上記の文学分科会におられた先生が集まっていたのだが、女性の先生が、それは「閉める洋服(닫긴 양복)」だと教えてくれた。「閉める」というのは、詰め襟の部分を指すとのこと。全員それには同意していたが、男性の先生が「人民服ともいうかな・・・」と。北朝鮮の先生の間で多少議論になり、結論は、「人民服ともいう」ということに落ち着いた。理由は、「将軍様」が「党幹部が人民の中に入り事業をするには、洋服(いわゆる、ネクタイとスーツ)ではなく、人民と同じ服がよいと仰った」ということであった。念のために、「しかし、将軍様の服は野戦服ですよね」とたたみかけると、「野戦服はジッパーで閉めるようなスタイルのものだ」というようなことであった。よくしゃべるドンムは「先軍服」というようなことも言っていたが、「先軍服」という言葉は聞いたことがない(ということで、朝鮮族疑惑が一層高まった)。
その後、ある筋から入った情報では、「南朝鮮傀儡国情院チンピラ」に拉致された12人の女性従業員は、拉致された食堂に移る前にはこの食堂で働いていたらしい、また、その話を聞いてやって来た韓国の放送局のカメラマンが店内を撮影し、軟禁されたという、一応、いわくつきの店のようである。
今日は、サマリーだけ書いて寝ようかと思ったのだが、忘れる前にもう少し書いておく。これも朝食時の話しであるが、総合大の授業スケジュールである。総合大では、午前8時から12時まで10分の休憩を挟んで3つの授業があり、午後は1時から6時まで授業があるという。講義は午前に集中しており、午後は講義は少なく、実験や自己学習の時間だという。そもそも、この話は、「私は朝ご飯はコーヒーしか飲みません」というところから、展開していったのだが、総合大の学生は「国家が供給するパン(サンドイッチ)を昼食として食べ」、それでお腹がふくれない学生は自分で「弁当(べんとう)」(ママ)を持ってくると言っていた。「べんとう」という日本語も朝鮮で生きているようで、言語民族主義的に正しい私が「トシラク(도시락)」とうっかり言ったら、総合大の先生は「トシラク」と言い換えていた。
文学分科会では、女性の先生が「過ぎ去った日」の「男尊女卑」の話しをした。「嫁いだ先の暮らし」で、お舅とさんとの関係、男が妾を作る関係、女性の役割が固定されていることなど、「過ぎ去った日」の女性の置かれた状況について書かれた文学作品を紹介していた。そして、この分科会で最高におもしろかったのは、討論者となっていたやはり北朝鮮の男性の先生が、「嫁いだ先の苦しい生活と言うが、恋愛もあったのだろうし、好きで結婚したのだろう」と質問をしたことである。一応、女性の先生は「新朝鮮」成立前の封建時代の話をしていたのであるが、この男性の先生はどう聞いても「新朝鮮」の男性としての質問であった。女性の先生、多少困りながら、「これからは、そのような文学も研究・紹介するようにします」と答えていた。会終了後、女性の先生に、「新朝鮮で、そのような家庭の問題を描いた文学作品はないのか」と質問したところ、きっぱり「ない」と。話しの中でも、「封建的」な要素は、「首領様の教示」により「なくなった」と何回か言っていたので、想定内の答えではあったが、少しガッカリした。「朝鮮中央TV」で放送されるドラマなどでも、それ自体ではない、「嫁いだ先での生活」についての題材は時々使われており、話しをそこに展開したかったのだが、会の合間と言うこともあり、残念ながら議論を深めることはできなかった。しかしなんというか、日帝の末裔よりも韓国の先生が北朝鮮の事情に疎いというのは、何か間違っているような気がする。
そろそろ限界なので、今日はここまで。
いろいろと加筆しているので、関心があればお読みいただきたい。
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少し前、延吉より戻ってきた。北京経由で行くと、やはり移動に丸一日要する。
参加したのは、延辺大学で開催された図們江フォーラムという会議であるが、、今回も金日成総合大学(総合大)からの参加者がおり、数的には去年を上回っているように見えた。
昨年との大きな違いは、総合大の先生の自由度が各段高まっているように見えたことである。去年の場合は、とにかく全員が一緒に固まっていて、その輪の中に入り込むのはとても難しい状況であった。例えば、朝食時も歓迎式典の時も、全員がしっかりと固まっており、話しかければ答えてはくれたものの、輪の中に入ることはできなかった。しかし今回は、さすがに単独行動はほとんど見られなかったが、全員一緒にいることよりも、2人とか3人で一緒に歩いているケースが多かった。特に驚いたのは、朝食時、ほぼ全員勝手気ままな時間に降りてきて、2人ぐらいのグループで食べていた。恐らく、総合大の先生は1部屋を2人でシェアしているので、そのようなことになったのではないかと思うが、去年とは全く様相が違った。そんなこともあり、朝食タイムは総合大の先生方と話しをする最高の機会であった。
私は、2日間の会議の中で、初日は自分も報告した経済関連の分科会、2日目は文学の分科会に参加した。2日目に文学に参加したのは、3名の報告者のうち、1名が韓国人、2名が総合大の先生で、全て朝鮮語・韓国語で分科会が進行されたためだ(通訳が入らないので、深い議論ができ、時間が有効に使える)。加えて、全員が「日帝」絡みの報告で、韓国の先生は親日派作家の話し、北朝鮮の先生(女性)は「日帝時代」も含む北朝鮮の「過去の」男尊女卑の話し、北朝鮮の男性の先生は、日帝時代の「反日文学」の話しであった。同フォーラムへの日本人参加者がそれほど多くなかったということもあるが、この「日帝」文学分科会にいた「日帝」の末裔は、なぜか私1人だった。
歓迎会の席上では、総合大の先生は比較的固まってはいたが、韓国人の先生や私が混ざり込んで、酒を酌み交わしながら話をしていた。経済分科会にいた李先生とは白酒で何回か乾杯をした。李先生は、経済分科会では、四面楚歌に近い状況に置かれていた。周りは中国人、韓国人、モンゴル人、ロシア人、日本人、そして親善的日本人民の私。この会議では、ルールとして「南朝鮮」や「北韓」という用語は使わない。相手国の指導者を非難しない。核・ミサイル問題を扱わないなどの、非公然のルールがあると主催者から聞いていた。よって、韓国からの参加者は朝鮮のことを「北側」と呼ぶことになっていたが、口についてしまっているのか、司会をしていた韓国の先生は何回か「北韓」と発言し、横にいた別の韓国の先生に「北側」と注意されていた。そんなこともあったので、私が参加していたときは、李先生は「北韓」発言に対する抗議はしなかった。しかし、私が文学分科会にいた時の経済分科会報告で、韓国側の参加者がパワポに「北韓」と書いてしまったので、ついに李先生の抗議があったそうである。
失礼千万だったのは、会議中、私の後ろ辺りに座っていた韓国人2人が、「北韓は小国のくせに、強盛大国といって威張っている」というようなことを話していたことである。私にははっきり聞こえたので、ロシア人を挟んでその隣にいた李先生にも聞こえていたはずである。李先生の爆発を心配したが、李先生の方が大人で、ルール違反・マナー違反の「人間のゴミ」は相手にしなかった。会議中は、さすがに直接的な核・ミサイル発言はなかったが、韓国や中国の参加者からはそれを暗示させる発言があった。李先生も最後の方ではさすがにエキサイトしてきており、「あなた方のように、米国(米帝とは言わなかった)の常態的な核威嚇の中で生活してない方々には理解できないだろうが」とはじめ、『労働新聞』などで報じられている、北朝鮮の公式的見解をほぼ一字一句間違いなく述べていた。親善的日本人民は、去年の経験から、そうなることは目に見えていたので、このような場で核問題を取り出して朝鮮からの参加者を責めたところで、非生産的でこそあれ、生産的なことは何もないことは知っていた。
親善的日本人民は、「北朝鮮の外国人観光」に関する話をした。会議に提出した論文(朝鮮文)は、朝鮮からの参加者を想定し、総合大学の紀要に則って、「元帥様」の「お言葉」の引用から入った。さすがに、「敬愛する」や「お言葉」という表現はやめておいたが、「金正恩委員長は、このように述べた」とした上で、彼がどこかでしゃべった「国際観光開発をもっとしなければならない」という言葉を引用しておいた(総合大の紀要からの再引用ではあるが)。論文と報告の中では、国名は「朝鮮」で通しておいた。おもしろかったのは、司会の韓国人の先生が数回、それにつられて「北側」と言わず、「朝鮮」と言っていたことである。言葉とはそんなものなのだろうが、親善的日本人民から李先生へのささやかなプレゼントとなった。少し驚いたのは、朝鮮が設定した観光特区(拙ブログでも過去記事でいくつか紹介した)の開発が、「国際情勢の影響を受けて、朝鮮が想定したように進んでいない」と李先生が正直に話していたことである。公式な場でこのような発言をしたところからすると、設定はしたもののなかなか投資を呼び込むことができず、苦労しているようである。
北朝鮮の人とは、案内員ドンムや運転手ドンムとは乾杯したことがあるが、総合大の先生と杯を空けたのは初めてで、李先生がサッカーをやっていて足を痛めた話や音楽の話をしていた。同先生、「モランボン楽団」の曲はあまり知らなかった。同先生の言葉によると、「モランボン楽団は若い人に人気がある」とのことで、ご自身は「若い人」ではないので、よく知らないということだった。
2日目の夜は、主催者側が用意した夕食をスキップし、某同志と「第27探索隊」を組織して、ホテルから徒歩10分の千年白雪会館という朝鮮食堂に行ってきた。実は、去年、このフォーラムに参加した際、この「食堂」には行き、拙ブログにもそこでの話しのレポートを書いたはずである。
去年は知らなかったのだが、千年白雪会館は、3階建ての建物で、2階が食堂、3回がビアホールになっている。今回は、2階の食堂に足を踏み入れたら、接待員ドンムに3階に行くよう指示された。3階の雰囲気は、少し前に行った上海の「モランボン音楽会館」と少し似ており、食堂というよりもクラブかパブという雰囲気であった。「第27探索隊」が到着したときには、中国人(朝鮮語を交ぜて話していたので、恐らく朝鮮族)の1グループがいただけで、ほぼガラガラであった。
「第27探索隊」のテーブルに来たのは、やたらとよくしゃべる、接待員ドンムであった。開口一番言われたのは、「あなたの朝鮮語は田舎くさいです。朝鮮族の言葉でもないし、平壌言葉でもないし、南朝鮮の言葉でもないし、どこから来たのですか」と。何年も朝鮮語を話してきたが、「田舎くさい」と言われたのは初めてである。一応、言い訳を書いておけば、今朝、総合大の先生と食事をしながら話していて、「いつ平壌で朝鮮語を習ったのか」と言われた。「いえ、ソウルです」と答えると、「でも、その言葉は・・・」と。ま、後は、「朝鮮中央テレビを見ていまして・・・」と正直な話をしておいたのだが、それなのに「田舎くさい」とは、少しひどい。ソウルの人が、北朝鮮の人の言葉を「田舎くさい」と笑っているのを何回も見ているので、その系ではないかと思う。
この接待員ドンム、至った結論からすると、どうやら北朝鮮から来た女性ではなく、いわゆる「在中同胞」か、そうでなければ朝鮮族だと思う。上に、「やたらとよくしゃべる」と書いたが、明らかに同店の接待員ドンムとは様子が違っていた。上海の朝鮮食堂にはオバサン朝鮮族がいたが、こちらはそのヤング・バージョンではないかと思う。詳細な比較はしていないが、このドンムはネックレスやイヤリングを着用しており、2号探索隊員が「どこで買ったのか」と質問をしていた。それと、この朝鮮パブの特色は、すべての女性がチマ・チョゴリを着ていることである。これまで行ったところでは、公演をするときだけチマ・チョゴリに着替えたり、入り口に立って呼び込みをしている数人がチマ・チョゴリを着ているだけだったが、ここは終始一貫、全員がチマ・チョゴリだった。
この店に入ったときは、例によって古い朝鮮の歌のカラオケが流れていた。「モランボン楽団に変えてくれ」とリクエストをすると、変えてくれたのはよいのだが、なんとYOUKUからダウンロードしたか、接続して流している映像であった。光明星4号打ち上げ成功の科学者宴会(多分)で同楽団に演奏をさせたときにテレビで放送された動画をそのまま流していたので、「元帥様」もしばしば写っていた。このような動画を流す朝鮮食堂もここが初めてであった。
「千年白雪会館」にも大同江ビールがあった。「いつから置いているのか」と聞いたら、よくしゃべるドンムは「開店当時から」と言っていたが、メニューには同ビールは書いてなかったし、去年2階のレストランに行ったときは置いていなかった。しかしこのドンム、「ビールは何番か」との質問には、しっかりと「2番」と答えられた。敵もやるものである。しかし、この店で明らかになったのは、大同江ビールは「高い!!!!」ということである。例によって、何本飲んだのかは覚えていないが、ビール代だけで360元取られた。2号探索隊員はほとんど飲まない人なので、1号探索隊員の私がほとんど飲んだとして、6~8本頼んだのであろうか。そんなことからすると、1本50元ぐらいの感じである。ローカルビールなど、メニューに書かれたその他のビールの値段をきちんとチェックしなかったが、延吉の物価からして、50元のビールというのは、やはり高いと思う。一応、我らに続く、探索隊の同志には注意を促しておくことにする。メニューには酒とおつまみしか出ていないが、言えば、2階のメニューを持ってきてくれる。酒以外の食べ物は、少し高い程度、加えて辛さは朝鮮的であった。2号探索隊員は、鍛錬が不足していたのか、辛さにやられていた。
しかし、千年白雪会館のパブが凄いのは、公演の頻繁にあるということである。他の食堂(千年白雪会館の2階も含む)では、1日1公演、あるいは2公演であるが、ここは、随時、連発という感じで公演があった。雰囲気的には、新しい客のグループが来る度に公演を演じていたようで、我が探索隊が着いたときには「20時半から」と言っていたにもかかわらず、20時には公演が始まっていた。使用する楽器は、電子バイオリンやベース、アコスティックベースを使うなど、「モランボン楽団」を意識した構成になっていたが、残念ながら、曲目は古いものがほとんどだった。これは、主要な客層である中国朝鮮族が新しい曲をあまり知らないからだと思う。彼らは、朝鮮語ができることもあり、朝鮮の歌を歌っていたが、とにかく、古い歌であった。まあ、「金日成将軍の歌」では、1号隊員は盛り上がっていたが、それでも古かった。なので、公演も彼らの時代に合わせた歌を歌っているような気がした。
写真撮影については、特段の注意書きはなかったようだが、朝鮮族も含めて誰も写真を撮っている人はいなかった。2号探索隊員が、スマホを出していじってはいたが、それについては注意されなかった。
例によって、リッチな中国の方々は、100元札をどんどんチップで飛ばしながら、カラオケを歌っていた。資本主義化が中国東北地区より進展している上海の朝鮮食堂では、1曲いくらとはっきり書かれていたが、こちらは、見渡した限りそのような表示はなかったようだった。ただ、リッチな方々がピンク色のお札を飛ばすので、工作資金に乏しい「第27探索隊」は、辛い立場に立たされた。
それでも、1号隊員は、頑張って「元帥様時代」の名曲、「行こう、白頭山へ」を朝鮮から来た「俳優」と一緒に歌うことができた。やはり、「俳優」の声は素晴らしい。一応、歌が終わる頃には、1号探索隊員の前には造花の花束が置かれており、そこに、ピンクのお札を1枚差し込んで席に戻った。上海の相場からすると、1曲ブルーのお札(50元)なのだろうが、リッチな方々がいると、探索隊も苦労する。
ここでは、過去記事でも紹介したパッド型のカラオケシステムを使っていた。PAやミキサーは別にあるが、基本音源はパッド型のカラオケシステムであった。我ら「第27探索隊」は、このカラオケシステムを戦取する闘争を展開した。「あれが欲しいのだがいくらか」との問いに対して、朝鮮族らしきドンムは「2800元(2400元だったかも記憶曖昧)」と答えた。「欲しいのだが」というと、下に降りていき「在庫」を探しているようであった。戻ってきて、「今はない」というので、「あれ(店で使っているも)でいいから売ってくれ」と言ったところ、「あれを売ってしまうと、営業ができない」と答えた。よくしゃべるドンムが朝鮮族だと思ったのは、ここで「営業」という言葉を使ったこともある。「朝鮮語大辞典」には、もちろん「営業」という言葉は出ているが、雰囲気的に朝鮮人民であれば「奉仕ができなくなる」と言いそうな気がしている。
ところが、このドンム、「今、前金を払ってくれれば、次に来るまでに準備しておく」という。「次に来るのは、早くても来年だ」と言うと、「それでよい」と。こういう商売っ気は、朝鮮からやって来たドンムであれば、出せないはずである。そして、工作資金に乏しい「第27探索隊」は、この時点でカラオケマシン戦取作戦を放棄することとなった。いや、「戦略的後退」と言っておくことにする。
カラオケマシンの戦取には失敗したものの、2号探索隊員が、音楽系DVDを数多く戦取していた。1号探索隊員は、大同江ビールの蓋と店のティッシュ袋を戦取するに留まった。
蓋を持ち帰ったのは、何でもありの中国なので、もしかすると大同江ビールさえ偽物が流通しているのではないかという疑念がわいたからである。1号探索隊員のようなアホが行って、50元のビールを馬鹿飲みしてくれれば、確かに儲かる。ちなみに、ローカルビールの氷川ビールを超市で買うと、昨年の価格で5元もしなかったと思う。今年は超市でビールを買わなかったが、北京空港で買った哈爾浜ビールが4.5元であった。北京空港の物価もぼったくり価格である。
総合大の先生に聞こうと思って忘れていた質問をドンムにしてみた。拙ブログでも答えが出ていない、「元帥様」の黒い服を朝鮮語で何と呼ぶのかという問題である。ドンムは「洋服」と答えていた。もちろん、完全に納得のいかない答えである。ということで、今朝、総合大の先生に同じ質問をぶつけてみた。正しい答えを得るために、「敬愛する金正恩元帥様がいつもお召しの黒い服は、朝鮮語で何というのですか?」と「思想・精神的」に正しいワーディングで質問したところ、やはり答えは「洋服」であった。今一つ納得できなったので、「では、第7回党大会で元帥様がお召しの服との違いを朝鮮語でどうやって表すのですか?」とたたみかけると、意味は伝わったものの、答えに窮しているようであった。その場には、上記の文学分科会におられた先生が集まっていたのだが、女性の先生が、それは「閉める洋服(닫긴 양복)」だと教えてくれた。「閉める」というのは、詰め襟の部分を指すとのこと。全員それには同意していたが、男性の先生が「人民服ともいうかな・・・」と。北朝鮮の先生の間で多少議論になり、結論は、「人民服ともいう」ということに落ち着いた。理由は、「将軍様」が「党幹部が人民の中に入り事業をするには、洋服(いわゆる、ネクタイとスーツ)ではなく、人民と同じ服がよいと仰った」ということであった。念のために、「しかし、将軍様の服は野戦服ですよね」とたたみかけると、「野戦服はジッパーで閉めるようなスタイルのものだ」というようなことであった。よくしゃべるドンムは「先軍服」というようなことも言っていたが、「先軍服」という言葉は聞いたことがない(ということで、朝鮮族疑惑が一層高まった)。
その後、ある筋から入った情報では、「南朝鮮傀儡国情院チンピラ」に拉致された12人の女性従業員は、拉致された食堂に移る前にはこの食堂で働いていたらしい、また、その話を聞いてやって来た韓国の放送局のカメラマンが店内を撮影し、軟禁されたという、一応、いわくつきの店のようである。
今日は、サマリーだけ書いて寝ようかと思ったのだが、忘れる前にもう少し書いておく。これも朝食時の話しであるが、総合大の授業スケジュールである。総合大では、午前8時から12時まで10分の休憩を挟んで3つの授業があり、午後は1時から6時まで授業があるという。講義は午前に集中しており、午後は講義は少なく、実験や自己学習の時間だという。そもそも、この話は、「私は朝ご飯はコーヒーしか飲みません」というところから、展開していったのだが、総合大の学生は「国家が供給するパン(サンドイッチ)を昼食として食べ」、それでお腹がふくれない学生は自分で「弁当(べんとう)」(ママ)を持ってくると言っていた。「べんとう」という日本語も朝鮮で生きているようで、言語民族主義的に正しい私が「トシラク(도시락)」とうっかり言ったら、総合大の先生は「トシラク」と言い換えていた。
文学分科会では、女性の先生が「過ぎ去った日」の「男尊女卑」の話しをした。「嫁いだ先の暮らし」で、お舅とさんとの関係、男が妾を作る関係、女性の役割が固定されていることなど、「過ぎ去った日」の女性の置かれた状況について書かれた文学作品を紹介していた。そして、この分科会で最高におもしろかったのは、討論者となっていたやはり北朝鮮の男性の先生が、「嫁いだ先の苦しい生活と言うが、恋愛もあったのだろうし、好きで結婚したのだろう」と質問をしたことである。一応、女性の先生は「新朝鮮」成立前の封建時代の話をしていたのであるが、この男性の先生はどう聞いても「新朝鮮」の男性としての質問であった。女性の先生、多少困りながら、「これからは、そのような文学も研究・紹介するようにします」と答えていた。会終了後、女性の先生に、「新朝鮮で、そのような家庭の問題を描いた文学作品はないのか」と質問したところ、きっぱり「ない」と。話しの中でも、「封建的」な要素は、「首領様の教示」により「なくなった」と何回か言っていたので、想定内の答えではあったが、少しガッカリした。「朝鮮中央TV」で放送されるドラマなどでも、それ自体ではない、「嫁いだ先での生活」についての題材は時々使われており、話しをそこに展開したかったのだが、会の合間と言うこともあり、残念ながら議論を深めることはできなかった。しかしなんというか、日帝の末裔よりも韓国の先生が北朝鮮の事情に疎いというのは、何か間違っているような気がする。
そろそろ限界なので、今日はここまで。